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2014-07-28 00:00:00

すり替わりシリーズ(幕末維新④)

テーマ:歴史の真実
日本の歴史は、阿修羅による為政者等のすり替わりが頻繁に行われ、その結果、侵略・支配が繰返えされ、真実の歴史は改竄されてきたことを書いてきました。

一方で、阿修羅に対抗する正神界(本来宇宙には正神界、邪神界という定義はないのだが、阿修羅が勝手に作っている)も、ただ黙って見ているだけではなく、天の采配によるいい意味での重要人物のすり替えで、阿修羅に対抗してきたのです。

その典型が幕末・明治維新なのです。
<すり替わりの真実(幕末維新①)>
<すり替わりの真実(幕末維新②)>
<すり替わりの真実(幕末維新③)>

今回は、この幕末・明治維新のすり替えの中でも、天の采配によってすり替わりを行った、驚くべき事件・真相をご紹介します。

幕末の社会が混迷し、
尊皇攘夷運動が高まったのは、1853年のペリーの黒船来航がきっかけであるのは歴史の常識ですよね。

ペリーが日本に来た目的は、「当時の米国内では石油が発見されておらず、主力の燃料である鯨油を探しに捕鯨が盛んな日本にたどりつき、鯨油取引のため開国を求めた」と言われています。

ところが、ペリーが一旦帰国すると、米国で石油が発見され、鯨油の必要性は薄れたため、今度は貿易目的で開港を要求した、というような話も伝わっています。

この見解に関しては、私は阿修羅によるでっちあげだと思っています。

おそらく、黒船来航の背後には、
日本を支配したい阿修羅の強い思惑があって、阿修羅は外国の力を使い、日本に圧力をかけ、日本支配を行おうとしたのです。ペリーはその手足として使われたのです。現在のロシアのプーチンと同じです。マレーシア航空機撃墜事件は阿修羅の戦術に巻き込まれたのです。

阿修羅幹部は、長い間、安定していた徳川幕府を崩すには、国内だけで難しいと判断し、米国の力によって圧力をかけ、
尊皇攘夷運動の世論を高め、社会を混迷させていったのです。

それまで、鎖国によって一部の国としか交易を行っていなかった日本は、独自の素晴らしい日本文化を維持し続けていたのですが、明治維新を機に近代国家といういかにも耳障りのいい言葉に世論が騙され、阿修羅支配へ落ちていったのです。その結果が明治維新なのです。

明治維新が決定的になったのは、
大政奉還(1867年11月)とされていますが、実際にはその前(1867年1月)の孝明天皇の崩御なのです。

(孝明天皇 ウィキペディアより引用)

孝明天皇


公武合体や尊皇攘夷を阿修羅の思惑とは異なる方法で進めていた孝明天皇の突然の死によって、阿修羅主導の間違った明治維新につながっていったのです。

ちなみに
攘夷とは、「外国人を排除する」という意味だとされていますが、本当は意味は外国人ではなく、阿修羅に操られた外国人を排除することだったのです。当時の日本に圧力をかけてきていた米国を中心とした外国人は、阿修羅に操られていたからです。

孝明天皇が考えていた尊皇攘夷とは、阿修羅の支配を避け、本来の神国日本の形である皇室主導の政治を取り戻すことだったのです。

ところで、孝明天皇は、35歳という若さで亡くなっています。死因は天然痘とされていますが、これは阿修羅による改竄で、実際には
阿修羅による暗殺なのです。

刃先に毒を塗った刀で刺殺されたようです。
暗殺したのは、本来の伊藤博文にすり替わった阿修羅です。後に初代総理大臣になった伊藤博文とは、阿修羅がすり替わったものだったのです。驚愕です。

(伊藤博文 ウィキペディアより引用)

伊藤博文


ところが、暗殺されたと思われていた孝明天皇でしたが、実は死んでいなかったのです。死んだのは影武者だったのです。

ここから驚愕の歴史なのです。

阿修羅は、孝明天皇を暗殺し、皇位を継ぐ、幼少の明治天皇をすり替える計画でした。阿修羅の思惑を知っていた孝明天皇は、影武者の死を機に人生最大の大芝居に打って出たのです。

それが、
自身が別人物にすり替わることだったのです。

その人物とは、皆さんがよくご存じの
勝海舟なのです。驚愕でしょう!

