「川越style」

webマガジン川越styleは、「小江戸川越」のお店や人、イベント、行事、風景、文化、川越の熱い動きを伝える川越で最も有名な情報サイトです。丁寧な取材に基づく記事、川越の一大叙事詩、川越を深く伝え尽くす。過去記事もぜひどうぞ。


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浮島神社を出た一行は、喜多院にある松平大和守家廟所を参拝し、

川越藩主松平斉典公の墓前に、

これから出陣する旨を報告し無事行列が終わるよう見守って下さるようお願いした。

それから仙波東照宮へ移動して、行列の中の限られた者だけが階段を上がり、

厳粛に出陣前の儀式「三献の儀」を執り行いました。


家康公ゆかりの仙波東照宮を前にして、現代の家康公も少々緊張した面持ちでした。

儀式を済ませた一行は、静かに歩を進め、いよいよ本川越駅へと到着しようとしていました。
これから始まる。。。駅周辺の建物が遠くに見えてくると、一行の表情はさらに引き締まり、

目付き、姿勢がまるで別人のように変わっていった。気持ちがどんどん没入していき、

江戸時代の空気を漂わせながら、一歩進むごとに濃厚さを増し、

川越にとって大事な行事を始める決意をみなぎらせていました。

2015年7月26日(日)、川越百万灯夏まつり最終日。
恒例となっている川越藩火縄銃鉄砲隊演武は、

川越では3月の小江戸川越春まつり以来の登場となりました。
行列はここ本川越駅で演武を行って出発し、真っ直ぐ北に進みながら各所で演武を披露し

一番街の川越まつり会館まで行くという行程。
お祭りに来場された方にとっては本川越駅がスタートとして見ていた行列も、
実はその前に喜多院と仙波東照宮を参拝していたことは特に記しておきたいこと。
川越百万灯夏まつりは、その昔

川越藩主松平斉典の生前の功徳を称え、七夕の日に軒先に提灯を下げていたという話しを、

現代に復活させ、現代的に解釈して始まったのが始まりといわれています。
なので、川越藩の鉄砲隊が主君をお参りするという意味だけでなく、本質を大事にするためにも、

この日に斉典公の墓をお参りするのは川越人にとって自然なことでもあります。
事実、墓前には花々や酒が多く供えられていました。
加えて今年は川越にとっても特別な節目の年であり、
例年以上に鉄砲隊演武も力が入っていました。


春まつりは全員甲冑に身を包み、男だけのまさに行軍パレードという様相でしたが、


(春まつりでは川越城を参拝してから市街地に向かいました)


夏まつりは女性も含め華やかな着物を着て行列するという大名行列で、
その年ごとにテーマが変わります。
昨年の川越百万灯夏まつりの行列は、
江戸時代に溜池山王にあった川越藩の上屋敷から江戸城へ将軍謁見の行列を再現したものでした。

(2014年7月川越百万灯夏まつりより。着物姿が特徴的な夏の行列)

装いの違いを見てください。

鉄砲隊の演武自体は春も夏も変わりませんが、また、

やはり演武が最も注文される部分でありつつも、この行列の変化は見て欲しいところです。
鉄砲隊の寺田会長も本物を再現したいと、行列には特に情熱を注いでいます。
鉄砲隊演武は日頃から練習を積んだ者が行っていますが、行列は市民参加を受け入れていて、
市民一体となって全体を作り上げているものといえます。
行列の中には、お馴染みとなった川越のミュージシャン、TAKE COLORSのケンヤさん。

(ケンヤ ナンツカ降臨祭LIVEin案山子より http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11994645824.html


他にも、カゴ&帽子と雑貨のお店「KIKONO」の旦那さん。

(KIKONO http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12011070379.html

さらに若手ミュージシャン、川越商業経営研究所、川越市青少年相談員、大学生、

また、寺田会長も関わっている茶あそび彩茶会で繋がった人など初参加も多く

集まったのは総勢50人。

(2015年6月14日「第五回茶あそび彩茶会」では、

陽気づくめ川越教会にて甲冑茶席でもてなす寺田会長)


そして、今年の行列のテーマは「徳川家康公の鷹狩り行列」。
今年は徳川家康公没後400年目という節目の年を迎え、
川越で長く鉄砲隊演武が続けられている中でも鉄砲隊史上初、

徳川家康の鷹狩り行列を再現したものとなりました。
なので行列の中心にいる今回の主役は川越藩主ではなく、徳川家康です。

川越の徳川家との繋がりは、家康の次男の結城秀康の流れに川越藩主、松平大和守家があり、

喜多院には松平大和守家五代のお墓が現存します。
だから鉄砲隊ののぼり旗には徳川家の三つ葉葵紋が刻印されているのです。
大和守家は川越城主の中でも最も格が高く、また、最も長く続いた家で100年続きました。
幕末にペリー来航時にお台場を守ったのも大和守で、
よく見るペリー来航の錦絵に描かれている葵紋の旗が、まさに松平大和守家のものです。

今年は家康の没後400年目ということで、全国の家康ゆかりの地では

イベントが多数開催されていますが、
ここ川越の最大の400年祭はこの行列になりそうです。
次は100年後、、、と考えたら、
川越で家康の鷹狩り行列を再現するのはこれが最初で最後になるかもしれません。

家康が亡くなったのは、1616年4月17日。
そして、家康が川越に鷹狩りに来たのは、亡くなるわずか半年ほど前のことで、

1615年11月から12月といわれています。慎重の上にも慎重を期す家康が寝泊まりしていたのはもちろん川越城内です。
鷹狩りというのは、狩場で鷹を放し、飛び立った鷹は獲物を見つけ出すと

鳴き声や羽ばたきで場所を知らせる、
それを目印に駆けつけて弓で獲物を射るというもの。
鷹狩りの場所は記録に残さなかった家康ですが、
おそらく今の落合橋(当時は防衛上橋は架かっていません)を渡った辺りで鷹を離し、

シカやイノシン、ウサギなどを捕っていただろうとのこと。
家康の鷹狩りに同行したのは江戸から引き連れた300人に加え、川越藩も300人ほど警護が出て

600人規模だったと言われています。
当時の川越藩主は二代目酒井忠利。
(本来の鉄砲隊の行列では川越藩主が主役ですが、今回は酒井忠利は家康のお付きとして参加します)
捕った獲物はすぐさま連れてきた料理人にその場で調理させ、

同行させたお坊さんにお茶を点てさせて、陣幕を張り、
草原の上で豪勢で盛大な野点を楽しんでいた。鷹狩りは当時大名にとって格式あるもので、最大の娯楽でありスポーツでもありました。

ちなみに、家康が川越に来た同年1615年は、

大坂夏の陣があったばかりで家康も出陣しています。
最晩年といいつつ夏の陣終結から数ヶ月後に駿府城から江戸へ来て、

川越に鷹狩りに遊びに来ているという精力ぶりに驚かされます。

川越街道の道中、夏の陣の激戦の記憶が頭にこびりついていたか、

はたまた、鷹狩りの期待に胸躍らせていたのか。
初雁城(川越城)では、シベリアから伊佐沼へ飛来してきた雁を眺めて目を細めていたかもしれません。


鷹狩り行列では、本物を再現するために
当時の陣容、当時の服装で、
さらに刀の鞘は熊の毛(本物)で覆うなどディテールにこだわっています。
毛で覆うのは狩りの最中に鞘を傷付けないためでした。
なぜ熊かというと、熊は自然界の頂点の生物として考えられていて、

