「川越style」

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2016年1月10日、川越の南大塚、16号線沿いにある西福寺で行われた

南大塚餅つき踊り「新春餅つき大会」。

12時半から始まった餅つき踊りは、

南大塚の男たちによってや中学生たちによって無事に計3回行われ、

ついた餅はきな粉餅にして来場者に振る舞われました。

(2016年1月10日「南大塚餅つき踊り」前編 西福寺~菅原神社

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11748610711.html

あの現場の躍動感が少しでも伝わっていたら幸いです。

そして、朝からの準備の様子を通して、

この行事が地域で受け継がれ、大事にされている舞台裏を感じてもらおうともしました。

地域で支えている模様、親子3世代で行事に参加している姿など、様々な人間模様がありました。

今年もたくさんの方に見てもらい、ほっと胸を撫で下ろす南大塚餅つき踊り保存会の面々。

いや、しかし、つかの間気を緩めた表情もすぐに真剣な眼差しに変わる。

最後の仕上げ、大仕事が待っていたのだった。

来場者がきな粉餅を味わっている一方で、

臼に紅白の綱を括りつけ、西福寺入口に向けてピンと真っ直ぐ伸ばしていった。

餅つき踊りは、計4回のうち3回は本堂前で行い、

最後の4回目は通称「引き摺り餅」と呼ばれるもので、

西福寺から隣にある菅原神社まで臼を綱が引き摺っていき、神社に奉納するんです。

もともとの餅つき踊りがそうであったように、現代でも、

最後は菅原神社まで引き摺っていくことは踏襲しています。

臼を引き擦っていく前には、子どもたちに餅つき体験をしてもらうのも恒例で、
「ほら、ついてごらん!」と見に来ていた子どもたちに杵を渡してついてもらった。




この時が生まれた初めてお餅をついたという子もいたでしょう。

記憶の片隅に、杵を振った感触、ついた餅の柔らかさが残りますように。。。

引き摺り餅、最後のもち米5キロが蒸かされて臼に投入されると、

まずは6人の男たちによって、「ならし」「ねり」「つぶし」の工程を経るのは今までと同じ。


いよいよ、張られた綱を南大塚の人たちが手に取る。

地域の人にとっては最後の引き摺り餅はもう広く知られているもので、

「さあ、引き摺っていこう!」すぐに綱先まで人で埋まっていった。

引き摺り餅の部分は、餅つき踊り保存会に入っている、いない、関係なく、

地域の人が参加できるもの。

南大塚には山車も神輿もないけれど、餅つき踊りがある。

臼をみんなで引き摺っていくことで地域が一つになる。

綱を手に取り臼をみんなで引き擦っていく光景は、

さながら、川越まつりの時の山車曳行のようで、

両者のスケール感は全然違いますが、

しかし、南大塚の人にとってはそのような意識はある。

(その証拠に、綱を引いている時に、

川越まつりの「ソーレー!」「ソーレー!」という掛け声が聴こえてくるんです!)


「よし、それじゃあ、ゆっくり進んでいこう!」
保存会の一人が綱先に向かって声を張り上げると、

この時を待ってましたとばかりに、子どもから大人まで、二本の紅白の綱をギュッと握りしめ、

じりじりと、臼が動き始めていった。いや、南大塚が動いていった。




西福寺本堂前から、ズズズ、と臼が引き擦られる音が聞こえる。

「もっとゆっくり!速いよ!」

「ストップ!ストップ!」

保存会から声が上がる、

みな手に力が入って速く引っ張ろうとしてしまうのは毎年のこと。

なぜゆっくり進まねばならないのかというと、

臼を引きずりながらも、餅をついているからなんです。

速く進んでしまうと餅をつきにくく、それに合わせようと杵を振り下ろすと危険です。

以前は引き摺り餅は大人がつく場面も多くありましたが、

近年は始めから中学生に任せていて、

ゆっくりのスピードでないとタイミングが難しい。


臼が本堂前から離れていき、山門の坂を乗り越えていった。


狭い参道をゆっくり進み、人がすし詰め状態になっている中でも、

その時も・・・中学生たちは、餅から目を離さず、「1、2、3」と順番に餅とつき続けていた。

地域の中学生が餅をつき、その餅を地域の人が綱で引き摺っている、

俯瞰して見下ろした時のこの、なんという素敵な光景。


「押せよな押せ押せ下関までも 押せばな港が、なんでもちかくなる
ハア ヤレ押せそれ押せ
押せよな押せおさなきゃ行かぬ押してな気をやるななんでも筏乗り
ハア ヤレ押せそれ押せ
餅はな練れたがコネ取りやどこだ コネ取りやな勝手の方で何でもつまみ喰い
ハア ヤレ押せそれ押せ」


山門を出る時に止まって、餅をつく。

ポイントに来ては止まって、集中して餅をつく、そしてまた進み始める。

山門を出た臼は、大事な箇所に差し掛かりました。

ここからはさらに緊張感が高まる、周りで見守る保存会の男たちの声も上ずります。

「16号出たぞ!気をつけて!」

中学生は一心不乱に餅をつき続ける、どんな状況でも餅をつくことは止めてはならないのだ。

「1、2、3!」餅をつく音、臼が引き擦られる音、

「もっとゆっくり行こう!」大声が飛び交う。

境内から視界がパッと開き、みなの頭上に青空が広がった。

車が激しく行き交う国道16号に出たのだ。

引き摺り餅、最難関ポイントにやって来ました。



西福寺から菅原神社まで行くためには、16号線沿いを進まなければならない。

そのために、大人一人分くらいの狭いガードレールの内側を、

地域の人がぎゅうぎゅう詰めになりながら綱を曳き、

臼が引き擦られ、その間も餅をつき続け前に進む。

伝統行事というと、お寺や神社の境内で行われることがほとんどで、

外の道を進んだとしても田舎道だったりして、

その行事の背景としてマッチしているものが多いですが、

餅つき踊りの背景にあるのは、近代のある意味象徴のような、国道。

これを背景にして、必死の形相で餅をつき続けるというギャップがまたいいのです。


前方を見上げれば歩道橋から見下ろす人、信号待ちの車からも見つめられる。

じりじりと臼は引き摺られ、いよいよ、菅原神社の鳥居が見えてきた。

この鳥居が見えてくると、毎回のことながらほっとするような気持ちになる。

ほんの数十メートルほどの距離ですが、ホームに帰ってきたような懐かしい感覚に浸ります。

菅原神社前の交差点、歩道橋の袂で、

「ここで6テコできるか?6テコやってみろ!」と保存会の大人が促すと、

中学生6人が入り乱れて杵を振り上げる。

この場所の6テコも、以前は大人たちが魅せていましたが、

(2014年南大塚餅つき踊りより。菅原神社前6テコ)

