川越style「川越藩火縄銃鉄砲隊演武2015」小江戸川越春まつりオープニングイベント | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

2015年3月28日(土)から始まった「第26回 小江戸川越春まつり」、

これから5月5日(火・祝)まで川越はさまざまな催しの予定が目白押しとなっています。

「小江戸川越春まつりの主な催し予定」

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12006330974.html

春まつりの初日、3月28日にはオープニングイベントが開催され、

一番街を中心として歩行者天国になった通りでは、

開会式典・テープカット(11:00~、蓮馨寺山門前交差点)、
川越藩火縄銃鉄砲隊演武、

川越鳶組合梯子乗り、

民踊流し、

マーチングバンド、
ラジオぽてと(USTREAM)、

小江戸茶屋(蔵造りの町並み)、
露店(蓮馨寺/川越熊野神社境内)、

和太鼓演奏・大道芸(蔵造りの町並み)など

春まつりのスタートにふさわしい盛り沢山の内容が行われました。

 

今年のオープニングイベントは桜の開花とタイミングが合って、

 

街の至る所に綺麗な桜を愛でることができました。

朝から天候に恵まれ、午前中から大勢の人が開放的な一番街を歩いていた。

通りを歩いているだけで各所の催しに出会うことができ、祭らしい賑やかさ。

 

一方でこの日、朝から氷川神社、河越城本丸へと厳かに参拝していた一隊もあったのです。

 

 

 

 

そして、12時過ぎに市役所を出発し、一番街の北、札の辻交差点に辿り着いた一隊は、

 

表情を引き締めたまま、口を真一文字に締め、一番街をゆっくりと歩を進める。

鉄砲隊に気付いた方々が一斉に振り返り、カメラを向けられるのを横目に感じる。

川越まつり会館前で止まると、演武前の大事な儀式、三献の儀が始まろうとしていました。

今年も、小江戸川越春まつりで川越藩火縄銃鉄砲隊による古式砲術演武が始まります。

今や春まつりの象徴ともいえる鉄砲隊演武は、今年で20年目。

さらに今年は、徳川家康公没後400年という節目の年でもあり、

鉄砲隊演武は特に注目を集めていました。

35人、全員が本物の鎧に身を包んで気合十分に川越藩の警護に街に繰り出しました。

自分自身としても今回で5回目の参加。

また行列は、「この人は」という周囲の方に声を掛けて参加してもらったりし、初参加の方も数人いました。

この行事に参加する事は敷居が高く見えますが(しかし低くはないですが)、

川越の人に参加してもらうことで、川越に対する意識は絶対に変わるし、

自分もそうして誘ってもらって参加できるようになったので、

見るのもいいですが参加してもらいたい行事です。

 

そして、一度参加すると身をもってタイムスリップする魅力にとり付かれ、

 

継続して参加するようになるのもこの行事ならでは。

帽子&カゴの「KIKONO」の旦那さんは、すでに何度も参加してお馴染みの方。

鉄砲隊の足利遠征にも参加していました。

また、4月の川越市議会選挙に初挑戦する若手や

川越の高校生ミュージシャンにも参加してもらいました。

行列だけを見ているとそれぞれの背景は分からないと思いますが、

実は川越の多彩な顔触れで歩いている行列なんです。

 

ちなみに、川越で鉄砲隊演武というと、この春まつりと夏の川越百万灯夏まつりで披露していますが、

 

それぞれ演武のテーマが異なっています。

夏は、川越藩の上屋敷があった溜池山王から江戸城の将軍謁見のための行列を再現した

大名行列なのに対し(だから着物の人が多いんです)、

(2014年7月川越百万灯夏まつりより。着物姿が特徴的な夏の行列)

 

春まつりは全員鎧を着用したまさに行軍パレード。

 

川越藩の鉄砲隊はこうであっただろうという隊列を川越の街で再現しました。

鎧は全て本物。

歩いていて沿道から「あの鎧はレプリカ?」という声が毎回聞こえてきたりするのですが、

江戸時代の本物の鎧をみな着用し、戦国時代や江戸時代の本物の火縄銃を使用した鉄砲隊演武です。

鉄砲隊演武を再現している街は全国にありますが、ここまで本物志向は川越だけでしょう。

だからこそ、これだけの人が見に来られると思うし、

一隊として歩いている側も単に見世物とは別次元の意気込みをみな持っています。

それこそ、川越を守りに行くという意識が自然と湧き出てきます。

 

