フォトジェニック建造物図鑑【63】~追憶の旧・大己小学校 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【お詫び】

前回の大己橋記事最後にこの橋の読み方を「いき」橋と書いたが、正しくは「いき」橋の誤りでした。申し訳ございませんでした~。

 

 

つうわけで今宵のお題、すでに前回登場していた。

これ。

 

この大きな建物、実はこの橋に出会う直前に県道から見ていた。

 

 

 

 

 

その時のお姿がこれ。

この時けっこう雨がしっかり降っていたために、車から降りて見に行かなかったのが悔やまれる。結局この後すぐ下車することになったわけだし…

 

 

実は前回の記事を書くにあたってようやく知ったんだが、これは廃校となった大己(たいき)小学校校舎で、なんとこの時点で和歌山県内最古の木造校舎だったのだそうだ。

 

学校自体は1879(明治12)年、東隣りの大谷と防己からひと文字づつ採って創立、この校舎は1903(明治36)年に完成、1913(大正2)年に増築されたものだという。1970(昭和45)年3月に閉校して48年(訪問時)、こうして老朽化しながらも県道を見下ろしていた。

 

わたくしも一見して廃校舎であることは認識したものの、このあたりは弊社業務範疇(笑)のボーダーラインであり、この写真一枚でよしとしてしまった。

 

 

 

「してしまった」。廃、ご想像どおり。

 

 


保存も検討されたものの、残念ながら2022年に解体撤去されてしまったのだという。趣味的には悲しいものがあるが、町の限られた予算で補強工事と維持管理のランニングコストは、確かに厳しいだろうし、致し方ない。

 

 

 

 

 

最後に、ストビューを載せておく。

撤去前年である2021年3月のストビューでは、桜が咲いてとてもいい雰囲気。ぜひ見てみてほしい。

 

 

 

以上。