今は中学生に託して経験させている。




神社の鳥居をくぐり臼は参道を真っ直ぐ進んでいく。

「もう少しで神社だ!」地域の人の綱を引く手に力が入る。

保存会がもうずっと、

「もっとゆっくりでいいよ!」を大声を張り上げていた。

「ソーレー!」「ソーレー!」






神社の社務所を越え、菅原神社まで来ると、最後の持ちつき踊りを魅せました。

最後の総仕上げ、残りわずかとなった力を振り絞り、男たちの最後の踊りに熱がこもる。




最後に「あげづき」をして、南大塚餅つき踊り、全ての工程を終えました。

あれだけ、ダイナミックに舞い、激しく杵を振り下ろし、振り回し続けて、

怪我なく無事に終わったことがなによりでした。


振り返れば、餅つき踊りはやはり大人のつき手は、

何年、何十年と関わっている関係で、

タイミングを合わせようとしなくても「あうん」の呼吸でつく様が見事でした。

その、あうんの呼吸感を味わうのが伝統芸能を観る者としての楽しみであり、

華麗な6テコに、細かい技を入れていく様子、

伝統芸能はまさに経験を積み重ねた芸そのものです。

あの6テコの様子は、美しい旋律の音楽のよう、と感じるのはおそらく自分だけでしょうが。。。


今年の演技も素晴らしいと思いましたが、

「もっと練習積んでいかないとね」

とまだまだ納得してない表情の餅つき踊り保存会の面々。

地域の行事を守っていくのは大変なことですが、

また男たちの躍動する姿を楽しみにしています。

川越のイベントなどで見る機会があったら、じっくり見入ってください♪


「南大塚餅つき踊り」

西福寺~菅原神社

毎年1月成人式の前日か同日の日曜日。12時半~






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西武新宿線南大塚駅北口から歩いて5分、

16号線に出て、歩道橋が架かりマクドナルドがある交差点、

隣り合わせにあるのが菅原神社と西福寺。南大塚を見守り続けている神社仏閣です。
普段は静けさに包まれた場所で、

あるいは神社の横にある小さな公園から子どもたちの遊び声が聞こえてくるばかりですが、

一年に一度、地域の人が集まるお祭りがあります。

もう何年もこの日は青空に恵まれている朝の9時、

透き通るような冬の青空の下、今年も祭り日和だった。

開始は12時半、まだまだ時間はありますが、

すでに西福寺の裏手には人が集まって準備が始まっていました。


窯を綺麗に洗い、薪の火で水を沸かし、もち米を蒸かす、

全部の行程を南大塚保存会や南大塚自治会、つまり地域の人が分担して進めている舞台裏。

他の地域の伝統行事もそうだと思いますが、

自分たちで全部の準備をし、準備を含めた全部の時間が、地域の繋がりを確認することになる。

華やかな表舞台のかなり前に、もうすでに餅つき踊りは始まっていました。

表では、間近に見るためにいい場所確保しようと、

今年も朝早くからちらほら来場者がやって来ていた。

倉庫から大事に運び出された臼が本堂前に設置される、

大きいサイズの臼は、餅つき踊りのため特注品です。




無事に滞りなく開催できますように、臼は塩で清められていた。

「今年は暖かいね」

口々に漏れる言葉を裏付けるように、

例年だとお寺の水に氷が張ったり、水道が凍って水が出ない、なんてことがありますが、

今年はまったく問題ない。餅つき踊りの日、という定点観測から、その年の気候が分かります。


2016年1月10日(日)、西福寺で行われた

南大塚餅つき踊り「新春餅つき大会」は、

毎年、成人式の前日の日曜日に催され、

南大塚が盛り上がり、注目され、地域が結束する大事な行事です。

今年の成人式はウェスタ川越で1月10日に行われ、同日開催となりました。


窯の火が轟々と燃え、いつでも蒸かせるような状態になっていた。

この日つくもち米は、例年通り20キロ。

5キロずつ使い、計4回の餅つき踊りを魅せます。

一回目は菅原神社奉納用で、二回、三回目は来場者に振る舞う用、

そして四回目が、臼を引き摺っていく引き擦り餅です。

南大塚餅つき踊りは、1月成人式前日か当日の日曜日開催で、

12時半頃から始まり、計四回つくので憶えておくと良いかと思います。


南大塚餅つき踊りは、幕末の安政年間に始まったといわれ、

以後大正時代までは子どもの7歳のお祝い「帯解きの祝い」に行われてきました。

7歳のお祝いに、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。

家の庭で餅をつきながら踊り、3人でつく「3テコ」、時に6人でつく「6てこ」になるなど、

華麗でダイナミックな踊りを魅せながらの餅つきです。

そしてその臼を引き摺って氏神様である菅原神社まで奉納する。

引き摺りながらも餅をつき続ける様から、

別名「引き摺り餅」とも言われる由縁です。

地域の伝統行事は一時戦争で中断してしまいましたが、

戦後になり、昭和30年代、帯解きの祝いから成人者を祝う行事となって復活されます。

南大塚の二十歳を迎えた成人者は、菅原神社へお詣りし晴れ姿を見せ、

そして成人者に向けて餅つき踊りで祝っていました。

そのため当時は、前日から餅の準備をしていたといいます。そのもち米の量実に80キロ。

今から20年くらい前には、成人者20~30人に紅白の餅を振舞っていたそう。

餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わり、

そこから菅原神社まで臼を引き擦っていくという、昔ながらの形を守っていました。

昭和43年には、埼玉県指定無形文化財に指定されました。


時代が変わると、成人式は氏神様へお詣りするという地域の祝い事ではなくなり、

自治体が一括して式を執り行なうようになります。

南大塚でも餅つき踊りにやって来る成人者はいなくなりました。

今は、この伝統行事をそのままの形で遺そうと南大塚餅つき踊り保存会が継承し、

自治会が支えて、地域間交流、世代間交流として南大塚全体の行事として実施されています。