一番街は古い町並みとして知られていますが、明治時代の建物が軒を連ねている。

 

その前の江戸時代の川越を感じられる鉄砲隊演武は、またとない貴重な機会だと思います。

現代の火縄銃は空砲ではありますが火薬を詰めて引き金を引いている。

仮に銃口に鉛の弾を込めたら、もう戦国の世そのものです。
藩の石高により鉄砲の所持数が決められていた江戸時代は、

川越藩は1000丁ほどは所持・管理していただろうとのこと。

 

川越藩火縄銃鉄砲隊は川越では年に二回の披露ですが、

 

各地の祭事に招待されて演武を披露していて、

他の地域での知名度が高いことは川越の人が意外に知らない事実。


姫路城の前で演武を披露したこともあり、
川越藩の鉄砲隊がかつて馳せ参じて守ったお台場でも8年前に演武を行いました。
群馬県の赤城神社の催しに参加したのは
川越藩のお殿様が前橋藩も治めていたことがある縁から。
福島県白河市のお祭りに参加するのも
川越のお殿様が白河の地にいたことがあるからです。
どこへでもというわけではなく、川越に所縁のある街でというこだわりを大事にしていて、

白河市のお祭りは、川越藩の鉄砲隊が来るということが今はメインとなっているようなお祭りです。

 

鉄砲隊の寺田会長の頑ななまでの本物へのこだわりと行動力は、

 

2007年には一番街で

川越藩の歴代の全てのお殿様に扮装した行列を再現し、

初代から順番に並んで街の中を進むという偉業を達成。

2009年には、川越から板橋まで川越街道をなんと大名行列で踏破する行列を敢行しました。
30キロを10時間かけて歩き、川越藩一行の当時の行程を歩いた。
各地域の警察署に掛け合い、川越街道全てを歩いて行く許可をとっての行列。
会長の熱意に圧倒されます。

 

川越まつり会館前では、三献の儀が続いています。

 

戦国時代、武将は出陣するときに「三献の儀」を行いました。
用意するものは、打ち鮑(生アワビを叩いて延ばし干したもの)、勝ち栗(干しグリ)、昆布(干したコンブ)。それをそれぞれ素焼きの器に載せ、その器を白木の四角い折敷に置く。
大将は、「打ち鮑」を食べ酒を飲む、
次に「勝ち栗」を食べ酒を飲む、
最後に「昆布」を食べ酒を飲む。
意味は「敵を打ちとって、勝ち喜ぶ」ということ。

 

その後、演武する場の邪気を払う砲術、礼射演武へと移り、寺田さんが
「まず始めにこの場の邪気を祓い、
小江戸川越春まつりの盛況とこの場に参集せし方々のご多幸を合わせ祈り礼射の儀を行う。
礼射」

 

と口上を述べ礼射演武が行われることにより、川越藩火縄銃鉄砲隊の進軍が始まりました。

写真は許可を得てサイトから掲載させて頂いています。

一番街を南進していく一行。
大将を先頭に、
副大将、
大目付、
目付、
組頭、
弓、
槍、
などの役付けがあり、位の順に前から並んで進みます。

大将役は例年通り、川越商工会議所副会頭です。
初参加の人たちは緊張しながらも凛々しく歩いていて、見栄えがしていた。
緊張感があった方が良い行列になるのも事実で、結果昔のピリピリした緊張感を伝えられたと思います。





 

 

 

 

 

 





位に合わせた鎧が全部揃っているということがまた凄いこと。
そして、鉄砲隊が実は位はそんなに高くないことをご存知でしょうか。
春まつりで鉄砲隊演武では火縄銃の射撃が一番の華で見所ですが、
隊列で歩く時は後部につき、演武を披露する場所で止まると、

先頭に歩み出て射撃を行うという形をとります。
演武が終われば鉄砲隊はその場に佇み、

隊列を先に行かせてから自分たちはその後ろについてまた歩き始める。
これはどのヵ所でも同じ手順を踏んでいます。

 

一番街から蓮馨寺の演武、本川越駅前まで進みしばし休憩の後演武と続いていった。

 