天皇が、一般人にすり替わるというのはさすがに前代未聞なのかもしれません。

孝明天皇がすり替わる前の若き勝海舟はこの写真です。
(ウィキペディアより引用)

勝海舟①


孝明天皇がすり変わった1867年以降の勝海舟はこちらです。
(ウィキペディアより引用)

勝海舟②


幕末から明治維新にかけて、突然勝海舟が表舞台で活躍しだした背景には、孝明天皇のすり替わりが理由だったのです。

勝海舟は、真の維新メンバーを集めます。それが、以前紹介したフルベッキの写真のメンバーなのです。

明治維新

<すり替わりの真実>

これらのメンバーを統率したのが孝明天皇である勝海舟で、
真の維新群VS阿修羅という戦いが始まったのです。

そして、勝海舟が打った最大の手が1867年11月の
大政奉還のです。

元来、神武天皇以来、天皇が日本だけでなく世界の人類のトップであるべきなのですが、古代から阿修羅によって天皇の地位は下げられ、鎌倉時代以降は武家が力を持ち、実質的な権力トップは幕府という時代が800年ほど続きます。

孝明天皇は、この状況を本来の状態に戻したかったのです。それが当社の公武合体や尊皇攘夷の考え方だったはずです。

そこで、旧知の徳川第15代将軍徳川慶喜と、本当は自分の息子である幼少の明治天皇を手打ちさせ、大政奉還という日本史上有数の大事件を決行したのです。

これによって真の明治維新が成就するはずだったのです。

ところが、阿修羅はそう簡単にあきらめるような輩ではなかったのです。

阿修羅は、幼少の明治天皇をすり替え、皇室を侵略するという暴挙をやったのけたのです。1867年末から1868年初頭にかけてのことでしょう。

これをきっかけに、真の維新メンバーの多くは、暗殺されるなどして、阿修羅によってすり替えられて行ったのです。

実際に、明治初期に発足した明治新政府の主要メンバーで、真の維新メンバーで残ったのは西郷隆盛他ほんの数人だったはずです。

その西郷隆盛も西南の役で完全排除されることになるのです。

こうして、日本の近代は、阿修羅主導の天皇制に移行してしまったのです。大日本帝国憲法という悪名高い憲法が出来たのはこのためなのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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2014-07-21 00:00:00

考古学はまやかし

テーマ:歴史の真実
私が歴史の真実の探求に関心を持ったのは、ムーとやアトランティスなどの先史文明が本当に存在していたんだ、ということが分かって来たからです。

調べてみると、世の中の常識では説明できないものが、この世にはたくさんありました。

それを自分なりに調べだしたのが約5年前。そこから宇宙人やら、神やらに発展していきました。実際には、ムーなどの先史文明は、神(天部)が中心となった文明のことだったのです。

そうすると、歴史常識的には低いとされている日本の縄文時代や弥生時代の文化度は、実は高かったのではないか、と考え直すようになります。

古代人は横穴式住居や竪穴式住居に住んでいて、縄文時代は狩猟民族、弥生時代は農耕民族と変化して徐々に文化度が高くなって行った、とされている歴史の定説に、どうしても疑問が生じました。

もちろん、古代は科学技術が現代のように発達していなかったのは間違いないのですが、あの壮健な出雲大社は、太古はより巨大な建物として存在していたことが明らかになっています。重機を使わずして、あれだけの建築物を正確に造る技術とは、我々想像している縄文時代や弥生時代の文化度とは全く異なるのです。

弥生時代後半、3世紀頃に存在していたという邪馬台国についても、実在・非実在が常に議論されていますが、九州に実在していたことは間違いありません。教えられてきた歴史は、全てが異なっているといっても過言ではないのです。

それでは、何故、これら古代(神代から上代)のことは謎だらけなのでしょうか?

それは歴史が阿修羅によって改竄されたり、消されたりしてきたからなのです。

その改竄は、一体どのようにして行われてきたのでしょうか?

その一端が、少しずつ分かってきましたのでご紹介します。

日本の考古学の基礎を築いたと言われる人物に、米国人動物学者のエドワード・S・モースがいます。大森貝塚の発見者で有名な人物ですね。
<WIKI:エドワード・S・モース>

モースはダーウィンの進化論を体系化し、日本に初めて紹介した人物でもあるようです。

そもそも、進化論自体が間違いなのですが。冷静に考えてみれば分かることです。人は人間界、猿は畜生界。人種の違いも考えれば進化論なんてあり得ません。進化論は阿修羅が持ち込んだ理論です。

モースは、米国の動物学者ですが。1877年(明治10年)、40歳の頃、生態系な豊富な日本に渡ってきます。

その研究の途中、当時の鉄道に乗って横浜駅から新橋駅に向かう途中、現在の大森付近を通過していた時に、車窓から現在の大森貝塚を発見した、とされています。すごく嘘っぽいエピソードです。
<WIKI:大森貝塚>

貝塚とは、縄文時代の狩猟民族が食べていた貝の殻が、捨てられたものが積み重なったものとされています。

モースが、1877年に大森で貝塚を発見して以降、各地で同様な貝殻の堆積物が見つかり、縄文時代の集落の跡とされてきました。

これは事実なのでしょうか?