戦場で大将の位置を周りに知らせる「馬印」にも、熊の毛が大量に使われています。


鷹狩りの装いは、川越の人にとっては実は普段から馴染みあるものだと思います。
現川越市役所前にある太田道灌像を目にしたことはあるでしょうか。
あの装いがまさに鷹狩りで、
太田道灌像を建造する際に鷹狩りの装いをさせたことに、川越と鷹狩りの根深さが伝わってきます。


行列の真ん中にいるのが今回の主役。
徳川家康役は川越商工会議所の方、
家康の家来の堀田正信は小江戸川越観光協会副会長、
川越藩主の酒井忠利は川越市教育長、
それに弓持や鷹匠と行列は続きます。
鷹狩りで鷹を放すのは5、6羽ほど。
つまり、上記のような身分の高い者しかできなかったのです。

今回の鷹狩り行列で使用するタカとオオワシは、

発泡スチロールアートでお馴染みのヤジマキミオさんに特別に制作してもらったもの。

巨大アートも迫力ありますが、このような小さいサイズの精緻な作品になると、

ヤジマさんの高い技術力がよく分かります。
全てにおいて当時の川越で行われた 家康の鷹狩り行列の様子を再現しているので、
ぜひ川越で最初で最後になるであろう行列を多くの方に見てもらいたいと願っていました。


ちなみに鉄砲隊の寺田会長は今年、家康公の命日である4月17日に、

川越市民会館大ホールにて「川越能」を主催していました。

400年祭に並々ならぬ熱意を注いでいた会長の、

総決算ともいえるものがこの鷹狩り行列でありました。


川越の一番街は古い町並みとして知られていますが、そこにあるのは明治時代の建物。

蔵造りの建物が川越人のアイデンティティーになっていますが、

いやしかし、川越にはもっと古くからの歴史があり、

特に江戸時代を振り返らないと川越の本当の価値が分からない。

江戸時代の川越をフィーチャーし、川越藩の鉄砲隊演武を続けてきた一同。

以前と比べたらだんだんと街の意識も変わってきたように感じます。


本川越駅に着いた行列は、

演武する場の邪気を払う砲術、礼射演武を行う。寺田会長が
「まず始めにこの場の邪気を祓い、
川越百万灯夏まつりの盛況とこの場に参集せし方々のご多幸を合わせ祈り

礼射の儀を行う。礼射」

と口上を述べ礼射演武が行われることにより、家康公の鷹狩り行列が始まりました。


本川越駅を出発した一行は、ゆっくりと北上を始める。
演武の場所と時間の予定は以下のようになっていました。
15:40 本川越駅交差点
16:00 連雀町交差点
16:15 中央通り
16:50 一番街 埼玉りそな銀行前
17:10 一番街 川越まつり会館前







春まつりの時は、暑くて大変だったと言ってもまだ気温は20度くらいで、

この夏まつりは35度以上になっている中、誰も表情には出しませんが、この厚着は本当に大変でした。

ただ、鷹狩りというのは本来は真冬に行うものなので実際にはもっと厚着だったのです。

若干軽装となっていても、よく見てもらうと分かったかと思いますが、
厚着の上に動物の毛で作ったまるでダウンジャケットのような防寒具を身に付けている者もいました。
みんな根性と忍耐だけで乗り切りました。

なんとか川越にとって大事な400年祭を無事に終わらせたい、

「川越という街の先祖供養」のようなこの行列を成功させようと必死でした。


火縄銃の撃ち方は、

三段撃ち(1番隊→2番隊→3番隊と撃つ砲術)、
逆三段(3番隊→2番隊→1番隊と撃つ砲術)、
つるべ(1番隊銃士の鉄砲組頭から順に1名ずつ撃つ砲術)

と趣向を凝らして魅せています。

現代の火縄銃は空砲ではありますが火薬を詰めて引き金を引いている。

仮に銃口に鉛の弾を込めたら、もう戦国の世そのものです。
藩の石高により鉄砲の所持数が決められていた江戸時代は、

川越藩は1000丁ほどは所持・管理していただろうとのこと。


江戸の初期の頃はまだ戦国時代のムードが残り騒乱としていた。
お城が残る地域で鉄砲隊が復元される例は多く、

彦根城、名古屋城、熊本城、静岡城、岡山城などでも鉄砲隊演武は行われています。
中でも20年前から続けている川越は最古参。

他の地域の鉄砲隊演武は、一ヵ所、その場で留まって撃つのがほとんどですが、
街の中を歩きながら五ヵ所で撃つなんていう快挙は、全国で川越だけです。










そして、鉄砲隊が実は位はそんなに高くないことをご存知でしょうか。
春まつりでも夏まつりでも鉄砲隊演武では火縄銃の射撃が一番の華で見所ですが、
行列で歩く時は最後尾につき、演武を披露する場所で止まると、

先頭に歩み出て射撃を行うという形をとります。
演武が終われば鉄砲隊はその場に佇み、

行列を先に行かせてから自分たちはその後ろについてまた歩き始める。
これはどのヵ所でも同じ手順を踏んでいます。


こうしたことからも、演武だけでなく行列もじっくり見てもらいたいという思いがありました。
幸いにも、最近の火縄銃鉄砲隊演武は沿道で本当にたくさんの方が見ていることを感じます。
以前であれば、歩いている最中に途中沿道の人が途切れることもあったのですが、
最近の行列は最初から最後まで人が途切れません。
表情を変えず真っ直ぐ前だけを見て歩いていても、
実は周囲の様子は意外にも分かり、沿道の熱気は伝わってきます。
鉄砲隊の演武が始まろうとするとそちらに人がどどっと移動していきますが、
演武が終了して行列が歩んでいく時のたくさんの視線が注がれるところから、
行列を見ようとしてくれているのを感じます。

主役は家康公で、最も注目される存在ですが、

でも行列は上から下まで全ての身分が揃って初めて、本物の行列を再現できるんです。

下の身分の役であっても、役を全うしようと歩いていた人がいることを

ちらっと覚えておいて貰えると嬉しいです。
川越百万灯夏まつりの川越藩火縄銃鉄砲隊演武、
今年は最初で最後であろう徳川家康の鷹狩り行列を無事に終わらせることができました。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



最後に。恒例ともなっている?行列のメイキングです。
15時40分から本川越駅から始まった演武も、
浮島神社に集合したのは11時。そこからずっと夕方まで着物を着ていたんです。
感情を表に出さず役になりきって歩いていた人たちも、
みんな川越愛溢れる気さくな人たち。
そして、今回の鷹狩り行列の意味を噛み締めていつも以上に気合いが入っていました。
行列ではじっくり見られなかったかもしれませんが、鷹狩りの装いはどういうものだったのか、ぜひ写真で確かめてください。これはもう川越では見られない永久保存版の装いです。














