古い話題ですが、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」は面白かったですね。
真田氏と言えば、真田幸村が活躍した大坂の陣をすぐに連想しますが、真田氏の発祥は信州長野の上田市になります。上田市中心部にある上田城が真田氏の本拠地として有名です。
しかしながら、元々は現在の上田城から北東にある上田市真田町が真田氏発祥の地だったようです。
真田町には、かつて真田氏最初の城である真田本城があったようで、真田信繁(幸村)の父親である昌幸の時代に上田城が創られ、真田氏の新たな拠点となったようです。
歴史を調べてみると、真田氏の出自は、はっきり分かっていないようですが、昌幸の父、真田幸隆の時代に台頭し、真田本城を構えたと伝わっています。
戦国時代は、以前もお伝えしましたように、熊襲が大暴れした時代です。従って、長い日本の歴史の中で、戦乱が続き、天皇の力が落ちて、長く安定しなかった時代でもあります。
戦国時代は、関ヶ原の戦い後、徳川家康の統治によって終焉しますが、最終的には、熊襲が勝ってしまったといっても過言ではなく、その結果、熊襲の都合が良いような勝者の歴史に改竄され、真実が隠され現代に至るのです。
真田氏は、戦国時代において熊襲を討伐するために出現したのです。出自が良く分からないというのは、天の采配によって突然現れたからです。高次の魂が真田家に入り込んだのです。
真田氏の場合は、後の真田幸村の大坂の陣での活躍で見られるように、熊襲討伐のために天に采配で出現したようです。結果的には真田氏でも熊襲を止めることは出来なかった、という結果になりますが、真田氏が登場していなかたら、もっと酷い戦国時代になっていたはずです。
ちなみに大阪夏の陣において、真田幸村は討ち死にしたことになっていますが、実際にはそうではなく、雲隠れし次の時代に繋げる施策を打ったというのが真実のようです。
従いまして、真田氏が突然この世に出現し、現在の上田市真田町に真田本城を構えたのは、ここが霊的に重要な場所であるからなのです。上杉謙信の春日山、武田信玄の甲斐と同様です。
真田本城址は、現在、公園としてこ整備されています。先月のゴールデンウィークの際、真田本城址に行ってみました。
真田城址は、真田氏歴史館がある場所から登っていった小山の上にあります。
頂上部分は、古墳のような形をしていてそこに祠等がありました。
頂上付近はそれほど広くないので、建てられていた城はそれほど大きいものではなかったのでしょう。
従って、真田氏が力を付けていく過程で真田城は手狭になり、昌幸の時代、麓の千曲川沿いの平地に上田城を建造し、そちらへ移転したのだと推測しています。
ただし、真田本城は上田市全体が一望できる絶好の場所にあるので、上田城移転後も要害の地として利用されたのではないでしょうか。
真田氏が活躍したのは1500年台後半から1600年初頭ですが、真田町一帯は、それ以前のはるか昔から集落があったはずです。もっというならば、ウガヤフキアエズ朝の時代は、それなりの都市があったのだと考えています。
つまり、真田町一帯から上田市中心街にかけてはかつての天竺だったはずです。
戦国大名は領地の取り合いをしていましたが、そのターゲットとなったのは霊的に重要な場所である天竺だったのです。
戦国大名が、霊的な水道のことを具体的に知っていたかどうかは分かりませんが、彼らの行動は、敵と味方に分かれて、天と邪神によって操られていたはずなのです。
つまり、地球における天と邪神の代理戦争が戦国時代だったのです。
信濃から甲斐にかけては、信玄、謙信、信長、秀吉、家康など戦国時代きっての国盗り物語の舞台でした。その背景には、真田を初めとしてこの地域が、霊的水道、天竺という意味合いがあったからなのです。
真田町は、天竺であり、その信仰の中心地が真田本城があった場所だったようです。真田本城に行ってみて、天佑で感じました。
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