「川越style」

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日中の煌びやか山車から、日が落ちて夕闇が辺りを包み込むと、灯りが灯された山車が妖艶に浮かび上がってくる。

2017年10月15日、朝から降り続けた雨は止む気配を見せず、それどころか夕方になると一層雨脚が強くなっていた。
川越まつりの夜の部は一体どうなるのか・・・連雀町の祭り人たちは誰もが恨めしそうに天を見上げていた・・・
というより。既に日中、雨の中山車を曳いたことで、この後のシナリオは決定していたのかもしれない。
このまま夜も曳くぞ、と。
そして、会所中にそのニュースが伝わった。
「午後6時20分出発」。
正式に夜の部の出発時間が祭り人たちに伝わると、大きな歓声が沸き起こりました。「おお!」「よし!」、夜も山車を曳けるのだ、夜こそ川越まつりの本番、川越まつりの最大の華はやはり夜の曳っかせ。
現場の祭り人たちは気合を入れなおし、その時をじりじりと待っていたのだった。
2017年の川越まつりもいよいよ佳境を迎える。
10月14日、初日は辛うじて天気がもち、夜の部まで催行できましたが、10月15日、二日目最終日は朝から雨、午後になっても止むことなく夜も雨は弱まることはなかった。
川越氷川祭の大事な行事である、神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になり、日中は山車を出した町内はわずかという状況。

(「川越まつり」2017年10月14日、15日の午前~午後の部 雨の中を山車がゆく

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12319980756.html
その調子だと夜の部も・・・ほとんどの町内が山車を出さないのでは・・・?祭り人のみならず、観衆も気が気でない事態であることに変わりない。
紆余曲折あったものの連雀町は夜の部の雨中曳行を決めた。一度決めた以上もうどんなに雨が降っても決定は変えないだろう。
他のいくつかの町内も夜に山車を出すことを発表していて、一体どこまでの数になるのか、これはもう各町内の判断になるので結果は誰にも分からなかった。
職方が提灯など山車の夜対策の装いを済ませ、GOサインがでればいつでも行ける準備が整う。
さすが川越まつり、この雨の中でも夕方になると沿道の観衆の数は目に見えて増えていき埋まるほどに。やはりみな、夜の川越まつりを観たいのだ、夜の曳っかわせを見たいのだ。
沿道の期待をひしひしと受け取っている祭り人たちは、期待以上のものを見せようと気合が入る。

 


道灌の山車の綱が前方に目一杯張られ、蝋燭に火を灯した提灯を手にした祭り人たちが整然と並んで綱を握り締めた。厳かに木遣り唄が始まり、拍子木が打たれて、「ソーレー!!」、「ソーレー!!」と山車全体がぐらりと雨の中動き出す。連雀町太田道灌の山車の夜の部がいよいよ始まったのだ。祭り人たちの掛け声が日中以上に一段を大きくなる。
「ソーレー!!」
さあ、ここからが川越まつり。
「ソーレー!!」
さあ、川越まつりの本当の本番が始まろうとしていた。

 

 


夜の部は、事前の予定運行ルート通り、中央通りを南下していく道灌の山車。毎年、微妙に運行ルートが変わりますが、夜の部はこの数年会所を出発してまず北に向かって札の辻を目指していたので、今年はがらりと真逆から進めていく形になる。
例年のように札の辻方面からだと、行って戻って本川越駅方面に行くとかなり後半の時間になってしまうため、本川越駅方面の町内の山車と合わせる機会が難しくなっていた。今年は先に本川越駅へ行こうと予定を組んでいた今年。他の町内とのいろんな事情を汲みながらこうして山車の運行ルートが決められているのだ。
しかし今年は降雨が続くと確実視されていたため、運行ルートは短縮、それに毎年交通規制解除ぎりぎりまで山車を出していましたが、早めに収める判断が下されていた。おそらく他の雨中曳行を決めた町内も同様の対応をとるはずで、短い時間だが、それでもこれぞ川越まつりを見せようと意地とプライドだけで雨の中を進んで来るに違いない。

まずは連雀町交差点で、北上して来た新富町一丁目の家光の山車を待つ形になった連雀町。新富町一丁目は本川越駅周辺の地域で、山車蔵は小江戸蔵里にあります。今年の夜の初の曳っかわせがこの山車というのが何とも因縁深い。
憶えている人も多いでしょう、2013年の大雨の川越まつり最終日では、夜の部に参戦していたのは、連雀町か新富町一丁目くらいのもので、川越まつり唯一の夜の曳っかわせを魅せたのも、連雀町と新富町一丁目で、まさにこの交差点付近だったのです。隣同士の町内であり、熱い絆で結ばれた両町内は、2017年も雨の中、熱い曳っかわせを魅せました。

 


ここから連雀町は南へ、新富町一丁目は北へ進路を取り分かれていった。両極からお互い戻って来た時にまたどこかで合わせる場面がきっとあるはず、また合わせよう!と手を振って別れたのだった。


南へ真っ直ぐ続く広い中央通りは現在拡幅工事の真っ最中であり、今の段階でも広々としていて、(風情の面は横において)山車曳き自体はしやすい。曳きやすいというの観衆にとっては観やすいということであり、良い面でもあります。
通り沿いにある居囃子や大会本部などで山車を停めて正面を向けて挨拶していくのが川越まつりの仕来たり。
拍子木が打たれる音が響くと、そこはもう観衆も勝手知ったるもので、「曳っかわせが始まる!」と山車の周りに集まってくる。
つまり、居囃子に山車が近づき、あの拍子木が打ち鳴らされれば、そう、それは曳っかわせの合図ということ。拍子木の音で山車に止まれと指令を出していたのです。連々会の面々が提灯を乱舞させてさらに盛り上げる。


そしてまた拍子木が打たれると今度は出発の指令。祭り人たちはすぐさま持ち場に戻り、綱を握りしめて「ソーレー!!」「ソーレー!!」と山車を曳き始めるのだった。

 


通りの各所で挨拶をしながら、遠くに見えてきた本川越駅前交差点。
駅前という立地で多くの人が見守るということから曳っかわせの名所となっていて、川越まつりではこれまで幾多のドラマチック曳っかわせを魅せてきた場所。今年もまばゆいばかりの曳っかわせが繰り広げられるはずだった。
・・・が、緊急事態が発生。
先の状況を見定めに駆けていた先触が息せき切って帰って宰領に報告する。
「本川越、山車がないです。。。」
なんということでしょう。駅前交差点に山車が一台も来ていないのだという。。。確かに、目を凝らして前方を見ても、山車らしき灯りが全く見えない。一台でも居れば曳っかわせができるが、これでは。。。
しかし、道灌の山車は本川越駅を目指すことを変えない。行けば、どこかから他の町内の山車がやって来るかもしれない、それに希望を託し山車を曳き続けるのだった。


本川越駅前交差点では、北から勇壮にやって来る道灌の山車を確かめ、待ち構えている観衆が埋め尽くしていた。曳っかわせの期待のボルテージがどこまでも高まっていく。
交差点の中央で拍子木が打たれ、山車が停められる。
確かに・・・四方を見てもどこにも山車の影も形も見えない。本川越駅前交差点で他の山車に遭遇しないなんてこんなことは初めてだ、と現場の祭り人たちも戸惑いの声を挙げる。

 

 


先触二人が現場を駆け回り、各方面の情報を搔き集めてくる。どうやら他の町内は、本川越駅から北上するルートではなく、川越街道から北に向かっているらしいことが分かった。
それでも先触がキャッチした情報で、先ほどの新富町一丁目の家光の山車が本川越駅へ向かって来ていることを掴んだ。
「それならここで曳っかわせだ!」
道灌の山車を交差点ど真ん中に留め、家光の山車を待ち構える。
出発から30分の午後7時。盟友盟友、連雀町と新富町一丁目は、交差点で大勢が見守る中、二回目の曳っかわせを魅せました。


ここでどうするか。
先触の情報だと・・・本川越駅に向かう山車が現段階で一台もないことが判明した。このままここに居ても時間が勿体ない。。。いや、もちろんずっと待ち続けていればいずれ南下して来る町内があるので、いつかは合わせることができるだろう。しかし、川越まつりの時間は無限ではなく、交通規制が解除される22時までと有限なのだ。
待つか。進むか。
先が読みにくい雨中曳行というイレギュラーな中で運行しているのはどこの町内でも同じこと。この雨の中で山車を曳く決断をした町内の現場はみな、どこの町内も蜂の巣をつついたような騒動になっているに違いなかった。
ここではタイミングが合わなかっただけ、肩を落としているわけにはいかない。
そうと分かれば、すぐに次の手を打っていかねばならない。
いさ、今度は中央通りを北へ向けて進路をとるのみ。綱を北に向けて張り、祭り人たちが反対側に移動する。
拍子木が打たれて、ゆらりと山車は来た道を今度は北上していくのだった。
ここでも通り沿いの各所で山車を停め、正面を向けて挨拶していくことに変わりはない。どちらの方角から来ても通るごとの仕来たりなのだ。


「ソーレー!!」「ソーレー!!」
雨に打たれながら祭り人たちの掛け声は弱まることなく、むしろ益々高まっていくばかり。これが川越まつり、提灯を掲げて誇らしげに綱を曳くのだった。
山車を曳けて嬉しい、夜の山車の何という煌びやかなこと、うっとりと誇らしい気持ちで綱を曳き続ける。

 

 

 


連雀町交差点を越え、ずんずん進んで行く道灌の山車。前方に見えてきたのが、六軒町の三番叟の山車。六軒町も雨の中、山車を出していたのだ。中央通り上で曳っかわせを行う。中央通りには山車が集まっていた状況で、南通町の納曾利の山車、新富町二丁目の鏡獅子の山車とも曳っかわせを行った。南通町や新富町二丁目はこの雨の中で最も遠くから曳いて来た町内だったろう。ここから距離があるため、雨中無理をせずこのまま会所へ帰る行程をとっただろうか。。。

 

 

 

 

 



隣町の仲町の羅陵王の山車。日中の曳行で山車とすれ違い、会所にも挨拶に訪れたが、本格的な曳っかわせはこれが初めて。山車同士がゆっくりと近づけられ、両囃子連の囃子が入り乱れてまるでカオスの場に、町衆たちが間に入って提灯が乱舞させる。神秘的な幻想的でうっとりするくらい美しい川越まつりの曳っかわせだった。
その後も中央通りで志多町の弁慶の山車、宮下町の日本武尊の山車と曳っかわせ。

 

 

 


ここまで来て、雨中曳行している町内が意外に多いことに驚く。
そこにはきっと葛藤、ジレンマ、様々な感情、事情が渦巻いていたに違いない。
神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になり、午前・午後と山車曳きを控えていた数多くの町内、ここまま一日中、中止にしていいのか、夜の曳っかわせを魅せなくていいのか、と。この小雨が続くなら、行けるんじゃないか、少しの時間でも山車を出そう、そんな話し合いが目に浮かぶよう。日中から溜まりに溜まった川越まつり熱が、今、ついに爆発したのだ。これまでの鬱憤を晴らすように、どの町内もいつも以上の熱い曳っかわせを魅せるのだった。

一番街を進む道灌の山車。、末広町 髙砂の山車、幸町の山車と合わせたものの、中央通りで行き違った山車が次々と南へ進んで行くことから分かる通り、やはり、このタイミングで一番街には他町内の山車の姿が見えなかった。。。

 

 

 

現場の状況から考えると、おそらく、連雀町がすれ違った山車たちは一番街に溜まって複数台による曳っかわせを魅せていたのではないか。その後に南へ進み、連雀町とすれ違っていったのだ。もう少し早くここに着いていれば、道灌の山車もそこに・・・と悔やまれるも、曳っかわせのタイミングは本当に難しい。


一番街を北に進みつつも、先触が前方の状況を掴んでくる。どうやら札の辻には一台の山車も来ていないらしい。このまま札の辻まで行っても、本川越駅の二の舞になるだけ。そう判断した宰領は、一番街の途上でUターンすることを決断。
そして、反対側からもUターンしてきたのが、先ほど合わせた志多町 弁慶の山車。弁慶の山車もあれから南へ進んだ後に深入りせず、仲町交差点ですぐに戻って来たのだろう。このまま会所に帰っていくはず。今年の祭り最終日は雨中でどこの町内も無理はせず、早めに会所に戻る安全運行を肝に銘じているようだった。レトロ建物の埼玉りそな銀行を背景に、二台の山車が一番街上で曳っかわせを魅せる。

 

 

さらに続いて元町二丁目の山王の山車も南からやって来て合わせていった。
時間は午後8時半、結果的に、2017年川越まつり連雀町の太田道灌の山車の曳っかわせは、これが最後となったのでした。