確かに、貝塚が見つかった場所の周辺には古墳があったり、住居跡があったりと、古代に集落があったことは間違いないと思います。

しかし、貝殻の堆積層が見つかったから、縄文時代は狩猟民族で、文化度が低かったと結論付けていいのでしょうか?

大森貝塚については、中学校の歴史の教科書に出ていたので、その名称は知っていましたが、貝塚自体に関心はありませんでした。

ところが、先日、仕事関係で都心から蒲田方面に向かっている途中、大森駅手前で、大森貝墟という大きな字の石碑が目に入りました。まるでモースのようですね。

その石碑に瞬間的に強い邪気を感じ気になりましたので、途中の大森駅のホームに降りてみました。

すると、降りたホームの目の前にモースの石碑がありました。日本考古学の生みの親みたいなことが書かれていました。

モースという名前くらいは知っていましたが、人物の詳細は知りませんでした。ましてや、考古学の生みの親とされているとは。

ただ、モースの石碑に、強い邪気を感じましたので、モースには悪しき謎が隠されていると感じ、後日、改めて大森貝墟の石碑を見に行くことにしました。

大森貝嘘は、大森駅から徒歩数分の線路沿いにありました。物凄い邪気を放っていました。

大森貝塚①

大森貝塚②


当然、大森貝塚の発見者モースの業績についても紹介されています。

大森貝塚③


また、大森貝墟からさらに都心よりに数分歩くと、大森貝塚公園がありました。この公園も物凄い邪気に覆われていました。

モース像に至っては、半端な邪気ではありませんでした。

大森貝塚④


さらに周辺を散策すると、古い神社や寺院がたくさん見つけられます。

大森駅前にある天祖神社

天祖神社①

天祖神社②


天祖である天照大御神を祀っている由緒ある神社です。他にも荏原神社や日枝神社、鹿島神社など、歴史の古い由緒あるが周辺にはありました。

これらのロケーションから、私が感じたのは、品川から大森、蒲田にかけての一帯は、神代、神々が活躍していた重要場所だったのではないか、ということです。

品川区の海岸沿いには天王洲という地名もあります。天王とは、太陽系の神々の王のことです。牛頭天王もその一つの存在です。

これら東京湾西岸地帯には、かつて(4000年強前だと推測)神代の都があったはずです。従って、重要かつ古い神社が点在しているのです。

古代(神代終了後の上代)の人達は、かつての神々を崇めるため神社を創建して祀ってきたのです。江戸時代までは、日本神話は普通に歴史の一環として教えられていたはずです。

ところが、そのことを隠したい阿修羅(増上慢偽明治天皇)は、明治維新を機に、すべての常識をひっくり返すために、歴史も変えていったのです。

その洗脳のツールとされたのが考古学という概念です。

モースは、まじめな動物学者として日本に来たのでしょうが、阿修羅によって考古学者の生みの親に祀り上げられてしまったのです。阿修羅と契約してしまったのでしょう。
<増上慢との契約>

阿修羅の目的は、神代を縄文時代に改竄することです。そして、上代を弥生時代に。

そのために、化石として残り易い貝殻の堆積層を貝塚と定義し、文化度の低い縄文時代という歴史概念を創りだしたのです。モース以降、考古学という欺瞞の学問によって、皆さんは洗脳されてしまったのです。哀れな事です。

コペルニクスが地動説を唱え、その後、天文学の常識は一変したと言われていますが、それまでは阿修羅によって天動説に改竄されていたのです。

同じようなことが、神代と縄文時代にも言えるのです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2014-07-14 00:00:00

古墳の真実

テーマ:歴史の真実
世界の歴史、日本の歴史は改竄だらけで、世界中、誰一人真実を知っている人はいません。

特に日本の歴史は改竄がひどく、明治以降は、阿修羅のお抱え歴史学者によって、全く反対といってもいいほど改竄されているのです。歴史とは勝者(阿修羅)に作り替えられた歴史なのです。