川越藩火縄銃鉄砲隊演武、
川越では次回は2016年3月、小江戸川越春まつりのオープニングイベントに登場します。
どうぞお楽しみに。




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2015年3月28日(土)から始まった「第26回 小江戸川越春まつり」、

これから5月5日(火・祝)まで川越はさまざまな催しの予定が目白押しとなっています。

「小江戸川越春まつりの主な催し予定」

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12006330974.html

春まつりの初日、3月28日にはオープニングイベントが開催され、

一番街を中心として歩行者天国になった通りでは、

開会式典・テープカット(11:00~、蓮馨寺山門前交差点)、
川越藩火縄銃鉄砲隊演武、

川越鳶組合梯子乗り、

民踊流し、

マーチングバンド、
ラジオぽてと(USTREAM)、

小江戸茶屋(蔵造りの町並み)、
露店(蓮馨寺/川越熊野神社境内)、

和太鼓演奏・大道芸(蔵造りの町並み)など

春まつりのスタートにふさわしい盛り沢山の内容が行われました。


今年のオープニングイベントは桜の開花とタイミングが合って、

街の至る所に綺麗な桜を愛でることができました。

朝から天候に恵まれ、午前中から大勢の人が開放的な一番街を歩いていた。

通りを歩いているだけで各所の催しに出会うことができ、祭らしい賑やかさ。


一方でこの日、朝から氷川神社、河越城本丸へと厳かに参拝していた一隊もあったのです。



そして、12時過ぎに市役所を出発し、一番街の北、札の辻交差点に辿り着いた一隊は、

表情を引き締めたまま、口を真一文字に締め、一番街をゆっくりと歩を進める。

鉄砲隊に気付いた方々が一斉に振り返り、カメラを向けられるのを横目に感じる。

川越まつり会館前で止まると、演武前の大事な儀式、三献の儀が始まろうとしていました。

今年も、小江戸川越春まつりで川越藩火縄銃鉄砲隊による古式砲術演武が始まります。

今や春まつりの象徴ともいえる鉄砲隊演武は、今年で20年目。

さらに今年は、徳川家康公没後400年という節目の年でもあり、

鉄砲隊演武は特に注目を集めていました。

35人、全員が本物の鎧に身を包んで気合十分に川越藩の警護に街に繰り出しました。

自分自身としても今回で5回目の参加。

また行列は、「この人は」という周囲の方に声を掛けて参加してもらったりし、初参加の方も数人いました。

この行事に参加する事は敷居が高く見えますが(しかし低くはないですが)、

川越の人に参加してもらうことで、川越に対する意識は絶対に変わるし、

自分もそうして誘ってもらって参加できるようになったので、

見るのもいいですが参加してもらいたい行事です。


そして、一度参加すると身をもってタイムスリップする魅力にとり付かれ、

継続して参加するようになるのもこの行事ならでは。

帽子&カゴの「KIKONO」の旦那さんは、すでに何度も参加してお馴染みの方。

鉄砲隊の足利遠征にも参加していました。

また、4月の川越市議会選挙に初挑戦する若手や

川越の高校生ミュージシャンにも参加してもらいました。

行列だけを見ているとそれぞれの背景は分からないと思いますが、

実は川越の多彩な顔触れで歩いている行列なんです。


ちなみに、川越で鉄砲隊演武というと、この春まつりと夏の川越百万灯夏まつりで披露していますが、

それぞれ演武のテーマが異なっています。

夏は、川越藩の上屋敷があった溜池山王から江戸城の将軍謁見のための行列を再現した

大名行列なのに対し(だから着物の人が多いんです)、

(2014年7月川越百万灯夏まつりより。着物姿が特徴的な夏の行列)


春まつりは全員鎧を着用したまさに行軍パレード。

川越藩の鉄砲隊はこうであっただろうという隊列を川越の街で再現しました。

鎧は全て本物。

歩いていて沿道から「あの鎧はレプリカ?」という声が毎回聞こえてきたりするのですが、

江戸時代の本物の鎧をみな着用し、戦国時代や江戸時代の本物の火縄銃を使用した鉄砲隊演武です。

鉄砲隊演武を再現している街は全国にありますが、ここまで本物志向は川越だけでしょう。

だからこそ、これだけの人が見に来られると思うし、

一隊として歩いている側も単に見世物とは別次元の意気込みをみな持っています。

それこそ、川越を守りに行くという意識が自然と湧き出てきます。


一番街は古い町並みとして知られていますが、明治時代の建物が軒を連ねている。

その前の江戸時代の川越を感じられる鉄砲隊演武は、またとない貴重な機会だと思います。

現代の火縄銃は空砲ではありますが火薬を詰めて引き金を引いている。

仮に銃口に鉛の弾を込めたら、もう戦国の世そのものです。
藩の石高により鉄砲の所持数が決められていた江戸時代は、

川越藩は1000丁ほどは所持・管理していただろうとのこと。


川越藩火縄銃鉄砲隊は川越では年に二回の披露ですが、

各地の祭事に招待されて演武を披露していて、

他の地域での知名度が高いことは川越の人が意外に知らない事実。


姫路城の前で演武を披露したこともあり、
川越藩の鉄砲隊がかつて馳せ参じて守ったお台場でも8年前に演武を行いました。
群馬県の赤城神社の催しに参加したのは
川越藩のお殿様が前橋藩も治めていたことがある縁から。
福島県白河市のお祭りに参加するのも
川越のお殿様が白河の地にいたことがあるからです。
どこへでもというわけではなく、川越に所縁のある街でというこだわりを大事にしていて、

白河市のお祭りは、川越藩の鉄砲隊が来るということが今はメインとなっているようなお祭りです。


鉄砲隊の寺田会長の頑ななまでの本物へのこだわりと行動力は、

2007年には一番街で

川越藩の歴代の全てのお殿様に扮装した行列を再現し、

初代から順番に並んで街の中を進むという偉業を達成。

2009年には、川越から板橋まで川越街道をなんと大名行列で踏破する行列を敢行しました。
30キロを10時間かけて歩き、川越藩一行の当時の行程を歩いた。
各地域の警察署に掛け合い、川越街道全てを歩いて行く許可をとっての行列。
会長の熱意に圧倒されます。


川越まつり会館前では、三献の儀が続いています。

戦国時代、武将は出陣するときに「三献の儀」を行いました。
用意するものは、打ち鮑(生アワビを叩いて延ばし干したもの)、勝ち栗(干しグリ)、昆布(干したコンブ)。それをそれぞれ素焼きの器に載せ、その器を白木の四角い折敷に置く。
大将は、「打ち鮑」を食べ酒を飲む、
次に「勝ち栗」を食べ酒を飲む、
最後に「昆布」を食べ酒を飲む。
意味は「敵を打ちとって、勝ち喜ぶ」ということ。


その後、演武する場の邪気を払う砲術、礼射演武へと移り、寺田さんが
「まず始めにこの場の邪気を祓い、
小江戸川越春まつりの盛況とこの場に参集せし方々のご多幸を合わせ祈り礼射の儀を行う。
礼射」