連雀町もあとは一番街に別れを告げ、このまま道を真っ直ぐ進んで会所に戻っていくのみ。
通り沿いで居囃子に合わせながら、最後の直線コースである中央通りを意気揚々と山車を曳いていく。最後の力を振り絞って声を張り上げる一同。
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

この雨の中、午後6時20分に会所を出発して以来、2時間半。全身ずぶ濡れになりながらも、川越まつりをやっているんだという意地とプライドだけで山車を曳き続けた面々。
お気づきでしょうか、祭り人たちの多くは夜の部は合羽を着ることも避けていた。
これが川越まつり、骨の髄までしみ込んだ祭り人としての魂。
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

 

 


この日のための、この一年があった。
昨年の祭りが終わって今年の祭りの準備が始まり、定期的に懇親会を開催しては絆を深め、春の親睦旅行では群馬県にBBQにも行った。夏の盆踊り大会では八木節に踊り狂い、暑気払い、総会を経て、いよいよ迎えた2017年10月14日、15日の一年ぶりの川越まつりだった。
川越まつりのこうした一年のサイクルがこれまでずっとあり、これからもずっと続いていく。
こうした循環が360年以上続いてきた、川越まつり。

「ソーレー!!」
「ソーレー!!」
「ソーレー!!」

 


午後9時過ぎ、会所に辿り着いた道灌の山車は、静かに山車を収める、のではなく、実は連雀町の川越まつりはここが大団円で最後のフィナーレとなる。
祭り人たちは何度も提灯を上下に乱舞させ、雄たけびを挙げる。
町内が一つになり、祭り人たちの心が一つになり、祭りはここで、最高潮に達したのだった。
川越まつりの余韻に浸りながら、何度も何度も提灯乱舞を繰り返すのだった。。。
川越は、川越まつりの街。

 


2017年の川越まつりは、ユネスコ無形文化遺産登録後初めての開催ということもあって大きな注目を集めた今年は、生憎の天気など関係ない賑わいとなった二日間でした。
初日はなんとか天気がもち、二日目は結局朝から晩まで雨が降り続きました。
二日目の雨の中でも多数の町内が山車を曳いたところは、驚きであり、川越人の意地とプライドを見せたと言える。
雨の中で山車を曳くのは色んな面で負担も大きいわけですが、神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になった現実、溜まったマグマのような祭り熱の放出がそうさせたのかもしれません。現場の祭り人たちは、山車を曳きたくて仕方ないのだ。
しかし、二日目の雨は微妙なところで、あれ以上強かったら(強くなる予報になっていたら)どこの町内も山車は出していなかったでしょう。
なんとも寂しい川越まつりになっていたはず。。。
小雨が続くという予報で雨中曳き廻しという決断を下した多数の町内でした。本当にギリギリの線、微妙で絶妙な天気の采配でした。
二日間、川越に住まうほとんどの人が祭り仕様の対応をしていて、それぞれの川越まつりの関わり、それぞれの川越まつりがあったと思います。
あまりにもたくさんのドラマがあり過ぎて壮大過ぎる川越まつりは、一つ一つを書き記すことはできませんが、逆に、川越の皆さんお疲れ様でした!という総括的一言で伝わるところに、壮大だがシンプルに街が一つになる川越まつりの神髄が伝わるでしょう。
川越まつり、お疲れ様でした。また来年。



2017年10月14日、15日
「川越まつり」
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

川越まつり奇跡のサイドストーリーとして。

川越まつりの二日間予定された催しが全て終わり、詰所に集まってお互いの労をねぎらっていた連々会の祭り人たち。
中締めとして祝い酒で乾杯し、雨中曳行の一日を振り返っていたその時、一人の男性が促されて椅子の上に立った。
一体何事か・・・?周りにひしめく祭り人が見上げる。
男性は、ここで大事な話しがしたいのだとみなに伝える。
一体何の話し??と見上げる一同。
そして、一人の女性の名を告げて、近くに呼び寄せました。
え!え!?まさか!?
この展開は・・・!まさか・・・!
一同すぐに察しがついてあっという間に興奮に包まれる。
男性は女性の目をじっと見つめ、伝えたのだった。
結婚して欲しい、と。
泣き崩れる女性は、涙ながらに答えたのだった。
よろしくお願いします、と。
そして指輪を左手の薬指にはめ、周りの祭り人に囃され誓いのキスを見せたのでした。
川越まつりの夜にプロポーズするなんて、なんという展開なんでしょう。
最後にこんなドラマが待っていたなんて。

川越まつりの前夜、事前に伝えていたことを憶えているでしょうか。
雨は単なる川越まつりのスパイスでしかない、と。
案の定、雨が絶妙なピリリとしたスパイスを効かせてくれ、普段以上に熱く盛り上がった祭りとなった二日間。

あの雨はあるいは、二人に与えた試練であったのかもしれない。
小雨で降り続けるという心憎い采配を見せた天は、二人の愛を確かめたかったのだろう。
この試練をどう乗り越えるのか、と。その愛は本当なのか、と。
二人は降り続ける雨もなんのその、雨でじっとりと重くなった綱を握りしめ、声を張り上げ続けて山車を曳き続けていたのだった。神様が与えた雨の試練を見事に乗り越えていた。
これを見て天は、安心したようにこれ以上強く降ることを控えたのだった。

そしてもう一つ、事前に書いたことを憶えているでしょうか。
川越まつりは常にかつてないことが起こるのだ、と。
一体誰が、川越まつりの夜にプロポーズする祭り人のことを想像し得たでしょうか。
これ以上川越的ドラマチックなプロポーズが、かつてあったでしょうか。
単に川越まつりの夜にプロポーズしたのではない。二人とも同じ川越まつりの会に所属し祭りに参加し続け、この日共に雨の試練を乗り越えた末の、最後の最後にプロポーズ、なのです。
川越まつりの数々の筋書きを書いた神様でさえ、このサプライズプロポーズにはきっと驚いている。
川越まつりの夜の川越ラブストーリー。一生忘れられない川越まつりになったことでしょう。

まさに太田道灌の山車が運命の赤い糸。
赤い糸?いやいや、太田道灌の綱という太く強力な運命の綱が、二人の縁を大事に結び続けるに違いない。
末永くお幸せに。。。!

川越まつりは、また新たな伝説を創りました。


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2017年10月14日、15日に開催された「川越まつり」。

2017年10月14日、15日

「川越まつり公式サイト」
http://kawagoematsuri.jp/schedule.html
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車翁の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

 

「川越氷川祭の山車行事」が2016年12月にユネスコ無形文化遺産登録され、登録後初めての開催ということもあって大きな注目を集めていた今年。注目に応えようと、予定された台数よりさらに参加が増え、気げ付けば昨年同様の大規模開催になっていた2017年。

川越の連雀町は、本川越駅から真っ直ぐ北に進み、連雀町交差点近くにある熊野神社を氏神様を祀る氏神神社としている地域。

連雀町を南北に貫く大動脈、中央通りは昭和8年に開通以来、通りの両側には個人商店がひしめき、当時のまま続くお店が数多くあるという稀有な地域である。

北には蔵造りの建物の街並みがある一番街ゾーン、南には川越駅・本川越駅の繁華街ゾーンがあり、江戸・明治時代と平成時代を繋ぐ昭和時代を手つかずのまま伝えている地域でもある。

個人商店が多い商店街の活動は近年活気を帯び、『川越中央通り「昭和の街」を楽しく賑やかなまちにする会』によるまちづくり活動は今の川越でよく話題にあがるもの。

2017年9月には、連雀町の蓮馨寺にて昭和の街の会による「昭和の街の感謝祭」が開催されたばかりです。

(第四回「昭和の街の感謝祭」蓮馨寺及び周辺商店街2017年9月9日

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12309616647.html

蓮馨寺は様々なイベントが開催される場としても知られ、「アースデイ・イン・川越 昭和の街」、「川越Farmer’s Market」などが開催されています。

そして、連雀町と言えば外せない話しが、川越まつり。

連雀町の川越まつり熱は、まつり熱ということを遙かに超えたまつり狂と言うべきもので、祭りのために生きていると公言する人が多く、生活の全てを祭りに捧げている人がごろごろいる地域。それはなにより、川越まつりを見れば一目瞭然。連雀町の太田道灌の山車の曳行の迫力は他の追随を許さず圧倒している。
山車曳行の負担を考えて毎年の参加を見合わせ、隔年参加などと決めている町内も多い中で、連雀町は毎年川越まつりに参加することを決めている珍しい町内。故に、川越まつりでは毎年太田道灌の山車が見られるということになっているのだ。

2017年10月14日川越まつり初日。川越氷川神社では「例大祭」が執り行われました。

 

 

 

(2017年10月14日川越氷川神社 例大祭)

続いて各町内による山車行事が行われていく。事前の天気予報では祭り両日共雨となっていて川越人をやきもきさせましたが、初日は辛うじてもちそうで、市内の山車が積極的に曳行される展開が予想された。

連雀町の川越まつりは例年、初日は山車を会所前に留め置き、神幸祭供奉以外はずっと通りに留め置いて居囃子を披露する形になる。山車曳行は二日目、最終日というのが通例になっていた。

朝9時、初日に集結した連雀町の祭り人たち。揃いの祭り衣装が祭りの高揚感をさらに高める。祭り衣装を着るのも山車を通りに下すのも一年ぶり。否が応でもみなのテンションは上がり、祭りに関わる全てのことが楽しくて仕方ない表情。これが、山車持ち町内の町衆のリアルなテンション、表情と言えた。

初日は山車は曳かずとも山車を山車庫から通りに出して見せることにも大事な意義であり、それに山車の上では雀會の囃子がある。

町衆たちが山車をゆっくり動かし、また、連雀町の祭りの会である「連々会」が警護にあたるという役を担い続けた。

 

 

 

交代で山車を警護し、あるいは詰所で待機し何かあれば駆けつける。詰所に居るのも地域の人同士の交流を深める場であり、共に祭りを作るという体験は強烈な結びつきになって運命共同体のようなコミュニティを作っていく。それも、祭りの大事な一面。

 

 

 

 

 

 

やはり、と言うべきか、今年の川越まつりでは連雀町の山車に注目が集まった。

一つは、TVアニメ「月がきれい」の影響。月がきれいのOPテーマに連雀町の川越まつりが使われ、大きな反響を巻き起こしました。2017年7月の川越百万灯夏まつりでは、月がきれいの岸監督が連雀町の祭り衣装に身を包み、トークショーに臨んだことは記憶に新しい。

(第4回「川越浴衣まつり」2017年7月30日川越百万灯夏まつり本川越駅ステージ ×「月がきれい」

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12297752383.html

そしてもう一つは、太田道真・道灌父子による1457年の河越城築城から今年がちょうど560年という節目のメモリアルイヤーだったこと。

二つの話題で、朝から太田道灌の山車が通りにお目見えするのを待ち構えている人が取り囲むような状態で賑わいました。

山車の上では一日を通して雀會の囃子が断続的に続き、中央通りを進む町内の山車があれば、山車の正面を向けて曳っかわせを行っていった初日。

 

雨を遣り過ごし無事に終えた川越まつり初日。初日はなんとか天気がもった、これなら明日もなんとかなるのではないか、日曜日は完全に雨予報になっているが、もしかしたら奇跡が起こるのではないか、祈りというか確信的な思いで、いよいよ明日は自分たちの番だとメラメラと熱意が燃えてくる連雀町の祭り人たちだった。

迎えた2017年10月15日川越まつり二日目、運命の最終日。

交通規制が始まるのが午前10時、8時半頃から続々と会所・詰所に祭り人が集まってくる。

 

 

その表情は…やはり、重かった。沈痛と言ってよかったかもしれない。

祈りは届かず、予定通りの雨。

ただ、簡単に諦めるわけにはいかない。万が一に雨があがるような状況になれば、山車を曳き出す判断が下されるかもしれない。GOサインが出ればすぐにでも通りへ駆けて山車を曳くのだ。

数時間、いや、わずかな時間でも雨が止むことがあれば、隣の町内くらいまでは曳いて曳っかわせを魅せるかもしれない。いや、きっとそうするはず。一縷の望みを胸に、祭りモードのテンションで待ち続ける祭り人たち。

そこへ・・・無情にも報せが届く。

午前9時過ぎに神幸祭と市役所前の山車揃えが中止になったことが正式にアナウンスされた。合わせて各町内でも、午前の部の山車曳行は見合わせるところが多いという話しが市内に回る。午前は山車を留め置いたまま居囃子を披露する形がほとんどになるだろう。そもそも二日目は、朝からこの天候で終日山車曳行を取り止めにした町内も既に多数あった。

