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2014-12-22 00:00:00

ウガヤフキアエズ朝

テーマ:歴史の真実
前回、竹内文書(たけのうちもんじょ)と上記(うえつふみ)が真の歴史書であり、記紀は大幅に改竄され、神代の歴史の重要な部分を消されてしまっていることをご紹介しました。
<真の歴史書>

今回は、その消された歴史のうち、神武天皇以前に存在した、神と人間の文明が混在した時代である先史文明についてご紹介します。

初代天皇である神武天皇の父はウガヤフキアエズ尊なのですが、この人物以前が記紀では神代になっています。

ウガヤフキアエズ尊は、古事記では天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、日本書紀では彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)が正式名です。

鹿児島県大隅半島にあるウガヤフキアエズ尊を祀る吾平山上陵(あいらさんりょう)

吾平山上陵① 

伊勢神宮内宮を彷彿させる。素晴らしい波動!
吾平山上陵② 

これがウガヤフキアエズ尊の墓とされている。物凄い神気!
吾平山上陵③ 


ウガヤフキアエズ尊は、記紀では天照大御神、天忍穂耳尊、彦火瓊々杵尊、彦火火出見尊と連なる天皇家の祖先神とされていて、息子の神武天皇が純粋な人間としての最初の天皇となります。

しかし、記紀にはウガヤフキアエズ尊についての事績の詳細は書かれておらず、また、存在した年代についても触れられていないことから、「神武天皇以前に存在した神々は、あくまで神話の世界の話であって、フィクションなんだよ」というような方向に、読み手を誘導しようとする意図が感じさせられます。

記紀では、神々の時代から突然人間の時代に変わっているのです。地球上に神々が存在したなど、誰だって信じられないですよね。私もそうでした。

神代の歴史を改竄した記紀編纂者の狙いは、そこにあったのです。記紀編纂者は、熊襲(阿修羅)のお抱え学者だったのです。その結果、1300年経過した現代人は、その意図にまんまと乗せられ洗脳されてしまい、人類誕生の本質を忘れてしまっているのです。

実は、神武天皇以前には、73代に渡る神代終盤の天皇の時代が存在したのです。これが、なんと294万年に及ぶ、神と人間が混在した先史文明、ウガヤフキアエズ朝(略して「ウガヤ朝」)なのです。

地球の真の歴史には、数千億年に渡る天津神(宇宙を自由に飛び回れる存在)が統治する時代(これは追々ご紹介していきます)があったのですが、その後、天津神が降臨して直接統治することをせず、天津神の子孫が地球を専属で統治するようになったようなのです。これが国津神です。

その始まりが、彦火火出見尊と豊玉姫尊の息子であるウガヤフキアエズ尊からなのです。

その統治形態であるウガヤ朝が73代294万年も継続していたのです。
<WIKI:ウガヤフキアエズ朝>

皆さんにはとても信じられないでしょうね!

何故、このウガヤ朝73代が消されたかといいますと、神武天皇(神倭朝と呼ぶ)誕生直前に、地球は天罰により、神通力を持った神が存在できなくされウガヤ朝は滅んだのですが、それに乗じて熊襲は、天皇に代わって人間を支配するために、歴史を改竄することを思いついたのです。

すべての魂は輪廻転生を繰り返しますが、新たな転生の際、完全に前世の記憶をなくされるという宇宙の法則を逆手に取ったのが熊襲の戦術で、それによって人類は真の歴史を忘れさせられ、洗脳されていったのです。記紀の改竄は、その手法の一つがだったのです。

ウガヤ朝294万年間は、神と人間が混在し、六道輪廻が現代以上に機能していた時代です。

また、私がこれまで書いてきましたように、驚くべき発達した先史文明が存在した時代こそがウガヤ朝でもあるのです。

ウガヤ朝の歴代の天皇は、世界を治める天皇であり、天浮船(あめのうきふね)で万国(世界各国)を巡幸しています。天浮船とは宇宙船のようなもの、現代でUFOと呼ばれるような乗り物だったのです。もちろん、使用するエネルギーは波動エネルギー(フリーエネルギー)だったのです。

このような先史文明が存在したことを現代人に知られてしまうと、将来的に人間が潜在的に持つ真の能力を発揮させてしまう可能性があるため、熊襲は時間をかけて人類を洗脳してきたのです。その結果、現代社会は矛盾だらけになってしまったのです。

「人類は猿から進化した」

進化論。見事な洗脳でした。

根本的な宇宙の法則、歴史の真実を知らずして、平和・平等・自由・愛など、耳障りのいい言葉をいろいろ並べたところで、熊襲の支配構造から抜けられる訳けがありません。本質を知らずして、そいうことを叫ぶ人ほど、強い洗脳に陥っているということの裏返しだと言っていいのです。

木を見て森を見ず

ウガヤ朝について、まず驚くのは、294万年という時代の長さです。

このうちの283万年は、初代のウガヤフキアエズ天皇1代だけの時代です。2代目以降の天皇は2万年、数千年とだんだん短くなっていき、ウガヤ朝第13代天皇から500年以内の在位期間となっています。それでも現代では信じられないくらいの長生きです。

ウガヤ朝の天皇は人間ではなく神の存在ですから、人間感覚の年齢で考えてはいけないのです。もっとも、ウガヤ朝の人間の寿命は、現代よりも長く200歳を超える人もたくさん存在していたようです。

ウガヤ朝最後の天皇である第73代天皇は狭野尊(さのみこと)であり、この天皇は後に、神武天皇となって、人間中心文明である神倭朝初代天皇になっています。神武天皇誕生の背景には地球に大変動があったのだと推測されます。

また、私が3年前から独自に主張してきた先史文明である佐賀大和朝廷とは、まさしくウガヤ朝終盤の時代だったのです。
<幻の大和朝廷>

当時の天皇をニギハヤヒ、皇后をアメノウズメと書いていますが、これは訂正しなければなりません。当時の天皇はニギハヤヒの魂の流れであるウガヤ朝第71代 天照国照日子百日臼杵天皇天日嗣天皇(あまてるくにてるひこももかひうすき) で、妃がアメウズメの魂の流れということになります。

皇太子が、神武天皇の息子に改竄されている日子八井命で、後に日子八井命がウガヤ朝第72代彦五瀬天皇になったのです。

竹内文書と上記と出会い、佐賀大和朝廷の存在が文献として証明されたことになります。

いずれにしても、神武天皇以前には華やかな先史文明であるウガヤ朝が存在していたのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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2014-12-15 00:00:00

真の歴史書

テーマ:歴史の真実
日本最古の歴史書「古事記」「日本書記」。一般的には記紀と呼ばれています。

私は、記紀を本格的に調べだして4年になるのですが、古事記と日本書記との間で矛盾する箇所も多く、また、特に日本書記は、各項目について複数の説を「一書曰く」というふうに併記しているため、どれが真実なのかが全く分かりません。記紀を真剣に読めば読むほど、辻褄が合わなくなってしまうのです。

辻褄が合わないということは、どちらか、もしくはどちらとも、編纂時に改竄がなされている可能性があることになります。特に日本書紀の改竄がより酷いような気がしていますが、当ブログでは、その改竄の内容を、私独自に解読してご紹介してきました。

もちろん、私自身が記紀に書かれている時代の歴史を、目の当たりに見て来た訳ではありませんので、全てがピッタリ正しいとは思っておりませんが、記紀を正史としてきた歴史学者とは、比較にならないくらい真の歴史解明にたどりつきつつあるのは間違いないと自信があります。

歴史学者が真の歴史にたどり着けない大きな理由は、神代以降、歴史上では勝者とも言って良い阿修羅・熊襲、つまり霊的に悪事を働いている存在を無視して考えているからです。

何故、人間はここまで争ってきたのか?