と口上を述べ礼射演武が行われることにより、川越藩火縄銃鉄砲隊の進軍が始まりました。

写真は許可を得てサイトから掲載させて頂いています。

一番街を南進していく一行。
大将を先頭に、
副大将、
大目付、
目付、
組頭、
弓、
槍、
などの役付けがあり、位の順に前から並んで進みます。

大将役は例年通り、川越商工会議所副会頭です。
初参加の人たちは緊張しながらも凛々しく歩いていて、見栄えがしていた。
緊張感があった方が良い行列になるのも事実で、結果昔のピリピリした緊張感を伝えられたと思います。












位に合わせた鎧が全部揃っているということがまた凄いこと。
そして、鉄砲隊が実は位はそんなに高くないことをご存知でしょうか。
春まつりで鉄砲隊演武では火縄銃の射撃が一番の華で見所ですが、
隊列で歩く時は後部につき、演武を披露する場所で止まると、

先頭に歩み出て射撃を行うという形をとります。
演武が終われば鉄砲隊はその場に佇み、

隊列を先に行かせてから自分たちはその後ろについてまた歩き始める。
これはどのヵ所でも同じ手順を踏んでいます。


一番街から蓮馨寺の演武、本川越駅前まで進みしばし休憩の後演武と続いていった。

この日は20度近くまで上がった陽気で、本川越駅まで来る頃には

鎧が熱を持ち汗ばんできました。手渡された水を一気に飲み干す一隊。

春まつりは本川越駅前までは歩行者天国にならないので、

車が行き交う中、交差点で演武を敢行。

ここでもそうですが、どの場所でも演武を見ようとする人たちの人だかりができていました。
歩いている最中は真っ直ぐ前を見据え、あまり左右の状況を見る事はできませんが、

例年より人が多いような印象を持ちました。

そして、カメラを向けられる数が今までよりずっと多い。

川越で20年、本物だけを再現し続け、本物の凄みが広く伝わっているのではと思います。




再び蓮馨寺前に戻り演武、仲町交差点、と各所で演武を披露していきます。

火縄銃の撃ち方は、

三段撃ち(1番隊→2番隊→3番隊と撃つ砲術)、
逆三段(3番隊→2番隊→1番隊と撃つ砲術)、
つるべ(1番隊銃士の鉄砲組頭から順に1名ずつ撃つ砲術)

と趣向を凝らして魅せています。


今回の演武では、自分が鉄砲隊で歩くきっかけを作ってくれた

志摩さんが撃ち方として初めての実戦参加。
行列の後ろから見ていましたが、見事に演武を行い大役を果たしていました。

ちなみに、火縄銃の音に沿道の方は驚かれたと思いますが、
行列している自分たちも実は驚いたりするものです。。。


江戸時代は戦らしい戦はなく、

川越藩も例外ではなく鎧や鉄砲を使用する機会はほとんどありませんでしたが、
江戸の初期の頃はまだ戦国時代のムードが残り騒乱としていた。
徳川家康の次男結城秀康の五男の松平大和守の鉄砲隊を再現したのが、川越藩火縄銃鉄砲隊。
お城が残る地域で鉄砲隊が復元される例は多く、

彦根城、名古屋城、熊本城、静岡城、岡山城などでも鉄砲隊演武は行われています。
中でも20年前から続けている川越は最古参。

他の地域の鉄砲隊演武は、一ヵ所、その場で留まって撃つのがほとんどですが、
街の中を歩きながら五ヵ所で撃つなんていう快挙は、全国で川越だけです。




再び一番街に戻り、最後の演武を魅せて市役所(河越城内)に一隊は舞い戻りました。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


ちなみに、この日の演武のための準備をしたのは市役所地下、朝の10時。

始まる前の舞台裏の様子を公開します。

朝から多くの参加者が集まり、鎧を兜、刀を身に付け、草鞋を履き、

河越城西大手門(現在の市役所前)を出発しました。

地下の控え室での準備は、初参加の人はどんな鎧を着させてもらえるんだろう、と

ドキドキワクワクの面持ちだった。

みんながみんな殿様の格好をできるわけではない、

いろんな位の人がいて、それを忠実に再現するのも本物の隊列のために必要なことなんです。






寺田会長がそれぞれの役を決め、それに合わせた鎧を着るよう指示します。
鎧は鉄でできていて、体に合わせると肩にくい込んで痛みが走る。
昔の日本人の体格だとちょうど肩のツボに当たるようになっていたということですか、
現代の人が着ると位置が違って、とにかく痛い。
鎧を着用したらここで簡単に昼御飯を食べて、いざ地上へ上がり、

川越藩の警護のため街中に向かったのでした。


次回の川越藩火縄銃鉄砲隊演武は、7月の川越百万灯夏まつりです。
夏は着物姿の華麗な大名行列となるので、楽しみにしていてください。
またいろいろな顔触れで歩きます。


「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会 獅子の会」

そして、鉄砲隊会長の寺田さんが2015年4月17日に企画しているのが、「川越能」。


今、川越の街中でポスターが貼られていますが、
徳川家康が亡くなられた4月17日に開催されるもので、

「川越で能を見てもらいたい」と日本を代表する能の一流の能楽師たちが川越にやって来ます。

11:30~(1部会場・無料)、13:30~(2部会場・有料)川越市民会館大ホール

詳細ページへ http://kawagoenou.wp.xdomain.jp/


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2014年7月27日、川越百万灯夏まつり最終日。


昼過ぎから局地的に降り始めた大雨が、

その時、ぴたりと止んで空が明るくなった。
本川越駅前交差点には、祭りに来られている人でいっぱい。
屋台が立ち並び、ステージでは音楽が演奏されていた。

祭りらしい騒然とした雰囲気の中、
静かにゆっくりと交差点に近いて行く40人の一行。
みな表情を引き締め、目線は真っ直ぐ前を見据えて、

それぞれがその者に成りきっていた。
ワラジに草履でアスファルトを進む。

本川越駅前にたどり着いて隊列を整える。

一行を目にした方は、周りを囲むようにして見守っていました。




喧騒から、固唾をのんで見守る静寂へ。


川越藩火縄銃鉄砲隊演武。
雨で予定より遅れつつも、今年も川越百万灯夏まつりに行列が帰ってきました。
最終日、祭りのクライマックスとして本川越駅前から真っ直ぐ北上し

一番街の川越まつり会館までの各所で演武を披露します。

整然と並んだ行列から鉄砲隊が前に出て、

一回目の演武を始まろうとしていました。
『いよいよ始まる。。。』観客が見つめる。

構えて、「撃てー!!」



川越の空に響いた火縄銃の銃声。

斉典(なりつね)候、聞いて頂けたでしょうか。

きっと傍で見守っていてくれたはず。
2時間半に及ぶ鉄砲隊演武の幕が開けました。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*




川越藩火縄銃鉄砲隊演武、
沿道から温かい声援ありがとうございました!

無事に終えることができました。

お祭りに来られていた方に川越藩をたっぷり感じてもらえたと思います。


演武の最中は、一同その者に成りきっているので何のリアクションもできませんでしたが、

一つひとつの声は届いていました。
ありがとうございます!