日中の主要行事であり、川越氷川祭の核をなす神幸祭が中止になったことで、やはり今年の祭りはこうなのか・・・あんなにこの日を待ち焦がれていたのに、一年の集大成を発揮する場がようやくやって来たのに、祭り人たちはさすがに意気消沈した面持ちになっていた。

普段あれだけ明るくノリがいい連々会の面々ですらそうなのだから、市内の全ての町内の祭り人たちが同じ気持ちだったでしょう。

(しかし、後から振り返ると、日中の消化不良のエネルギーがマグマのようにふつふつと溜まり、その後一気に爆発することになったことは川越まつりらしいというか、、、さすがとんでもないエネルギーを発散する行事であると思い知らされる)

日中見る事ができる煌びやか山車を目当てにした観光客には肩透かしでしたが、やはり、山車に雨は大敵。無理をすることはできない。

連雀町の対応も、午後まで待機。その後はまだ白紙。

スタートからまさに暗雲立ち込める事態ですが、それでも山車は通りに出され、雀會の囃子は途切れずに続いている。

山車は雨対応で厳重に覆われてその威容の全体は見ることができませんが、囃子の音色の力は絶大。一たび囃子が始まればすぐに人垣ができ、山車の周りに人が集まってくる。

 

 

午前曳きは中止になっても、この先のことはまだ誰にも分からない、これからの様子を見て13時に午後の予定が決まることになった。希望は残されていると言いきかせ、天気予報を何度も確認する一同。午後になると小康状態になるような・・・??それなら午後の部はできるかもしれない!と盛り上がる。その奇跡に賭けるしかなかった。

一体どんな判断が下されるのか、どんな判断になろうとも全てを受け入れるしかない。一同固唾を呑んで時間を過ごしていたのだった。

 

川越まつりの二日間は、市内中心部は広範囲な交通規制が敷かれ、例年だと日中から道という道が人でごった返していますが、この日はこれが川越まつりか、、、いや、そうあって欲しくないというほどの落ち着きぶり。

それでも。

2013年の時よりは人出があり、川越まつりを楽しみにしている人、ユネスコ無形文化遺産登録後初めての開催だけあって注目されているようだった。最も2013年の時は朝からザーザー降りで、一日を通して山車を曳いている町内は連雀町と新富町一丁目しかないというような状況だった。

まさかあの時の再来・・・??と現場の祭り人たちは当時のことを口にし合っていたほど。あの時のようにどこの町内も山車は出さないのではないか、連雀町だけは出すかもしれない、出して欲しい。。。

川越まつりに似つかわしくないまったりとした雰囲気に包まれながら、雨が降り続ける空を見上げる祭り人たちなのだった。

 

この日の午前中の川越まつりは、山車を曳いた町内は皆無だったでしょう。

川越まつり最中で本川越駅前が閑散とした光景に驚きを禁じえず、異様とも言えた。

しかし、山車は出なくとも、囃子がある。

山車を出す町内は、屋根がある山車庫に山車を置いた状態で居囃子を行い、通り沿いではいくつかの町内が居囃子を披露しています。

 

小江戸蔵里の山車蔵内で居囃子を続ける新富町一丁目の家光の山車。

 

連雀町交差点~本川越駅の中央通り沿いには、小中居 鈿女会囃子連と中原町 月鉾囃子連の居囃子。

 

 

本川越駅から北に進んで大正浪漫夢通りへ。ここも例年の川越まつりの賑わいぶりとは比べものにならない静寂。

連雀町の「マドモアゼル ルゥルゥ」さんの二人は祭り仕様でお出迎え。2017年9月にはルゥルゥ主催の仮装デーが開催されましたが、川越まつりでも松本さんは大正浪漫の仮装を。

一番街方面も山車は表に出さず、幸町の小狐丸(小鍛冶)の山車、翁の山車のように山車庫に入れて居囃子という町内が多かった。

一番街では三久保町の石田囃子連が居囃子で祭りの活気を発信していました。「呉服かんださん」前では「backyard cafe」さんが特別出店、「小江戸川越バウムクーヘン ノリスケさん」も元気に営業していました。

 

 

 

 

 

 

 

13時過ぎだっただろうか、連々會の詰所が慌ただしくなる。

協議の結果が自治会から関係者にもたらされ、辺りは途端にざわつき始める。

「14時出発」。

おお、とどよめきが起こる。午後に山車を曳く、曳くことが決まったのだ。

依然雨は降り続いていたが、この中を曳行していくことが正式に決まった。「よし!」「いざ、出陣!」いよいよ自分たちの出番が来た。

雨の中を山車を曳く判断は難しいものがあったと思うが、14日に連雀町は山車を曳いておらず、このまま曳行を中止すると二日間通して山車を曳かない事態になりかねない。

大きな望みはない、しかしせめて町内曳きだけでも実現したかった、それが自治会はじめ地域の人の想いだっただろう。

2013年以来の雨中曳行。

職方により山車を包んでいた頑丈な覆いが外されていき、雨の中むき出しになっていく道灌の山車。

「一体何か起こるんだろう」「まさか・・・」

辺りで見守っていた観衆も敏感に感じ取ったのかもしれない、山車が出るぞ、と。

一枚、また一枚と、ゆっくりと覆いが外されて、これぞ道灌の山車という姿が現れていく。そしてすぐに代わりに、半透明のシートで山車の周りを包んでいくのだった。つまり、雨の処置だけでなく山車が見えるような対応をしているということ。この段階まで来れば、観衆にもその意図がはっきりと伝わっていた。みるみるうちに道灌の山車の周りに人が集まって来る。通りを歩いて来て、一台も山車が見られなかった人には運命のような出会いだったでしょう。

自然と連雀町の町衆も集まってきて、職方の作業をじっと見上げていた。

 

 

 

 

 

連雀町の雨中曳行は、予定していたレギュレーションとはがらりと変更になり、神幸祭供奉のルートとは反対側から進んでいくことが決められた。

準備はそれだけに終わらない。山車を覆うシートは厳重に、もちろん囃子台の周りもしっかり養生して太鼓などが雨に降れないようにする、山車を曳く町衆たちは合羽を着用、祭り衣装が見えるように半透明で揃えている。簡単に雨中曳行と一言で言っても、晴天の時の曳行の何倍もの労力がかかるのが現実としてある。それでも、山車を曳くことができる喜びに、祭り人たちは全身興奮を隠しきれない様子で待ち構えていた。

 

 

通りに山車が下され、「山車を曳くぞ!綱持って!!」綱が前方に張られていく。雨でずしりと重くなった綱を握りしめ、みなの視線が道灌の山車に集まる。

「ついに・・・曳けるんだ」

興奮を抑えるように山車出発の前に、熊野神社宮司による祈願が執り行われる。

 

職方による厳かな木遣り唄が始まり、拍子木が二つ打ち鳴らされると、雀會の演奏が始まり、「ソーレー!!」「ソーレー!!」と山車全体が、いや、町全体が動き出す。

 

道幅一杯に綱を張り、威容を誇りながら堂々たる曳行を見せていく。山車持ち町内と言えど、町衆にとって山車を曳くというのは一年にたった一度だけのことであり、山車曳きというのはこれ以上ないくらい特別なことで興奮するものなのだ。

連雀町交差点を左折して県道沿いを東に進んで行く山車。通りの各所に留めては山車の正面を向けて挨拶していった。

 

 

 

山車の周りには進行に合わせて観衆も付き従って、大きな運動体がゆっくりと町の中を進んでいるよう。

大正浪漫夢通りを北上していく道灌の山車。

屋台ひしめく通りなので、細心の注意で山車を進めて行く。山車曳きには難所の通りでもありますが、それでも例年に比べたら沿道の観衆の数が少なく、難なく通れてしまうことが逆に寂しいくらい。

観衆にとっては山車の曳行を見ることを諦めていたであろう状況で、大正浪漫通りを北上する山車が突如現れたことに喜び、その姿を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

山車は進んでも進んでも他町内の山車に遭遇しない。。。

先触が前方を走れども走れども、どこの町内も山車を出していない状況だった。

やはり、多くの町内がこの雨を見上げて山車を雨中に出すことを取り止めにしていた。山車庫に置いたまま居囃子を披露する対応に変えていたのだ。山車が留め置かれている場に行けば見ることができますが、市中を歩いてもなかなか出会えない事態になっていた。

日中、山車を出した町内は確認できただけで、新富町一丁目の家光、新富町二丁目の鏡獅子、元町二丁目の山王、川越市の猩猩と4台の山車が出ているのみだった。

この状況だと日中に山車同士が道中に合わせる場面というのはほとんどなく、山車一台の曳行を見るだけだっただろう。

観衆の目には、山車がシートで覆われていることを残念に見えるかもしれませんが、圧倒的多数の山車曳行を止めた町内の判断が通常の考えで、しかし全てがそうなっていたら午前・午後と町中に一台の山車が曳き廻されないという事態になっていたはず。

この雨の中で表に出したことが大英断であり、それはやはり、この姿でありながら、川越まつりの山車を見せたいからという思いも町内にあったから。

大正浪漫夢通りの北端の突き当り、川越商工会議所があるT字路を左折して仲町交差点を超えて真っ直ぐ進んで行く。神幸祭、市役所前の山車揃えが中止になったことで手持ち無沙汰になった観衆が、道灌の山車の出現に熱狂的な拍手を送る。シートを被せてまで山車を曳行する光景に、川越人の祭りにかける意地を見ていたでしょう。

 

 

 

 

連雀町の西端、大工町通りを南へ下っていく。

この通りは道幅は比較的ありますが、電線があちこちに張り巡らされているので意外と難所。山車と電線が触れないよう職方たちが注意深く見ていく。今年はさらに、山車に被せたシートも見ないとならないため、職方にとっては苦難続きの山車曳きと言えた。

 

 

 

大工町通りを南進して県道交差点に辿り着くと、華麗に左折。昨年は隣町である中原町の会所まで山車を進めて挨拶に行ったが、今年はなし。中原町の山車は来年には祭りに帰って来るということで、来年以降迫力の曳っかわせが見られるはず。

ちょうど交差点にある長屋は、連雀町の新風のみならず、川越の新時代を感じさせる新スポットとして既に知られています。そう、株式会社80%がリノベーションを手掛けた長屋です。長屋に入る二つのお店、「glin coffee」さん、「すずのや」さん共々祭り仕様の営業で備えていた。新時代スポットに、地元連雀町の山車が進んで行く様は、なんとも言えぬ感慨を呼び起こすものがあった。いや、ギャップがあったのではない、伝統を受け継ぎ守りながら、新しい時代を切り拓こうとする祭りと長屋に、通じる部分があるからなのだ。

「株式会社80%(エイティーパーセント)」連雀町の交差点に建つ長屋のリノベーション事業

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12288585222.html

そして、県道沿いを進んで連雀町交差点を北上、隣町である仲町の会所まで山車を挨拶に行き、連雀町の会所に戻って来た道灌の山車。

小雨降り続ける中でも曳行でしたが、例年と全く変わらない、これぞ川越まつりという迫力の山車曳を見せました。

 

 

 

 

 

この雨の中でも曳いたのだから・・・みなの胸には同じ思いが去来していた。

そう、「夜の部も山車を曳くのではないか」、と。

川越まつりの最大の魅力は何と言っても夜の曳っかわせ。午後の部を曳いたことで、このままの勢いで夜に突入するのではないか、と。

山車が会所に着いてしばらくの休憩時間になる。

山車を留めた瞬間からすぐに職方がシートを外す作業を始め、夜対策の提灯などを山車に付け始めた。。。!連雀町は夜も続行が既に決定されたのだった。

だが、事は連雀町だけの話しではなく、他の町内の動向にも目を配らなければならない。夜の部に道灌の山車が出ても、午後の部のように他の町内の山車が出ないようなら・・・曳っかわせはもちろん実現しない。

一体、他の町内はどう判断するのか。

2017年川越まつり、最終日の夜の部まであともう少し。。。

 

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2017年10月14日、15日

「川越まつり公式サイト」
http://kawagoematsuri.jp/schedule.html
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

平成29年度 川越まつりの見どころ 
※各見どころの時間は、前後することがあります。
・市役所前の山車揃い
市役所前を山車が巡行します。1ヵ所で多くの山車を見られるチャンスです。
14日(土) 13:30~15:00頃

・宵山の山車展示
山車に提灯が灯り、居囃子を披露。落ち着いて山車やお囃子をご覧いただくことができます。 各山車の場所は参加町の会所、宵山の山車展示位置情報でご確認ください。
14日(土) 18:00~19:00頃