皆さんは、そういう改竄の歴史を学校で教えられていくことで、小さい頃からどんどん間違った歴史観に誘導・洗脳されているのです。歴史の常識ほど、恐ろしいものはないのかも知れません。中世・近代も全て改竄です。

そういう日本の隠された歴史の一つに、古墳があります。

古墳は、3世紀から7世紀くらいにかけての古代有力者の墓、と言われていますが、全てがそうとは限らないのです。古墳には、もっと深い謎が隠されているのです。

古墳は日本独特のものです。朝鮮半島にも一部点在していますが、それは日本人が、古代に朝鮮半島に阿修羅に対抗するために、影響力を持っていた頃の名残りなのです。

それと、古墳が造られた時代ですが、通説のように3世紀から7世紀に造られた古墳が多く発見されていることは間違いではありませんが、その時代よりも、ずっと古い4000年前後前の神代の時代のものも結構たくさんあるのです。

〇〇天皇陵などのように、はっきり名称が付いている古墳は、その天皇が在位していた時代の古墳だと考えていいと思いますが、はっきりしていない古墳は、神代(約3400年以上前)のものが多いと思われます。

福岡県久留米市にある権現塚古墳

権現塚古墳①


二つ並んだ円墳

権現塚古墳②


また、古墳とされていない、各地にある小山なども、古墳であることが多いのです。そういう小山の周りには、小さな祠などが祀られています。これらも神代、又は上代の頃の古墳です。皆さんも、そういう目で探してみたら、意外に近所にたくさんの古墳らしき小山を発見するはずです。

徳島県阿南市にある小山。これはまさしく古墳

阿南②

阿南①

神代の古墳は、当時活躍していた神々(天界の存在)の死後、それらの神々崇めるため、大きな墳墓を造り祀ったのだと思われます。

宮崎県西都原古墳群の男狭穂塚古墳、女狭穂塚古墳がその典型で、それぞれ、これらは大己貴命と木花咲耶姫命の陵墓なのです。神代の時代は、
円墳や方墳が主です。

立入禁止の宮内庁管理の古墳

西都原古墳①


分かりづらいが奥が古墳。
西都原古墳②


ところが、神代が終わり、神々がいなくなって(追い出されて)地球が人間中心文明に移行すると、地球を統治する人間のトップは、日本の天皇に移行されます。天皇の祖先が天照大御神というのは、ここから来ている純然とした事実なのです。

上代からは、それまでの円墳や方墳よりも、前方後円墳が多くなっていき、その規模もだんだん巨大化していきます。

特に、第15代応神天皇の頃からは、墳丘の長さが400メートルを超えるような超巨大なものになり、次の第16代仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は、世界最大の墓(古墳)となっています。

(仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳。宮内庁によって厳重に管理され、中には入れない。)

大山古墳②


素晴らしい波動を放っている。

大山古墳③


先日、この大仙陵古墳を訪れたのですが、素晴らしい波動でした。古墳全体から素晴らしい波動を放出していました。写真からもなんとなく感じられるはずです。

宮内庁が厳重に管理していて立ち入れない、これらの古墳は、特別に重要な場所なのです。

何が重要なのでしょうか?

私の初期のブログの頃、陰謀系やスピ系をよく調べていた頃ですが、大仙陵古墳には戦後GHQが立入り、そこに契約の箱とか、アークとか、隠されていた三種の神器を発見して持ち帰ったとか、阿修羅系の雑誌ムーなどでは根拠のないことが書かれていました。そのくらい、世界最大の古墳、大仙陵古墳には謎が秘められているのです。

現状は、宮内庁が厳重に管理し、発掘もされていません。そこには、それなりの理由があるのです。

大仙陵古墳を筆頭とした大規模な前方後円墳について、私が違和感を感じるのはその巨大さです。

何故、莫大な労力と時間をかけて、あのような巨大な古墳を造る必要性があったのか?、なのです。

神代の時代、神々を崇めて、人間が大きな円墳を造ったことは理解できます。

しかし、上代以降の天皇は人間トップとはいえ、同じ人間界の存在です。それなのに、神代の神々よりも大きな前方後円墳になっています。何故でしょうか?

また、最大の大仙陵古墳に祀られているとされている仁徳天皇は、庶民の生活が苦しいのを見て、租税を免除し、そのために宮殿はぼろぼろになっても倹約を続けたと言われる聖帝です。今の政治家とは大違いですね。

そのような時代背景において、いかに仁徳天皇のためとはいえ、あのような巨大な古墳をを造るでしょうか?