今回で3回目となった川越藩火縄銃鉄砲隊演武の参加。

今回は侍役で参加しました。


この行列に参加するのは一回一回が貴重な体験で、
川越の深いところと繋がれる感覚になります。

その中でも今回は今までとは違い

自分の隊まで持たせてもらっての参加でした。


江戸時代の川越藩の歴史を本で勉強しても、
覚えることはできても当時のことを肌で感じることは難しい。
それが、一度行列に参加しただけで、

こういうことなのか、と

当時の川越がすっと入ってくる感覚になります。


一人一人の役、並び順、役による着る物の違い、歩き方の違い、

全て当時のリアリティーを追及したものだからこそ、

今に再現したというより、タイムスリップすろような感覚になります。

特にこの前の春まつりの演武は、今まで感じたことのない感じを味わいました。
「川越を守る」という初めての体験。

小江戸川越春まつり 50人の隊列で川越城警護





毎回行列にはテーマがあります。この時は全員鎧のガチンコの行軍パレード。

戦に行く様子そのものでした。


その時によってテーマが変わりますが、

2007年には一番街で

川越藩の歴代の全てのお殿様を揃えて行列する、という快挙を達成。


他には、2009年には川越から板橋まで
川越街道を踏破する行列を敢行。
30キロを10時間かけて歩き、川越藩一行の当時の行程を歩きました。
各地域の警察署に掛け合い、川越街道全てを歩いて行く許可をとっての行列でした。

会長の熱意に圧倒されます。

群馬の赤城神社の催しに参加したこともあり、
川越藩のお殿様が前橋藩も治めていたことがある縁からです。
福島県白河市のイベントに参加するのは、

川越のお殿様が白河の地にいたことがあるから。
川越の歴史に沿って演武を行っています。



この行列に参加することは、

川越に生きる者にとってかけがえのない体験になる、
参加するたびにその思いは強くなり、

この百万灯夏まつりの演武では、ぜひいろんな方に出てもらいたいと思っていました。

川越を拠点にして活動している人たちに参加してもらうことが、

何かを感じ、受け取り、きっと大きな財産になるはず。

そう考え、鉄砲隊の会長の了承を得て誘ったのが、

まず、川越で活躍するミュージシャン、TAKE COLORSのケンヤさん。





(2013年12月鶴ヶ島ハレでのライブより)



そして、同じく川越で活躍するMUGEN LIFEの杵渕さん。

7月に蔵里でライブを行ったばかりです。

(2014年3月KOEDOアジアフェスのライブより。カホン叩いています)



川越を音楽で盛り上げる「おとまち小江戸」の運営の漢那さん。

(2014年7月クレアモールmodi前にて、HMCバンドのライブより)



そして、一番街にある帽子&籠のKIKONOの住吉さんの旦那さん。




という男4人を誘って、今回一緒に歩きました。

4人を誘ったということで、自分が隊長となり総勢5人の隊を編成しての参加でした。

今までの鉄砲隊と比べると年代若く、

全体としてまた違った雰囲気になったと思います。

ミュージシャンがこれだけ出るのは、初めてのことだったかもしれません。


川越に思い入れを持って活躍している彼らに、

いろいろ感じてもらいたいと今回の演武の意味を話したりしてきました。

祭りの由来や斉典候の話しをすると、

みんな目の色が深くなるようだった。

川越の深いところと身を持って繋がれる感覚、

自分が以前感じたことを彼らもこの時感じていたようでした。

それ以外にも、川越市の青少年相談員の方の参加。

青少年相談員というのは、

地域の子どもたちの「お兄さん、お姉さん」となり、
子どもたちの健やかな成長を助ける、青少年健全育成に貢献するボランティア活動です。

広報紙等で募った子どもたちと、
野外活動、工作、レクリエーションなどの指導を通して、ふれあいの輪を広げる、
青少年の健全育成や、市町村等が行う事業等に参加協力する、など

地域に密着した活動をしています。

という、地域の子どもたちのお兄さん、お姉さん役の大学生などにも参加してもらい、

初参加が多かった今回の行列です。


この行列は、川越に愛着を持って活動している方は、

むしろウェルカムな雰囲気があります。



本川越駅前での演武の後、

ゆっくりとまた隊列を整え、前進して行きます。

先頭で指揮を執っているのが、鉄砲隊会長です。


歩いていると、沿道の方の顔がよく見えます。
メインである鉄砲隊だけでなく、行列全体を見ようとしてくれていたのがよく分かりました。

ありがとうございます。
本川越駅前から真っ直ぐ北上し、連雀町交差点で演武披露。


隊員によるそれぞれタイミングをずらしての発砲に一斉射撃、

さまざまな演武を披露しました。

川越藩にももちろん実在した鉄砲隊、

こういう隊が川越を守っていました。


次に蓮馨寺前で披露し、一直線の通りで

30分間隔で続けていきます。




蓮馨寺のあとは、仲町交差点で行い、一番街に入っていきます。

初参加の人は、慣れない分緊張感をずっと持っていて、

それがピリッとした行列になっていました。




川越藩火縄銃鉄砲隊の演武と川越百万灯夏まつりは

深い繋がりがあります。

川越百万灯夏まつりの由来をご存知でしょうか。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


川越百万灯夏まつりの前身である川越百万灯提灯まつりの由来は、
川越城主松平大和守斉典(なりつね)候が病没した後、
三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、
「三田村家が斉典候から受けた恩義」に報いるため
翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げました。


このことがきっかけになり、町中をあげて斉典候の遺徳をしのび、
趣向をこらした見事な提灯まつりとなりました。


その後中断されていましたが、
こうした由緒ある行事と斉典候の遺徳をしのぶ語り草から
昭和32年の夏に川越商工会議所の呼びかけで復活しました。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

そして、今回の火縄銃鉄砲隊の行列の中心にいるのが、

川越藩主の松平斉典(なりつね)です。
お殿様役は、一番街にある埼玉りそな銀行の支店長様に努めて頂きました。

初めての参加、

「地域のお祭りに参加するのは大事なことだと思っています」
と話していました。
お殿様の役は、いつも地域の方を招いて参加してもらっています。
春まつりでは、川越商工会議所の副会頭様でした。
地域を巻き込んで一緒になって行う。