・鳶のはしご乗り
蔵造りの町並みを舞台に、鳶職人の妙技が披露され、技が決まる度に観客からは大きな拍手と歓声が上がります。
14日(土) 18:20 埼玉りそな銀行

・神幸祭
氷川の神様が神輿に乗られて町を巡行することで、その御神徳をいただき、幸福と町の繁栄を祈請するという、現在の山車行事の原型となった伝統儀式です。
15日(日) 10:15 氷川神社、15日(日) 11:15 市役所前、15日(日) 11:45 氷川神社還御

・市役所前の山車揃い
市役所前に山車が勢揃いし、囃子を披露します。ずらりと一列に山車が並ぶ様は迫力満点です。鳶職人による木遣りも披露されます。
15日(日) 11:15~12:15頃

・曳っかわせ
山車が出会うと正面を向き合わせ、囃子の競演が始まります。周りの曳き方衆は激しく提灯を乱舞させ、祭りは最高潮に盛り上がります。
場所: 仲町、札の辻、連雀町、本川越駅前、松江町、通町等の交差点ほか市内各所、
14日(土) 19:00~21:00頃
15日(日) 18:30~21:00頃

川越まつりの街、川越。

昨年も盛大に催された川越まつり。市内各地で起こった幾多のドラマをいまだ目に焼き付けている人も多いことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

(夜の部「川越まつり」夜の曳っかわせ連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12211498228.html

 

川越は、川越まつりを中心にして一年が回っていると言っても過言ではない街。

では、その一年は、現場ではどう回って今年の川越まつりを迎えているのか。太田道灌の山車を保有する川越の連雀町の一年から川越まつりを改めて浮かび上がらせる。

連雀町は、本川越駅から北へ進んで県道と交差する連雀町交差点を大きな目印として、熊野神社や蓮馨寺がある地域。熱い祭り人が多い地域、迫力の山車曳行が広く知られています。

2016年10月の川越まつりから、

2017年10月の川越まつりへ。


2016年川越まつりが無事に終わって2週間、連雀町の祭りの会である「連々會(れんれんかい)」のお日待ち(慰労会)が2016年10月29日に行われました。


川越まつりでは熱過ぎるほどの山車曳行と曳っかわせを魅せた連々會ですが、お日待ちの現場もさらに熱過ぎるほど。。。!
無事に終わってなによりと乾杯し、今年の祭りを振り返って熱く語り、お互いの健闘を称え合い、そしてまた呑む。
祭りは、一人一人がそれぞれの役を全力で全うして成り立っているもの。だからこそ結びつきも強くなり、連々會の結束はとてつもなく強い。
二次会の後は、三次会へ、解散となったのが深夜の2時半、、、それでもまだみんな元気という。。。
祭りの余韻を感じながら、今年の川越まつりはひと段落し、そしてまた。今年よりも来年、もっといい祭りにしたい、来年に向けて始動していくのだった。

 

川越に大きな朗報がもたらされた12月、2016年12月17日、川越まつりが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されたことを記念して、川越市役所前駐車場にて、記念式典が行われました。、
埼玉県の「秩父祭(秩父夜祭)の屋台行事と神楽(かぐら)」や
「川越氷川祭(川越まつり)の山車行事」など18府県33件の祭りで構成する
「山・鉾(ほこ)・屋台行事」が無形文化遺産に登録された。
能楽や歌舞伎、和食、和紙などに続く登録。

登録を祝うように市内の山車が展示され、盛大な式典となった。

太田道灌の山車は並んでいませんが、川越全体にとって未来にわたって語り継がれる目出度い日となったのでした。

 

 

(川越市役所前駐車場 記念式典)

 

連雀町の重鎮、いや、連雀町のレジェンドと呼ばれている伝説の人が登場。

川越きものの日が川越に誕生して昨年でちょうど5年、毎月のきものの日よりもスケールアップさせて、5周年を祝う記念事業が、2016年12月18日蓮馨寺などを会場にして開催された、第1回「小江戸川越をきもので楽しむ日」。
この中の催しの一つ、

・きものファションショー 蓮馨寺講堂内14:30~16:00にて、
50人ほどの参加者の中で、中央商店振興会を代表し、連雀町のレジェンド、岩上さんが着物姿で颯爽と登場しました。


登場した途端、大歓声を浴びる岩上さん。さすがレジェンド。この人がいるからこその連雀町です。

 

とにかく呑む。呑む。呑む。

川越まつりから2ヶ月、祭りの熱気はまだみんなの身体に残る中、2016年が終わろうとする12月30日に開催されたのが、連々會の大忘年会。

 


最初から最後までとんでもない盛り上がりで、さすが連々會の祭り人たち。この熱気が、川越まつりのあの熱過ぎる山車曳行や曳っかわせになっている。
こうしてまた絆を深め、来年さらに熱い祭りへとつながっていくはず。来年の川越まつりも連雀町の道灌の山車は参加し、今年よりももっといい祭りを。みな心に誓いあっていたのだった。

年が明け、2017年。
新年は元旦から連雀町の雀會囃子連の恒例行事、門付(かどづけ)が行われて、賑やかに一年のスタートを切りました。

 

 


門付はその名の通り、家々、店々の玄関まで囃子連が付けて新年の祝いの演奏をして回るもの。
雀會が門付で回るのは町内や近隣で普段お世話になっている家々やお店といった場所。特に連雀町は個人商店が多い町内なので、門付はお店に向かうことが多いのが特徴です。
元旦から営業しているというのが凄いですが、連雀町は熊野神社、蓮馨寺といった、川越の中でも初詣客が多い神社仏閣がある町内だけあって、初詣客相手に元旦から営業しているお店が多く、また、元旦に門付を迎え入れて一年を良い年にしたいという願うお店が多いのもある。
お店にとっては、店先までお囃子が来て演奏してくれるというのはとんでもないスペシャル体験と受け止めて、事前に門付がやって来る時間を発信して、お客さんと共に迎えようとする、そんな光景も新しいお店の門付スタイルになりつつあります。
昨年も新しいお店がうちにぜひ来て欲しいとリクエストしていて、さらに今年もいくつか増えていました。
地域の囃子連が地域を回るという町内行事ですが、そんな狭いことに捉われずに、初詣の行き帰りに門付に遭遇すれば、演奏がひと段落した後に獅子に頭を噛んでもらったり、大黒様と記念写真を撮ったり、そのご利益に誰もがあやかることができるものでもあります。
ただ、門付は一ヵ所に留まることなく移動し続けているので、遭遇するだけでかなりのラッキーと言えるかも。
とても縁起物なので、ぜひ会いたいと思ったら、遠くからでも音色がかすかに聴こえてくるので、音に導かれて探してみるのもいい。必ず見つかります。
演奏している囃子連の面々は、もちろん、川越まつりの山車の上で演奏している面々でもあります。


川越まつりの囃子連の演奏を間近で聴くことができるという点で貴重。
川越のお囃子は、川越まつりの時にだけ演奏するのではなく、一年通して活動しています。

 

2017年4月23日(日)今年も連々會の親睦旅行が開催されました。毎年開催されているもので、今年は群馬県へみんなで大自然を満喫&BBQへ!
朝の8時半に連雀町交差点付近に集合してバスに乗り込んでいざ出発、した瞬間に乾杯が始まってお酒を吞み始める一同。すでにテンションはMAXで、車内はまるで川越まつりのよう。。。こういう親睦旅行も祭りの一体感には必要です。
10時半には最初の目的地、高崎のシンボル、高崎白衣大観音に着き、高さ41.8mの観音様の中を階段を連々会一同で上がっていきました。最上階から見渡す景色は絶景です。

 

 


そしてお昼に着いたのが、高崎市にある「希望の丘農園」。
ここは東京ドーム4個分の広さがあり、いろんな体験ができるレジャー農園です。
いい景色を眺めながらのBBQも楽しめてしまう。菜の花畑を見たら、少年のように撮りたくなりますね。


眺めのいいところにBBQ会場があり、持ち込んだ食材などをひろげ、4つの班に分かれて早速BBQに取り掛かる。てきぱきと段取りしていく様子は、さすが川越まつりをみなで経験しているからこその連携プレー。
班ごとに持ち寄った食材に個性があり、「焼きそら豆美味しい~!」「焼きトマトも旨い!」などあちこちから声が挙がります。

 

 


食べ終わった後もみなの連携であっという間に片付けが終わり、帰りのバスの中では熟睡。。。
それにしても、この日一体どれだけのお酒を消費したでしょう。朝から夕方までずっと吞み続けていたような。連々會、親睦旅行で親睦をさらに深め、今年の川越まつりも一体となって盛り上げていきます。


2017年5月3日、4日のGW期間中、連雀町の熊野神社では、太田道灌の山車展示と雀會囃子連によるお囃子が行われました。

 

 


さすが連休だけあって境内は人人人で賑やかな二日間。特に今年は3日だけでしたが、連雀町交差点~仲町交差点が歩行者天国になったこともあり、通りを広々と歩く人で埋まっていました。
熊野神社で貴重な川越まつりの山車とお囃子に多くの人が触れ、川越まつりの空気を実感したでしょうか。川越まつりまであと5ヶ月となりました。久々に山車がお目見えし、川越まつりから半年経ったことを実感し、川越まつりまであと半年と思い描き始める頃です。

 

季節は春から夏へ。
連雀町にある熊野神社にて夏の伝統行事、、「夏詣(なつもうで)」が2017年7月30日まで行われていました。ちょうど百万灯夏まつりの最終日までの開催。
・茅の輪くぐり
・人形で清め祓い
・短冊でお願い

 


中でも茅の輪(ちのわ)くぐりは目を引き、祈願しながらくぐる人の姿が絶えませんでした。

セミの鳴き声が響く夏真っ盛りの2017年7月15日、祭りの結束を強めるため、連々會の暑気払いが連雀町にある「居酒屋UTA」さんにて行われました。

上の写真は、日付が変わった午前1時、二次会終了時の写真。
一次会から始まった熱過ぎる暑気払いは、すでに6時間近く経って、この時の写真を連々會の面々は覚えていないかもしれませんが。。。
4月の親睦旅行でのBBQに続き、こうして7月に暑気払いを行い、会の結束を高め、あと3か月に迫った川越まつりへのボルテージを上げていく。つまり、川越まつりを一年の中心にして、一年を通して活動しながら、川越まつりを迎えるというスケジュール。
特に今年は、川越まつりがユネスコ無形文化遺産登録後初の開催ということで、否が応でも注目を集めることになります。
プラスして、2017年という今年は、太田道真・道灌父子が河越城を1457年に築城してからちょど560年というメモリアルイヤーになります。ユネスコと太田道灌が今年の大きなテーマになりそうです。
 

2017年7月29日、30日に行われた川越百万灯夏まつり。
両日ともたくさんの催しが行われた中、連雀町のお囃子連「雀會」は特設屋台を組み立てて、街中を曳き回してお囃子の音色を響かせました。

 

 


初日の29日は天候に恵まれませんでしたが、二日目の30日は最後まで無事に開催し、連雀町内はじめ市内を巡らせました。
川越の夏祭りに欠かせないお囃子。雀會の演奏に酔いしれてくれたでしょうか。
そして・・・30日には本川越駅前ステージで「川越浴衣まつり」が開催されていて、ここにも雀會の屋台は立ち寄っていた。
雀會が川越浴衣まつり・・・??
なぜだか分かりますか??
ヒントは・・・
川越浴衣まつりの中で、アニメ「月がきれい」のスぺシャルトークショーが開催されていたこと。トークショーには月がきれいの岸監督が登場したこと。
「月がきれい」と「雀會」の繋がりとは・・・

2017年7月30日、本川越駅前ステージで行われた第4回「川越浴衣まつり」。
川越浴衣まつりは出場者が自慢の浴衣に身を包んで舞台に上がり、のみならず、浴衣ファッションコンテストとして審査員による各部門賞とグランプリを決めるというイベント。コンテスト形式を導入しているのが特徴で、コンテストにはもちろん誰でもエントリーすることができる。コンテスト応募から、書類選考、本選出場者決定、コンテスト出場、グランプリ決定という流れ。
年々規模が大きくなり、注目度が増しているイベント。
さらに・・・
今年の一種特別な会場の雰囲気は、もちろん、あのアニメとのコラボレーションが実現したことに起因したものだったでしょう。ファンが殺到し、固唾を呑んで見守っていた。
そう、川越を舞台にしたアニメ、「月がきれい」です。
原作がないオリジナルTVアニメの「月がきれい」は、物語の舞台は川越のとある中学校。中学3年の始業式から始まるストーリーは、安曇小太郎や水野茜といったキャラクターたちの瑞々しい等身大の中学生の物語を描いていた。
TOKYO MXで4月から6月まで毎週木曜24:00~に放映され、人気を博しました。現在はテレビ埼玉で毎週水曜26:00~に再放送中です。
「月がきれい」オフィシャルサイト
https://tsukigakirei.jp/#!/TOP
同時期に川越市内で話題となっている「川越浴衣まつり」と「月がきれい」という点を見事に線にして繋いだのが今年。
「川越浴衣まつり」×「月がきれい」として、岸誠二監督と主人公・水野茜役声優、小原好美さんが特別審査員として登壇。「月がきれい」特別賞を選ぶと共に、浴衣コンテスト終了後には、舞台上でトークショーを行うプログラムになっていました。