その主要因である歴史を動かし、改竄してきた存在を認識しない限り、真相は見えないのです。全体像が見えない状態で個々を掘り下げたところで、辻褄が合わなくなるのは明白です。だから真実にたどり着けないのです。もちろん、真実を解明しようとしてきた人が、阿修羅・熊襲によって邪魔され続けて来たことも間違いありません。

記紀編纂に当たっては、おそらく神代以降の正史を書いてきた古文書が存在していて、それをベースに、勝者(阿修羅・熊襲)に都合の悪い部分を改竄されたのです。

そして、記紀を勅撰の日本最古の歴史書として認定し、それ以前に存在した公的な歴史書は全てこの世から抹消されたのです。これは、古代中国の始皇帝を初めとして、力で帝位を奪ってきた中国の歴代の権力者のやり方と同じです。

しかしながら、正しい歴史を書いていた古文書が、この世に全く存在していないのかといいますと、そんなことはありませんでした。私はつい最近気づきました。

それが、竹内文書(たけのうちもんじょ、「竹内文献」とも呼ばれる)と上記(うえつふみ)です。

記紀以外の歴史書としては、竹内文書、上記以外に、先代旧事本記やホツマツタエや九鬼文書(くかみもんじょ)、カタカムナなどその存在が知られていて、これらは古史古伝と呼ばれています。
<WIKI:古史古伝>

これらの古史古伝については、その存在を私は以前から知っていましたし、それぞれをかじったこともありました。

しかしながら、これまでは、これらの
古史古伝が正しいかどうかの判断ができませんでした。それは、記紀の改竄の全体像を知るのに3年程かかったからです。記紀の改竄の内容を知らないことには、これら古史古伝が正しいかどうかの判断はできなかったのです。

これら古史古伝は記紀と矛盾することが書かれているため現代の歴史学者によって偽書(ぎしょ)と認定されています。

しかし、これら
古史古伝を読んでみると、全ての古史古伝を偽書とするにはあまりにも乱暴だと感じるのです。

最近、再度、これら
古史古伝を読んでみて、特に竹内文書と上記は、とても偽書とは思えませんでした。書かれている内容が記紀より広範囲かつ、精緻な箇所がたくさんあるのです。とくに上記の神代の内容は、記紀の10倍以上、はるかに詳細に書かれているのです。これだけの内容を空想で書くことは不可能だと思われます。

結論から言えば、竹内文書と上記に書かれていることは、ほぼ正しい内容です九鬼文書も一部を除けば正しいと思われます他の
古史古伝については、正しいもの間違ったものが混在しているように感じています。

竹内文書は、第25代武烈天皇(5世紀後半)の時代に、武烈天皇が武内宿禰の孫とされる平群真鳥に編纂させたものです。
<WIKI:竹内文書>

平群真鳥は、当時伝えられていた正しい内容の歴史書をベースに、精緻
古史古伝に書き写し、竹内文書を完成させます

しかし、熊襲はこれを許しません。熊襲系大友金村は平群真鳥を抹殺しようとし、その結果、
平群真鳥は自害したことに歴史上はなっています。

編纂を命じた武烈天皇は
平群真鳥の暗殺を許可したことになっていますが、これは後に改竄されたものでしょう。
<WIKI:平群真鳥>

平群真鳥は自害したとみせかけ、名前を竹内真鳥に変えて生き延び、竹内文書を守ったのです。その後、竹内家では代々、竹内文書を公開せず守り続けたのです。


そして、編纂から1300年以上経過した昭和3年に、竹内家の竹内巨麿が再度竹内文書を世に出したのです。

竹内巨麿は、竹内文書をベースにした皇祖皇太神宮天津教を起こし、歴史の真実を世の中に広めようとします。

しかし、時は熊襲系が政治の中枢を握っていた大正、昭和初期。出口王仁三郎の大本と同様に弾圧されます。真実を広めようとしたら弾圧された時代なのです。この際に、竹内文書の一部は消失したようですが、現存している内容でも十分価値があるものなのです。

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一方の上記(うえつふみ)は、鎌倉時代に編纂されます。源頼朝の落胤とも伝えられる豊後国守護の大友能直が編纂したものです。
<WIKI:上記>

ウィキペディアには、「一般的には史実とみなされていない」となっていますが、これこそ記紀を正史とする側にとっては都合が悪いからです。

上記について書かれた解説本を読むと驚愕です。神代の神々の数、事績など事細かく書かれているのです。このような詳細な内容を創作する方が難しいです。
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竹内文書と上記では、神代の歴史へのアプローチ方法が異なります。

竹内文書では、記紀の造化三神以前に天神8代、神皇3代が存在しており、その時代はなんと数千億年前に遡ります。古事記上で創造主とされている天之御中主神は神皇4代目です。また、記紀の天照大神は神皇22代目となっています。伊弉諾神、伊邪那美神のはるか前から地球、日本は存在していたことになっています。

一方の上記は、登場する最初の神は、記紀とほぼ同じですが、神産み、国産みの詳細が記紀の比ではなく、物凄いボリュームで書かれているのです。ただし、この時代の正確な年代は書かれていません。

竹内文書と上記の2つを合わせて読めば、宇宙誕生から地球誕生、神・人の誕生が見えてきます。

そして、竹内文書と上記が共通する内容が、ウガヤフキアエズ朝についてなのです。

ウガヤフキアエズといえば、記紀では神武天皇の父である
彦波瀲武盧茲草葺不合尊のことを指しますが、竹内文書と上記では、彦波瀲武盧茲草葺不合尊と神武天皇の間に七十三代に渡るウガヤフキアエズ朝が存在しているのです。

私は、天照御神や素戔嗚尊が活躍した時代は、5000年前から1万年前くらいだと考えていて、
彦波瀲武盧茲草葺不合尊は神代末期の3500年くらい前のことだと考えていましたが、これは全くの見当違いだったのです。

神代終了の3400年前以前には、数万年、数十万年に渡る国津神の時代が存在していたのです。天照大神や素戔嗚尊、大国主神の時代はさらにそれよりももっと古い数百万年、数千万年、いや何と数千億年以上前に渡るのです。

地球の歴史は、数千億年続いた天津神が統治する世から、約300万年続いた国津神の世に移り、そして神武天皇以降、現在まで続く2700年の人間の世として、継続性があったのです。

人間を支配したい熊襲は、ウガヤフキアエズ朝が崩壊時に、日本の歴史が一旦途絶えたのをチャンスと見て、歴史を改竄したのです。それは、天津神が活躍していた神代や、ウガヤ
フキアエズ朝の華やかで高度な文化の時代を、フィクションにするためなのです。

ウガヤフキアエズ朝の約300万年に亘る時代を空白にすることで、継続性をなくし、神代をフィクションにすることが目的だったのです。実際にそれは成功し、皆さんは神話は空想だと思わされています。

そして、人間は猿から進化したという進化論によって、神武天皇以降、世界中の人類を洗脳してしまったのです。

地球上から国津神がいなくなり人間のみになった理由はきちんとあるのです。すべて天が決めたことです。

ウガヤフキアエズ朝については、次回にでもご紹介します。

とにかく、我々人類は、完全に歴史認識を洗脳されてしまっています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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2014-12-08 00:00:00

九州王朝と継体天皇

テーマ:歴史の真実
学問の神様と言えば菅原道真。その菅原道真を祀るのが全国各地に鎮座する天満宮です。その中でも学業祈願で最も人気があるのが福岡県太宰府市に鎮座する太宰天満宮です。

