午前の部「川越まつり」町内曳き連雀町道灌の山車2016年10月16日 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

平成28年10月15日、16日に開催された川越まつりは、

川越氷川祭として14日に氷川神社の例大祭が執り行なわれ、

15日に神幸祭、川越まつりの初日山車行事、

そして10月16日には、山車行事の最終日が行われようとしていた。

昨年の13台の山車の参加から、今年は23台の参加と大幅に増え、

いやが上にも川越中の期待が高鳴り、盛り上がることは必至だった。

初日の山車行事も熱気に包まれ、いよいよ祭りが最高潮となる日を迎える。

16日は朝から青空が広がり、祭礼にまつわる全ての催しが天候に恵まれた今年の祭り。


 



朝の9時、初日の熱狂の残滓がまだ街の至るところに見られる中、

さあ、これから最終日の川越まつりを始めようと連雀町の道灌の会所には、

揃いの祭り装束に身を包んだ祭り人達が集結し始めていた。

おはようございます、今日はよろしくお願いします、

顔を合わせてあちこちで挨拶が交わされ、中には久しぶりの再会に嬌声が上がったりする。

ここには道灌の山車で繋ぎ合わされたコミュニティが在り、道灌の山車を曳く運命共同体なのだ。

連雀町の太田道灌の山車は、初日は熊野神社会所前に留め置いた一日で、

神幸祭に山車参加した後は、宵山、居囃子で観衆を魅了。

川越まつりに参加する町内で、毎年山車参加をしている町内は少ない。

連雀町は毎年山車を出している貴重な町内で、その代わり山車曳行は最終日のみとなっているのが通例。

初日、目の前を通り過ぎて行く他町の活気ある山車曳行を眺めながら、

祝いながらも明日こそは自分たちも・・・と内に秘めていた連雀町だった。

そしてうずうずしたエネルギーをついに発散させる時が来たのだ。

川越まつりはなんと言っても山車曳行が最大の見せ場であり、華。

「この日のために一年間があった」

「この日のために生きているのようなもの」と興奮気味に話す連々会の面々。

やる気みなぎる町衆に、それに何より、

道灌自身が早く町に繰り出したいような表情を見せていた。
 


 



 





川越まつり最終日の山車曳行の予定は、

午前の部がまず連雀町町内曳き、午後の部が他町曳きで市役所前や一番街巡行、

そして夜の部の百花繚乱の曳っかわせへと続き、町内は一日を通して山車を曳き廻して行きます。

山車曳行の予定ルートは連雀町だけでなく、全ての町内で事前に運行ルートを決めていて、

好きなところを好きなように進んでいるわけではない。また、ルートのみだけでなく、

午前の部会所出発・帰還時間、

午後の部会所出発時間・帰還時間、

夜の部会所出発・帰還時間を決めていて、それを考えながら山車全体は運行されている。

もちろん予定は予定で、予定通りに行かないのが現実の難しさ・・であり面白さ。

だから予想もしなかった時、場所で曳っかわせが起こることもあって、祭りの醍醐味がある。

今年は一体、どんなドラマが生まれるのであろう。

いや、川越人はどんなドラマを生んでくれるのだろうか。。。


連雀町会所周りに祭り人が続々と集まり、道灌の山車の前には祭壇が作られる。

交通規制が始まる20分前、9時40分に静かに始まったのが、

熊野神社宮司を祭司とした山車曳行安全祈願祭だった。

神様が降ろされた道灌の山車の前に町衆が集う。

祭りは祭礼として、熱狂だけでなく、そこに祈りが根底にあるため厳かな時間は当然ある。

厳粛の雰囲気の中、祝詞奏上に続き、

実行委員である自治会、連行事、道灌の会、職方、雀会、育成会、連々会の代表が玉串奉奠し、

町衆の山車の曳行、山車の上での囃子、山車の上・周辺の鳶、

全てに置いて無事に山車の曳行ができますようにと、一同祈りを籠める。 


最後は清めの酒で乾杯し合うと、気持ちは一つに、

みなの表情が本気の祭りモードに染まっていったのが分かる。一年間待った川越まつりが、始まるのだ。


時計の針は、道路が交通規制になる10時まであともう少し。

「あと5分」「今日は頑張りましょう」

町内の人が挨拶を交わしながら、今か今かと表情が紅潮していく。

あと4分・・・あと3分・・・、山車の出発を一目見ようと沿道に人が集まり始める。

さあ、と留め置かれた道灌の山車を下り坂になっている会所前から

職方によって一気に通りに山車が下ろされると、

連雀町内はもちろん、沿道で出発を見守っている観衆から拍手が沸き起こった。

 