 

 


「月がきれい」では、連雀町の熊野神社も重要な場面で登場し、さらに岸監督は連雀町のお囃子連「雀會」の稽古なども頻繁に取材してアニメに活かしました。
この日はなんと、連雀町の祭り衣装を着ての参加。この日がおろしたてだったのだそう。
以下、トークショーの模様です。
ー舞台を川越にしたのは何故ですか? 
岸監督「関東近郊で風光明媚な場所を探していて、川越は綺麗な街だと思い、舞台をここにしようと決めました」
ー川越のお勧めの場所は??
小原さん「この作品をきっかけに川越をより知るようになりました。キャストたちとも川越に来たことがあります。告白の場所の熊野神社が凄く好きです。氷川神社や氷川橋、挙げたらきりがないくらいあります」
岸監督「一番ロケ場所として使ったのが新河岸川。川越の街をぐるっと囲んでいて、どこを切りとっても美しい川だと思いました」
ー茜ちゃんの気持ちで、解る部分、解らない部分があれば教えてください。
小原さん「茜ちゃんは普通の女の子なので、解らないなと思ったところはなかったです。自分の中で好きという気持ちより嫉妬心が勝ってしまう複雑な部分をどう表現しようか考えながら演じていました」
ー月がきれいの放送が終了し、反響を受けてお二人の現在の心境は? 
小原さん「この作品はオリジナルで原作がなく、キャストたちも成功して欲しいという思いが強かった。私たちが思っている以上に、『良かった』という声を頂けて、非常に嬉しいです」
岸監督「川越の街でこうしてイベントをさせて頂けることに凱旋という気持ち、街に受け入れられて感無量です」
ー最後に重要な質問を一つさせて頂きたいと思います。今年の川越まつりは来ていただけますか? 
二人 「当然です!!行きます!!」
トークショーの最中には、雀會の屋台がやって来て、競演を見せるというサプライズも。川越まつりでは、岸監督はあの祭り衣装で連雀町に参加してくれるでしょうか!


月がきれいで、連雀町太田道灌の山車、雀會の天狐、連々会の面々の狂喜乱舞が描かれているOPテーマがこちらでご覧になれますので、ぜひどうぞ。第1話は公式に公開されています。
物語の導入部から1分45秒ほどでOPテーマ。一番盛り上がるサビの部分で連雀町の川越まつりです。
視聴回数なんと44万回。
TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」
https://www.youtube.com/watch?v=ygfsl0rQta0&t=179s
 

2017年8月18日(金)、雨で順延で20日(日)、熊野神社境内にて毎年恒例の夏の行事「盆踊り大会」が行われました。この頃になると、誰しももうすぐやって来る川越祭りの足音を確認し、いよいよあと二ヶ月・・・と表情が紅潮していくのが祭り人たちの通例。

 

 

 

 


やはり日本の夏は盆踊り。いろんな曲で踊りに踊った中でも、八木節の熱狂は特殊。。。ノリの良い曲にさらに踊りの輪が大きくなってみんなで盛り上がっていました。一番盛り上がる曲と言っていいでしょう。
川越まつり連々會の面々も八木節が始まるやいなや輪に加わって、ダイナミックなダンスを披露しました。
境内には焼きそばや焼き鳥、ビールなどの模擬店が出店し、賑やかな夏祭りとなりました。

 

連雀町の山車の人形は太田道灌。

川越市役所前で川越を見守るように立っているのが、太田道灌公像です。この交差点に、河越城西大手門がありました。


扇谷上杉持朝が家宰の太田道真・道灌父子に命じて造らせたのが、河越城です。今年2017年から遡ってちょうど560年前の1457年のことでした。以来、河越城を中心にして発展してきた城下町、川越。
今年の川越まつりで特に注目してもらいたいのは、城下町一番街を山車が進む光景。道灌公の人形を高々と迫り上げて山車を曳行させますので、メモリアルイヤーを祝うように道灌公を見上げて頂ければと思います。

太田道灌に繋がる川越市のサイトを紹介します。
連雀町の山車は太田道灌公の人形ということで、見過ごせない動きです。3年後、実現したら凄いことですね。
・「太田道灌を2020年のNHK大河ドラマに!」
『約半世紀ぶりに開催される東京オリンピック・パラリンピックまで、あと3年となりました。
この年のNHK大河ドラマの主人公に、江戸開都の恩人である太田道灌を据えてはどうか…
そんな思いから、太田道灌が没した地である神奈川県伊勢原市や太田道灌のご子孫が中心となり、要望活動を行っています。
趣旨に賛同いただき、ご協力をお願いいたします。』
・「太田道灌と東京の関係」…
『現在の東京の発展は、高度経済成長と、1964年に開催された東京オリンピックが発展の主な要因となったことは言うまでもありません。
そんな東京は、長禄元(1457)年に太田道真・道灌父子により江戸城が築城されたことが始まりといわれております。
天正18(1590)年には、徳川家康が入城し、のちに江戸幕府につながる大きな発展を遂げました。
それまで日本の中心は京都でしたが、江戸幕府以降、日本の中心は現在の東京となりました。』
・「川越と太田道灌の関係は?」
『川越発展の礎のひとつである、川越城。この城は、長禄元(1457)年に扇谷上杉持朝の命を受け、太田道真・道灌父子によって築城されました。
また、太田道灌は「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」の歌も有名ですが、この歌に登場する山吹は川越市の花となっています。
さらに、川越市役所本庁舎前には太田道灌の像があります。
このように、太田道灌は、小江戸川越にも深いつながりがあります。
また、埼玉県川越都市圏まちづくり協議会で連携を図っている越生町も、太田道灌生誕の地といわれており、この要望活動に賛同し、参加しています。』
川越市「太田道灌を2020年のNHK大河ドラマに!」

http://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kanko_ta/doukan.html


川越市役所前の道灌の立像から北へ、赤間川の北端でちょうど湾曲したところにあるのが「道灌橋」。川越氷川神社から近く、田谷堰から少し上流にあります。


そうです、道灌公の名を冠した橋が川越にはあり、付近に道灌公の屋敷があったことから名付けられました。欄干には道灌が詠んだ和歌のレリーフが飾られています。
道灌も赤間川沿いを散策したこともあったでしょうか。
同じ足跡を辿るのもまたよしです。
 

赤間川に架かる「道灌橋」に続いて、川沿いを下ってくると川越氷川神社に辿り着きました。ここも道灌ゆかりの地。

 


太田道真・道灌父子は、川越氷川神社を熱く信奉しました。
河越城を築城したその年、1457年に道灌は和歌を神社に献納しています。
「老いらくの 身をつみてこそ 武蔵野の 
草にいつまで 残る白雪」
道灌は歌人として高名で、京都で足利義政、天皇にも拝謁しています。また、神社境内には道灌手植えの矢岳もあります。
江戸時代に入ると川越氷川神社は藩の総鎮守として、歴代の川越藩主の篤い崇敬を受け続けました。
 

川越氷川神社から南へ下っていよいよ川越城本丸御殿へやって来ました。
1457年、上杉氏の本拠地として、当主・上杉持朝が太田道真・道灌父子に築城を命じたものです。


道真・道灌は、河越城の他にも江戸城、岩槻城も築いています。 
その後、太田道灌は江戸城の初代城主に、父道真は川越城に居城しました。道真は居城にしていた河越城で『河越千句』という連歌会をおこない、高い評価を得ていました。
道灌も歌に秀でていましたが、城造りの名人であり、さらにさらに武将としても天才的で上杉家の救世主。
約30年30戦の戦いを勝ち抜き、ほぼ独力で上杉家を救ったと言われます。
道灌の名声が高まるにつれ、主君の上杉定正は不安を覚えます。世は下克上。
優秀過ぎる部下・道灌に嫉妬し、妬み、怖れ、ついに1486年太田道灌は上杉定正によって暗殺されてしまうのです。。。
ああ、なんという悲劇。
この時代すでに河越城という難攻不落の城を造っていた道灌が、もっと長生きしていたら、一体どんな城を造っていたでしょう。
しかし、太田家はその後も優秀な人材を輩出し、後北条家(北条早雲が始祖)に仕え、さらに徳川家康に取り立てられました。江戸時代には老中も出しました。
川越城本丸御殿の建造は1848年ですが、川越城唯一の遺構として貴重な価値をもっています。
近くには、川越城二ノ丸跡に立地する川越市立博物館、川越城中ノ門掘跡があります。

川越の収穫の秋。いよいよ、川越まつりの季節がやって来ました。
2017年度「連々會」の総会が9月30日熊野神社にて執り行われました。川越まつりまであと2週間弱、祭りの準備の段取りに気を引き締めながら、同時に、祭りを成功させるためにメンバーが気持ちを一つに一致団結することも大事。

 

 

 

 

 


総会後のあの砕けた雰囲気、こんなに仲の良い会は川越でなかなかないはずです。
この結びつきが、あの連雀町の迫力の山車曳行に繋がっている。

2017年10月14日(土)、15日(日)の川越まつりでは、ます初日14日は連雀町の太田道灌の山車は、熊野神社会所前に留め置かれますので、確実に見ることができます。
本川越駅から真っ直ぐ北進し、連雀町交差点付近です。


煌びやかな山車に、雀會のお囃子が断続的に続き、川越まつりを存分に感じることができると思います。
特に今年は、アニメ「月がきれい」の影響もあって、太田道灌の山車を生で見たい人も多いのではないかと思います。
月がきれいで描かれた実物が、まさにこれです。ようやく実物と対面できる日がやって来ます。


10月15日(日)は、いよいよ連雀町太田道灌の山車曳行の日です。
午前中は神幸祭供奉のため、例年とは行程ルートが変わる。


午前10時に熊野神社前会所出発後、連雀町交差点から県道を日高方面に進みます。
県道沿いの「すずのや」さんと「glin coffee」さんの長屋がある交差点を北進、「コメダ珈琲」さん前で神幸祭供奉。
その後は市役所に向かい式典に参加して、札の辻から真っ直ぐ南進して会所に戻って来るというのが今年の午前の部の山車曳行。
連雀町の迫力の山車曳行は見ものですが、特に見て欲しいのが、山車曳き出しの場面。
通りに山車がおろされ、
綱が目一杯張られる、
職方による厳かな木遣り唄、
雀會が「ニンバ」を叩き、天狐が舞う、
おもむろに拍子木が二つ打ち鳴らされ、
それを合図に全体が「ソーレー!!」と動き出す。
毎回沿道から自然と拍手が沸き起こる神聖で感動的な山車曳き出しの場面です。
午前10時に連雀町交差点でその瞬間を見ることができますので、ぜひどうぞ。

 

10月15日の午後の部は、熊野神社前会社を午後2時半に出発です。
午前の部は町内西側を山車曳行しましたが、午後の部は東側を進んで行きます。写真は連々会広報部による昨年の午後の部の様子。昨年のルートとは今年は真逆になります。


今年の午後は連雀町交差点から県道を東へ、町内を隈なく進みつつ大正浪漫夢通りを北上。突き当りの川越商工会議所を右折して川越街道へ。
川越街道を南進して松江町交差点を右折して連雀町の会所に戻って来るという行程です。
午後になると、道程のあちこちで他町内の山車と行き交うことになり、各地で山車の揃い踏みが見られるようになります。徐々に祭りのボルテージが上がっていくことは、町衆の表情が高揚していくのを見れば分かる。狂喜乱舞の夜の部まで、あともう少しです。