以前は南大塚には消防団があった。

それが地域の人同士の結びつきになっていたけれど今はない。

餅つき踊りが地域の人と顔を合わせる場ともなっています。

中には、保存会を立ち上げに関わった初期の人にその息子さん、そのまた子ども、と

親子3代で参加してる人もいます。


川越で行われる催し・行事に招待されて披露する機会も多く、

2015年12月にはウェスタ川越大ホールにて開催された

「川越 『祭りと芸能』フェスタ 1」に出演。

石原のささら獅子舞、老袋の万作など、市内の無形民俗文化財8団体の一つとして参加していました。

それに毎年恒例となっている、旭町にある「あさひ幼稚園」での開催、

2016年は、この西福寺の餅つき踊りの翌週、

1月17日に新宿町にある「川越ハウジングステージ」にて披露、と各地に出演しています。


あのダイナミックな踊りを魅せる南大塚餅つき踊り保存会は、南大塚在住者が参加資格。

毎月始めの土日に練習を重ね、今日の本番を迎えました。

練習しているのは、まさにここ、西福寺で夜練習しています。



(2014年の練習風景)

大人が10人ほどが参加していますが、

毎年大東中学校の生徒が参加するのも恒例で、

今年は7人の希望者がいて、昨年9月から練習を積んできました。

中には昨年に続き2年連続で参加する中学生もいました。

餅つき踊りでは中学生だけでつくだけでなく、大人に混じってつく場面もあります。

毎年変わらない地域の行事、変わらないからこそいろんな年代が関われるという面もある。


中学生にしたら、部活や勉強もあるし、

周りの目を気にして伝統行事に参加することを恥ずかしいと思う部分もあるかもしれない。

それでも今年の一年生は7人も参加していて、いつになく賑やか。

本番当日の餅つき踊りは一つのゴールですが、

そこ至るこうした過程、準備がすでに地域間交流となっているのが餅つき踊り。


準備がひと段落して、時間の進み方はわずかにゆったりとなる。

毎年行っている工程を今年も一つひとつ大事に行い、

「さあ、腹ごしらえするか!」

行事が始まる前に、隣にある菅原神社の社務所で昼ご飯をとりました。




毎年用意してくれるうどんは「駒形屋」さん、

そして自治会の女性たちが運営を支えています。

今年もいつものようにここでうどんを食べて、いつものようにここで着替えていざ出陣。

本番直前ということで、緊張感が漂う中

かき込むように食べている姿が印象的でした。


南大塚は昔から田んぼや畑の地域で、特にさつま芋は荒幡農園さんなどが広がり、

川越のさつま芋を支えている地域、

西武新宿線の駅もあるので周辺には新しい家族も多く、緩やかに右肩上がりに人口は増えています。

(南大塚の荒幡農園のさつま芋畑)

質の高いお店も多く、「パティスリールアンジュ」さん、「四季彩菓ふじ乃」さんなどがある。

注目の人材も多く、

南大塚在住の新日本キックボクシング協会日本バンタム級チャンピオン瀧澤博人さんは、

ちょうどこの日後楽園ホールにて、タイ人のムエタイチャンピオンとの世界戦に臨んでいた。

南大塚の地から、「勝って欲しいね!」とみんなで応援していました。

(試合は残念ながら苦杯を喫しました。。。)

以後も試合は続いていき、「絶対世界のベルトを獲る!」と瀧澤さんは話している。

以下、2015年8月の試合の模様です。

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12069979502.html


いよいよ社務所内で、餅つき踊り専用の着物に着替えて本番に備えます。







着物、というと特に川越だと落ち着いた装いとイメージしますが、

餅つき踊りに関しては全くの逆、

裾をまくり、襷掛けをし、それはまさに戦闘服のようないでたち。

そういう男の着物姿もまた、いなせで映えます。

今は「和」は、落ち着いたものの代名詞ですが、

今、和として見ているものの昔のリアルタイムは、落ち着きどころか熱気や躍動そのものだったはず。

最後に豆絞りを頭にギュッと巻くと「さあ、いくぞ」と声を発し、

表情を紅潮させて社務所を飛び出していった。









(今年参加の中学生)

その頃、西福寺裏では、自治会の人たちによってもち米がついに蒸かし上がっていました。
12時半の開会式が近づくと、境内にはいつものように地域の人がたくさん見学に来ていました。

本堂前には大東東小学校6年生の子どもたちが座ります。

6年生に餅つき踊りを間近に見てもらって、

来年中学1年生になった時につき手として参加してもらうよう、これも毎年のこと。

そうして昨年見た6年生が今年つき手として加わっていて、

今年の6年生が来年はつき手として杵を振っていることでしょう。

開会式で自治会長などの挨拶の後、いよいよ西福寺本堂前にて南大塚餅つき踊りが始まった。

南大塚の男たちが躍動します。

一臼目の蒸かし上がったもち米5キロが投入されると、

マイクを手にした唄い手が地から湧き上がるような声で唄う。

つく前の助走段階として、

「ならし」「ねり」「つぶし」という3つの工程があります。

「ならし」というのは、その名の通りもち米をなじませることで、

6人のつき手はもち米の感触を確かめるように、潰していった。

全ての工程で、唄が変わります。



「目出度な目出度 目出度が3つ重なれば
庭にやな、庭や鶴亀ヤレサ五葉の松 ハアーヤレヤレ
蝶よな蝶よ花よと育てた吾が子
今日はな、今日は目出度いヤレサ神参り ハアーヤレ
戸田のな戸田の渡し場で今朝見た島田
男な、男泣かせのヤレサなげ島田」


次に、男たちで杵でもち米を力強く潰す、「ねり」。

押せ、押せと杵を押したり引いたりして練っていきます。



「押せよな押せ押せ下関までも 押せばな港が、なんでもちかくなる
ハア ヤレ押せそれ押せ
押せよな押せおさなきゃ行かぬ押してな気をやるななんでも筏乗り
ハア ヤレ押せそれ押せ
餅はな練れたがコネ取りやどこだ コネ取りやな勝手の方で何でもつまみ喰い
ハア ヤレ押せそれ押せ」