それは、仁徳天皇の意思にも反しているはずです。
<WIKI:仁徳天皇>

私が思うに、このような宮内庁が厳重に管理し、立入りを禁止している古墳には、別に大きな秘密があるのです。

それは、宇宙と繋がったワープゾーンだということなのです。

以前、宇宙の六道輪廻の出入口として宍道湖を紹介しました。
<宇宙の六道輪廻>

人間にも、少数ですが、通常の六道輪廻には属しない上の六道輪廻に属する人たちがいるのですが、その人たちの魂の出入口が宍道湖ということなのです。

要は、宍道湖は普通の人には見えないけれども、宇宙と繋がった次元の異なるワープゾーンなのです。

大仙陵古墳をはじめとした宮内庁が立入禁止している巨大な前方後円墳は、宍道湖と同じように宇宙に繋がった場所なのです。凄いでしょう!

神代の時代、神々はこれらの場所を通じて、宇宙からやってきていたのです。

しかし、神代が終了し、人間中心文明に移行すると、人間は使う必要性が亡くなったために天の意思によって、封印され、天皇の古墳にすり替えられて、次に使う時代が来るまで宮内庁によって厳重に管理されているのです。

前方後円墳の形が、鍵穴の形をしているのは、宇宙の扉を表しているからなのです。

そして、再び、その封印が解ける時代が、すぐ目の前に迫っているのです。10年以内です。楽しみですね。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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2014-07-07 00:00:00

霞の真実

テーマ:宇宙の真実
全国的に梅雨の末期に入り、各地で豪雨が降っています。

しかし、今年はそれほど大きな被害は出ていません。波動が二年以上前の状態だったら、大きな被害続出だったはずです。全国的に波動が上がった証拠なのです。

ただ、先日、三鷹市のごく狭い地域でひょうが降り、車が通行できないようになったシーンが報道されていましたが、あのような場所は局地的に波動が低い場所なのです。その地域の寺社仏閣に結界が張られているからなのです。

阿修羅は、その波動が低い場所を狙って、集中的に気象操作を仕掛けているのですが、昨年までとは全国的に波動レベルが上昇しているので、大災害が避けられているのです。


さて、当ブログをご覧の方は、霞(かすみ)のことはご存じだと思いますが、世の中の一般の方は、霞には全く気が付いていません。未だにPM2.5だと騒いでいます。面白いですね。
<PM2.5の欺瞞>
<暦と季節と波動>

霞とは、一体どのようなものなのでしょうか?

ウィキペディアで調べてみると、次のように簡潔に書かれています。
<WIKI:霞>

「霧・もや・煙霧などで遠くの景色がぼやけて(かすんでいる)様。文学的表現であり気象学的定義はない。春の季語。」

これを読んで驚きました。霞の原因は全く分かっていないのですね。

昔から霞という言葉が存在するのに、分かっていないのです。これは、霞の真実が、阿修羅によって意図的に隠されているということでもあるのです。都合が悪いのです。

「気象学的定義はない」とされているので、マスコミは、阿修羅系学者等によって霞をPM2.5とすり替えられていることに気づかず、毎日天気予報でPM2.5情報を流しているため、一般大衆もいつの間にか洗脳されていくのです。所詮、人間レベルの科学力では分からないことが多いのです。

あと数年したら、この霞に対する世界の常識は一変しますから、楽しみに待っておいてください。

それでは、今回は、霞の定義について、ご紹介します。

まず、この記事を再度読んでみてください。

<魂と浄化システム>

神代に造られた神国日本の浄化システムは、地球上のたくさんの生物が死んだ際に発生する欲望にまみれた魂、これが邪気の正体であり、この邪気を浄化しています。

ところが、阿修羅によって日本全国の浄化システムは、それを守護している神社等に結界が張られ、十分な浄化ができないような状態に陥っていました。

これが特に明治以降、日本の波動が下がり続ける原因であり、近年の空は邪気まみれの青い色が常識になっていたのです。

その結界が、二年前から解かれだすと、日本全国各地、さらには世界まで波動が上がりだし、空が青い状態から薄い青になり、ところによっては白く見えることもあります。雲の見え方もくっきりになっています。