10月15日の夜の部は太田道灌の山車は熊野神社会所を午後6時半に出発です。


夜の部、今年の行程は会所を出発後まずは南進して本川越駅へ向かいます。
中央通り沿いの会所や居囃子に山車を向けて挨拶をしながら進むと、本川越駅前交差点着は午後7時くらいになるか。
夜の部スタートから本川越駅前交差点を目指す町内がいくつもあるので、まずこの時間帯で複数台による曳っかわせが交差点で見られそう。
今はアプリがあるので、山車の「現在地点」が分かるようになりましたが、川越まつりで大事なのは、「これから」どうなっていくのか考えること。各方面にいる町内の山車が、次にどう動いて、どこで山車同士が合うのか、先読みがなにより重要です。
本川越駅前交差点から今度は一路北上していく道灌の山車。
道の途中で他町内の山車と曳っかわせをしていくでしょうし、連雀町交差点で複数による曳っかわせが見られる可能性も大です。今年は山車の台数が多いので、本川越駅~札の辻に居ればあちこちで曳っかわせが見られると思います。
観光客の方にとっては、夜の曳っかわせが何度か見られれば満足になるかもしれませんが、いや、川越まつりの神髄はまだまだこれから。祭りをやっている側は、最後の最後の祭りの幕が閉じようとするエンディングに最大の見せ場を作ろうとするので、川越まつり最終盤こそ注目してもらいたいです。
交通規制が解除されるのが、22時。それまでに全ての町内の山車が会所に帰らないといけないことを考えると、川越まつりクライマックスは21時~21時半頃。毎年のようにこの時間帯にどこかの辻でドラマチックな曳っかわせが見られるのが恒例。
さて、今年は、本川越駅前交差点なのか、連雀町交差点か、仲町交差点か、札の辻か。。。あるいは他の場所で。。。?
その筋書きは神様しか分かりませんが、川越まつりに関わる祭り人たちが最後に最大の曳っかわせを魅せると思います。
今度の土日は雨??いえいえ、雨も祭りの単なるスパイスでしかありません。
それも含めて川越まつりは、ドラマチックです。


というように、昨年の川越まつり以来の一年を振り返りました。この模様から、川越が、川越まつりを中心にして一年が回っていることが伝わったのではないかと思います。
川越まつりは常にかつてないことが起こる。

今年はどんなドラマが現場で見られるでしょう。
 

2017年10月14日、15日

「川越まつり公式サイト」
http://kawagoematsuri.jp/schedule.html
川越まつり参加山車一覧 
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
大手町 鈿女の山車
幸町 小狐丸(小鍛冶)の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
六軒町 三番叟の山車
松江町一丁目 龍神の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
宮下町 日本武尊の山車
末広町 髙砂の山車
連雀町 道灌の山車
脇田町 徳川家康の山車
通町 鍾馗の山車
新富町二丁目 鏡獅子の山車
新富町一丁目 家光の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道真の山車
南通町 納曾利の山車
旭町三丁目 信綱の山車
川越市 猩々の山車

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朝の8時半、本川越駅から真っすぐ北へ、連雀町交差点付近に停められたバスに集合した面々。どの表情にも川越まつりに臨む時のような張り詰めたもの・・・ではなく、楽しみいっぱいな期待感が溢れていました。着物以外の姿が逆に新鮮。

 

 


大量の荷物をバスに積み込み、席に落ち着くといざ出発。・・・した瞬間に車内で乾杯が始まってお酒を吞み始める一同。。。祭りに酒は切っても切れないものであるものの、朝からこのテンションは連々會だからこそかも。
2017年4月23日(日)今年も連雀町「連々會」の親睦旅行が開催されました。毎年開催されているもので、今年は群馬県へみんなで大自然を満喫&BBQへ!
連々會というのは連雀町の川越まつりの会であり、町内の人を中心に加入していて、川越まつりの運営には欠かせない存在です。町内自治会会長の言葉を借りるなら、「連々會がいなければ連雀町の道灌の山車は動かない」、そのくらい重大な責務を担っている会なのです。
同じ町内に住む者同士が多く、小さい頃から勝手知ったる関係で、幼馴染同士で川越まつりに参加し、大人になって今、川越まつりを運営する側に回っているという関係性。

連雀町と言えば、川越的ディープな人達が住まう地域で、川越の中でも特に川越まつり熱が熱い地域。
その祭り好き度は、もう祭りバカと言っても過言ではなく、一年を10月の川越まつりを中心にして組み立てて生活しているような人たちがごまんといる。
川越まつりと言えば、平成28年12月に「川越氷川祭の山車行事」を含む全国33件の「山・鉾・屋台行事」が、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことはご存知でしょう。
川越まつりが登録されたことは、豪華絢爛の山車が遺されているや曳っかわせの華麗さはもちろんのこと、山車を動かす祭り人たちがいて、川越まつりが今も続いているという、人の物語があることを忘れてはならない。ユネスコ無形文化遺産は、川越まつりに与えられた栄誉であり、その実質は現場を駆け回る人人人全てが授与したものだと言えた。連雀町に限らず、川越まつりに関わる人全てが祭りバカのようで、その好き度合の異常さが川越まつりの熱気になり、ひいてはユネスコ無形文化遺産登録の栄誉に繋がったとも。山車からの視点で語られることが多い川越まつりですが、なにより動かしているのは現場の人、ボトムアップで見たらそう表現できるかもしれない。
川越まつりは、人。

では、どんな人達が川越まつりを作っているのか。
どの町内も川越まつりとなったら尋常ならざる熱いものがありますが、中でも連雀町です。
川越まつりの時に、いろんな山車が通り過ぎるのを見ると思います。連雀町の道灌の山車が通る時の熱気には注目してください。参加人数の多さ、声の大きさ、熱気、どれもが圧倒される迫力を放ちます。
山車、と合わせ、それを曳く町内の人たちにも目を向けることで川越まつりの凄さの実感は倍増する。そんな風に山車曳行を見る事ができたら川越まつりの見え方も違ったものになるはず。
連雀町になぜこんなにディープな人たちばかりが集まっているのだろう。とずっと以前から思うことでもあります。
連雀町は「川越昭和の街」に代表されるように商店が多く、すぐ北にある一番街のように観光地化されておらず、すぐ南にある本川越駅周辺のように近代化もされていない、まるで谷間のような地域は、昭和初期からほとんど姿を変えずそのままの形で今に残っている。それ故、喜怒哀楽の豊かさ、人情味といった連雀町特有の気質が無事に遺り、ディープと言う前にもともとの川越がそうだった、のかもしれない。そんな意味でも貴重なエリアなのです。

 

 

 

 

 

(午前の部「川越まつり」町内曳き連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12210527955.html

 

 

 

 

 

 

(午後の部「川越まつり」他町曳き回し連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12210790743.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(夜の部「川越まつり」夜の曳っかわせ連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12211498228.html


祭りの時は揃いの着物に身を包んで一体となって山車を曳く。巨大な山車を曳くということは、単に綱を曳くということだけでなく、先触や高張、綱元、警護など様々な役割の人がいて成り立っています。細かく分担し、それぞれが自分の役を全うして初めて、山車はスムーズに、安全に動く。
そのような連雀町の道灌の山車曳行の各役に就いているのが、連々會の面々であり、連々會がないと山車が動かないというのはまさにそうなのだ。
祭りの時の着物を着た一体感は、着物を脱いでも変わらない。。。
いや、祭りの時より伸び伸びとしている感じがあるかも?
こうしたオフの時間が仲間の関係をより深くする。
祭りの会である連々會が、さらにメンバーの親睦を深めるために毎年行っているのが、親族旅行という名の遠足。
ちなみにですが、
川越市内、各地域に地元のお祭りがあり、伝統行事もある、そうした会を守る人達が毎年みんなで親族旅行に行っているのかといえば、そうでもない。むしろこんな風に仲間で遠足に行く会の方が珍しい。そのことを考えると、連々會がいかに変わっているか、あ、いや、親密かが分かるでしょう。
もうみな仲が良過ぎ、なにより川越まつりが好き過ぎるのです。
川越まつりは観光客向けのものではなく、本来的に地域行事としての意味が強くあり、
共に山車を曳くという体験が人と人を強烈に結び合わせる。
そして、祭り以外でも会おうと自然となって、親睦旅行が毎年続いている町内なのでした。
親睦旅行は単なる遠足ではなく、川越まつりに連なるもの。
川越まつりの余波であり、
川越まつりの期待でもある。
川越まつりから半年、川越まつりまで半年、ちょうど中間ほどに企画され、祭りのモチベーションに最適。
連々會の遠足はその年によって行先は変わり、ある年はみんなで屋形船に乗って盛り上がり、ある年には鋸山登山を行った。
そして今年のコースとして実行委員が選んだのが、群馬県。
「BBQは親族を深めるのにまさに打ってつけ」
観光とBBQをセットにした内容でした。

8時半に連雀町を出発した一行、バスは関越自動車道にのって一路、群馬県を目指して行きました。
相変わらず、朝からどんちゃん騒ぎになっている車内、ビールの空き缶がどんどん積み重なっていく。。。
・・・車内既にテンションはMAXで、そこはまるで川越まつりのような賑わい。。。ええ、まさにそんな感じ。
このテンションでずっといくのか、最後までこのテンションのわけがない、と誰もが思いますが、いや、本当にこのまま最後までこのテンションで続いていったのでした。。。さすが連雀町。

バスは関越に乗って真っすぐ北上、途中上里SAで休憩しながら、群馬県高崎市を目指して行きました。

 

 

 

 


群馬県は高速を使ってしまえばすぐ、2時間弱も走れば目的地へ。日帰り旅行としてはちょうど良い距離感でした。
バスの中から遠目に見えている時から車内は盛り上がり、「それ」に近づいていくごとにだんだんと大きさが増していくことにボルテージが上がっていく。
10時半には最初の目的地、高崎のシンボル、高崎白衣大観音に着きました。
バスから降りた瞬間、緑の中の空気に身体が生き返るよう。身も心も澄んで祭りにさらに身が入ると話していたとかいないとか。。。

 

 


坂道を登って木々の間からこちらを見下ろす観音様が覗き見える。なんて巨大。。。!「さすがに俺達の道灌の山車と比べものにならないくらい巨大だな」、間近にした時の姿に圧倒される一同だった。

 

 

 

 


今回の遠足でみんなで記念写真を撮るならここでしょと、高崎白衣大観音を背景にハイチーズ♪

 


・・・と、観音様は見上げるだけでなく、なんと観音様の胎内を登っていくことができるのです。
記念写真を撮るだけで終わらず、もちろん、観音様の中を登ろう!と意を決する面々。
受付を済ませ、いざ、高崎白衣大観音の中へ!と潜入していったのでした。
そこは、ひんやりとした空気が横たわっている空間で、人が10人もいれば一杯になるほどの広さ、急な階段が設置されていて、そこを上へ上へと進んでいくのだ。


高さ41.8mの観音様の中を階段を一段一段上がっていく。上がっていくごとに窓から見える景色が高くなっていった。
「高いの苦手なんだよなぁ。。。」なんていう弱気な声もどこからか聞こえつつ、ひたすら上へ上へと目指していくのだった。
これ以上階段がないという最上階まで来ると、そこから見える景色は絶景。自然を見下ろす風景というのは川越だとなかなかないので貴重な体験。
観音様はこんな景色をいつも見てるんだな~と妙に感心する一同なのでした。


最上階に着いた感慨に浸る・・・間もなく、着いた瞬間に階段を下り始める面々。
地表に下り立つと、みんなでおみくじを引いて何が出たかで盛り上がる、遠足らしいコースへ。
「ああ!俺末吉だよ・・・!」
「末吉かよ(笑)俺は・・・俺も末吉だ!」
「え、私も末吉なんだけど(笑)」
引く人引く人末吉が続く事態に場は逆に盛り上がり、その後に続く者はなんだかだんだんと末吉を引かなくてはという末吉フラグ立った逆のプレッシャーを感じながら、
『大吉がいいけど流れ的に末吉で・・・』
見事にその後も奇跡の末吉が続いて大爆笑に包まれました。こういうことで盛り上がるのも遠足ならでは。
さすが連々会、同じものを引き寄せる一体感。無理にこじつけてみる。。。
にしても盛り上がり方が半端なく、川越まつりのようなテンションでみな盛り上がるものだから、もう目立つ目立つ。!遠くからでも声が届き、はぐれてもその騒々しさを頼りに間違いなく合流できてしまう。
声量としては、山車を曳く時の「ソーレー!!ソーレー!!」と変わらないよう。
しかし、高崎観音ってここまで盛り上がる場所だったかなと思いますが、連々會の面々と来ると、ここが日本有数の観光地のような感覚になるほど盛り上がる(笑)
きっと、連々會の面々となら、どこに行ってもこうして楽しめてしまうだろうし、
どこに行くか以上に、誰を行くか、という真理を思う。