自分達町内の山車が通りに出される瞬間は、やはり町内の人にとっては最高に興奮する場面。

また、坂や段差を考慮しながら山車を通りに下ろす、中に押し上げるというのは職方の職人芸で、

祭りならではの見ものの一つであります。

「さあ、綱出して!」山車に巻かれた綱を前に伸ばしていく。

青空の下道路にぴんと伸ばされていく綱は、

参加者が多いということで昨年長さを伸ばしたそうだったが、

今年はさらに参加者が多いようで、綱が足りないくらいの大人数。

綱の内側が人で埋まり、みなで綱を握り締め、その時を待つ。

山車の上や周りには職方が控え、山車の上では雀会囃子連が今か今かと待つ。

10時。出発の前に辺りの音が一瞬消える。

みなの高揚を抑えるように、鳶たちによる木遣り(きやり)が始まると、静かな声が辺りを包む。
 


川越まつりの醍醐味はと問われれば、曳っかわせと答えるのはもちろんですが、

実は川越まつりのしきたりにのっとった「山車の曳き出し」の瞬間も鳥肌を誘うもので、これも川越まつりの醍醐味です。

静かな木遣りが終わるとのタイミング合わせて、

山車の前に陣取っていた頭(かしら)が拍子木を二つ打ち、

それに続いて雀会が笛を高らかに吹かせる。出だしで舞うのは神の使いである天狐と決まっている。

天狐が舞いを始め、綱前方に居る副宰領が全体に知らせるように拍子木を叩くと、

綱を持つ人々が綱を握る手に力を込め、

「ソーレー!ソーレー!」とゆっくりとゆっくりと山車を曳いて行く。 

巨大な山車が前に進み始め、綱元の連々会の面々に緊張感が高まる。

「ソーレー!ソーレー!」の町衆の掛け声は力強さを増していき、

ついに、道灌の山車が町全体で動かし始めたのだった。

沿道からは、それは思わず凄いものを見た時の条件反射として、自然と再び拍手が沸き起こりました。


10月16日10時、これにて、熊野神社を出発した道灌の山車は、

午前の部の町内曳きが始まりました。

連雀町という町名が書き込まれた提灯を高く掲げる高張り提灯、

綱先が姿を現すと、それに続いて華やかな衣装が目を引く手古舞、

他町との調整に駆ける先触(さきぶれ)が様子を窺い、

いよいよ綱を持った人々、綱の内側にいる人々は練り歩く。

山車の曳行は綱の内側だけの世界ではない、

綱の外には警護の提灯を持った連々会の面々が沿道の観衆に注意を促し、

最も危険な山車付近の綱元には、経験豊富な祭り人が陣取り、

山車の周囲には職方がぴったりとくっ付き見守る。

そしてその間中も、山車の上では囃子も舞も途切れず続き、壮大な物語は続いていくのだ。







熊野神社を出発した連雀町は、すぐに連雀町交差点を曲がり、川越川越日高県道へ。

町内曳きのルートとしては、連雀町をまず東端へ向かい、

そこから北へ進んで北端から今度は西端まで行く、

そして南へ戻って来て熊野神社に帰って来るという行程。ぐるっとくまなく町内を一周します。

外から見る川越まつりは、夜の曳っかわせは祭りの華ですが、

その前に、祭りの内部として重要なのはこの町内曳き。

神様の依り代である山車を町内をくまなく曳いて回り、神威を行き渡らせる。これはどの町内でも同じ。

曳行では、各辻で山車を必ず停め、各方面へ山車を向けるのも祭りのしきたりだ。

