2023年7月30日、大分出張中の休みに敢行した「駅から探索」。この日のネタで記事にしているのは、今回のネタに続いて訪ねた猪野隧道。
久大本線天神山駅から、西に向かってテクテクと。
さらに大分川沿いの細道に入って進むと、現れたのが
この先の橋の情報であろう看板が緑に呑まれかけていた。
そこから約100mほどで
到着~。欄干の低い、いかにも古い橋の登場。
左の親柱は、これ…
ぶっ倒れてるな。
文字が刻まれているようにも見えるが、なんとも判読不可。
右の親柱は…
これはアカーン。
探索着でなく仕事用の服装なんで、さすがにこれをかき分けるのは憚られた。探索着ならヤってたと思うが。
ちなみに、こちら側からはサイドアングルは見られるポジションがなかった。
橋上から望む、上流側。
向こう上空を横切るのは、大分県道52号別府庄内線の亀ノ甲橋。
こちら下流側。
川床の様相が面白い。
渡りきって振り返り。
来る途中で緑に呑まれかけていた看板が、こっちはちゃんと置かれている。
左の親柱には、お誕生日。
「昭和二十四年八月竣功」。てっきり戦前橋かと思ったが、戦後だった。
ふと川べりに目をやると、
あそこ面白いな。何の穴だろう。自然地形なのか?あまり流れでえぐられそうな場所ではないんだが。
下流側には、
こういうのも袖高欄っていうのか不明だが、コンクリ壁が。後付けかな?
その外側に…
「かめのこうばし」。やっとお名前が確認できた。まあ例の看板にも書いてあったんだけどね。
県道の橋とは新旧橋の関係にあると思われるが、「同名の場合はたいてい旧橋は棄てられる」の法則は、ここには当てはまらなかったようだ。
で、唯一サイドアングルを拝めるのがここから。
で、ちょっと目を剥いた。おお、これは見ごたえある~。
二本ある橋脚は、
いずれも大変立派な石積み。これ…ほんとに戦後橋か?なんか怪しいぞ。もしかして上部工だけ架け替えられた?
で、こちらの橋詰で出会ったのが
こちらの石仏。
不動明王っぽく見えるが、どうだろう。赤く着色されていた痕跡が残っていた。見にくいが、光背には「明和六己丑」とか「二月」の文字が読み取れた。明和六年っていつだろうと調べてみたら、1769年。250年以上前のものだった。
見守られる、亀ノ甲橋。
うーん、ちょっとアングルが窮屈~。
最後に、県道橋から見下ろした「旧」亀ノ甲橋。
なんともスッキリ端正なお姿と川床の様相がいい。なんかジオラマっぽさを感じるな~。
これを撮るためにわざわざここまで来たわけだが、実はこの時点でもう暑さにバテ始めてたっけ。まだ一発目なのに(笑)。
以上。