そもそも、何故普通の人である菅原道真が天満宮で祀られているのか?、と言いますと、魂の流れ、つまり菅原道真の前世が天神様だったからなのです。

菅原道真は、当時の京の都から太宰府へ左遷されたようですが、そもそも太宰府は8世紀初頭まで、数百年以上、九州王朝の都として栄えたところです。当時の太宰府は、現代の京都のような位置付けにあったはずです。

菅原道真亡き後は、天神様の魂を祀るため太宰府天満宮が創建され、現代でも北野天満宮と並ぶ天満宮の総本社とされているのです。

今回は、太宰府を都とした九州王朝が、一旦侵略されてしまったケースをご紹介します。

第14代仲哀天皇崩御後、武内宿禰と神功皇后が倭国を平定したことを前回ご紹介しました。
<邪馬台国はなかった!>

そして、西暦370頃、息子の第15代応神天皇が九州王朝と近畿王朝を統一し、大倭国(やまとこく)が成立します。神武天皇以来、人間の天皇としては神武天皇以来の日本列島統一、ということになるようです。

この後、第16代仁徳天皇から第24代仁賢天皇(~498年)までは、熊襲が暴れ続けるものの、何とか大倭国朝廷は国体を維持したものと思われます。

しかし、第25代武烈天皇の時代になって、熊襲による大事件が起きてしまいます。

この時代、天皇家には九州王朝と近畿王朝という二つの血流があり、次の天皇を決める際、両系で調整しながら次の皇位を決めていたようです。天智天皇系と天武天皇系というように、天皇の系列を分けて表現する場合がありますが、これは二つの血流に起因しているのだと思います。

武烈天皇は九州王朝の血流です。

従って、武烈天皇は、九州を中心にして全国を統治していたようなのです。
<WIKI:武烈天皇>

熊襲は、九州中心の武烈天皇に対抗し、まず近畿の都を侵略してしまいます。

そして、次に本丸の九州の都を侵略する戦いを起こすのです。この侵略の戦いの過程で、武烈天皇は実質的に朝廷を奪われてしまったようです。記紀には「武烈天皇は突然崩御した」としか書かれていませんが、これは改竄。熊襲が侵略したことを正当化するために改竄しているのです。

武烈天皇は崩御したのではなく九州の都を追われ、熊襲の首領が継体天皇として勝手に宣言してしまった、というのが真相のようです。

このことを示唆させているのが、武烈天皇の後継者と目されていた倭彦王(やまとひこのおおきみ)についての日本書記の記述です。
<WIKI:倭彦王>

『日本書紀』継体天皇即位前条によると、武烈天皇(第25代)の崩御後に皇位継承者がなく、皇統断絶の危機を迎えた。そこで大伴金村らは、丹波国桑田郡にいた倭彦王を擁立しようとした。しかし、王としてのふさわしさを確かめるために金村らが武装して迎えに行ったところ、倭彦王は恐れをなして逃げ出した。これにより、男大迹王(をほどのおおきみ、第26代継体天皇)が即位することとなったという」

武烈天皇の後継者として、第14代仲哀天皇の五世孫である倭彦王を擁立しようとしたが、本人がおそれをなして逃げたため、越前にいた応神天皇の5世の孫男大迹王(をほどのおほきみ)が後継天皇として擁立され、第26代継体天皇となった、ということになっています。

そもそも、
彦王は恐れをなして逃げ出した」という内容自体に時の混乱を感じさせます。これは、熊襲であり侵略した継体天皇を正当化させるための改竄ではないでしょうか。

私は、男大迹王には継体天皇になった人物とは別の本物がいて、その人物は南九州の隼人のトップとして存在していたと考えています。しかし、九州王朝とともに熊襲に侵略されてしまい、熊襲の首領が男大迹王に成りすましたのだと推測しています

そして、倭彦王を次期天皇に推そうとしていた正統派の朝廷に対抗し、勝手に第26代継体天皇であると宣言したのだと思われます。

そして、現在の大阪府交野市辺りに偽の朝廷を置いたのです。継体天皇については、歴史学者の間でその出自に疑問が投げかけられていますが、正式な天皇としては認められていないと考えた方が辻褄があいそうです。
<WIKI:継体天皇> 
<継体天皇の真実>

日本書記の継体天皇欄には、九州において朝廷に抵抗する筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)を討ったことが書かれています。いわゆる磐井の乱(528年)です。
<WIKI:筑紫君磐井>

実は、筑紫君磐井とは武烈天皇のことなのです。武烈天皇は506年に崩御したことになっていますが、前述したとおり崩御ではなく、侵略を受けたのです。507年以降も天皇として戦っていたのです。

勝手に就位を宣言した熊襲の継体天皇が、武烈天皇を完全に討とうとしたのが磐井の乱なのです。筑紫君磐井の生年は不明となってますが、このように歴史上で生死が不明となっている人物の多くは、熊襲(歴史の勝者)にとって都合が悪いので消されているのです。

武烈天皇は20年以上、熊襲と戦い続け、磐井の乱によって敗れてしまったのだと思われます。

一部の歴史学者は、継体天皇が現代の皇室の祖であり、それ以前は異なる血流であるといった意見を主張していますが、これは熊襲を正当化するためのものです。

初代神武天皇、第10代崇神天皇も途中で侵略され、成りすまし天皇になっていますが、継体天皇も同様だったとうことなのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


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2014-12-01 00:00:00

邪馬台国はなかった!

テーマ:歴史の真実
前回九州王朝についてご紹介しました。
<九州王朝は存在した!>

神代が終了した後、約2700年前に天の采配により神武天皇が九州に誕生し、その血流が九州王朝として存続していたのです。その九州王朝の治める国を、大陸や朝鮮半島の周辺国は倭国(わこく)と呼んでいたのです。

そして、時は下り1600年強前、第15代応神天皇の時代、その倭国(九州王朝)と近畿の葛城王朝(こちらも神武天皇の血流)の流れをくむ王朝が統一され、大倭国(やまとこく、後に大和国)になったのです。

今回は、応神天皇が統一する前の倭国(九州王朝)の状況について、解明できたことをご紹介します。

応神天皇が天下統一を行い、大倭国ができた時代は西暦370年前後だと推測できます。

それ以前は、武内宿禰天皇神功皇后による九州王朝が中心のです。

定説では武内宿禰は天皇とされていませんが、
神功皇后のである第14代仲哀天皇(九州王朝の大王(おおきみ)。仲哀天皇の皇后が神功皇后とされているが、これは熊襲による改竄が崩御後は、次の九州王朝の大王武内宿禰と後にその妻となった神功皇后が、九州王朝と近畿王朝の統一に向けて尽力していたようなのです。200年代半ばから300年代前半にかけてのことだと推測します。

神功皇后に関係する神社が、九州から近畿にかけて連なるようにたくさん鎮座していますが、これは武内宿禰と神功皇后が天下統一のために東征した軌跡なのです。

それより更に100年程前、第12代景行天皇の時代、跋扈していた熊襲を景行天皇、日本武尊が抑え込みますが、両者が亡くなった後は、再度熊襲が力を増し、日本列島は混乱します。それが西暦150年から250年の間の時代です。

この時代の終盤に、救世主として、朝鮮半島任那からやって来たのが、祖先が九州王朝の血流である仲哀天皇と、神功皇后の前身である息長帯比売命おきながたらしひめのみこと)の兄妹なのです。
<仲哀天皇と神功皇后>
<神功皇后と武内宿禰>

そして、仲哀天皇(の前身)が九州王朝の大王に就位し、北部九州を治めます。この国が、現在の福岡県糸島半島を中心とした小国である伊都国で、その後国域はだんだん広がり、北部九州全域に広がっていたと思われます。この伊都国こそ倭国の中心国だったです。