川越まつり(山車行事)で最も神聖で大事なのは日中の町内曳き、この認識は祭り人はみな徹底しています。町内を山車を曳いて、地域の発展を願った後に初めて、

山車は町内を出ることができ、他町内との交流を図って、曳っかわせも生まれていくのだ。


「ソーレー!ソーレー!」と巨大な山車を大勢の人の手によって動かしていく。この壮大な人の物語。

綱の内側は地域のコミュニティになっていて、

普段から見知った人との交流、普段顔を合わせていても話す機会がない人との交流、

山車曳行はさながら、町全体が大移動しているとも言え、

共に祭り装束に身を包んで一体感は、心を一つにさせる。

町の人の心を目に見える形で一つにまとめている証しが山車の綱で、

共に曳くことで結束が生まれ、地域は強くなる。

これだけの大勢で曳いていれば速く曳くこともできるはずだが、

実際には人が歩く速度よりもずっとゆっくりの速さで進むのが山車。


道灌の山車は県道から信号を南へ、両側に屋台がひしめく細道へ入り込んでいく。

舞は天狐からもどきへ。





 


この道は道灌の山車にとって、実は難関。

もともと広くない通りに屋台がひしめき、頭上には電線が張り巡らされている。

屋台の上部を持ち上げてもらい、山車の上の鳶が電線を確認しながら、

すれすれの間隔に山車を入れ込んでいく。

頭が山車の位置、角度を気にしながら、時に拍子木を一つ小さく鳴らして山車を止めて指示を出す、

曳き手たちが思い切り山車を曳くことができるのは、冷静に状況を見定めているこうした存在があるから。

よし、それで大丈夫と決めると、拍子木を大きく二つ鳴らして合図を送る、

「ソーレー!ソーレー!」、再び町の人たちが綱を曳いて山車を進めて行った。
「ソーレー!ソーレー!」、じりっと山車を細道を進める。

午前曳きには子どもたちがたくさん参加して、それぞれ着物などを着込んで祭り人に変身し、

大きな声を出しながら力一杯に綱を曳いていた。

今年の午前の部の先触は昨年に引き続き女性が務め、高張り提灯も女性二人が担当、

女性が活躍している町内でもあるのだ。


通りの途中で頭が拍子木を打ち鳴らして全体に山車を停める合図を送ると、

綱を持った人々はすぐに歩みを止め、山車を振り返る。

拍子木の打ち方一つで町内全体が統一されて動く一体感。

止まった山車を職方が注意深く回転させて山車の正面を向ける、

午前の町内曳きでは、山車は町内を回りながら町内各所で止め、回転させて挨拶していく。

この狭さで山車を回転させるのも一つの職人技。

山車を回転させるのは、なにも曳っかわせの時だけではないのだ。

こういう場面に町内行事としての川越まつりがあり、本来の祭事の姿があるよう。

曳き手の掛け声は止み、囃子の音色が一層響き渡り、みなが見上げながら見守っている。
山車を迎える側は軒先まで出て山車を見上げ、挨拶に来てくれたことに感謝する。

連雀町という町は今はマンションも立ち並んでいますが、昔から商店が特に多い地域でもあり、

川越まつりの二日間、お店の営業でなかなか祭りに参加できないところも多い

こうして山車が挨拶に来てくれることで、祭りに参加している気持ちになる。







 


細道に入れ込んだ山車が来た道を戻るのはどうするのか??