そして6人一斉に杵を振り上げる「つぶし」で、餅つき踊りのセレモニーが終了。

「娘島田に蝶々が止まる 止まるはずだよ コラノチョイト 花じゃもの
ハア キタコラ ドッコイショ
お前搗ききてよ、わしゃコネ取りよ、ともに仕上がるヨッコラノチョイト祝餅
ハア キタコラ ドッコイショ
坊が寝ついたスルなら今よ ソットあてろヨッコラノ、チョイト、かみそりを
ハア キタコラ ドッコイショ」


これが終わると、中学生のつき手が3人から始まって、華麗なる餅つき踊りが展開される。

中学生は慣れたもので、リズミカルについていきました。

3人でついていくというのは、何よりつき手の呼吸を合わせることが大事。

体がぶつからないように、杵同士が当たらないように、

「1、2、3」と声に出しながら順番についていく。

時に杵を後ろに回すような芸を魅せたりして大人顔負けです。

さらに3人の中学生が加わり、6テコに。


3人中学生が退り、大人が加わって6てこに。

唄に力が入り、ダイナミックな踊りが披露されていく。

激しい動き、ハードは屈伸運動、息づかい、汗、男達の眼差し、

しかも大人は草履で舞い踊っているんです。

「伝統芸能」というと、古い、懐かしい、というような言葉がすぐに連想されますが、

男たちのこの現代の熱気はなんなんでしょう。

伝統芸能の中で、こんなに激しく熱いものはなかなかない。





「お江戸じゃ日本橋 神奈川 川崎 戸塚 保土ヶ谷 馬入 平塚大磯 小田原
箱根を越えてな五十と三次 なかでも、とりわけ 小夜の中山
夜泣き石がな名所でござるが 十六、七なる うすら毛のぱらりと生えたる
姉ちゃん達がよ 今の流行の小河内絞りの前掛け タスキで
小松の木陰で飴で餅せるよに、せらずばなるまい せらずばなりますまいなあ!
イナハヨホ ホホーヨーホホイ、ヨーハヨーホイ、ヨホンホホホホイ、
ナーンハハハイ イナハヨー ホホホホイー」



注目してもらいたいのは、つく時の技、

単に上下に直線的に振り下ろしているだけでなく、

そこにはいろんな技があり、ずっと継承されているものなんです。

「杵ワタシ」「カツイデヒトメグリ」「股クグリ」

「餅カッキリ」「ケコミ」「ダマシヅキ」「キネノホウリナゲ」など、

どれも文字からどんな動きがなんとなく想像できますか??

中に「ダマシヅキ」という観る者を笑わせるようなチャーミングなものもあり、

(餅をつくと見せかけて・・・つかない!という騙し)

曲芸のような動きを入れながら、威勢よくついていきます。

時にダイナミックに展開に、時に杵の反対側でカンカン!と臼を叩いたり、

緩急、動と静が瞬時に入れ替わっていく激しい展開。

決まった脚本があるわけではなく、その場の空気、

あうんの呼吸でそれぞれが技を入れ込んでいく。

その最中も唇には唄が、そして餅はつき続けています。





途中、3世代による共演が実現。

栗原造園の栗原さんが登場すると拍手が沸き起こりました。


(栗原造園「森のおうちのマーケット あきからふゆのもり2015」

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12099432692.html


最後に「あげづき」をして終了となりました。


ついた餅はすぐに西福寺裏手に運ばれ、

菅原神社奉納用に加工されます。その仕事をしているのが、

南大塚駅前にある和菓子店「四季彩菓ふじ乃」の川上さんです。

和菓子職人が鮮やかな手つきであっという間に餅を鏡餅のように丸めると、

周りで見守る自治会の人たちから「わあ、さすが凄い!」と曲線美に溜め息が漏れました。


(「四季彩菓ふじ乃」一つ一つ、手作りの和菓子を

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11549814934.html






こうして、一回目の餅を奉納し、二回目、三回目の餅をきな粉餅にして来場者に振る舞います。

最後に臼を引き擦る引き摺り餅、計四回行いました。


三回目の餅つきが終わった後・・・

ここからがもう一つの見所。

臼に紅白の綱が巻かれ、その時が始まろうとしていました。。。後編に続く。


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2015年1月11日、川越の南大塚の伝統行事、南大塚餅つき踊り。
昼から始まって3回の餅つきが終わると、最後の一回はいよいよ引きずり餅です。