魏志倭人伝等によれば、九州には伊都国の他に奴国や狗奴国など複数の小国があり、それを邪馬台国の女王卑弥呼が治めていた、と伝えられています。

当時の九州に、小国が複数存在したのは事実でしょうが、伊都国=倭国(九州王朝)の中心国であり、一般的に邪馬台国と言われている時代の中心は伊都国だったはずなのです。

福岡市の志賀島で発見された
漢委奴国王印金印から、現在の福岡市には奴国があったと言われていますが、これは改竄です。
<WIKI:漢委奴国王印>

金印の文字を「漢(かん)の委(わ)(倭)の奴(な)の国王」と読むことで、漢王が倭国の小国奴国王におくった金印と解釈していますが、これは本来「漢(かん)の委奴(いと)の国王」と読むのが正しいのです。

漢王が委奴国の国王に送った金印なのです。

そもそも
委(い)は、倭(わ)の書き間違いであると解釈することがおかしいのです。漢が冊封国家として倭国を認めようとして送った印綬において、単純な書き間違いをすることはあり得ません。

これは、金印が発見されて以降、歴史の真実を悟られては困る熊襲系のお抱え学者が勝手に判断したことなのです。


「委奴国」とは「伊都国」のことを、漢側から見た別名であって、奴国という小国は存在せず、九州北部は伊都国が治めていたのです。

倭国=九州王朝=伊都国=委奴国 

その伊都国の中で糸島半島は、九州王朝の大王である仲哀天皇の都があった場所だと推測します。

仲哀天皇が崩御後、その意志を継いだのが妹の息長帯比売命であり、武内宿禰と結婚し、二人で九州王朝を継いだのです。そして、武内宿禰天皇と息長帯比売皇后は北部九州を安定させていきます。

ただし、武内宿禰が純粋で女性的な心を持つ柔和な性格に対し、
息長帯比売命は女性ながら男性的な勇敢な性格を持ち合わせていたことから、政治の表舞台では息長帯比売命が目立つようになります。

そして、とうとう神功皇后と呼ばれるようになり、女王的な地位で政治を司っていったのです。

実は、この神功皇后が、皆さんが歴史で習う邪馬台国の女王
卑弥呼に当たるのです。
<神功皇后と卑弥呼>

ところが、この神功皇后の政権に対して、熊襲が大反撃を行うのです。

当時の九州王朝である倭国は、複数の周辺小国を束ねた連合国家の体制だったようで、倭国の中心である伊都国(現在の福岡県が中心)の南部(現在の熊本県北部菊池市周辺)には、狗奴国(くなこく)が存在していました。
<WIKI:句奴国>

狗奴国の王は
卑弥弓呼素(ひめこそ)で、その妃が台与(とよ)であり、当初は伊都国と親密な関係を築いていたのですが、菊池彦(きくちひこ)という熊襲の長官に実権を握られてしまいます。

そして、王の
卑弥弓呼素亡き後、妃の台与は菊池彦に騙され完全に国政を握られてしまうのです。ちなみに台与と神功皇后は遠戚だったのです。

狗奴国を乗っ取った菊池彦は、
伊都国の女王神功皇后に対抗するため台与を狗奴国の女王に祭り上げ、当時のアジアの大国である魏に使者を送り、台与を倭国の女王「親魏倭王」に認めさせようとしたのです。

つまり、菊池彦は、
狗奴国を使って倭国を乗っ取ろうとしたのです。これを機に伊都国と狗奴国は対立するようになり、九州王朝つまり倭国は不安定になります。

漢から見た倭国には、
正規の女王である伊都国の神功皇后と、熊襲の菊池彦に操られた狗奴国の女王台与という二人の女王が存在するようになったのです。西暦270年前後のことです。

この二か国の対立は、三世紀後半、台与の死によって決着がつくことになります。その後、九州王朝は安定し、神功皇后は日本列島統一のため武内宿禰と近畿へ向かうのです。そして、息子の応神天皇の時代に九州王朝と近畿王朝を統一するのです。

後の時代の人は、
狗奴国のことを、熊襲の国として揶揄するために邪馬台国と名付けたのです。

邪馬台国とは、
「邪魔な台与の国」という意味です。熊襲に乗っ取られてしまった国をそう呼んだのです。台与が卑弥呼ではないか、と言われる所以はここにあるのです。

本質論から言えば、邪馬台国は存在せず、九州王朝である倭国(伊都国)が存在したのです。もちろん、近畿にも邪馬台国は存在しません。近畿には葛城王朝の流れでから、後の大和朝廷が存在したのです。ちなみに神功皇后はシャーマンだったようです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-11-24 00:00:00

九州王朝は存在した

テーマ:歴史の真実
神代が終了したのが約3400年前、現代に繋がる人類中心文明(上代、人代)が始まったのは、今から2900年~2800年前頃です。

神代から上代に移り変わる際の詳細は良く分かっておりませんが、その間に地球全体規模の大艱難があり、人間を初めとして生物が全滅したのは間違いないようです。その原因は、全て地球上の天人(神)、人間に問題があったといってもいいようです。もちろん、熊襲(阿修羅)の存在も原因です。

そして、その後、天は、天罰として
地球上から神代をなくし、神々(天人)を一掃して、神通力が一切使えない人間中心文明にしたのです。

その人間中心文明の始まりの時に、後に釈迦と呼ばれるゴータマシッダルータが登場し、その後の歴史に大きな影響を与えたことは間違いなさそうです。

そして、その後、地球の中心であった神国日本には、上代の初代天皇として神武天皇が成立したのです。これが西暦紀元前660年2月11日なのです。今から2674年程前のことです。
<WIKI:神武天皇>

この時から、日本と同様に世界の歴史も人類中心の文明として再スタートをきったのだと思われます。

神武天皇が誕生し王朝の基礎を立上げた場所は九州南部です。熊本の阿蘇南部から宮崎南部にかけての場所だと思われます。

九州は、天孫降臨の神話もあるように神代の頃は中心地でした。神武天皇は九州で生まれ、新しい人間中心の文明開化の場所として九州を選んだのです。

ただし、最初の頃の神武王朝の権力の及ぶ範囲は九州全域にとどまり、本州や四国までは権力が及ばず、統治できていなかったようです。熊襲(阿修羅)も復活していたからです。

そこで、神武天皇は、日本列島統一のため本州へ移動するのです。これが、いわゆる神武東征なのです。

その際に、東国で力を持っていた熊襲(阿修羅)の豪族ナガスネヒコ
と対峙することになるのです。

一度はナガスネヒコに敗れた神武でしたが、二度目は八咫烏に導かれ、ナガスネヒコに勝利し、近畿地方を制圧します。

そして、神国日本の統一を成し遂げ、正式に神武天皇が誕生します。これが紀元前660年2月11日ということになります。

ちなみに八咫烏については、陰謀系では裏天皇に関係していると言われていますが、これは全くのデマです。

ところが、神武王朝は、後年、再度力をつけてきた熊襲に侵略されてしまったようなのです。そして、国内政治は不安定になってしまったようなのです。

第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは、欠史八代とされていますが、実在していました。

ただし、この八代の時代は葛城王朝と呼ばれるように、現在の奈良盆地南西部に都を置き、近畿地方を中心とした権力の及ぶ範囲が制限された王朝に後退していたのです。これは、熊襲が活発になったことを表しています。