そして、山沿いには白く
がかかることが多くなり、遠方の視界が悪くなり、山などが見えにくくなっています。これは、霧や煙霧などではなく、波動が高い状態なのです。

以上が前掲記事の概略ですが、この記事では霞の正体は何なのか、はっきり言及できていません。あくまで浄化システムが稼働し、波動が高くなったので、霞が出ているとしか書いていません。この時点では、私はそこまでしか分かっていませんでした。

その後、各地を巡る中で、霞の真実が分かったのです。

宮崎県霧島に霞神社という名の神社があります。霞の中に佇む神社です。

(宮崎県霧島の霞神社)

霞神社①


修験道の縄張りのことも霞と呼んでいたそうだ。

霞神社②

薄らとした霞の中にたたずむ。

霞神社③

霞神社から見た霞。

結論からいいますと、霞とは、浄化システムによって浄化された魂、つまり精霊の集合体なのです。

主として、植物及び動物、微生物など人間を除く生物の精霊なのです。精霊とは転生する前のまっさらな魂のことです。

地球上の生物の魂は、一部の阿修羅を除いて、全て六道を輪廻をしています。実質的には、現在では六道に神界はなく、阿修羅界も十界から離れてしまっているので、阿修羅界に支配されている魂以外、地球上の全ての生物の魂は、基本的には人間畜生(動物)餓鬼(植物)地獄の四つの界を輪廻しています。

これは、私の見解です。

人間の場合、寿命が来ると、その魂は霊界に行き、反省会が行われ、審判を受け、次の転生先が決まります。

再度、人間に転生する魂もあれば、生前罪を犯し、動物や植物に生まれ変わる魂も結構多いようです。

さらに重罪を犯したり、自殺した場合等は地獄へ送られるようです。

とにかく、地球は魂の修行の場ですから、転生を繰り返して行くことで、魂の波動を上げて行くことが宿命なのです。

その結果、魂の波動が上がれば、上の六道輪廻に転生でき、佛様になる魂も登場することになります。本来の仏教とは、宇宙の存在のトップである佛様になることを目指す教義なのです。従って、誰でも簡単には成佛はできないのです。

地球上の人口は約70億人と言われています。毎日15万人以上の人が亡くなっています。ということは、毎日たくさんの数の魂が、霊界で審判を受けていることになります。さぞかし、霊界はごった返していることでしょう。

ところが、動物や微生物、植物レベルまで考えると、毎日死んで魂が発生する数は、想像もできないような天文学的数字になるはずです。兆や京レベルの単位よりはるかに上でしょう。

これらの畜生界、餓鬼界に属する膨大な数の魂が、死ぬたびに霊界へ行って反省会を行い、審判を受けられる訳がありません。

反省会を受け、審判を受けるのは、人間出身の魂だけだと言っていいと思います。

それでは、畜生界、餓鬼界、地獄界に属している魂は、どうやって次の転生が決まるのでしょうか?

人間界の魂が、畜生界、餓鬼界に属する魂、つまり動物、植物などの人間以外の生物に落ちた場合は、その界において、決められた一定期間が終了するまでは、
植物なら植物、動物なら動物というように自動的に転生し続けなければならないのです。

例えば、植物だったら50年間、動物だったら100年間というように(
正確な期間は知りません)。その期間の中で、植物だったら死ぬとまた植物に、動物だったらまた動物に転生するようなのです。

「それなら樹齢千年を超えるような木はどうなるの?」

と聞きたくなると思いますが、この場合は特別で、おそらくこれらの木は神界に属するのでしょう。木の神様なのです。ご神木などは特別な存在なのです。

さて、霞の話に繋げていきます。

霞は、山沿いや植物や昆虫が多いゴルフ場等の緑地でより濃くなります。

それは、霞の正体が、人間以外の植物、動物の魂が浄化された精霊だからです。

これら精霊は、一度わざわざ霊界に戻ることなく、前述しました一定期間の終了が来るまでは地球上で待機し、次の植物や動物としての転生を待つのです。

そして、転生準備のために転生先が見つけやすい、山や森などに自然に集まってくるのです。

二年前までの結界が張られた波動の低い状況では、浄化システムの処理能力が現在よりも極端に低かったので、誕生する精霊の数も少なく(一方で邪気は増えて行く)、転生待ちする精霊が少なかったのです。

だから、霞はあまり発生せず、空が青かったのです。

それとともに、地球上の植物はだんだん少なくなっていたのです。種がたくさんできても、種の数に比較して、次の世代の植物に転生できる精霊の数が足りないので、発芽率が悪くなっていたのです。