引きずり餅は、会場の西福寺から隣の菅原神社まで臼を引きずっていって奉納するもので、

引きずりながらも餅をつき続けるというのが特徴です。

昔、地主の家で餅つき踊りを見せた後に、菅原神社まで臼を綱で引きずっていたものが

今でも形を変え続けられています。

ただ、昔なら車も通らない細道だったところが今は拡張され、国道16号線が横切り、と

街の状況がまったく変わった中でも引きずり餅を守り続けているところが貴重。

餅をつくダイナミックな踊りは目を引くものですが、

その臼を菅原神社に奉納するところまでがこの行事の全体であります。



4回目の餅つき、まずは餅つき踊り保存会の方々が「ならし」て、

一同で押せ、押せと力強く練る「ねり」という工程を踏まえるのは今まで通り。

そこまでやったら後は、地域の子どもたちや来場者の方についてもらうのが恒例となっています。

この日は大東東小学校、武蔵野小学校など20人ほどの小学生が来ていたので、

餅つき踊りを見て、自分たちの地域の行事を感じてもらえたと思います。

杵を手に持ってもらい、順番にヨイショー!とついてもらいます。

中には生まれて初めてお餅をついたという子もいて、忘れられない思い出になったかもしれません。


この中から来年参加してくれる子どもがいることを願います。

せっかくの機会なので、と大人の方にもついてもらい、

一人でも多くの方に体験してもらおうと案内しました。






楽しそうに餅をついている様子を見ながら、表情が緩む保存会の皆さん。

しかし、まだ気を抜くことはできない。これからが大事な局面で、緊張の時間を迎えることになります。

今までは西福寺の境内で餅をついていましたが、

ここから西福寺を出て、16号線沿いを引きずっていかなければならない。

川越で最も車の交通量が激しい16号線の細い歩道を臼を進めるのは、

実は毎回緊張の連続でもあります。

巨大な臼が一つ進むだけでいっぱいになる幅を、餅をつきつつ、

綱を手にして曳く地域の方、前や後を着いていく来場者の無事を確認しながら

進んでいかなくてはならない。

特に今年は、引きずり餅の時間になっても人が減るどころかかなりの来場者がその場に残っていた。

例年だと、3回の餅つきが終わり、振る舞われたお餅を貰うとだいぶ人が減っていましたが、

引きずり餅のことが以前より広く知られてきたのでしょうか、たくさんの方がその光景を見たいと待ち構えていました。


一通り餅をついてもらうと、保存会の面々の表情に緊張の色が走る。

臼に紅白の綱を巻きつけ、ピンと真っ直ぐ伸ばしています。

「もっと伸ばして!まだ曳いちゃだめだよ!」
本堂前から山門に向けて二本の綱が張られていった。

手にしているのは子どもから大人まで、南大塚の方々。

餅つき踊り保存会に入っていなくても、行事に参加できるのが引きずり餅で、

共に綱を持ち、臼を引きずることで地域で一体となります。


その綱を握り締めながらいつも思うのは、

臼をみんなの力で引きずっていくのは、さながら、川越まつりの時に

町内の人で山車を綱で曳くあの姿を思い出させます。

川越まつりの山車曳行はこういう心境なんだろうと想いを馳せ、

南大塚にとってのそれは、引きずり餅なんだと感じる。

もちろん規模は全然違いますが、でも、川越の他のどこにもない臼を曳くという唯一無二に、地域の人は誇りを持っている。


「それじゃあ、綱引いていこう!」
保存会の方が声を上げると、綱を手にする人たちがゆっくり引き始めました。

ズズズズ、臼を引きずる音が聞こえる。はやる人たちの気持ちを抑えるように、「もっとゆっくり!!」と保存会の声が飛ぶ。
そして、臼を引きずりながら、「さあ、ついて!」と中学生に促して餅をつき続ける。
中学生たちは、夜間練習で餅つき踊りは練習していますが、

16号線を進む引きずり餅は普段練習できないので、始めは餅をつく、というより周りを確認しながら恐る恐る触る程度だった。


ズズズズ、西福寺の本堂から真っ直ぐ進み、山門を出ようとしていました。

その際には止まり、集中して餅をつく。

同じように行程の大事なポイントに来ては止まって、また進み始める。

(それもまた川越まつりに例えてしまうと、会所や居囃子で止まって演奏、曳っかわせをやるよう)


山門をゆっくり出ていく臼は、いよいよ重要ポイントに差し掛かりました。

高まる緊張に合わせていろんな音が交錯する。

餅をつく音、臼を引きずる音、

「気をつけて!」「もっとゆっくり行こう!」大声が飛び交う。そして次々と走り抜ける車の音。
視界がパッと開き、青空が広がりました。

同時に車が激しく行き交う16号線が目の前に現れる。


境内のタイムスリップしたかのような昔の餅つき踊りから、

16号線で一気に現実に引き戻されていく不思議な心境にいつも戸惑う。

引きずり餅と16号線という、今と昔の交錯で、より伝統行事が際立つようだった。


西福寺から菅原神社まで行くためには、

避けては通れない、国道16号線沿い。

すぐ横をビュンビュン車が走り抜けている。

「もっとゆっくりでいいよ!!」狭いガードレールの内側を

臼を引きずり、引きずりながらも餅をつき、前に進む。

人が多いので、去年より進むスピードがさらにゆっくりになっているのを感じた。

慎重に慎重に、少しずつズズズズと臼を引きずっていきます。


これはある意味、山車曳行くより大変な臼曳行です。

この重要な局面を、将来を担う中学生が担当していました。

歩道橋から見下ろす人、信号待ちの車から見つめる人、

驚きとハラハラの視線が集まる中、中学生は一心不乱に餅をつき続けました。

彼らが見ているのは目の前の餅だけ。


ついに菅原神社の前まで来ると、

菅原神社前の交差点で思い切り杵を振りかざします。
この場所で躍動する姿が頼もしい。


お寺の中でなく神社の中でなく、不特定多数の人が行き交う場で見てもらうことが、

ささやかに誇らしい気持ちになりました。

南大塚には山車はないけれど、臼と杵はある。


臼の綱を引く手に力が入ります。

保存会の方がずっと

「もっとゆっくりでいいよ!」大声を張り上げ続けている。
16号線から菅原神社に入っていきました。




社務所前で止まって、集中してつく。

西福寺から菅原神社までは距離はそんなにありませんが、

餅つき踊りの時は凄く長く感じます。


真っ直ぐ伸びる道を引きずって菅原神社内に入っていく。

綱を曳く地域の方の手に力が入ります。

神社内で止められた臼の回りで、最後の餅つき踊りが披露されました。






最後だけあって、みなさんの踊りも気力、体力全部出し切るような迫力があった。

最後まで臼と同じ高さまで腰を落としていた踊りはさすが。

アゲヅキをし、南大塚餅つき踊り、全部の工程を終えました。

これだけ激しく踊って、6人で杵を振ってついて、

怪我なく無事に終わったことがなによりです。

日頃の練習の賜物なのか、みなさん疲れた様子が見えない。

中学生たちは、「楽しかったです」と振り返っていました。


南大塚餅つき踊り保存会は熱い方が多いですが、

地域の行事を守っていくのは大変なこと。

これからも、1月成人の日前の日曜日に続いていくので、どうぞお楽しみに。。。♪




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今年も川越の南大塚が一体となる年に一度の伝統行事、

南大塚餅つき踊りの季節がやってきました。

例年、成人の日前の日曜日に開催されているものです。

会場となるのは、西武新宿線南大塚駅北口から

16号線マクドナルドがある交差点向かいにあるお寺、西福寺です。


南大塚自治会、餅つき踊り保存会の方々が朝の9時半に集まって、

席を準備し、横断幕を掲げ、小屋から臼を曳き出し、と設営を進めます。



臼に巻く注連縄は、地域でとれた稲藁を編んで作ったもの。

さがり、幣束を下げています。

この臼は、10年ほど前に川越の南通町にある「臼・横溝木工所」に特注で制作してもらったもの。
横溝さんは家庭用の臼を作ることはあっても、
餅つき踊りで使用するような巨大な臼はめったに制作しないとのこと。