この日は20度近くまで上がった陽気で、本川越駅まで来る頃には

鎧が熱を持ち汗ばんできました。手渡された水を一気に飲み干す一隊。

春まつりは本川越駅前までは歩行者天国にならないので、

車が行き交う中、交差点で演武を敢行。

ここでもそうですが、どの場所でも演武を見ようとする人たちの人だかりができていました。
歩いている最中は真っ直ぐ前を見据え、あまり左右の状況を見る事はできませんが、

例年より人が多いような印象を持ちました。

そして、カメラを向けられる数が今までよりずっと多い。

川越で20年、本物だけを再現し続け、本物の凄みが広く伝わっているのではと思います。



 

再び蓮馨寺前に戻り演武、仲町交差点、と各所で演武を披露していきます。

 

火縄銃の撃ち方は、

三段撃ち(1番隊→2番隊→3番隊と撃つ砲術)、
逆三段(3番隊→2番隊→1番隊と撃つ砲術)、
つるべ(1番隊銃士の鉄砲組頭から順に1名ずつ撃つ砲術)

と趣向を凝らして魅せています。


今回の演武では、自分が鉄砲隊で歩くきっかけを作ってくれた

志摩さんが撃ち方として初めての実戦参加。
行列の後ろから見ていましたが、見事に演武を行い大役を果たしていました。

ちなみに、火縄銃の音に沿道の方は驚かれたと思いますが、
行列している自分たちも実は驚いたりするものです。。。

 

江戸時代は戦らしい戦はなく、

 

川越藩も例外ではなく鎧や鉄砲を使用する機会はほとんどありませんでしたが、
江戸の初期の頃はまだ戦国時代のムードが残り騒乱としていた。
徳川家康の次男結城秀康の五男の松平大和守の鉄砲隊を再現したのが、川越藩火縄銃鉄砲隊。
お城が残る地域で鉄砲隊が復元される例は多く、

彦根城、名古屋城、熊本城、静岡城、岡山城などでも鉄砲隊演武は行われています。
中でも20年前から続けている川越は最古参。

他の地域の鉄砲隊演武は、一ヵ所、その場で留まって撃つのがほとんどですが、
街の中を歩きながら五ヵ所で撃つなんていう快挙は、全国で川越だけです。


 


再び一番街に戻り、最後の演武を魅せて市役所(河越城内)に一隊は舞い戻りました。

 

 

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

 

 

ちなみに、この日の演武のための準備をしたのは市役所地下、朝の10時。

 

始まる前の舞台裏の様子を公開します。

朝から多くの参加者が集まり、鎧を兜、刀を身に付け、草鞋を履き、

河越城西大手門(現在の市役所前)を出発しました。

地下の控え室での準備は、初参加の人はどんな鎧を着させてもらえるんだろう、と

ドキドキワクワクの面持ちだった。

みんながみんな殿様の格好をできるわけではない、

いろんな位の人がいて、それを忠実に再現するのも本物の隊列のために必要なことなんです。


 

 




寺田会長がそれぞれの役を決め、それに合わせた鎧を着るよう指示します。
鎧は鉄でできていて、体に合わせると肩にくい込んで痛みが走る。
昔の日本人の体格だとちょうど肩のツボに当たるようになっていたということですか、
現代の人が着ると位置が違って、とにかく痛い。
鎧を着用したらここで簡単に昼御飯を食べて、いざ地上へ上がり、

川越藩の警護のため街中に向かったのでした。

 

次回の川越藩火縄銃鉄砲隊演武は、7月の川越百万灯夏まつりです。
夏は着物姿の華麗な大名行列となるので、楽しみにしていてください。
またいろいろな顔触れで歩きます。

 

 

「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会 獅子の会」

そして、鉄砲隊会長の寺田さんが2015年4月17日に企画しているのが、「川越能」。

 


今、川越の街中でポスターが貼られていますが、
徳川家康が亡くなられた4月17日に開催されるもので、

「川越で能を見てもらいたい」と日本を代表する能の一流の能楽師たちが川越にやって来ます。

11:30~(1部会場・無料)、13:30~(2部会場・有料)川越市民会館大ホール

詳細ページへ http://kawagoenou.wp.xdomain.jp/

 

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