斉典候の行列を再現したこの一行は、
本川越駅前に行く前に、

全員で喜多院の慈恵堂裏手にある松平大和守の墓所をお参りしています。

斉典候に追悼の意を示すことを由来としたお祭りなので、

当然といえば当然の行い。
川越百万灯夏まつりの期間中、

斉典候の墓前に訪れたのはこの一行だけだったはず。
まさに川越百万灯夏まつりのルーツと繋がった行列です。




今回の行列をご覧になって、

甲冑の人もいれば、着物の人がいて、さまざまな服を着ている人がいたことに気づいたでしょうか。
明らかに春のガチガチの行軍とは雰囲気が違っていました。


この行列は、

川越藩の上屋敷があった溜池から大手町の江戸城へ、

徳川11代将軍家斉に謁見するため

3キロほどの行程を再現した行列でした。


軍事パレードとは趣を異にして、直垂(ひたたれ)という着物着ている者をはじめ、

正装しているものが多いのが今回の特徴です。







行列の並ぶ順序も着ているものも当時を再現したもの。
「これから将軍に会いに行く」
一同の表情が緊張感に覆われます。


単なる仮装行列ではなく、リアリティーを追及したものだからこそ、

見ている人もやっている本人も引き込まれていくんだと思います。

お祭の最中、本川越駅から一番街まで2キロを

鉄砲隊のために道をあけるので、

本物でないと意味がないし、斉典候にも失礼になる。



松平斉典というお殿様は一体どんな人だったんでしょうか。
川越百万灯夏まつりの由来となり、

その方を再現した行列なので、斉典候を掘り進めてみます。

川越のお殿様というと、いろんな事業を成し川越を作ったという意味で、

川越藩一の名君と呼び声高い松平信綱候がいます。
川越の町割り、新河岸川の舟運を整え、川越まつりを始めたのも信綱です。

では斉典??というと、

藩政では積極的な政策を取り行いましたが、

それ以上に、

人々の間で記憶に残るお殿様だったのかもしれません。
川越藩がもっとも石高があった、17万石の時のお殿様が斉典です。


ただ・・・この時の経緯が面白いです。


逼迫していた藩の財政、斉典は

天保11(1840)年出羽庄内への転封を願い出ます。

「もっと石高のある藩に行きたい」

きっとそう思ったんでしょう。

一度は長岡藩牧野家との三方領地替えが決定されましたが、
なんと、庄内藩農民の反対運動で、中止となります。

農民たちが、『新しい殿様なんていらない!今の殿様の方がいい!』と訴えた一揆で、

これは江戸時代全体でも非常に珍しい民衆蜂起でした。。。

斉典は転封叶わず、川越藩にいなさい、とお情けで2万石加増されて、

川越藩は17万石となりました。


なんとも劇的というか脱力してしまうような経緯で実現した

川越藩17万石。


以前、鉄砲隊寺田会長のお宅で、

「武漢(ぶかん)」という本を見せてもらったことがあります。

江戸時代の行政関係の本で、1714年発行、当時300冊作られたうちの一冊でした。

(会長は武漢を何百冊と持っていて、全国の藩のことは

教科書ではなく全て原本で把握しています。

川越藩のことは日本で一番詳しいと思います)


四つ目綴じで綴じられた古めかしい本には、

斉典の系譜が書かれていた。

徳川家康の次男秀康の五男直基の、と続いた先に

松平斉典がしっかり書かれていました。
そしてこの方が亡くなり、提灯が軒先に下げられ追悼したところから

提灯祭りが始まり、と歴史の話しが身近に感じられるようでした。



鉄砲隊演武は一番街に進み、
最後は川越まつり会館前で行い終了となりました。








この演武は鉄砲を撃つだけでなく、
川越の歴史を紐解きながらリアリティーを追及した演武です。
間近で川越のルーツを感じられる体験はそうそうないと思うので、

また次回も楽しみにしていてください!
次回、川越での披露は来年春の小江戸川越春まつりです。

ちなみに、

2014年8月31日(日)えすぽわーる伊佐沼で行われる「おとまち小江戸夏まつり」では、

鎧の着用体験を実施します。

隊員が着れないような貴重な鎧を着せてもらえるはずです(*^o^*)

お気軽にお越しください♪



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



Another storyとして。
2時間半の行列、今回は初参加の人が多かったですが、

一同最後まで役に成りきってやりきりました。
歩いている最中は表情変えず集中していましたが、

始まる前と終わった後は賑やかな雰囲気に包まれています。


そんな場面をどうぞ。。。

11:00。喜多院近くの浮島神社に集合したこの日の参加者。
社努所には所狭しと大勢の人が集まっています。


着替える前のTAKE COLORSケンヤさん。

「ドキドキワクワクです!」と楽しみにしていました。




隊列は、このようにして一人一人決められていました。








青少年相談員のメンバーをはじめ、おとまち小江戸繋がりからのメンバー合わせて♪



ケンヤさん、杵渕さん、住吉さん、似合ってますね!



お殿様のすぐ前を歩く裃(かみしも)役は女性でした。大役お疲れ様です!




直垂(ひたたれ)役の二人、お殿様のような貫禄です(*^o^*)




そして、出発前の腹ごしらえです。

会長から、歩き方の注意(侍は手を振らない、など)、

表情は崩さない、前と横との間隔を意識して歩くことなど、

一同に伝えられます。


この後、浮島神社と喜多院の斉典候の墓所をお参りし、

本川越駅に向かって、演武をスタートしました。


参加者は、ワラジが痛かったと言いつつ、

「貴重な体験でした!」と楽しそうに振り返っていて、

また次回も参加したいと言ってくれました。

興味ある方いたらぜひ。

次回の春まつりも川越を大勢で行列しましょう♪









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3月29日(土)に開催された

小江戸川越春まつりのオープニングイベント。

歩行者天国になった一番街周辺では
通りを埋め尽くすほど
たくさんの方が来られていました。


川越鳶組合によるはしご乗り、
民踊流し、
マーチングバンド、
消防音楽隊演奏、
大道芸、
和太鼓の演奏、
旧山崎家別邸でお茶席、
ラジオぽてとwith USTREAMなど
さまざまな催しが行われたイベントで、
一番の目玉だったのが川越藩火縄銃鉄砲隊獅子の会による火縄銃鉄砲隊の演武でした。









50人の隊列を組み10人ほどの鉄砲隊が
川越の各所で戦国時代と変わらない火縄銃の轟音を轟かせました!
隊員が使用、着用している火縄銃も鎧も本物。
そして、演武を行ったのが川越城そばという
本物にこだわった鉄砲隊でした。



一番街を南下しながら仲町交差点での演武で始まり、

本川越駅前、蓮馨寺前、仲町交差点、川越まつり会館、と各地で行っていきました。

沿道でたくさんの方に見守っていただき、

一堂気合の入った演武となりました!

なにより、無事に終わったよかったなというのが感想です。


この日は朝から、メンバーは緊張しつつtも

バタバタと準備に追われ迫る時間に備えました。。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



鉄砲隊が準備のため朝早く集まったのが、
市民会館向かいにある川越小学校。
校舎裏で鎧をまとって昼からの演武に備えます。

「わあ、この辺はど真ん中だな。。。」
そう呟きながら車から降り、周囲を見回す。
川越小学校があるこの辺りは
まさに川越城の真っ只中でした。


この日、鉄砲隊の演武に参加させてもらい、

生まれて初めて鎧を着て川越を歩きます、

いや、川越城内外を歩いて警護しました!