これは3人がかりで持ち上げるくらいの重さです。

横溝木工所では、臼や杵以外にも、
川越まつりに欠かせない山車の車輪や軸をオーダーメイドで制作している会社で、
今はもう川越唯一の存在。
川越以外に関東各地からも注文があるそうです。


境内を見渡すと、今年も餅つき踊りを一目見ようと観客の方も早くから場所を陣取っていました。

今年も天候に恵まれ、風もなく穏やかな一日になりそう。


保存会は、この日を迎えるまでに練習を重ね、ダイナミックな踊りを披露しようとやる気満々でした。

長い人だと60年この行事に関わっている人がいるくらいなので、

体の芯まで踊りが染み込んでいる。練習では、動きを覚えるというより、確認し体を慣らしているようでした。

その練習の様子は先週伝えたばかりです。

寒さで身が凍る夜、西福寺の裏手で餅つき踊りの練習をする保存会の姿があった。

今年は地域の中学一年生が4人新たに参加するので、その奮闘ぶりもみもの。

4人は9月から毎月練習に参加するようになり、晴れの舞台に臨む。

餅つき踊りに参加することは、中学生にとって一生の思い出になるはずです。


特に今年は、メディアの取材が多数入っていて、

NHK「音の風景」が、前日のもち米を洗う音から収録に来ていたそう。

この日も臼を運ぶ音や、臼に注連縄を巻く音など、

餅つき踊りに関するさまざまな音を終始マイクで追いかけていました。

餅つき踊りという伝統行事は川越で唯一であり、

独特で目を引くものなので、毎年注目を集める行事でもあります。

かつては北足立から入間地方にかけての米作地帯に広く行われたものですが、

今では大宮市上加・桶川市上日出谷・東松山市金谷と、

ここ川越市南大塚などに残っているに過ぎません。


11時。西福寺の裏手に回ると、もち米を蒸かしている真っ最中だった。

薪の火力でせいろから轟々と湯気が立ち上がり、香ばしい香りが辺り一面に充満していました。


この日蒸かしたもち米はなんと20キロ。

5キロずつ4回に分けて餅つき踊りを行い、

ついた餅は奉納用、来場者に振る舞う用と用意します。
12時半前にこれが蒸かし上がれば、いざ餅つき踊りのスタート。

もち米は自治会の方に任せ、設営などの準備が終わった保存会の面々は、

「さあ、腹ごなしすんべ!」と
隣にある菅原神社の社務所でお昼御飯に向かいました。

今年は天気が良いこともあって、外にテーブルを並べてうどんをすすりました。



いつも美味しいうどんをここで作り、提供してくれる南大塚の駒形屋さん。
地域のお店も行事を支えてくれています。


朝早く集まって準備をし、それが一段落したらお昼を食べて、本番に臨む。
それがずっと続いてきた、南大塚餅つき踊りの流れ。
今年もいつものようにここでうどんを食べて、いつものようにここで着替えて出陣。
本番直前ということで、緊張感が漂う中
かき込むように食べている姿が印象的でした。


餅つき踊りというのは、その名の通り1つの臼を数人で囲み、踊りながらつく芸能です。
南大塚餅つき踊りは、
幕末の安政年間に始まったといわれ、
以後大正時代までは子どもの「帯解きの祝い」に行われてきました。
7歳のお祝いに、その家では「餅つき連中」に餅つき踊りを頼みます。
家の庭で餅をつきながら踊り、
菅原神社まで臼を引きずり奉納する、引きずりながらも餅をつきます。


大正末期から第二次世界大戦にかけては中断してしまいましたが、
戦後昭和30年代に再開され、その後は南大塚全体の祭りとして実施されています。
現在では、餅をつく場所が個人の家から西福寺境内に代わり、
そこから菅原神社まで引きずって、
昔ながらの形を受け継いでいます。
昭和43年には、埼玉県指定無形文化財に指定。
復活後は、成人者のお祝いに行われ、
20年くらい前までの餅つき踊りでは、成人者20~30人に紅白の餅を振舞っていたそう。


南大塚はもともと、大田村と日東村があり、二つの地名を取って大東村、

大東地区へと変遷してきました。

「昔はこの辺りは何にもなくて、350世帯くらいしかなかったんだよ」

と話す保存会の重鎮。

振り返れば、今16号線からマクドナルドへ曲がっていく道は、昔は細い砂利道で、

車もほとんど通らないような道だったんです。(大田街道)

大昔、その道を真っ直ぐ行った先の地主の家で餅つき踊りを見せ、

また真っ直ぐ臼を引き摺りながら菅原神社に戻ってくる、という行事だったのがそもそもの餅つき踊り。


現在の南大塚(一丁目~六丁目)は、3000世帯なので10倍近くまで増えたことになります。

この辺りの大東地区が盛り上がる祭典といえば、自治会が出場する体育祭がありますが、

外からの注目度という意味では、やはり、地域のメインイベントは餅つき踊りでしょう。












いよいよ準備が整いました。

社務所を出て、舞台となる西福寺に移動する保存会の人たち。

お寺の方では、すでにたくさんの方が今か今かと始まる時を待っていました。

本堂前の席には、地域の小学校六年生が20人ほど座り見守っています。

昨年も、ここで見学していた小学生が、中学生になり餅つき踊りに参加してくれるようなったので、

継承していく大事な機会です。

マイクを手にした保存会会長による挨拶が始まった。

その声を遠く耳にしながら、裏手ではついにもち米が蒸かし上がり、

熱々のもち米を急いで運んでいく。

このもち米を運び込む様子もまたみもので、数社のメディアが一斉に追いかけた。






蒸し上がったもち米を臼に入れると、

「ヤレヤレ」のはやし言葉を合図に
「目出度な目出度 目出度が3つ重なれば…」の歌が威勢よく始まる。

餅つき踊りはいくつかの工程があり、

準備としての前段階を経てから3てこ、6てこで舞い踊ります。


まずは杵を手にした6人で餅をならす工程、「ならし」からスタートです。


「目出度な目出度 目出度が3つ重なれば
庭にやな、庭や鶴亀ヤレサ五葉の松 ハアーヤレヤレ
蝶よな蝶よ花よと育てた吾が子
今日はな、今日は目出度いヤレサ神参り ハアーヤレ
戸田のな戸田の渡し場で今朝見た島田
男な、男泣かせのヤレサなげ島田」