高崎観音と後にしたバス、そして次に向かったのがいよいよ本日のメインイベント。
車内は待ち遠しくて興奮のるつぼに。
また一本、こっちにも一本くれと、ビールがさらに減っていく。。。(メインイベント前にお酒がなくなってしまうのでは。。。?)飲み干してしまう勢い、メインイベント前に在庫が残るのか。。。!
お昼に着いたのが、同じ高崎市内にある「希望の丘農園」。
実はこの時はまだBBQシーズンが本格的に始まる前。それでも、連々會の面々にBBQを楽しんでもらおうと企画した幹部たちは、BBQスポット、それも40人弱という大人数で、屋根があり、景色も良いところ、と課せられた高いハードルをクリアすべく探しに探し回って、ようやく辿り着いたのが、この場所だった。
「ここなら、あのうるさい連中も満足してくれるはずだ」
納得の表情を浮かべていた幹部たちなのだった。
思惑通り・・・
バスが着いてみたら車内からすぐに歓声があがる。なんていう絶景。。。!
「こんなところでBBQができるのか!」
「景色最高じゃん!」
希望の丘農園は東京ドーム4個分の広さがあり、いろんな体験ができるレジャー農園。
いい景色を眺めながらのBBQも楽しめてしまうスポット。特にBBQは丘の斜面に造られていることもあって、眼下に見渡す景色が最高。当たり前ですが、川越では見る事ができない景色。
目的地に到着すると連々會の興奮は最高潮に。

 

 


バスに積み込んだ荷物を降ろし、各自分担してBBQ会場に運び込む。ここでも連々會の連携プレーは流麗、川越まつりで培った段取りをここでも発揮する。その様に改めて、川越まつりでの段取りのレベルの高さを見るようだし、心を一つにして巨大な山車を曳くということは、当たり前のように連携がみなに沁みついていないと無理なのだと思わされる。

 

 


祭りの時に急に連携が高まるものではない、こうした遠足など普段から連携プレーで鍛えているから祭りもスムーズなのだ、とどちらとも言えるかもしれない。とにかく、連携の手際の良さ、美しさが半端ないのだ。
連々會は着物を脱いでも凄いんです、着物を脱いだらより凄さが際立つようでもあった。
(例えるなら、サッカー選手がユニフォームを脱ぎ、私服で街中で連携プレーを見せることでより凄さが分かりやすいような。というあまり上手くない例えでした)
っと、とにかくなんだかんだと思い浮かべているうちに、連々會の面々は見事にBBQの荷物を会場に運び込み、息つく間もなくBBQの準備に取り掛かっていった。
・・・と、BBQ会場に向かう途中・・・男子たちがあるものを発見。すぐに駆け足で近寄っていく。
黄色く咲き誇る菜の花畑を見たら、それはもう少年に帰ったようになりますよね~。童心を忘れない連々の男子たち。

みないい大人ですが、まるで高校の修学旅行のようなノリではしゃぐようでもあり。。。しかし、いい大人がこんな風にふざけられるくらい仲良しというのも眩しい。それが、昔の学校友達でもなく、会社の仲間でもなく、地域の祭りの会同士という、間違いなく他の町内でこんなことありえないという繋がりによるところが凄い。
今回のBBQは大人数ということでABCDの4つの班に分かれていった。

BBQを始めるまえにまずはみんなで乾杯。


それぞれてきぱきと段取りしていく様子は、さすが川越まつりをみなで作っているからこその連携プレー!
全体として肉や野菜は実行委員が用意しつつ、班ごとに持ち寄った食材に個性があり、
「焼きそら豆美味しい~!」「焼きトマトも旨い!」などあちこちから声が挙がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


BBQと言えば、お肉とお野菜が基本としてあり、プラスαの部分で十人十色で好みが分かれるのが面白いところ。
ある人は、焼きたらこがないと始まらない!と宣言し、
ある人は、絶対スルメでしょ!と譲らず、
こちらではチーズフォンデュがBBQの楽しみと言い張り、
玉ねぎやカボチャのカットの仕方からしてそれぞれのこだわりがある。
焼きそばをとっても、塩なのかソースなのかで意見が分かれ、ちょっとした論争に。
BBQにはそれまでの人生経験が如実に発揮されるのだな、と思わずにはいられません。
用意した食材を焼ききり、食べ尽くし、お腹いっぱいになった一同。
食後には希望の丘農園さんからデザートが振舞われ、まったりと過ごしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 


まったりと・・・遠足の予定としてBBQの後は自由時間としてまったり過ごせるはずでしたが、
BBQの片づけなどを考えたらそんな時間があるはずもなく、慌ただしく撤収する連々會。
片付けもさすが川越まつりで培ったみなの連携であっという間に終わり、一路、川越へ。連雀町へ。
帰りのバスの中ではみんな一日はしゃぎ過ぎたののか、熟睡。。。
それにしても、この日一体どれだけのお酒を消費したでしょう(#^.^#)朝から夕方までずっと吞み続けていたような。


連雀町の連々會、親睦旅行でさらに親睦を深め、今年の川越まつりへ向けて気合が入っていきました。
川越まつりまであと5ヶ月、町内一体となって祭りを盛り上げていきます。
 

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平成28年10月16日川越まつり二日目最終日、

午前、午後と無事に山車曳行が終わり、いよいよ祭り人達の熱狂、夜の部へと突入していこうとしていた。

辺りは暗くなると、提灯が灯され煌々と輝く山車が妖艶に輝き出す。

もうすぐにでも山車を繰り出していきたい思いを抑え、山車の上の居囃子を見上げる。

18時、時は来た。

川越まつり総仕上げ、夜の山車曳行がついに始まる。


 


出だしの儀式で職方の木遣りが行われ、静かに終わると拍子木が打ち鳴らされて出発。

山車の上ではおかめがしとやかに舞い始める。

「ソーレー!」「ソーレー!」

熊野神社前会所を出発した道灌の山車は、まず北へ進路を取って進んで行った。 

「ソーレー!」「ソーレー!」

提灯の灯りは山車だけではない、

夜の部になると曳き手達も提灯を手にし(中には名入りの特注提灯も)、

あるいは扇子を広げて、山車から綱先まで灯りに彩られるのだ。
 


綱の内側は日中より人数が増え、掛け声はさらに力が入り、絶叫に近く、

これぞ、大人の本気の祭りという様相を呈していた。

山車に乗る雀会囃子連の囃子も力強さを増し、

曳き手の掛け声に囃子の音色、祭りのうねりは大きくなっていくばかりだった。

川越まつりの夜の迫力はやっぱり格別。


中央通りを進みながら、ここでも各所で山車を停めてはそちらに向ける挨拶していくことに変わりない。

日中は山車の正面を向けるだけでしたが、

夜は曳き手たちが間に入っていき、提灯を乱舞させて盛り上げる。

「オ~オ~オ~、オッオッオッオッ!!」

提灯の灯が激しく上下する様は、まさに百花繚乱という言葉がぴったり。

そんな様子を傍目に、頭(かしら)はクールに状況を見定めては拍子木を打ち、

さあ前進するぞ!と合図を送る。

曳っかわせに興じていた町衆は一転、元いた綱に走って戻っては、

「ソーレー!」「ソーレー!」と再び山車を曳いて行くのだった。

止まっては全力で駆け寄って曳っかわせ、

全力で走って戻っては山車を曳く、

午前・午後で5時間半曳行した後の、このハードさ、夜の山車曳行は実はとんでもなく大変。

そのハードさがむしろ祭り人のテンションを上げ、

さらに大声に、さらに全力で走り、囃子に囃され、さらに・・・という祭りの激しさの循環はどこまで続いていく。


中央通りから仲町交差点、そして一番街までやって来た道灌の山車。

先の方にも山車の姿が見え、後を追うように進んで行った。

今年の夜の初の曳っかわせはどこで魅せるのだろう?

夜の一番街の風情もいい、という話しも川越にはありますが、

確かに通り沿いの街頭に照らされる蔵造りの町並みの雰囲気は最高、

そしてもっと最高なのは、山車の煌びやかな灯りや町衆達の提灯によって照らされる様です。

川越的に、これ以上に美しい景色はないのではないでしょうか。



昨年はこの辺りで、曳き手たちから不安めいた声が聞こえたものだった。

「山車が見当たらない。。。」

そう、あの時は北を見ても南を見ても山車が一台も見えなかったのです。

曳き手たちだけでなく、

一番街で曳っかわせを観たいと構えていた沿道の観衆も肩透かしだったかもしれません。
他の町内は、夜はすぐに一番街を出ていくか、後から一番街に向かうかというルートが多く、

微妙にタイミングが合わなかったのだ。
それに昨年は参加山車が13台ということで、山車遭遇率が低かった。。。

山車同士が出合う曳っかわせは、人と人が道で出合うのとはわけが違う、

町内全体が巨大運動体として常に動き、

偶然の出合いから現場の人によって必然の曳っかわせへと繋げている。

その地点・その時間でということで言うと、

曳っかわせは偶然としか言いようがなく、だから一つ一つの曳っかわせ貴重で、奇跡なのだ。

(再び時の鐘を通り過ぎる)


一番街通りでの各所で挨拶していく連雀町。

昨年は札の辻を遠くに臨んでも山車の姿がなく、

無念の表情を浮かべながら、道灌の山車は川越まつり会館でUターンしたのだった。

しかし・・・!

今年は、札の辻に山車が停まっているのが既に見える!

どこの山車だろう・・・?

札の辻が近づいて来ると、追いかけるように後ろについていた松江町二丁目の浦嶋の山車と判明。

浦嶋の山車も、夜の部は会所を出発して道灌と同じく一番街方面にやって来ていたのだった。

先に辻に着いた浦嶋の山車は、続いて来た道灌の山車と合わせることになり、

辻の「真ん中」で曳っかわせを魅せるため、

浦嶋の山車はまず辻の北側に少し進んでから、山車を反対側に回転させて待機。絶妙な位置取りです。


そこに道灌の山車が辻に入って来ると、見事に札の辻のど真ん中で両山車が正面を向き合った。

職方達による、「魅せる」曳っかわせの職人芸。

観衆を魅了し、感動させる山車同士の曳っかわせは、

職方達の山車の位置・角度を冷静に計算した山車さばきがあるから実現しているのでした。

曳っかわせは、曳っかわせが「起こるまでの」流れがなにより美しい、

そこに至るまでの一連の流れがあるから、余計に曳っかわせは盛り上がるのだと思う。

山車を近づけ、さらに近づけ・・・ここで停止・・・

というところからさらにググっと近づけ、じりじりにじり寄らせて行く。

山車同士が近づいていくほどに町衆達から「オオオ!!」と歓声が上がり、

同時に、え!まだ行くの!?とハラハラしながら見上げていると、

提灯同士が当たりそうになる直前、ほんの30センチというところで、頭が拍子木を打って山車を止める。

この熱狂の中で、場に流されず冷静に状況を見ている頭、

山車を至近距離まで近づけるという神経を研ぎ澄ませた技を見せると、

目の前には煌びやかで巨大な山車が二台対峙している。という有り得ない状況が広がる。

囃子は混ざり合い、そのカオスに町衆達の興奮は一段と高まっていく。

連雀町の道灌の山車は、この日初の夜の曳っかわせは札の辻、

松江町二丁目の浦嶋の山車と魅せたのでした。雀会は獅子が華麗に舞う!

