飛水峡の飛騨川右岸歩道、素性が判明。 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

自分でも思い入れの強い記事のひとつである、「飛水峡の飛騨川右岸歩道」。未読の方はぜひ先にご覧いただきたい。

 

で、5回にわたって連載したものの、道の正体に関してはわからずじまいとなっていたのだが、このほどみんな大好き「道との遭遇」公式YouTubeチャンネルにこの道のことが上がっててビックリした。早速見てみたら…どうやら正体が判明したようだ。

 

 

 

念のためリンクも。

 

 

結論からいえば、やはりわたくしも第一に推していた「白川街道の旧道」が正解なようだ。トリさん(石井あつこさん)が近隣の方に聞き取って確認されているので間違いないだろう。馬車などの普及で道が手狭となり、現在の左岸の白川街道が開かれたのが明治28年ということで、その前身となる道なので、ガチな古道だったわけだ。

なぜ先に右岸歩道が開かれたのかといえば、日当たりがよく、雪も溶けやすいためとのお話を聞き、思わず唸った。なるほどね~…。

 

 

いやまあ、スッキリした。…が、ひとつだけ気になったこと。

 


動画の中でトリさんがこの道について「3年くらい前に訪ねたことがあるんですけど」といってるのだが、この動画が撮影されたのがいつなのか不明なので、2020年9月22日に訪問したわたくしよりも先なのか後なのか、そこが気になっていて。…ええ、器の小さな男ですから…(笑)。


ちなみに記事公開は、ウチには珍しくわずか一週間後の9月29日。いかにこのネタにテンション上がってたか、わかろうというもの。

 

いや、まあ先んじてた方が嬉しいのもあるけど、わたくしの記事を見て行ってくれたんだったらもっと嬉しいな、とかね。

 

 

 

てなわけで、トリさんありがとうございました(勝手にお礼)。