ならしはその名の通り、臼に入れたもち米を杵でならすもの。

この後から一同で押せ、押せと練る「ねり」が続きます。

「押せよな押せ押せ下関までも 押せばな港が、なんでもちかくなる
ハア ヤレ押せそれ押せ
押せよな押せおさなきゃ行かぬ押してな気をやるななんでも筏乗り
ハア ヤレ押せそれ押せ
餅はな練れたがコネ取りやどこだ コネ取りやな勝手の方で何でもつまみ喰い
ハア ヤレ押せそれ押せ」


これで大分もち米も練られてきました。

最後に、一斉に杵を振り上げてつく「つぶし」で準備段階は終了です。

「娘島田に蝶々が止まる 止まるはずだよ コラノチョイト 花じゃもの
ハア キタコラ ドッコイショ
お前搗ききてよ、わしゃコネ取りよ、ともに仕上がるヨッコラノチョイト祝餅
ハア キタコラ ドッコイショ
坊が寝ついたスルなら今よ ソットあてろヨッコラノ、チョイト、かみそりを
ハア キタコラ ドッコイショ」


ここまでが準備として、いよいよ、3てこ、6てこでつき手が入れ替わり立ち代わりついていきます。

始めの3てこは中学生が入り、順番に、1、2、3のタイミングでついていく。
歌と踊り、二つの噛み合わせが大事です。




三、「お江戸じゃ日本橋 神奈川 川崎 戸塚 保土ヶ谷 馬入 平塚大磯 小田原
箱根を越えてな五十と三次 なかでも、とりわけ 小夜の中山
夜泣き石がな名所でござるが 十六、七なる うすら毛のぱらりと生えたる
姉ちゃん達がよ 今の流行の小河内絞りの前掛け タスキで
小松の木陰で飴で餅せるよに、せらずばなるまい せらずばなりますまいなあ!
イナハヨホ ホホーヨーホホイ、ヨーハヨーホイ、ヨホンホホホホイ、
ナーンハハハイ イナハヨー ホホホホイー」


さらに3人が加わり、ついに6テコに。

6てこの時は、向かい合う二人が同時につき、それを隣、隣と順番に行っている形。

速いスピードで餅をついていくので、熟練の技、あうんの呼吸が必要になります。

そして単につくだけでなく、
「杵ワタシ・カツイデヒトメグリ・股クグリ・餅カッキリ・ケコミ・ダマシヅキ・キネノホウリナゲ」などの
曲芸を入れて見るも楽しい舞い踊りです。

例えば、股クグリは杵を股の間を通す動作、

カツイデヒトメグリは杵を担ぐ動作、など趣向が凝らされている。

面白いのは、つくふりをして、わざと杵を空振りさせる動作もある。

臼の上を空振りさせています。


そして、餅をならす役のコネ取りが入る時はインターバルとなり、

杵の逆側で臼の中ではなく外側を叩く動作が入る。

どの工程でも動き続けるのが餅つき踊りです。

欅の木で作られた臼は、本当に良い音を響かせます。


代々伝わる型に、オリジナルで考えた技も入れ、個性が溢れる。







最後に仕舞いとなるあげづきをして終了です。


この餅つき踊りを、計4回行います。

目の前でゼーゼーと息が切れる音が聞こえ、相当ハードなことがひしひしと伝わってくる。
ついたお餅はきな粉餅として来場者の方に振る舞われました。
そして・・・
ここからがもう一つの見所、というか一番大事なところです。。。!


後編に続く。





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1月の川越の伝統行事といえば、南大塚の餅つき踊り。

今年も天候に恵まれそうで、多くの人で賑わいそうです。

今年は1月11日(日)の開催。成人の日の前の日曜日に西福寺で行われているものです。

西福寺があるのは、西武新宿線南大塚駅から16号線へ出て、

マクドナルドがある交差点のところにあります。

12時半から始まり、歌に合わせて舞い踊りながら餅をついていく。

埼玉県の無形文化財。
4回にわたって計20キロの餅をつきます。

ついた餅は菅原神社に奉納され、また、見学される方に振る舞われます。


餅つき踊りが始まったのは江戸時代後期。

もともとは毎年11月15日、地域の家の子の帯解き(七五三)のお祝いのために、

その家の前で歌い踊りながら餅をついていた。

当時は餅をついたあと、臼に綱を巻いて菅原神社まで曳きずっていって奉納していました。

そのお餅は、セッタイモチとも、ヒキズリモチとも呼ばれます。


餅をつく臼も杵も事前に清めたもので、大人数で家までやって来て餅つき踊りで祝ってくれる、

それは当時の一大イベントでもあり、親は子ども成長を実感し、

また、子どもはお餅を楽しみにしていたことでしょう。

地域にとっての賑やかで神聖なお祭でありました。

一時期途絶えた時期もありましたが、地域の方を中心にして餅つき踊り保存会が発足し、

練習を積んで毎年披露しています。


復活させてからは地域の成人者のお祝いとして行うようになり、
現在の保存会会長も、
「自分たちの成人の日にも、ここで餅つき踊りを見せてもらってご馳走も出てたんだよ」
と話します。
昔は各地域で成人者をお祝いするのが当たり前でしたが、

今の川越は川越総合運動公園でまとめて成人式を行うようになり、
成人の日に地域の氏神様にお詣りすることもほとんどなくなりました。
同時に、南大塚でも成人者に餅つき踊りで祝うことも見られなくなっていった。