動物の場合も同様で、おそらく受精率が悪くなるのです。

波動が高い場所だと作物が豊作になるのは、この理論と同じです。波動が高い場所は、植物の精霊が多いのです。
<結界の真実②>

現在は、浄化システムの結界が解け、誕生する精霊が大幅に増えました。そして、邪気はなくなってきました。

たくさんの精霊は、植物や動物に転生するため、転生しやすい山などに待機し、より良い待機先を競争しているのです。転生できる魂より、転生待ちの精霊が多いので、精霊が山などにあふれとなって見えるようになったのです。

今後は、自然の生態系が波動上昇とともに活発化していくのです。凄い仕組みでしょう!すべて波動上昇が地球の諸問題を解決するのです。阿修羅でさえもです。

理解できましたでしょうか?

霞が深い場所とは、精霊がたくさんいる場所。だから波動が高く気持ちがいいのです。

これから、世界中の緑が復活していきます。


最後まで読んでいただきありがとうござます。


2014-06-30 00:00:00

二人の日蓮

テーマ:歴史の真実
前回、前々回と、源義経と親鸞、それに法然についての真実の歴史についてご紹介しました。
<義経と親鸞>
<法然と親鸞>

源義経がすり替わった親鸞は、阿修羅から法然を救うため、さらには世の中を救うために仏教家として再度立ち上がったのですが、結果的には法然とともに阿修羅の罠に嵌り、親鸞という名前すら阿修羅トップの増上慢に乗っ取られ、すり替わられてしまったのです。

それでは、本来の親鸞(源義経)は、その後どうなったのでしょうか?

ここからが、さらなる驚愕の展開になっていくのです。

本物の親鸞は、偽親鸞が暗躍しだした中で、再起するタイミングを待つため、ひっそりと活動し、全国行脚しながら結界を解いていたのです。1215~1250年くらいの間のことだと推測します。全国各地に親鸞の足跡があるのは、この時のものです。

そして、その後、1250年代になって、親鸞は歴史上重要な人物と出会うことになります。

それが日蓮(1222年~1282年)なのです。
<WIKI:日蓮>

鎌倉時代には、後世の現代に至るまで、多大な影響を与え続けることになる仏教家が登場します。

法然、親鸞、栄西、道元、そして日蓮等。

何故、この時代に、このように歴史に名を残す重要な仏教家が登場したのでしょうか?

それは、この時代が末法に入る重要な時代で、天の采配でそれまでの天皇や武将の魂が、仏教家に生まれ変わって、世の中を別方向に導こうとしていたからなのです。

その時代の流れを汲みとって、自ら親鸞に転身したのが、源義経だったということにもなるのです。

そして、この鎌倉仏教の後半に登場した超大物が、日蓮ということになります。

実は、日蓮は法然の魂の生まれ変わりなのです。法然時代、阿修羅に誘導された無念を晴らすために、天の采配で生まれ変わったのです。

凄いでしょう!普通の方には、信じられないことだと思います。

法然から生まれ変わった日蓮は、法然と親鸞が阿修羅の罠に嵌ってしまい、偽親鸞が登場し、本来の二人が意図していた教えとは異なる専修念仏が広まったことを正そうとしたのです。

現在の千葉県鴨川市小湊で誕生した日蓮は、地元の清澄寺で学んだ後、三井寺や薬師寺などを遊学します。

(誕生寺)

誕生寺①

日蓮が生まれた小湊の誕生寺

(誕生寺の幼少の日蓮像)

誕生寺②

良く知る日蓮とは雰囲気が異なる。


そして、再び
清澄寺に戻り、現代社会でも誰でも知っている「南無妙法蓮華経」というお題目を広めていきます。飛鳥時代から伝わっていた法華経にさらに独自で磨きをかけ、大衆に広めようとしたのです。

(清澄寺)

清澄寺①

若き頃の日蓮が学んだ清澄寺。

(清澄寺の日蓮堂)

清澄寺②

物凄い神気。日蓮のオーブも写っている。

有名な「立正安国論」を発表した頃(1260年)のことです。

阿修羅が広めつつあった、専修念仏の「南無阿弥陀仏」に対抗しだしたのです。

当然、阿修羅は、邪魔者の日蓮を排斥しようとします。

それらの一連の流れが、1260年から始まる松葉ケ谷法難に始まる、日蓮の数回に渡る苦難なのです。

日蓮は何度も命を落としそうになったようですが、いずれも奇跡的に助かったとされています。

ところが、この間、日蓮はどうも命を落としたようなのです。1262年頃のことだと思います。

しかし、救世主、日蓮がこのまま亡くなったとなっては、世の中は阿修羅の思う壺になります。

そこで、天は、後釜の日蓮を用意したのです。

それが、源義経がすり替わった親鸞だったのです。驚愕でしょう!