神武天皇が統一した日本が、再度数カ国に分裂していた時代がこの八代なのです。
<WIKI:欠史八代と崇神天皇

実は、この時期に、九州に神武天皇の流れをくむ王朝が、葛城王朝と並立して存在していたようなのです。

神武天皇が東国を制圧し、日本を統一した後、数十年後に
前述したように熊襲に侵略されます。

この時に、神武天皇直系の第2代綏靖天皇系(葛城王朝)とは別に、九州に残った神武天皇の血流である人物が、熊襲に対抗するため九州王朝を立ち上げたのです。
この九州王朝のことを(わ)と呼ぶのです。

葛城王朝と九州王朝は、熊襲によって国内が混乱したために、近畿と九州というように、分かれざるを得なかったのです。

ただし、二つの王朝は、血の流れは神武天皇の流れで同じですから、基本的には協力関係を保っていたのだと思われます。

欠史八代の最後の第9代開化天皇の時代、熊襲が開化天皇を暗殺し、熊襲トップ(増上慢)が崇神天皇に成りすまし、朝廷を乗っ取ります。

それから数十年後、世の中が少し落ち着き、葛城王朝の流れである
第11代垂仁天皇が、国内を安定化させていきます。

そして、次の第12代景行天皇は、実は九州王朝の血流なのです。

景行天皇と息子の日本武尊は、征西して熊襲を倒したことが記紀に記述されていますが、これは九州王朝を侵略するために南九州の隼人に成りすました阿修羅(熊襲)を制圧するためだったのです。
<熊襲の真実>

景行天皇、日本武尊はその後東征も行い、神武天皇以来の国内統一を目指したのです。記紀において景行天皇の欄で九州内の記述が多いのは、九州王朝の出だからなのです。

そして、第15代応神天皇になって、神武以来、再度、国内統一が成就したのです。この時に、現在の日本の元になる大倭やまと、後に大和)国が出来たのです。

大倭の都は奈良に置きますが、九州王朝も大倭の中の小国として存続します。その都が太宰府だったのです。

そして、その後、歴代の天皇は、葛城王朝系と九州王朝系で協議しながら交互に出していたようです。

私が調べた範囲では、第16代仁徳天皇、第21代雄略天皇、第25代武烈天皇は九州王朝の血流です。

九州には仁徳天皇に関係する神社もたくさんありますし、熊本の江田船山古墳から出土した鉄刀に刻まれている「ワカタケル大王」とは雄略天皇のことえであるとされています。
<WIKI:江田船山古墳>

このように、大倭の小国となった九州王朝は、7世紀末頃まで存続することになるのです。九州王朝が完全になくなるのは、壬申の乱がきっかけなのです。歴史の真実は奥が深いのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-11-17 00:00:00

熊襲の真実

テーマ:歴史の真実
前回は、蝦夷について考察しました。

今回は、蝦夷とは地域的には対象的な方向である南九州の熊襲についてご紹介します。

今でもよく覚えているのですが、26年前に、当時大きな波紋を呼んだ大阪商工会議所の会頭の「東北熊襲」発言がありました。この時、初めて「熊襲」という言葉を知りました。
<WIKI:東北熊襲発言>

当時の大阪商工会議所の会頭は、熊襲と蝦夷を勘違いして、熊襲東北発言になったのだと思いますが、いずれにしても、熊襲や蝦夷を文化的に低い民族であると蔑視したことには違いないのです。

熊襲をウィキペディアで調べると次のように記載されています。
<WIKI:熊襲>

熊襲(くまそ)とは、日本の記紀神話に登場する、九州南部に本拠地を構えヤマト王権に抵抗したとされる人々で、また地域名を意味するとされる語である。古事記には熊曾と表記され、日本書紀には熊襲、筑前国風土記では球磨囎唹と表記される。」

熊襲とは、ヤマト王権に抵抗したとされる、九州南部にいた民族のことと定義されています。

「熊襲」という漢字は「熊を襲う」という意味に捉えられますから、あまり良い印象を受けない単語でもあります。

実際には、熊襲は、地域的には熊本県南部の球磨川周辺を中心に存在した民族で、筑前風土記で表記される「球磨
囎唹」が本来の呼び名で、それが「熊襲」に変化したのだと思われます。

歴史とは、勝者の歴史であり、世界的に見ても、その地域、その時代に権力を勝ち得た人々が、勝者として都合の良いように改竄してきたのです。

我々が学校で習う歴史とは、そのような改竄された歴史であるということであると認識した方がいいです。

そうでないと、いろいろな局面で間違った判断をしてしまうのです。それが、現代社会の矛盾にまで繋がっていると言っても過言ではないのです。


世界の歴史、日本の歴史は、勝利者の歴史に改竄されているのですが、その改竄した側の時代時代の権力者のことを、私は阿修羅と呼んでいるのです。

阿修羅といった場合は、人種的な話ではなく、魂的な話です。だからこそ、普通の方は、見た目だけでは、誰が阿修羅なのか判断がつかないのです。

今回のテーマの熊襲についても、歴史的には深く阿修羅が関与し、その歴史を大きく改竄されているのです。

熊襲は、記紀の日本神話にも登場し、2世紀頃の話として第12代景行天皇日本武尊(ヤマトタケル)の説話の中にも登場します。

記紀では、朝廷に抵抗する集団の長として、クマソタケル(熊襲建、川上梟帥)が登場し、日本武尊に征伐されますが、これを持って熊襲が悪役と考えては歴史認識を間違うことになるのです。

私が思うに、熊襲と呼ばれる民族は、本来の蝦夷(えみし、アイヌ民族)と同じように、神代以来、神国日本に居住することを許可されていた人々で、混血したのだと思われます。

古代、海水面が今よりも低い時代、屋久島、種子島は元より、奄美諸島や琉球諸島、台湾まで繋がっている時代があったのだと推測しますが、その時代、南方系の海洋民族(青人)と混血していった日本人が、熊襲と言われる人々の流れではないかと思います。

そういう意味では、熊襲ではなく、隼人と呼ぶべき人々のことです。ウィキペディアでは次のように定義されています。
<WIKI:隼人>


隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「隼(はやぶさ)のような人」の形容とも[1]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[2](あくまで隼人は大和側の呼称)。風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日本人男性の人名としても用いられる。

薩摩隼人と言えば、勇敢なイメージのある男性といった良いイメージがありますが、熊襲と隼人のウィキペディアの定義を比べてみると、熊襲と隼人は、元は同じものであるということが分かります。

同一民族なのに、ヤマト王権に抵抗した民族が熊襲と呼ばれ、ヤマト王権に抵抗しつつも(敗れて)組み込まれた民族が隼人と呼ばれているのです。

この場合、歴史の勝者がヤマト王権。

実は、ここでいうヤマト王権とは、正当な皇室の流れを指しているわけではないのです。熊襲征伐を行ったとされる景行天皇や日本武尊は、ヤマト王権ではなく、正当な王朝(皇室)の流れなのです。これについての詳細は、追々ご紹介できると考えております。

また、景行天皇と日本武尊は、記紀に書かれているように、王権に従わない熊襲(隼人)と呼ばれる民族を征伐したのではないのです。記紀は阿修羅の都合のいいように改竄されているのです。

記紀に定義されているヤマト王権とは、阿修羅が勝手に作った王朝のことなのです。

景行天皇の朝廷とは別なのです。古代には、万世一系の皇室を模倣した阿修羅偽王朝が並立した時期が存在したのです。

阿修羅の偽王朝が、正当な皇室(朝廷)を侵略しようとし、それに抵抗していた九州南部の民族、本来は薩摩隼人や球磨囎唹と呼ぶべき民族のことを、後に侵略した阿修羅(歴史の勝者)であるヤマト王権側が「熊襲」と呼び換えたのです。