現在の餅つき踊りの形は、家の前で餅をつく場面や成人者に見せる光景は見られませんが、

まず西福寺で餅つき踊りを披露したのち、

隣にある菅原神社まで臼を曳きずって、曳きずりながらも餅をつき続け奉納します。

16号線沿いを臼を曳きずりながらも餅をつく光景は、ハラハラしながらも圧巻。

毎年、餅つき踊り保存会、自治会が一体となり、南大塚を挙げての地域の行事です。


そして、いよいよ本番まであと数日となり、気合の入る保存会の面々。
西福寺、19時。

本番会場となる西福寺の裏手が餅つき踊りのいつもの練習場所。
本番前最後の練習には、会のメンバーが10人ほど集まっていた。
寒さで手がかじかむ中、薪でお湯が沸かされ、せいろでもち米を蒸かしています。


毎月のように重ねてきた餅つき踊りの練習、

普段は臼の中に藁を敷き詰めて練習していますが、この日は最後の練習ということで、

実際にもち米を蒸かしての実践練習を行います。


保存会には地域の方が中心となって参加していて、

中学生に何十年と守り続けている方まで、幅広い年代で集まっています。

ちなみに、春と秋に南大塚を代表するイベントを開催している

栗原造園 」の栗原さんも保存会の一員として参加しています。

南大塚といえばさつま芋畑。さつま芋農園の荒幡さんや、

南大塚駅前にある和菓子店のふじ乃さんも保存会に加わっていて、伝統行事を支えています。

親子3代でこの行事に参加している家族もいて、

そこに新しい息吹として今年から初参加の方もいました。


保存会の活動は、1月の餅つき踊りだけでなく、他の地域の行事に呼ばれて披露することもあり、

あさひ幼稚園で行うのは毎年恒例となっていて、

2014年秋の大東市民センターの竣工式典でも披露しました。



せいろから湯気がぼうぼうと吹き上がってきました。さすがに薪の火力は強い。

湯気の温もりで手が温まります。

30分くらいで香ばしい香りが辺りに広がり始め、「よし、そろそろいいんじゃないか!」と

蒸し上がったもち米を臼の中に急いで移します。

寒い夜でしたが、火と湯気で一面ほんのり温かくなってきました。



餅つき踊りの臼は、長年使用している餅つき踊り専用のもの。

最大で6人一斉につくため、通常の餅つきで見られるものよりも数倍の大きさがあります。

それに杵の形が特徴的で、柄の長さが極端に短い。

これは軽快に踊りやすくするためで、長いと隣の人とぶつかってしまう。

普通の餅つきのものとは違って、全てが餅つき踊り仕様となっています。

6人が一斉に1つの臼の餅をつくなんて、簡単なことではないし、練習を積んでこそできること。

保存会の皆さんは長年続けてこられて、その息の合った餅つきは、まさにあうんの呼吸。

(ちなみに、『昔取った杵柄』ということわざは、

若い頃に身につけた餅をつく腕前は、年を取っても体が覚えているため衰えないことから)

そして餅をついたあと、消耗した体力を振り絞って臼を曳きずっていくので、

想像以上にハードな行事です。


小屋の中に置かれた臼にもち米を入れると、

「ヤーレ!ヤーレ!」と歌が始まり、静かな夜に活気が生まれる。

臼の周りを取り囲んだ人たちがもち米をならし、ゆっくり回りながら練り、杵でもち米を力強くつぶしていきます。

それがネリという工程。





ネリの後ツブシが終わると、3人、6人が杵を振り上げてつき、

それぞれタイミングを外して舞い踊りながらついていく。

さらに途切れさせずに人が入れ替わっていくので、その様子は華麗。

流れるような動きに、まさに伝統芸と惚れ惚れします。

臼から上がるもち米の湯気に、ぜぇぜぇと漏れる白い息、

餅をついているうちに、うっすら汗ばんでいるつき手たちです。


今回は特に地域の中学生4人が加わるので、その勇姿もみものです。
4人は始めは練習に見学に来ただけでしたが、
「やってみようかな」と2014年9月から練習に参加するようになりました。
もう一通りの踊りは覚え、その姿に保存会会長も
「中学生はみんな覚えが早いよ。何回か来て形は覚えたよ」
と目を細めていました。

餅つき踊りはダイナミックな舞いだけでなく、繊細な動きも注目です。

杵の逆側で臼をカン、カンと叩く静かな舞いもあって、その緩急が楽しい。








餅がつき終わるとテーブルに運び、きな粉とからみ餅を作って取り分けていきました。

これをメンバーで食べて、本番への決起としました。

中学生たちも、自分が参加して出来た餅を「美味しい!」と言って食べています。

1人2人ではなく、6人のつき手でつかれたお餅は、なかなか食べられるものではありません。

一皿頂きましたが、最高に美味しかったです。







今年も無事に開催されますように。。。

南大塚の大事な伝統行事、南大塚餅つき踊り。

1月11日(日)西福寺にて12時半から。

セッタイモチをどうぞ味わってください♪


改めて思うのは、地域で昔から続く行事の大切さ。

餅つき踊りのような行事を通して、

地域の繋がりを確認でき、いろんな年代での交流が生まれる。

今の南大塚は、駅周辺にマンションが立ち並び、新興住宅地が増え、道路も拡張し、と

どんどん風景が変わってきていますが、実はとても歴史のある地域でもあります。

16号線から北、川越南高校周辺含めた大東地区は、田んぼや畑が広がる川越の懐かしい風景の宝庫。


先日の福原地区元旦マラソンの時に、

今年は福原地区のことをもっと掘り下げていきたいと思い、

さらに南大塚を中心とした大東地区も魅力がたくさんあるので、

この地区ももっと来たい。川越市内のいろんな地区のことを発信していきたいと思います。


南大塚には、囃子連はありますが、川越まつりの山車はない。

だから不定期で市の山車に乗って演奏している形です。

山車はないけれど自分たちには餅つき踊りがある。

そういう自負は地域の方みなさん持っているし、

南大塚の象徴として残していかなければという使命感を持っている。


川越の中で伝統行事を守っている方は、

そういう気持ちを持っているのではないかと思います。
街の中心部には、山車を親子何代で守ってる話は聞きますが、

ここは川越の外れだけれど、地域の行事を親子3代で守ってる家族がいる。

どちらも変わりなく誇れるものだと思います。

当日の勇姿も楽しみにしています♪


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