川越小学校の

すぐ東の川越高校があるところは

川越城の三の丸があったところであり、

その近くには小高い丘の上に16メートルの櫓を立てていた富士見櫓跡があります。
川越城の要衝だった場所が周囲を取り囲みます。

あとで聞いたら、川越小学校辺りは
家老屋敷が広がっていた一帯だそう。
広大な川越城、城跡は廃城令により、のちに学校などの公共施設になったところが多いです。


ここに、

川越城の精鋭鉄砲隊が黙々と準備を進めています。


鉄砲隊の鎧はその役目によって一つひとつ違っていて、
細かい道具まで一つひとつ役目によって違っていました。
当時も身分によって何を着ていいのか、付けていいのか細かく決まっていた社会。
その時代そのままに再現し、
誰がどの鎧を着るか、着ていいのか、全部決めてある徹底ぶりです。


鎧は一人で着るのは難しく、最初から最後まで全部着せてもらいました。
わら草履でさえ結び方が分かりませんでした。。。

袴に鎧に、体に何重にも重ねて着ていきますが、
それらすべてを結ぶのは、ベルトやボタンではなく、紐です。
痛いくらいにギュウギュウに縛り上げ、外れないようにしていく。
この痛みを引き受けながら
一つまた一つと体に重ねていくごとに、
これから戦いにいくんだ、大切なものを守るんだと覚悟させるようでもありました。

そう、鎧を時間を掛けて着用するのは
覚悟のための儀式でもあったと思います。

着ているだけで痛みがあり、
歩くたびにわら草履が指に食い込みます。


この日歩く隊は50人。
去年の川越百万灯夏祭りでは、鉄砲隊に川越藩の藩行列が一緒になって歩きましたが、
(藩行列は、町人や役人など川越藩を再現した行列です)
夏が華やかな行列なら、春は硬派な行軍。
今回の春まつりで歩くのは鉄砲隊だけで、純粋に戦闘員だけで歩く構成です。

着用の儀式が済むと
だんだんと町の見え方が変わってくる。
一隊は口数が減り目付きが変わっていきました。

川越城本丸御殿に馬印を取りに行き、
(うまじるしは、戦場で大将がいる場所を周囲に知らせるためのもの。
馬印の半径3メートルに大将がいました)

10時には川越城の北にある総鎮守、川越氷川神社に

演武の無事を祈って祈願に訪れました。
腹ごしらえが済んでから、川越城を西に移動し、

一隊は城内の西大手門に終結、現在の川越市役所前の交差点です。


ここからいよいよ城を出て町へ行軍します。

市役所の交差点から城を出ると
緊張感から表情が変わります。
もちろん今は平和な町並みですが、
当時の鉄砲隊員の気持ちが手に取るように分かるようです。

城を出るというのは、それだけの緊張感だったと思います。



50人の鎧を着た一隊が歩く光景は壮観だと思います。
通りすぎる方々が立ち止まり、カメラを向けてくれます。
手を振ったりとなんの反応も返せませんでしたが、
なんだか気持ちいい体験でもあります(*^^*)

札の辻から一番街に曲がり、
まつり会館で出陣式を終えた後、

一直線に進みながら
川越藩火縄銃鉄砲隊の演武が始まりました。。。!














今年の春まつりは天候に恵まれ、

沿道はたくさんの人で埋まりました。

3月29日の春まつりオープニングイベントの目玉が、

復活し19年目になる川越藩の鉄砲隊演武でした。


蔵の町並みに、鎧姿の一隊はよく映えます。

町並みだけでも風情ありますが、

鉄砲隊とあわせてタイムスリップ感がさらに増したのではないでしょうか♪


川越藩にも鉄砲隊はもちろん存在し、
鉄砲や鎧は石高によって数が決められ、

普段は武器庫で厳重に管理されていたそうです。

管理が行き届いていないと遠島(島流し)にもなったというくらい、

銃の取り扱いは厳しかった。
一大事があれば川越から大勢が駆け付けていた。
お台場の警護にも参じていたし、
ペリーの黒船来航時には、川越藩の鉄砲隊も浦賀に駆け付けました。


島原の乱にも川越藩から馳せ参じ、

鎮圧し帰ってきてからの中原町に今に伝わる伝説もあります。


今回の火縄銃の演武は、今の時代でいう軍事パレード。
見せる目的でありつつ、川越城の警護という意識も鉄砲隊員の意識にはあります。


使用している火縄銃は、

足軽筒(あしがるづつ)という当時大量生産された廉価なものではなく、

侍筒(さむらいづつ)と呼ばれるもので、

これは、一つひとつオーダーメイドで作られた貴重な火縄銃です。













想像を超える轟音。

音が空気を切り裂くというは

こういうことか、と実感できます。


自分は使番という役目で隊に参加し、

お殿様の後ろを守っていました。l


川越藩の鉄砲隊の行列に加わるといのは、

初めて感じることばかりでした。。。


川越を散策する、川越のお店を紹介する、川越でイベントを企画する、
川越が盛り上がるよう動いていても、
川越を守るというのは町の新しい見え方でした。
鉄砲隊を通じて川越を「身を挺して守る」、という感覚は
今まで味わったことのないものだった。。。


鎧の重み以上に、

体の芯にズシンと重いものが乗しかかるような感覚でした。


鎧は重いし、痛いし、暑い。
しかし快適・不快ではなく、これら全ては自分の身を守るためで、
鎧にある一つひとつのものに意味があって、

「なぜこの部分にこれがあるのか」

そのほとんどが自分の命を守るため、を考えられています。


ここまでして体を覆うことで、

当時の戦をより実感できました。

最初は、着る儀式を通して
なんでこんな危険なことをしていたんだろう、と

現代とのギャップに焦燥感に襲われましたが、
命と引き換えに守らなくてはならないものがいくつもあったと想いを馳せました。

それは川越城であったり、

川越のお殿様であったり、

家族であったり。
これだけの装備をするということは、それだけ命の危険があるということで、
そうまでして守ることに、
守るものの大きさを感じるようでした。


体で受け止めたズシンときた重さは、

自分たちが守るという、覚悟を決めさせるものでした。


川越城内外を鎧を着て歩くのは

そういう思いに駆られるもの。
生まれ育った川越のかつての城内外を鎧を着て歩く、

特別な気持ちにならないわけがありません。

だから一番街を歩いていても

自分たちがここを守るんだ、という初めて湧き上がる思いが溢れました。














一番街を南下し、そして北上して

西大手門(市役所)に帰還しました!


3時間に及ぶ演武は事に終了しました。。。!

貴重な体験をさせていただき、鉄砲隊の皆様、寺田会長、ありがとうございました。
川越と深いところで繋がれたような感覚です。。。





わら草履が足の親指と人差し指の間に食い込む痛みは、

一日経っても消えませんでした。
特に下半身は全体が筋肉痛。

ジンジンする痛みが、鉄砲隊の体験を思い起こさせてもくれて、
もう少し消えないでくれ、

痛みに浸るのも悪くないなと思います(*^o^*)


という3月29日のオープニングイベントが終わると、

小江戸川越春まつりは

5月6日まで催しが毎週のように続き、

賑やかな雰囲気に包まれます♪


ぜひ川越を楽しんでください。。。!







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やって来た!やって来た!

今年も彼らがやって来た!!


15:30

本川越駅前。


歩行者天国になった本川越駅前交差点は、

たくさんの人が見守ってくれています。


その間を縫って、

ゆっくり、ゆっくり、歩を進めるあの一隊がやって来た!
川越style

7月28日川越百万灯夏まつり2日目の

メインイベントと言うべき催し、

「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会」の演武が

ここ本川越駅前で、これから始まろうとしています!