山車は横田屋電気店まで来て挨拶を済ませると、Uターンして行くことになる。

しかし、山車で道が塞がった状態ではUターンは不可能なので、

ここで山車曳行の知恵が発揮される。綱を一旦収納して逆側に張り直し、町衆も反対側に移動する。

そして山車を回転させてから来た道を戻って行く。

山車は前にも後ろにも移動できる構造になっていて、後は回転させればいいのだ。

道灌の山車は来た道を戻り、県道を越えて今度は町内東、大正浪漫夢通りを北上して行くことになる。





ここでも通りの両側に屋台が詰まっているため、山車を入れ込む前に

「山車が通りますので屋台を上に上げてください!」と町の人が声を張り上げる。

さらに電線や信号が山車の行方を遮り、対応に時間が取られる。

この辺りではまだ山車の上には道灌の人形は出していないのはそのためで、

上空が開けた場所まで来ないと人形を出すことはできないのだ。

もともと江戸城の城門をくぐるのに役に経った伸縮自在の二重鉾台型山車は、

川越に伝播し今に残っても、現代の町の中を曳行するのに適しているのだ。

今はまだ人形は収められ、本来の姿を見せるのはあとのこと。

大正浪漫夢通りも町内難関ルートで、屋台と屋台の間を見ながら、

さらに観衆の様子を見ながら、山車を前へ進めて行く。

山車を動かすというのは、いや、単に綱を引っ張っていくというだけではなく、

山車の位置を冷静に見る職方がいて、綱の外の状況を見る警護がいてこそ、

これだけ通りを屋台や人で埋まったところを進んで行けるのだ。

囃子が響く中、大声でやり取りしながら情報を共有し、

慎重の上にも慎重を重ね、神経を張り詰めさせながら山車を進めて行く。

山車を進める段取りだけでもこれだけの労力が必要で、そしてそこには神聖さもまとう、

山車曳行は知れば知るほど人の動きが感動的。

川越まつりは山車が主役なのは疑いないところだが、まつりを作っているのはやはり、人なのだ。
 

大正浪漫夢通りでも山車は各所で止めると、正面を向けて挨拶していく。


 

山車が店の前まで来て、止まり、さらに正面を向けて囃してくれるというのは、

受ける側はどんな気持ちなのだろう。こんなに幸せ感に浸ることは他にないのではないか。。。

町内曳きでは、各辻(交差点)で停まるのも欠かせないしきたり。

辻で停まると職方は山車を左右の方向に向けて挨拶する。

それは、本当なら辻を曲がって山車を進めて挨拶に行きたいところを、

こちらからすみませんとその場で山車の方向を向けるという意味もある。

辻の先にあるお店なども、山車の方向が変えられれば囃子の音の聞こえが微妙に変化するので、

挨拶に来てくれた事が分かる。そんな風に山車のやり取りで町内のコミュニケーションをしているのだ。


大正浪漫夢通りを着々と北上する道灌の山車、

通りを慎重に進みながら、さらに曳き手の掛け声は大きくなる。山車の上では舞がおかめに。










通りを進む山車は、途中から連雀町から仲町の境界線を超えることになり、

とすると、いよいよ先触の出番だ。

仲町に入って行こうとする手前で、先触が仲町の会所に飛んで行き、

会所に居る責任者に対し、「山車を町内を通させていただきます」と

挨拶する渉り(わたり)を済ませるのも川越まつりの大事なしきたり。

相手町内の会所にて入町許可を得て初めて、山車は自町内を出て、

他町に踏み込んで行けることができるのだ。

現代的な感覚では実感できないかもしれませんが、

こういう山車曳行にまつわる一つ一つのことを、大事に守っているのが川越まつりで、

同じ作法を川越まつりに参加する全ての町内が行い、祭りの伝統は今に続いている。

時代が変わってもこの作法は絶対になくならないものなのだ。


川越商工会議所が見えてくると、前方の様子を窺っていた先触から情報がもたらされた。

「商工会議所のところに山車が停まっている」。

どうやら突き当たりのT字路のところで二台の山車が居るらしい。

それは・・・川越市の猩々の山車と元町二丁目の山王の山車だった。

さあ、そこでどうするか。

山車を間に入れ込んで合わせるのか(曳っかわせ)するのか、

相手町内の先触も連雀町に飛んで来てどうするのか確認に来る。

ここで山車運行の責任者である宰領が下した判断は・・・

「いや、ここでは合わせないので先に行ってください。その後うち(連雀町)が行きます」。

相手の二台に先に行ってもらい、空いてた後に道灌の山車を進めて行こうと判断、

その旨を先触や職方にも伝え、道灌の山車を停めて先の二台の山車が進んで行くのを待った。

午前中は町内曳きであって、主目的はあくまで町内をくまなく山車を曳いて行くこと、

他町との交流は午後の時間からで良いとしたのだった。

「また午後タイミング合ったらよろしくお願いします」と相手町内に挨拶し、

商工会議所の前が空くと道灌の山車は左折して、そのまま西へ、仲町交差点を過ぎて進んで行った。

山車が曲がる時ももちろん囃子は止まらず続いている。ここで舞はもどきからおかめが登場。
 

(後方に川越市の猩々の山車が見える)