実際には、
「熊襲」とは、正当な王朝側から見た阿修羅の集団のことをそう呼んでいたのです。

阿修羅は、九州南部の薩摩隼人の民衆(豪族)を侵略し、そのトップ(クマソタケル)に成りすましたのです。そして、次のステップとして正当な朝廷(景行天皇など)を侵略しようとしたのです。

そこで、景行天皇の息子である日本武尊が登場し、成りすました阿修羅トップを征伐し、薩摩隼人を朝廷側に取り戻したのが、本来の日本武尊の征西の話なのです。記紀は、阿修羅の都合のいいように改竄されているのです。


景行天皇の後、朝廷を侵略した阿修羅のヤマト王権によって歴史が書き換えられ、薩摩隼人が熊襲とされたのです。

本来は、阿修羅こそ熊襲熊襲=阿修羅の魂です。今後は、私が熊襲と呼ぶ場合は、阿修羅のことだと考えてください。

このように、蝦夷(えみし)や熊襲を例にとれば分かるように、歴史上は正当な集団、民族が歴史を改竄され悪役にされている例が、日本だけではなく世界中にたくさんあると思われます。

そして、それらの人々の祖先は、現代でも阿修羅によって被差別部族や集団とされていることが多いのです。歴史の改竄ほど恐ろしいものはないと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-11-10 00:00:00

蝦夷の真実

テーマ:歴史の真実
北海道については、記紀にはほとんど触れられていません。国生み神話でも、北海道の誕生の様子は出てきません。

何故なのか、私はずっと疑問に思っていました。

そして、出した結論は、北海道は日本列島の前身であるオロゴロ島が沈んだ際も陸地として残ったため、伊弉諾神、伊邪那美神は新たに北海道に対応する陸地を造る必要がなかった、ということでした。
<オノゴロ島の真実>

従って、北海道以外の本州、四国、九州と周辺の島々を誕生させたのだと考えていました。

ところが、つい最近、この裏付けになるような文献を知ることになります。

上記(ウエツフミ)です。
<WIKI:上記>

上記は、西暦1200年前半に源頼朝の落胤ではないかとも言われている豊後守護の大友能直が編纂したものです。

内容は記紀よりも幅広く詳しいです。ただ、国学では上記は偽書として扱われています。

似たような偽書とされている古文書に、竹内文献や富士文書などがあります。

ただ、偽書と判定しているのは記紀をベースにしているからであって、記紀自体にたくさんの箇所の改竄があると判断している私にとっては、これらの偽書は宝の山が埋まっているのです。

その一つ上記には、国生みの箇所に、北海道誕生の様子が書かれているのです。

国生みの前の北海道の様子は、砂地が固まったような場所であり、そこに伊弉諾神、伊邪那美神が息を吹きかけて出来た陸地が、蝦夷(えぞ)になったと書かれているのです。

記紀で蝦夷のことが書かかれていないということは、蝦夷(北海道)に隠しておきたいことがあるからなのでしょう。

蝦夷(えぞ)と言えば、近代では北海道のことを指しますが、それ以前は、東北以北のことを指していたようです。蝦夷は「えみし」とも読みますが、「えみし」は、かつて東北に住んでいた日本人のことを指していました。

平安時代初期、坂上田村麻呂の時代に、蝦夷討伐が行われています。

蝦夷(えみし)は、東北地方に住んでいた、大和民族とは少し異なる風貌の民族を指していたようですが、近代では北海道の原住民族であるアイヌ民族を指すとされています。
<WIKI:蝦夷>

蝦夷(えみし)とアイヌ民族は同じなのでしょうか?

ここに歴史の改竄が隠されているようなのです。

まずは、冒頭に書きました北海道について考察します。

神代に北海道が誕生しました。神代は神々(天人)が頂点に君臨し、その下に人間が存在していました。

神国日本は、天人はもとより、人間の中でも高尚な魂が多く住む場所でした。

ただし、北海道は、その場所がら日本人と北方民族が混血していったようなのです。その末裔がアイヌ民族となり、本州の日本人とは異なる文化を継承しつづけていたのです。

このことを日本の古代の朝廷も理解していて、北海道はアイヌ民族を中心にした、日本の中の独自の小国として扱われていたのだと思います。

本州最北部を陸奥(むつ)と呼びますが、これは本州(日本の朝廷が及ぶ場所)の最北端という意味で、逆に言えば更に奥地にある北海道は特別な地域だとも言っているのです。

しかし、この北海道に住むアイヌ民族に目を付けたのが阿修羅なのです。

現在の世界の国々を見ていただければすぐに分かることですが、各国に住んでいた少数の原住民族は、白人によって侵略され、少数民族となってします。北米、南米、豪州がその典型ですよね。これも阿修羅が行ってきたことです。

同様のことが日本の北海道でも行われたのです。

阿修羅(日本人に転生した魂という意味)は、古代から北海道を侵略し、アイヌ民族はだんだんと居場所が狭められ、消滅していきます。

そして、阿修羅は北海道から東北に南下しだします。

東北に住んでいた普通の日本人を支配下に置いていくのです。その当時の阿修羅トップが悪路王なのです。

そして、悪路王率いる阿修羅軍のことを朝廷は蝦夷(えみし)と呼んだのです。

平安時代初期、朝廷は蝦夷征伐のために、将軍大伴弟麻呂、副将軍坂上田村麻呂を東北に遠征させ、蝦夷討伐を行ったのです。

ところが、歴史の定説とは異なり、
大伴弟麻呂、坂上田村麻呂は悪路王に敗れてしまいます

当時、東北地方で阿修羅の蝦夷に抵抗していた集団がいたのですが、敗れた大伴弟麻呂と坂上田村麻呂はその集団に救われます。

しかし、勝った悪路王は、坂上田村麻呂にすり替わり、京にある朝廷に入り込んでいったので、本物の
大伴弟麻呂と坂上田村麻呂は、京の都には戻れなかったのです。

そこで、救われた東北の集団に属して、侵略された朝廷と戦いだしたのです。これがアテルイモレなのです。アテルイは本物の
大伴弟麻呂であり、モレは本物の坂上田村麻呂なのです。
<最澄と空海>

このように、本来の蝦夷(えぞ)と蝦夷(えみし)は、同じ漢字であっても、その意味することは全く違うのです。

整理すると、北海道の古称が蝦夷(えぞ)であり、日本人の血に近いアイヌ民族が居住していた場所です。

そのアイヌ民族が、阿修羅によって侵略されていき、アイヌ民族は滅んでいきます。

阿修羅はさらに東北に南下し、平安時代初期には東北地方を侵略していきます。

これら阿修羅を蔑視した呼び方が、蝦夷(えみし)なのです。

本来の「えみし」とは東北地方に住んでいる人のことを指すのではなく、侵略した阿修羅のことを指すのです。

従って、「えみし」とは阿修羅の魂を持つ人間のことなのです。「えぞ」と「えみし」は別の意味になるのです。

同様のことが、南九州の熊襲(くまそ)にも言えるのです。これは次回にご紹介したいと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-11-03 00:00:00

四国の秘密その4

テーマ:浄化システム
これまでシリーズでご紹介してきましたように、四国は霊的に大変重要な場所でして、いろいろな仕掛けがされているのです。
<四国の秘密その3>

今回は、その四国の秘密の根本的な役割について、ご紹介します。

世界中の人間が人生を全うし寿命が尽きて魂となると、霊界の一時待機場所(本来は幽界だが、現在は幽界が阿修羅に乗っ取られている)に行くのですが、その場所が四国の地下にある空間と考えていいのです。

