先月に書いた邪気祓い関係の補足になります。
邪気は、都会になる程、その数が多くなります。
その理由は、邪気自体の楽しみが人間に憑依することだからです。人間に憑依して霊的エネルギーを奪い取る(波動を下げる)ことが、邪気の存在価値なのです。
人間は(修行のため)欲を持たされて生まれて来ます。その欲をくすぐる役目が邪気なのです。邪気の存在は、地球は霊魂の修行場とした天意でもあります。
従って、人口が少ない田舎よりも、人口が多い都会の方が、邪気の数は圧倒的に多くなります。特に、東京に集まっている邪気は半端ではありません。田舎に比較的欲が少ない人の割合が多いのは、このような理由があるのです。
私は、月に1、2回仕事の関係で東京に行きますが、東京に着いた瞬間、身体が重くなります。特に宿泊して朝目覚めた時の身体の重さは、福岡の自宅とは全く異なります。欲望が渦巻く日本最大の街が東京です。
人間界は、仏教では欲界と定義されていますから、欲をくすぐられる中で、精神を鍛えて行く修業場なのです。
私は、欲を無くすことが人間の修業だとは考えていません。人間が、地球の生態系と一緒に栄えて行くために、バランス感覚を持って自分の役割りに臨むことが求められている、それが人間の存在理由だと考えています。
しかしながら、これまでの人間社会は、欲に目がくらむ人間が多く、その中で、一部、成功者や権力者となった人達が強者となって弱者を使っていく弱肉強食の世界に成り下がっています。これが神代から何万年、何千年も続いているのです。
このように世の中が、人間界が堕落したのは、天意に反発する邪神の行いなのです。
人間界は、無欲を求める場所ではなく、人間を中心に地球がよりよく発展するためにはどうすれば良いのか、という究極の命題を、天に与えらえている場所なのだと考えています。邪神も含めて修業させられているのです。
現代の仏教にはいろいろな宗派がありますが、現代の仏教の定義を簡潔に言うならば、(人間や下級の神をとっくに卒業している存在である)佛様を崇拝し、自分が佛様になるためには煩悩を無くし悟りの境地に入る、といった感じになるでしょうか。
しかし、私は、このような考え方は根本的に間違っていると考えています。
その理由は、佛様になろうと目指すこと自体が、我よしの強欲だからです。
佛様になるのは、人間界で転生する中で、自分(魂)が行って来た人生を判定されての結果なのですから、無欲になれば佛様になれるという訳ではないですし、佛様を目指してなれるものではないはずです。
天の意図を知り、それに対して自分が今生行うべき人間としての役割りは何かを悟り、その役割りを実行して人生を全うした結果、それが天に評価された時に、結果的に佛様になるのではないでしょうか。
従って、今からでも遅くないので、我よしを無くし、地球の発展のために、自分の人間としての役割を見つけようと動き出してみたらいかがでしょうか。そうすれば天佑が働き、人生がだんだん良い方向に変わっていくはずです。
しかしながら、現在の地球は、邪神がまだまだ力を持った世界です。本来の使命、役割に気づき、それを実現しようとする人には、邪神が邪気を使って邪魔をしてきます。大小、いろいろな形で邪魔されます。
しかし、そんなことに負けてはいけません。私は、邪気に負ける人をたくさん見て来ました。負けることの方が人生楽だからなのでしょうか、ほとんどの人が大した努力もせずに諦めていきます。
邪気にまとわりつかれると、体調が悪くなったり、家族に霊的な危害を加えられたりするからなのですが、そこで諦めたら、また次の転生まで先延ばしになります。何ともったいないことでしょう。私は、このような人達を現実逃避と呼んでいます。
この地球で、人間の存在価値に気づく人はほんの一握りのはずですが、せっかく気づいても現実逃避しては、今生はジエンドと同じです。是非、前向きに進んでいただきたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。



