山車が止まっても、動き出しても、動いている最中も、常に囃子は響かせている。

山車と囃子はそれが川越まつりの当たり前のようになっていますが、

山車曳行を見た人ながら、決してスムーズに動いているわけではなく、

ガタガタと揺れながら進んでいることが分かるでしょう。

その間も演奏はストップすることなく高らかに奏し続けている。

このことの大変さも川越まつりでもっと知られていい。

特に舞い手は、山車が急に止まったりすると囃子台から下に落ちそうになることもあるという。

そのために舞い手などは、後ろに命綱をつけながら舞っている意外な事実があります。


仲町交差点を過ぎると、前方に高張り提灯がうっすらと見えてきた。

他町の山車が近づいているのだ。。。!

先触が走り、相手町内の様子を確認しに行く、

その山車はどの方向に進めようとしているのか、

こちらの山車と交差するなら合わせるのか否か。

だんだんと近づいて来た山車は、元町一丁目の牛若丸の山車 だった。

今年は23台も山車が出ていることもあって、市内各所で山車と遭遇する率が高い。

ここでも連雀町は町内曳きということでそちらを優先し、

午後以降合うタイミングがあったらまたよろしくお願いしますと挨拶し、通り過ぎて行った。

「夜にまた会いましょう、曳っかわせしましょう!」

あの商工会議所で会った二台の山車含めて、

午後以降の時間にまた合うことがあるのか、これは誰にも分からないこと。。。

それぞれの町内に運行ルートがあり、制限時間がある、その中で出逢えれば。。。

合う機会がなかったらもう来年以降に持ち越しで、

その町内が来年山車を出さないならさらにそれ以降となり、

また、次回出る年に合えるかどうかも分からない。

その条件の中で「合う」という曳っかわせが起こっているのが、どれだけ奇跡か分かるでしょうか。

神の采配としか言いようのない妙を感じます。


道灌の山車は仲町を進み、大工町通りを今度は南進して町内の西端を練り歩いて行く。


この通りは幅は広いのだが、電線が張り巡らされ難関箇所。

山車の高さと電線の高さを確認しながら、山車の上と地面の職方が密にやり取りする。

現代の山車曳行ではどの道も簡単なところはないのかもしれませんが、

電線一本一本を丁寧に避ける職方の仕事があって、山車は運行されているのが分かる。
中央通りの喧騒を離れ、観衆が少ない大工町通りは、

綱を道いっぱいに広げることができ、悠々と山車を曳いて行ける楽しみがある。

開放的な雰囲気の中、道灌の山車はゆっくりと南へ進んで行く。


・・・と、大工町通りを半分まで来たところで、綱先にいた先触が前方に目を凝らしている。。。

あれは・・・間違いない・・・山車だ!どこかの町内が先にいるようだった。

自分達が進む道の先に他町の山車が停まっていれば、先に状況を掴むのが先触の使命、

すぐに駆け出して行く先触二人。

走って行くと大きく見えてきたのが、野田五町の八幡太郎の山車だった。

ちょうど中原町の会所に挨拶しているところのようだった。

野田五町の先触の所に行き、

これからどの方向に進むのか、自分達の進む方向も伝え、お互い調整していく。

野田五町の八幡太郎の山車と言えば、

東武東上線川越市駅の踏切を越えて市街地に入ってくる町内であり、

ちょうど県道の交差点のところで道灌の山車と鉢合わせになることも多い。

そう、昨年の川越まつりでも、午前の部この時間でここで出合っていたのだった。

連雀町と野田五町の先触が話し合い、

野田五町が「先に県道まで出て連雀町方面に山車を出します」、

連雀町が「では、うちはその横を中原町方面に入って行きます」、

と両町の宰領が確認し話しが付いた。また、ここでは合わせないこともお互い確認する。


連雀町の先触はこれに終わらず、さらに動く。

昨年同様連雀町は、大工町通りから県道を越えて、

交差点先にある中原町の会所まで山車を進めて挨拶しようという計画を立てていた。

そのために野田五町と話しを付けたその足で、

道灌の山車を中原町に入れる許可を得るため会所へ走って行った。

 