これを表した地名が土佐です。地下には人間出身の魂が存在している、という意味です。

これらの魂は、(六道輪廻から外れて阿修羅界に逃げない限りは)生前の人生を振り返れらせられ(ヴィジョンで見せられる)反省し、次の転生準備をさせられます。

転生準備のためには、欲望多き人間生活によって、元来はまっさらだった魂を覆ってしまった分厚い垢(穢れ)を、全て落とす必要があります。この垢を落とす作業のことがで、禊によって、完全に純粋な魂、いわゆる精霊になるのです。

この精霊になる過程が、吉野川下りなのです。そして、その流れる魂の様子を表したのが阿波という地名です。

土佐と阿波、という有名なこの2つの地名だけでも、如何に四国が重要な場所か分かりますね。

このように、四国が霊的に重要な場所であることを具体的に表現したのが、実は空海なのです。

それが、皆さんご存知の四国八十八箇所霊場なのです。いわゆるお遍路ですね。

四国というのは、阿波土佐伊予讃岐の四つの国があるからその名がついているのですが、空海は霊場をこの四つの国で分けて表現しています。
<四国八十八カ所霊場会HP>

阿波(1番から23番)は発心の道場
土佐(24番から39番)は修行の道場
伊予(40番から65番)は菩提の道場
讃岐(66番から88番)は涅槃の道場

①発心とは、仏教用語で、「菩提を得ようとすること(悟り)を決意すること」です。

前世で穢れだらけになった魂から垢を落とし、精霊になることなのです。吉野川下りを行い、徳島湾に出た頃には精霊になり、悟りを目指す修行に出発するのです。

阿波の霊場が最初である理由には、このような裏付けがあるのです。

次の四国の地図をご覧ください。四国の周りを精霊が旅するステップです。

四国の仕組み

(クリック拡大)

次のステップは②土佐の修行です。

修行とは、その名のとおり魂に与えられる試練です。①で徳島湾に出た精霊は徳島湾を四国の海岸線にそって南下し、まずは四国東部の最南端である室戸岬を目指します。

この過程で、徳島南部から高知県東岸のリアス式海岸による波に洗われながら、精霊は修行を積んでいくのです。

そして室戸岬に到達します。

室戸岬の室戸とは、「黄泉の国の入口」という意味です。

直前世の人間生活で、人間としては失格と判定された魂は、室戸岬に精霊となって流れてきますが、この室戸岬を越えて、高知県中央部の海岸まで行くことができないのです。

室戸岬を越えると黒潮に逆らって流れることになるので、それなりの魂のエネルギーが必要なのです。人間生活で徳が積めなかった魂は、乗り越えられるエネルギーを持っていないことになります。

そのような乗り越えられない魂は、室戸岬にある入口から、次の転生(畜生界、餓鬼界、地獄界)に向けて黄泉の国へ向かうのです。

一方、乗り越えられた精霊は、室戸岬を越えて高知県南部のもう一つの土佐を目指すのです。そして、その多くは、そこから再度人間へ転生するです。

これが土佐が修行の道場と言われる由縁なのです。

次のステップは③伊予の菩提です。

菩提とは悟ること。具体的には十界の上から二番目の菩薩界以上の存在になることです。

②の土佐の修行道場で、人間界よりさらに上を目指すエネルギーがある精霊は、高知県西岸最南端の足摺岬を越えるのです。

そこで四聖の下から声聞界縁覚界に転生する魂に選別されます。この2界は菩薩界より下ですからまだ菩提(悟り)には至っていません。菩薩になるのはそう簡単ではないのです。

菩薩になる最大のハードルは、細長く九州に伸びた佐多岬半島です。

宇和島沖から佐多岬半島付け根の宇和海に至り、ここから佐多岬を越えて瀬戸内海の入口伊予灘に入ることは、最大級のハードルに違いありません。

しかし、直前世で菩薩に相応しい徳を積んだ魂の精霊は、このハードルを越えることが可能なのです。

これが、伊予が菩提の道場と言われる由縁なのです。

そして、最後に④讃岐の涅槃の道場です。

涅槃とは、簡単に言えば、煩悩を全て吹き払いになった状態です。従って、涅槃にたどり着く精霊はごく少数でもあるのです。

伊予にたどり着き菩薩界への転生資格を持った精霊も少数なのですが、さらに島々がたくさんある瀬戸内海を通り抜け、讃岐(香川県)の海岸にたどり着くのは至難の業なのです。極々少数の魂だけでしょう。

しかし、涅槃に至ることが全魂の最終目的でもあるのです。

このように、空海は、神代終了後に造られたこの地球上での転生システムを、四国八十八箇所として表現したのです。

しかし、現代では、そんな空海の思いとは裏腹に、基本的なことを知らず、自分の欲望をかなえるため、もしくは興味本位でお遍路を行う人が多すぎるのです。それによって八十八の霊場は邪気まみれになっているのです。これは阿修羅の戦略でもあったのです。

四国八十八箇所が、元のように波動の高い状態になることを期待しています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-10-27 00:00:00

四国の秘密その3

テーマ:歴史の真実
四国の秘密の続きです。
<四国の秘密その1>
<四国の秘密その2>

今回は、四国を代表する山である石鎚山剣山に関係する秘密です。

石鎚山(標高1982m)と剣山(標高1955m)は、四国で一番、二番に高い山だけではなく、西日本最高峰と二番目に高い山でもあります。

また、二つとも古代から修験道の霊山であり、得に石鎚山は日本七霊山にも入っている信仰の山です。
<WIKI:日本七霊山>

この二峰は、四国の東西にバランス良く分かれており、霊的に重要な場所である四国全体に、何らかの役割を負っていると思わざるを得ないロケーションです。霊山というのは、魂の世界と深い関わりがあるから信仰が存在しているのです。

石鎚山は、登山者には人気の高い山のようですが、その頂上は荒々しい風貌をしています。まさしく厳しい修験道の山であるといった感があります。
<WIKI:石鎚山>

石鎚山周辺には、石鎚山を守護する神社として石鎚神社、寺院としては四国88カ所に属する前神寺と横峰寺が存在します。

[横峰寺]

石鎚神社


石鎚山周辺には8月に行きましたが、霞が深くなっていて幻想的でした。九州レベルです。

波動が高くなったとはいえ、まだまだ関西以東は九州には及ばないのですが、石鎚山周辺は波動が上がっていました。やはり、石鎚山は重要な霊山だったのです。

[石鎚山山麓の黒瀬湖]
素晴らしい霞。

横峰寺②


一方の剣山。

その名とは異なり、山頂はなだらかな山です。

剣山


石鎚山が男性的な山であるとしたら、剣山は女性的な山だと言えるでしょう。

剣山に関しては、3年前に特集の記事を書きました。
<剣山①>
<剣山②>
<剣山③>

改めて思い出すと恥ずかしさを感じますが、当時の私は、目覚める前の何にでも興味ある状態でした。この記事では、宇宙人やら登場していますが、実は阿修羅の生霊でした。それでも、私は真剣に対応していたのです。

阿修羅たちは、私が目覚める前に、阿修羅の都合の良い方向へ誘導したかったのでしょう。

でも、こういう経験を何度もしたので、真実を見極める心眼が鍛えられたということも事実なのです。そういう意味では良い経験だったと思います。

阿修羅は、剣山には契約の箱が埋まっているとか、キリストの墓があるとか、11年周期の光柱が出るとか、いろいろ情報を流していますが、全てウソです。剣山は別の意味で重要なのです。これについては、いずれご紹介していくことにします。

石鎚山と剣山は、対になっているのです。

石鎚山が男性的な陽の山なら、剣山は女性的な陰の山です。

前回記事でゼロ磁場の構築方法についてご紹介しました。
<ゼロ磁場の構築方法>

実は、石鎚山に金が埋まっており、剣山には白金が埋まっていて、その間の吉野川源流付近がゼロ磁場になっているのです。

石鎚山ー剣山

(クリック拡大)

先日、早明浦ダムが結界となっている記事を書きました。
<四国の秘密その1>

四国は人間出身の魂が存在している場所でした。それらの魂は吉野川上流に集められ、吉野川を下って行くうちに禊されていきます。
<四国の秘密その2>

魂たちは吉野川上流にどうやって集められるでしょうか?

