以前、富士宮について記事を書きました。
富士宮は、その名の通り古代神代の都だったのです。地上の高天原で、天津神が集う場所であり、神国日本の中心だったということです。
偽書とされる宮下文書には、富士山麓に勃興した富士高天原王朝のことが書かれていますが、それはほぼ事実を伝えているのです。
記紀以前に存在していた古書はいくつもあったのですが、その全てが熊襲のお抱え学者によって偽書とされてしまったのです。
前述の「富士宮の真実」に関する記事では、富士五山が登場します。富士五山とは日蓮宗に関係した5つの寺院です。
五山と言えば、京都五山が有名ですが、五山とは古代中国から渡って来た主として臨済宗の寺格制度で、最上位の5つの寺格を五山と呼んでいるようです。
京都五山は、別格上位に南禅寺があり、一位から五位が天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺と順番です。
また、日本には鎌倉五山も存在し、京都の南禅寺を同じく別格上位とし、一位から五位が建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺となっています。
富士五山、京都五山、鎌倉五山の3つが存在するのは、実は関連性があります。そには深い理由が隠されているのです。
次の画像をご覧ください。
これは、京都五山の南禅寺と鎌倉五山の建長寺を直線で結んだものです。この直線上に、富士五山(大石寺)が位置します。
偶然だと思いますか?
違いますよ。昔の人は、故意にこのような位置に3つの五山を造ったのです。
その意図は、この3つの場所が、古代神代の都であり、神代の信仰の場所、天竺だったことを表しているのです。
京都や鎌倉は、古代、中世の都でしたが、人間中心文明以前の神代にも重要な場所だったのです。
このように、神国日本として重要な信仰の場所が真の天竺と呼ばれる場所で、全国に少なくとも30カ所以上存在しています。京都、富士宮、鎌倉は、その中でも最大級のものであり、天竺=神代の都となった場所だったのです。
京都、富士宮、鎌倉が一直線上にあるのは、京都(ゴールド)と鎌倉(プラチナ)が陽陰で、その間の富士宮をゼロ磁場とし、高波動にしていたからです。
神代の都の中でも、富士宮は中心的存在だったので、神々は太古の昔に、このような仕組み創っていたのです。それを、後の人々が五山として寺院を建立し祀ったのです。
五山の元は古代中国から来たと前述しましたが、実際にはさらに古い時代、朝鮮半島にあった檀君国に由来しているのです。
現在、韓国に残されている李氏朝鮮時代の仏教寺院、景福宮(キョンボックン)は、檀君国時代の文化が垣間見れる建物です。韓国は儒教国家になっていますが、元は本物の仏教の中心地だったのです。それを消すために儒教を普及させたというのが真相です。
景福宮の玉座には、5つの山が描かれ、その上に太陽と月が揃っています。五山に囲まれた場所が風水的に都として繁栄するのです。
この五山の考え方が、日本に渡って来て、京都、富士宮、鎌倉に五山の寺院が建てられたのです。
源頼朝が鎌倉に幕府を起こしたのは、頼朝自身がこのことを理解し、鎌倉が神代の重要な場所であることを再現するためだったとも言えるのです。歴史には残されていませんが。
しかしながら、京都、富士宮、鎌倉の五山とも、熊襲によって結界を張られ、現代まで輝きを失っていたのです。
これから、3つの五山が輝きだし、日本は高波動に包まれていくのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。