相手会所まで辿り着くと、迎えた中原町の責任者を前に、

「おめでとうございます。連雀町太田道灌の山車です。

こちらさまのご町内を渡りたく、ご挨拶に伺いました。

どうぞ通行のお許しを宜しくお願い致します」と連雀町の先触が口上を述べると、

中原町からは、

「本日はおめでとうございます。どうぞお気をつけてお通りください」という返事をもらう。

それを受けて連雀町が、

「ありがとうございました。宰領にその旨を伝えます。

後程山車を向け、ご挨拶をさせて頂きますので、何卒宜しくお願い申し上げます」と返す。

このやり取りを済ませることで、山車を正式に他町に入れることができる、

現代の生活では町内の境は意識しないでしょうが、

川越まつりの時だけは境界線はくっきりと浮かび上がる。

連雀町と中原町、隣接している町内でも、

この二日間だけは正式な儀式なくしては気軽には足を踏み入れることはできないのだ。


中原町の入町許可を正式に受けた先触は、道灌の山車に戻って宰領に報告する。

「中原町に挨拶して、通行させてもらえることになりました」。

宰領がそれを職方に伝え、頭は拍子木を使って全体に意志を伝える。

そうして山車;町内の動きの方向が決まっていくのだ。

さらに、中原町からは金棒を持った露払いがやって来て、町境で待機し、

連雀町が自町内に入ると先導して会所まで案内する。

これも川越まつりの大事なしきたりで、どの町内でもこの対応はしている。


道灌の山車は県道を越え、中原町へ踏み込んで行った。

県道の信号から少し進んだところにある中原町の会所。

中原町の河越重頼の山車は今年は出ていませんが、会所は開いている。

すでに会所前では中原町の人たちが、連雀町の山車が到着するのを待ち構えていました。


中原町の河越重頼を言えば、平安時代末期の武将で、上戸に河越氏館跡が残り、

そして連雀町の太田道灌は、ご存知のように河越城を築いた人、

川越の歴史の基にある人物を人形のモチーフにしている町内がここで邂逅することになった。

重頼も道灌も、この光景にさぞ喜んでいることでしょう。

会所前まで山車を寄せると頭が拍子木を二つ打ち、山車を止め、会所に山車の正面を向ける。

囃子の演奏に一層力が入り、その様子を会所前に並んだ中原町の人たちが見上げる。







会所に挨拶を済ませて別れを告げると、連雀町は来た道を戻る。

「また山車を出す年に出逢えますように。。。!」

「ソーレー!」「ソーレー!」の掛け声と囃子を響かせ、

山車は川越日高県道を一路連雀町へ向けて進んで行った。

(先ほど会った野田五町の山車とすれ違う)


(連雀町交差点に帰って来た道灌の山車。これだけの人で山車を曳いていた)


そして交差点を曲がり、自分たちの会所がある熊野神社に無事に戻って来ることができた。










 


10時に出発し、12時前に帰還、たっぷりと2時間かけて曳いて廻り、

これにて町内をぐるっと一周した神聖な午前の部の町内曳きは終了。

昨年の川越まつり以来、一年ぶりに町全体で曳く曳行は、

みなが感覚を取り戻す前の段階で慣れない部分があり、

運営責任者は気が抜けない時間でもあった。

何事もなく帰って来られたことでまずは安堵し、次へ備える。

熊野神社前に山車を留め置いて一時間の昼休憩となりました。

道灌の山車はその間も居囃子が続けられ、観衆を魅了し続けている。

午後の部まであと一時間。。。

川越まつり、二日目最終日はまだ始まったばかり。