その答えが、石鎚山と剣山によるゼロ磁場構築なのです。

前掲の写真をご覧ください。石鎚山と剣山を直線で結んだ線と、吉野川源流付近が交わります

ここゼロ磁場になっていて、直前世が人間だった魂がここに集められ、吉野川を下っているのです。

その少し下流に早明浦ダムが造られ結界が張られ、魂は一気に吉野川を下ることができず、ダム湖に滞留しやすくなったのです。

さらに、石鎚山と剣山を守護する寺社仏閣に結界を張り、ゼロ磁場を弱くし、魂を集めにくくしていたのです。

現在では、この結界はほぼ解消しています。

石鎚山や剣山のように、昔、修験などの信仰が栄えた山には、霊的に重要な仕組みが備わっているのです。

これらを知れば、何故、人間に生まれてくるのか、その答えも分かるはずです。全ては修行のためなのです。金儲け等の欲望に明け暮れた人生では、魂になった時に後悔するのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-10-20 00:00:00

ゼロ磁場の構築方法

テーマ:浄化システム
先々週、先週と10月には珍しく二週連続して、2つの台風が日本列島に上陸しました。

ただ、2つとも台風の規模が大きかった割には災害が小さく、皆さんも安心されたことでしょう。これが波動上昇の結果なのです。

台風の動きが遅かったのは、大陸からの高気圧が日本列島を覆っていたせいなのですが、これこそ波動が高くなったおかげなのです。台風は、少しでも波動の低いところを模索しながら進んでいたのです。

沖縄や南西諸島は、まだまだ波動がそれほど上昇していませんが、それ以外の日本の主要地域では、今後、台風に対する過度の心配は必要ないと思います。地震も同じです。

このように、神国日本の波動が本来の姿に戻りつつあるのは、これまで紹介してきました(魂の)浄化システムが復活しつつあるからです。
<浄化システム>

今回は、この浄化システムがどのように復活しつつあるのかを、もう少し掘り下げてみたいと思います。

浄化システムは、大なり小なり神国日本中にちらばっています。また、地域によって浄化する魂に違いがあります。ご紹介してきた有明海、四国、三陸海岸でも、それぞれ扱う魂が異なっているのです。詳細は分かり次第、追々紹介していきます。

浄化システムが存在する河川、湖沼、海岸、山などには、守護する神社や寺院、寺院跡などが必ずといっていいほど存在します。

神社の場合は、神代(約3400年以上前)の頃、天人(神々)が浄化システムを造ってくれたこと、その仕組みを守護してくれていることに対して感謝する、という目的で祀られています。

その後、上代(人代)になって、天人がいなくなり人間中心の文明に移ると、十界の頂点であるが、天人に変わって見えない世界から地球を統治することになったのです。そのため、(現在の)神社のある場所や、その近辺に、佛を祀る寺院等が建立されていきます。これを神仏習合というのです。
<佛と神>

現代では、神社と寺院は、全く異なる宗教概念で分けられていますが、本来は同じベースの延長戦上にあり、同一の信仰だったといってもいいのです。その痕跡が残されているのが、神社とセットになった神宮寺なのです。

ところが、阿修羅の跋扈により、神社と寺院の関係が破壊されてきたのです。その最大のものが、明治維新時の神仏分離・廃仏毀釈なのです。

「この世に何故人間が存在しているのか?」

現代人は、人智でははかり知れない命題のように思わされていますが、江戸時代以前の日本人の中には、この真実を分かっている人がたくさんいたのです。

しかし、現代人は明治維新以降、文化・教育の破壊により、この根本命題について、すべてを失わされてしまったのです。これが大きな意味での洗脳だと私は主張しているのです。

阿修羅は、まず、地球を統治している佛の影響力を少なくするために寺院、仏教の根底を破壊したのです。その結果が、仏教といえば肉体死後の魂を供養する場所、というふうに教え込まれ、それ以外の通常の生活では関心が薄くなっていったのです。

また、神代の天人を祀る神社については、本来の祭神をすり替えたり、呪われた稲荷神で乗っ取ったりしてきたのです。

その結果、神国日本の魂・邪気の浄化システムは、守護する佛、天人の力がそがれ、その能力を十分に発揮できなくなり、見える世界である地球上に浄化(禊)されないままの魂が増え続け、波動が低くなりだしたのです。
明治以降、日本及び世界の波動が極端に下がりだしたのは、こういう流れがあるのです。

これを、私は結界が張られていると主張しているのです。

しかし、この結界は、ここ3年で日本各地で数百箇所以上解かれました。その結果、波動が上がり、空の色、海の色、湖・池、川の色、世の中の空気が良くなり出したのです。

それでも、まだたくさんの結界が残されています。これらも今後数年で順次解かれていくことになります。

ただし、単に浄化システムがある場所、海や河川を守護している寺社仏閣の結界を解くだけでは、浄化システムは完全なものとはなりません。

浄化システムに密接に関わっている原理が、ゼロ磁場なのです。

日本の各地にはゼロ磁場と呼ばれる、そこに行けば体が軽くなり、気持ちが良くなる場所があります。現代では、それほど多くの数のゼロ磁場は見当たりません。

このゼロ磁場が、浄化システムと密接に関わっているのです。

ゼロ磁場には、磁気の流れによって邪気を含んだ魂を集める効果があるのです。逆に言えば、魂は磁気を使って移動しているのです。
(磁気以外でも、風や海流、川の流れでも移動します)

従って、浄化すべき魂を効率的に浄化システムに導くため、神代の神々(天人)は、神国日本中にゼロ磁場を造っていったのです。

白金(プラチナ)を使って。

私が、最初にこのことに気づいたのは一年半前のことです。大坂城の謎が分かったことからです。
<大坂城の真実> 
<白金台の秘密>

その後、各地を見学し、日本中には、ゼロ磁場を作るために、金と白金が埋められていることが分かったのです。日本全国に。

例えば最大級の浄化システムである有明海。ここには少なくとも三カ所のゼロ磁場が作られていることが分かりました。左側の山が白金、右側の山が金が埋められており、そのライン上にゼロ磁場が出来ています。

有明海

(クリック拡大)

金と白金の量を調整することで、有明海に自由自在にゼロ磁場を作り、邪気を含んだ魂(主として植物)を集めているのです。

同様に、神戸-淡路島ライン。神戸の弓弦羽(ゆづるは)神社と淡路島南端の諭鶴羽(ゆづるは)神社。

同じ読み名で漢字が異なる二つの神社ですが、
弓弦羽神社が金で、諭鶴羽(ゆづるは)神社が白金が埋まっていると思われます。その二つの神社を結んだライン上に洲本温泉があり、ここがゼロ磁場になっています。

淡路島は国産み神話の島。人間も淡路島から最初に誕生したといえるのかも知れません。

淡路神戸ライン

これらはほんの一例であり、日本国内には百を優に超えると思われるゼロ磁場が、神々によって造られ、神国日本の浄化システムとなっていたのです。

全ての結界が解かれた時には、日本だけでなく、世界が、否地球が新世界に変貌するのです。近い将来です。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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