今か今かと、

固唾を呑んで見守る人たち。。。


静かに、ゆっくりと、

江戸時代の川越藩の一隊が、

現代の川越の街を歩いて行きます。


川越style


全体の指揮を執るのは、

左に写る寺田図書助勝廣、鉄砲隊の寺田会長です。


そして、寺田さんの号令で・・・


まず最初の演武が始まりました。


川越style


ド迫力の鉄砲の音、感じてもらえたでしょうか。

来るぞ、と構えていても、

それ以上にびっくりする大きな音だったと思います。(-^□^-)


鉄砲隊の演武は、ここ本川越駅からスタートし、

一番街まで一直線に歩いて行って

連雀町交差点、

蓮馨寺、

埼玉りそな前、

まつり会館前で行いました。


歩くのは、火縄銃鉄砲隊の人たちと、

「川越藩行列保存会」のみなさん。

という、

二つの団体が合同で行った催しでした。


鉄砲隊にしても川越藩行列にしても、

川越藩をそのままここに再現しようというもの。

しかも、話しを聞けば聞くほど、

衣装や鉄砲など

細部にこだわった演武・行列なのでした。(-^□^-)



今回の演武の事は、事前に告知していたのもあって、

たくさんの方に見に来て頂き、写真も頂き、感謝感謝です。!

ありがとうございました。m(_ _ )m


演武に参加してると、自分では写真撮れないので、

みなさんのおかげで記録に残せます。!


なるほど~、改めて写真見てみると、

あの行列はこんな風に見えていたんですね~♪


僕の役どころとしては、

直垂(したたれ)というのを着て歩く役。

直垂を着ているのは何人かいるのですが、

黄色いのが僕。(*^o^*)
川越style

川越藩主「松平大大和守斉典」に仕える役です。

戦場に行くより、城の中で実務をやってた人でしょうか。(-^□^-)


この行列の中にいる人を見ていくと・・・

藩主の斉典役のお殿様もいて、

殿様に仕える、裃や僕のような直垂を着ている人、

藩行列の人に鉄砲隊がいる。


そう、それはまさに

川越藩の行列を再現した行軍パレードであり、

その一つの催しとして、

藩の鉄砲隊が演武を見せる、というパレードでした。


この催しは、鉄砲隊が主役のように見えるけど、

行列の主役は

あくまで川越藩主である斉典役の人なんです。


本川越に来る前に、

喜多院にある斉典のお墓に、

我々一同お参りに行ってるくらいなんですよ。!


鉄砲隊は位で言うと、実はこの中で結構下の方かも?



今日は、鉄砲隊演武に参加した模様を、

みなさんの写真を使わせてもらって伝える、という

スタイルでいきます♪


ではでは、川越藩火縄銃鉄砲隊演武、

始まり始まり~!!



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



15:30本川越演武の様子は、

な・まいや 」さんが写真に撮ってくれました。

その写真をいくつか紹介します。♪


川越style




川越style

旗を持っているのが志摩さん。

今回の演武に誘ってくれた方です。

志摩さん、写真撮ってもらって良かったですね。(笑)(*^o^*)




川越style




川越style




川越style



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



15:50

連雀町演武。


歩いていると、沿道の方が一緒に着いて来てくれるのが

嬉しかったりしました。

でも、一番注目されるのはやっぱり

鉄砲隊ですけどね。(*^o^*)
川越style

長い棒のような物を掲げているのが、

「ここに殿様がいるぞ」という印。ひかえ~ひかえ~!ですね。(*^.^*)




川越style
ぎこちなく歩く、お殿様に仕える人。。。(*^o^*)

でも心の中は江戸時代。




川越style




27日のラジオぽてとにも遊びに来てくれた原田さんから、

↓写真2枚頂きました♪

ありがとうございます。!

川越style




川越style



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



16:05

蓮馨寺演武。


沿道から伊達さんと杉田さんが声をかけてくれた♪

返事できずにすいません。(ノ_・。)

役に入っていたので。。。(笑)


「しんちゃんを撮るためにお祭りに来た」と言ってもらって、

嬉しいけど申し訳ないようなでも嬉しい。。。

ありがとうございます!

伊達さんから2枚。
川越style




川越style



杉田さんの一枚。
川越style



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



16:20

仲町交差点休憩。

ちょっと力を抜いて隊員休憩です~。!

それにしても暑い。。。

伊達さんの写真を♪

川越style




川越style


そして・・・


川越style

だ、伊達さんが殿様みたいになってます。(*^o^*)



川越style

一緒に歩いた直垂役の須賀さんも♪

黄色い人、役に入り込もうとして、

それがかえってぎこちない。(笑)


でも、鎧着て戦いに行くより、

こういう役の方が好きです。(*^o^*)



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



17:10

川越まつり会館前演武。


ここで写真に収めてくれたのは、

なんと「バウムクーヘン」のノリスケさん!


お店から出て写真撮ってくれたんですね。(-^□^-)
川越style




川越style


鉄砲から火を噴く所、ちゃんと収めてますね♪

あれはまさに爆発です。


演武見た方の中には、あの火縄銃、

形だけの銃に音だけの演武でしょ??と

思った方もいたかもしれませんが・・・

(「音が嘘っぽい」という声も聞こえましたが)

あの火縄銃は、戦国時代当時に使われた本物の火縄銃です。

それに、当時と同じ火薬を詰めて撃っています。


火縄で着火する本物の火縄銃を、

昔のやり方のままで撃ってる。

持ってみると、ズシリとかなり重いです。


撃つ時、

戦国時代と現代の使い方の違いは、

銃の先に鉛の玉を詰めているかいないか、たったそれだけ。


寺田さんは、本物にこだわる方なので、

真似ごっこみたいな事はしないです。(*^.^*)


聞けば聞くほど、

この演武って細部までこだわっていて凄いんです♪

という演武の模様でした。。。



この、川越百万灯夏まつりが始まった由来、

それは、

藩主の松平大和守斉典の霊を慰めるために始まったそう。

(親しまれたお殿様だったんでしょうね!)


なので、このお祭りの日に、

斉典のお墓にお参りし、

斉典役の人を中心にした川越藩の行列と演武を行うのは、

やっぱり

このお祭りのメインイベントだったんじゃないかなあと思います。(-^□^-)


こんなにたくさん写真載せられて嬉しいです。!

みなさん、ご協力ありがとうございました。m(_ _ )m



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



エピローグとして。。。


演武見られた方は、


「鉄砲隊の人って、一体どんな人たちなんだろう・・・?」


と、思ったりしませんでしたか?(*^o^*)

基本、喋らないよう徹底されているし、

いまいちどんな人なのか分からないかもしれません。

怖い印象も持ったかも??


鉄砲隊のみなさんは、鎧着てない時は明るい人で、

準備から楽しい雰囲気でしたよ。


実はこういう人たちなんです、と

ちょっとだけ、その舞台裏の様子を。。。


準備は、喜多院近くの

浮島稲荷神社の社務所にて行いました。



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また誘ってください。!

これからもよろしくお願いします♪


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