2012年3月18日、某下見の際に「発見」した物件。正確に言えば…「何かあるような気がしてたけど、この趣味にハマる前の記憶なんで、改めて行ってみたら…」系のヤツ(笑)。まあ、小ネタですが。
場所はコチラ。
ここは京都府道61号京都京北線。南下してきたけど、今は北を向いている。ブツはすぐそこ。
わかりますよね?真ん中ですよ。
うぉおお煉瓦ポータル!?
同業者なら一目瞭然、コレはどう見ても煉瓦製坑門が埋まってて上部がのぞいてるお姿そのものではありませんか!
しかも…よう見たら…!
扁額もあるしさぁ!!
なんて書いてあるか解読する前に、一応説明をば。
この府道を南下していくと、洛北発電所がある。明治41年運用開始という歴史あるこの現役の発電所は、鞍馬川と賀茂川の2ヶ所から取水しており、このr61沿いには鴨川からの水を送る導水路が走っている。今回のこの物件は、その導水路にある水路隧道の坑門、というわけで。
とはいえ、今では導水路はほぼ全面的に暗渠化されていて、
このグレーチングを外したら潜り込めそうやけど、なにしろ現役施設の現役導水路。いろんな意味でやったらアカンです(汗)。
ちなみにこの賀茂川導水路、何ヶ所か隧道表記があるが、ポータルが確認できたのは調べた限りここだけだった。
それにしてもこの隧道、さすがの明治物件。小ぶりながらもやはり凝っている。
笠石下にはデンティル(鋸歯状に積まれた煉瓦)の装飾が。大抵の場合、遠く見上げて鑑賞するもの、こんな距離でデンティルを眺められるとは、素敵すぎる~!
で、扁額。
「…隧道」とは読めたが、ぱっと見では判然としなかった。扁額下部にも文字が刻まれているようやけど、埋まり気味でわからん…
ということで。ちっとばかし掘り返してみました。デカイ画像で貼ってみるので、拡大してどうぞ~。
まず隧道名はなんとか読める。「十三石山隧道」だ。問題はその下、埋まってたところの表記。
いまいち不鮮明…(泣)。
二段に渡って文字が刻まれており、上段には「請負人 湯浅●●●」、下段には「明治四十四年十一月●●」とある…ように見えた。
上段の解読できた部分は自信があるけど、下段は…。もし明治四十四年だと、発電所の運用開始と3年もの開きがあることになる。でも上の画像を見ると、どうですか?「明治四十四」に見えないかね?
うーん、わからん。扁額全体が汚れてて、どうにも判読しづらい。コレは、再訪して確認せねばな…。
というわけで、2012年6月24日。
約3ヶ月後、恒例の煉瓦祭り京都篇にて、仲間の皆様をここへお連れした際に…
キリフキと歯ブラシで扁額掃除。その写真がないのが残念やけど…(笑)。
で、結果、