2018年4月30日、三重県北東部をシバキ回す旅にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、解散後の辨天橋(ホラー記事?)のみ…たぶん。
ここんとこ山神さんが相次いで近辺のネタを記事にされているので、便乗してやっとく。もしかして見つけておられないんじゃないかなって。性格悪い(笑)。
とか言いながら、わたくしも長らく全然気づいてなくて。
このストビューで…わかりますかね?
おろろnさんプロデュースのツアーだったこの日、ようやく初訪問となった次第。
いやもう、ねえ。
こういうもんがポンとあるから侮れないんですわこのあたりは。
なんとも立派な煉瓦製ポータルで、小ぶりながらも風格は十分。そして恐ろしく状態がいい。だいぶ前に記事にした十三石山隧道も、開渠のままであればこういう重厚な姿が拝めただろうに。
ポイントはなんといっても、
この鋸歯状デンティル。
個人的にキューンときたのは、
中央の一個のみ斜めでなくまっすぐに積まれていること。不動のセンターってか(謎)。ニクイわ~。裏側どうなってんだろう?
隧道を背に、水路を見た景。
時期的には(当日は4月30日)水路が使われがちな時期だと思うんだが、全然水が流れていなかった。廃水路じゃないと思うんだが。
ちょっと追いかけてみたら、
うむ、これは現役でしょ。
さて、隧道内部の様子。
水路系にありがちな欠円アーチ、側壁は小口面を焼過煉瓦で積んでおり、こだわりを感じる。
にしても狭い。めっちゃ狭い。これはハナから入ろうとは思わない(フラグ)。
…いや、このお方はそうではなかった。
tellさん、アンタなにしてんすか(笑)。
膝に~?
ちぎったゴミ袋を~?
巻いて~?
はい皆さん!
これが正しい変態の在り方です。わたくしのようなハンパものではかないませぬ…。
こんなんやってるその間に、
関西本線の列車が通り過ぎて行った。
tellさんが潜ってたのは3~4分だったかな?
覚えてるのは、「あー濡れたー!」って声(笑)。
いやいやほんまに、
さすがでございます。…しかし一体どうやって体の向きを変えたんだこの人?
最後に、反対側はというと、
こんなんなっております。延長は、30mもないくらいかな。
ガッツリ改修されてるのだが、坑口のキワまでいって無理やり内部をズームで撮ると…
煉瓦ですなーこっち側も。
この日の撮影はすべてスマホで、しかもズームとなると画質低下が著しいので、これが限界だった。これまたさすがに入ろうとは思えない…ですよね、普通は。
これがいつできたものなのか、もちろん不明(まあ調べてもないんだが)。ただ、ちょっとした妄想はしている。
この近辺の関西本線は1890(明治23)年に関西鉄道の手によって開通した区間(柘植~四日市)で、ここ加太周辺には開通時を含む明治・大正期に建造されて今も現役で活躍している多くの鉄道施設があり、それらは現在「加太の鉄道遺産」として行政や地元の方々により積極的にアピールされている。
その中には煉瓦製の橋梁や架道橋などももちろんあるわけなのだが、この用水の隧道も装飾性豊かな意匠を見るにつけ、そして場所が近接していることもあり、どうしても共通するテイストを感じてしまうのだ。
遺産群の中で記事にしているのはこの第一六五号橋梁だけだが、
どうですかね?往時の煉瓦橋梁とかだいたいこんな感じでしょ?といわれたらまあそうなんだけど。
なので我が妄想としては、鉄道工事を請け負った会社に、工事終了後に(または同時期に)、同地区内ということでついでにやってもらうように依頼したのじゃないかな~と。で、余った煉瓦でやったるわ、みたいな。
いや、ここまでいくと妄想が過ぎるとは思うけど、案外そういうことも考えられるのではないかな、程度で。
てなわけで山神さん、これご存じでした?
ちなみに遺産関連で他に記事にしているものとしては、中在家信号場もございます。
以上。