綱を持っている持ち場から、町衆達が山車と山車に間に走って入り込んで行くと、

松江町二丁目の町衆達と合わせ、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」何度も何度も提灯を上下させていった。


頭が拍子木を叩くと、すぐに綱の持ち場に走って帰る町衆達。

道灌の山車は進路を元来た道に定め、札の辻から一番街を南下して行くことになった。

来た道であっても、また一つ一つの場所で停まり、山車の正面を向けて挨拶して行くことに変わりない。

「ソーレー!」「ソーレー!」掛け声と共に山車を曳きながら提灯を高く掲げる、

山車の曳行自体が一つの曳っかわせのような華やかさを発していた。





一番街で埼玉りそな銀行が見えて来ると、山車が停まっているのが見える。。。

通りを人で埋め尽くされている中、掻き分けるようにして先触が状況を見るために走って行った。

どこの山車だろう・・・?曳っかわせの期待が高まる。

戻って来た先触が宰領に伝える、仲町の山車がこちらと合わせる、と。

埼玉りそな銀行前に居たのは、仲町の羅陵王の山車だった。

川越まつり二日目、午後の部から山車同士がすれ違ったり曳っかわせをしたり、

今年は仲町と縁がある年のようだった。

曳っかわせは本当にタイミングの差。。。

昨年はこの時間この場所で、野田五町や六軒町と曳っかわせを実現していた。

それが今年は、この時間この場所で出合ったのは仲町、

あったかもしれない可能性は無限にあり、

その中から起こった現実は・・・いつもたった一つしかない。

両台の合わせに向けて現場では大声で段取りを詰めていく。

仲町の羅陵王の山車に近付けて行く道灌の山車、

沿道を埋める観衆の歓声に、重なる囃子の演奏、町衆達の掛け声に包まれながら、

頭の指示によって山車が向き合わされ、さらに近く寄せられると、

山車と山車の間に提灯を手にした両町の町衆達が急いで入り込んでいく。

「早く!早く!急いで来い!」「ほら、行くぞ!曳っかわせだぞ!!」

囃子の競演に、町衆達の競演、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

老いも若きも男も女も、祭り人となった町衆達は提灯を揺らして狂乱していく。


その後、南から北上して来た大手町の細女の山車と曳っかわせ、

大手町とは午後の部でちょうど仲町交差点でも合わせた町内。雀会はもどき。



さらに・・・喜多町の秀郷の山車とも合わせと、断続的に続いていきました。





連雀町道灌の山車は引き続き南進、

大手町も喜多町はこのまま北へ進んで行ったのだった。

きっと二台は、この後北の方、一番街上で合わせて観衆を沸かせていたに違いない。

南を臨むと、山車がどんどん北に向かって来ている気配があった。

野田五町の八幡太郎の山車も南からやって来て、一番街の鍛冶町広場前で合わせる。

この時は末広町の住吉囃子連が居囃子を演じていたこともあって、

山車二台、居囃子という変則的に三者による曳っかわせを魅せた。


中央通りを南に進む連雀町道灌の山車は、各所で山車を向けて挨拶しながら、

ホームである熊野神社に戻って行く。
 




ちょうど連雀町の会所前で曳っかわせをしていたのが、

通町の鍾馗の山車と元町一丁目の牛若丸の山車。

日中から山車に遭遇する率が高かった今年の川越まつり、

夜になると山車曳行ルートが本川越駅~札の辻の区間に集中するため、

さらに山車と出合う率が高まっていく。というか、山車がこの一直線に密集しているようだった。

この二台に合わせていくか・・・、というのはさすがに無理で、

二台の山車がその後、どう進行して行くのか現場の先触が確認し、

牛若丸の山車が北上して行くということで、タイミングを合わせて道灌の山車と曳っかわせ。


続いて、その様子を待機して見守っていた幸町の翁の山車と合わせる。

合わせる度に町衆たちは全力で山車に駆け寄り、曳っかわせを盛り上げ、

そしてまた綱に戻って曳き始める。一回一回が全力の曳っかわせ。

曳っかわせはやはり、山車を向け合った囃子の競演だけでなく、

町衆達の狂喜乱舞ぶりがあってこそ盛り上がるもの。

そしてようやく道灌の山車が連雀町交差点に突入して行こうとすると、

現場はさらに慌しくなっていった。。。

連雀町交差点。連雀町にとっては目の前にある交差点で、

ここも川越まつりでは曳っかわせのメッカで、これまで幾多のドラマが生まれてきた場所。 

何かが起こるはず・・・と、胸躍らせている観衆ですでに交差点は埋まっていた。

(既に熱気渦巻いているところに、掻き分け、道灌の山車を押し込んでいく)

連雀町交差点では、既にもう曳っかわせが行われて熱い空気が充満している。

交差点に居たのは・・・

通町の鍾馗の山車、西小仙波町の素戔嗚尊の山車の山車、

既に二台は交差点で曳っかわせを行っているところだった。
西小仙波町の先触が息を切らして連雀町に駆け寄って来る、

「連雀町はこの後どう行きますか」

西小仙波町はこのまま交差点で待機して道灌が入って来るのを待つ、と。そこで合わせましょう、と。

鍾馗の山車と素戔嗚尊の山車が居る連雀町交差点に、

山車が到着!と連雀町の高張り提灯が交差点中央に足を踏み入れて行く。

おおお、もう一台来た、連雀町だ、と盛り上がる交差点を埋め尽くす観衆。

ここで三台による曳っかわせ・・・と思いきや、

なんと県道を東から近づいて来る山車がもう一台あった。。。!

松江町二丁目の浦嶋の山車だった。混沌はさらに混沌に。

浦嶋の山車とは、一番街北の札の辻で曳っかわせを行って別れたばかり。

浦嶋の山車はその後、市役所方面に向かって川越街道を南進、連雀町交差点に向かって来たのだった。

ここに、、、四台が集結。

交差点中央にゆっくりと進んで行く道灌の山車。

鍾馗の山車と素戔嗚尊の山車は既に山車を回転させて交差点中央に向け、

合わせる準備が整って臨戦態勢となっていた。

浦嶋の山車も中央に寄せてきて、四台の山車が少しづつ距離を縮めていった。

まだ近づく、、、まだ近づく、、、よし!と止められると、

四町内の町衆達が一斉に山車と山車の間に集結し、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

提灯を上下させて雄叫びを上げる。囃子も四つが混ざり、混沌状態に。これぞ夜の川越まつり。


ここから通町は南へ、西小仙波町は北へ離れて行くと、

さらに後ろから来ていた三久保町の賴光の山車が、

見事な山車さばきでするするっと脇を抜けるようにして交差点に入って来た。

あの狭いところを入れてくるなんて。。。

連雀町交差点の角のところで、

三久保町の賴光の山車、連雀町の道灌の山車、松江町二丁目の浦嶋の山車の三台の曳っかわせが続いていった。

道灌の山車は、連雀町交差点から南へ、本川越駅を目指して進んで行く。

「ソーレー!」「ソーレー!」


通りの各所で挨拶しながら進み、
本川越駅が近づいてくると、人だかりが出来ているのが見える。

人だかりの上から覗いている山車を見ると、どうやら三台が停まっているらしい。

川越まつり夜の部、本川越駅前交差点も曳っかわせの名所で、

ここに居ればきっと複数台の曳っかわせが見られるはずと、多くの人が待ち構えていた。

既に交差点にいたのは、先ほど連雀町交差点で合った通町の鍾馗の山車に、

新富町一丁目の家光の山車と脇田町の家康の山車だった。

既に三台による曳っかわせが行われているみたいだ、

遠くに臨みながら道灌の山車を曳いて行く連雀町、そこに合わせるのか・・・??

(本川越駅前交差点、通町の鍾馗の山車、新富町一丁目の家光の山車、脇田町の家康の山車による曳っかわせが既に始まっている)


先方の先触と話しを付け、連雀町は交差点西側に綱を入れていくことになった・・・

かと思われたが、ここで時計を見ると午後9時になろうとしている。

川越まつり夜の部も残り僅かとなっていた。

ここは時間との勝負だ。

祭り人なら当然あの三台の中に入れ込んで四台による曳っかわせを魅せたいのはある、

しかし、無理をすればいいというわけではなく、

無理を承知で行く場面なのか否か、冷静に考えなければならない。

交通規制が解除されるのは午後10時、それまでに町内に帰らなければならず、

時間がないからといって通りの会所や居囃子で停まって挨拶していくのを省略することもできない、

一直線の道を帰るだけでも相当な時間が掛かる。

それに、あの交差点にあの角度で山車を入れて行くとなると・・・

一番街方面から南進して帰って来る山車が続々と続くと、もう交差点を抜け出せなくなってしまう。。。

10時までに間に合わないかもしれない。

という総合的な判断から、宰領は、本川越駅交差点に入らず、

手前にある新富町一丁目の会所に挨拶してUターンすることにした。

その旨が曳き手達に伝わる。

相手町内も、「また来年お願いします!」と返してくれ、

「こちらこそ、来年よろしくお願いします!」、

本川越駅前での華麗な曳っかわせは来年に持ち越しに。

ここにも、あったかもしれない曳っかわせがあり、起こった確かな現実があった。


本川越駅を背にして中央通りを北に進路を取り、道灌の山車は連雀町へ向かうのだった。

途上で仙波町の仙波二郎の山車と遭遇、

川越まつり最終盤で初めて合うというのも不思議な縁、最初で最後の曳っかわせを魅せました。

この時も、ちょっとしたドラマチックな曳っかわせを魅せたのも、川越人らしい粋だった。

ちょうど仙波二郎の山車と合ったこの場所、タイミングで通りに沿いで居囃子を行っていたのが、

中原町の月鉾囃子連だった。

中原町と言えば・・・そう、

連雀町が午前の町内曳きの時に、会所前まで曳いて行った町内で、

中原町の重頼は今年は出ていないことは午前の部の記事の中で記した通り。

『中原町の河越重頼を言えば、平安時代末期の武将で、上戸に河越氏館跡が残り、

そして連雀町の太田道灌は、ご存知のように河越城を築いた人、

川越の歴史の基にある人物を人形のモチーフにしている町内がここで邂逅することになった。

重頼も道灌も、この光景にさぞ喜んでいることでしょう。』

と書いていましたが、居囃子では重頼の提灯を高々と掲げ、囃子を奏していた。

その中原町の居囃子を含めての曳っかわせをやろうと、職方達が山車の位置取りを考える。

そこに仙波町が近付き、

仙波町の仙波二郎と連雀町の道灌の山車の三者による曳っかわせが行われました。

山車同士だけが曳っかわせではない、居囃子の町内も尊重し、合わせるのが川越まつりの醍醐味。

朝から川越まつりを行っているからこそこのドラマ性が分かり、

また、川越まつりはこうした機微のドラマがなんとも最高なのだ。

「また、来年合わせましょう!」

仙波町に別れを告げ、さらに北上してく道灌の山車。


連雀町交差点近くで出合った南通町の納曾利の山車との合わせ。

午後9時半になろうとした時のこの曳っかわせが、

結果的に今年の最後の曳っかわせになったのだった。。。



この後は、中央通りを北上し、仲町との町境まで行くとUターン、

そして、ホーム熊野神社会所に戻って来たのでした。。。





 


午後10時、午前、午後、夜合わせ計10時間近く山車曳行を続けた今年の川越まつりも終わろうとしていた。

今年を振り返って、というより今年もになりますが、

午前中からに山車の曳っかわせを求める観衆の声もありますが、

午前は町内曳きをするところが多く、

町内曳きは町内の繁栄を願う祭事で、山車同士が近づいても合わせない事も多い。

「イベント」ではなく祭礼という川越まつりの本当の真髄は午前の部かも。

なので、「午前の部」と分けて書きました。

「午後の部」では、市役所前山車巡行の華やかさ、一番街を背景にした巡行を、

そして「夜の部」ではなんと言っても曳っかわせ、

その裏側にある、一回一回が多大な労力が注がれて実現していることも伝えたかったことでした。


今年の川越まつりもドラマチックな曳っかわせがいくつもありました。

川越まつりで毎回思うのは、単に曳っかわせが行われるだけでなく、

なんでこんな劇的な曳っかわせがいつも起こるのだろうということ。

それは、町の人が道を駆け回って合わせようとしている現場があるからこそで、

曳っかわせに偶然はない。

山車がお互い数百メートルも離れたところから話しを擦り合わせ、

たまたま擦れ違った時にやりましょう、ではない。

全ては人が作り上げていること・・・と前置きを押さえた上でも、まだ、思う事がある。

その時間に、その場所で、そんな劇的なタイミングで、

そこに居なかったら起こり得なかった曳っかわせがあって。

では、あの曳っかわせの脚本は誰が書いているのか・・・??

偶然という運任せ??

もしかしたら・・・いや、やはり、神様の見えざる手が働いているんじゃないか。

観たかったんじゃないか。

一年に一度の祭りを楽しみ、町民を楽しませようと、

ちょっとした匙加減があったんだろう、そう思うと妙に納得する。

それが川越まつりだと考えたら、しっくりくる。


熊野神社にたどり着くと、職方たちが山車を通りから中に入れる。

最後の舞い手、天狐が舞いながら、

「川越まつり~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

「連雀町~~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

と何度も提灯を跳ねさせて盛り上がる町衆達


今年の川越まつりの来場者は、
15(土)=508,000人
16(日)=477,000人
合計=985,000人

と発表されました。


来年はどんなドラマが生まれるでしょう。

来年に向けて動きはまた少しずつ始まっていくことでしょう。


平成28年10月15(土)、16日(日)「川越まつり」。

参加山車
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
松江町一丁目 龍神の山車
宮下町 日本武尊の山車
三久保町 賴光の山車
脇田町 家康の山車
新富町一丁目 家光の山車
仙波町 仙波二郎の山車
南通町 納曾利の山車
川越市 猩々の山車

喜多町 秀郷の山車
大手町 鈿女の山車
松江町二丁目 浦嶋の山車
今成 鈿女の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
連雀町 道灌の山車
西小仙波町 素戔嗚尊の山車
通町 鍾馗の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道眞の山車
旭町三丁目 信綱の山車 


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