親鸞は1262年に亡くなったことになっていますが、義経はこの年に親鸞を捨て、二代目日蓮にすり替わったのです。

そして、初代日蓮の跡を継ぎ、「南無妙法蓮華経」のお題目を大衆に広めていったのです。

二代目日蓮も小松原法難や辰口法難で危機に陥りますが、そこは覚醒した人物、天の采配を受けながら切り抜けて行きます。

そして、二代目日蓮のクライマックスが、元寇の神風です。この神風は二代目日蓮が法力によって起こしたものなのです。

そうでなければ、二度も偶然のように台風は来ないです。世の中に偶然はないのです。すべて因果応報。

二年前の記事にやっとつながりました。
<神風を起こす>

千葉県の清澄寺を中心に活躍したのが初代日蓮、人生後半の山梨県久遠寺を中心に活躍したのが二代目日蓮です。二人合わせて真の日蓮なのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-06-23 00:00:00

法然と親鸞

テーマ:歴史の真実
前回記事の続きになります。
<義経と親鸞>

親鸞は、源義経がすり替わった人物だった、ということでした。

親鸞といえば、浄土真宗の開祖と言われていますが、実際は違います。これは後述します。

義経がすり替わった親鸞は、仏教を学ぶために比叡山延暦寺で修行します。10年間くらいでしょうか。

そして、当時広がりつつあった一般大衆の仏教、「南無阿弥陀仏と念仏さえ唱えれば死後は平等に往生できる」という専修念仏を基本理念とした、日本の浄土宗の開祖である法然と出会います。
<WIKI:法然>

と、歴史上では伝えられていますが、実際には、親鸞は、阿修羅に悪い方へ誘導されつつあった法然を、救おうとしていたのです。

平安時代の仏教は、密教であり出家僧が修行を積み、悟りを開くことが目的でした。それ以前に始まった修験道からの流れだと思います。

平安時代の末期、「末法の時代に入った」と世の中が喧騒になると、これまでのような密教による出家僧だけでなく、一般大衆を救済しなければならない、という考えが広まりだします。そこに登場したのが、法然で、法然によって専修念仏が広がりだします。

しかし、いつの世も、阿修羅は一般大衆を洗脳した上で支配下に置きたい訳ですから、大衆に影響力がある権力・影響力のある人物、宗教・団体等を真っ先に狙っていくのです。

現代社会でもたくさんの新興宗教があり、それらの公称会員数を合わせると、日本の人口の二割以上を占めるはずですが、それらの宗教団体はほとんどが阿修羅の支配下です。影響力がある団体等は阿修羅に狙われるのです。
今も昔も同じことです。

末法の世界に入ったと言われていた時代です。法然の専修念仏は急速に一般大衆の中で広がっていきます。

これを阿修羅が見逃すはずがありません。阿修羅は、法然を支配下に置こうとしたのです。

この時に登場したのが、前回記事でご紹介した義経がすり替わった親鸞だったのです。

親鸞が法然に近づいたのは、阿修羅の手に落ちかけそうになっていた法然を、バックアップすることが一義的な目的だったのです。そのために法然の弟子となり、内から法然を守ろうとしたのです。

しかし、専修念仏と、天台宗などの当時の既存仏教は、阿修羅によって対立構造を煽られ、朝廷を巻き込んでの衝突に発展します。これが承元の法難等の騒乱です。
<WIKI:承元の法難>

これらの歴史は、表向きの歴史書だけ読んでも分からないことです。何故、宗教対立によって戦争にまで発展するのか。それは、当事者たちが阿修羅によって魂を悪い方向にくすぐられ、対立するように持っていかれるからです。人間の欲望をくすぐるのです。人間は欲望に負けやすい動物なのです。

現在のように、中東やロシアで衝突が起きているのも、まさしく阿修羅が見えない世界で跋扈しているからなのです。

話が飛びましたが、承元の法難によって、専修念仏は朝廷から停止され、法然と親鸞は流罪となります。1207年のことです。

流罪から戻った法然は、しばらくして亡くなり(1212年)、一人になった親鸞は、法然の後をついで東国布教の旅に出たとされています。親鸞の足跡はここからは不明な点が多いのです。
<WIKI:親鸞>

そして、親鸞が再び歴史上に登場するのは、1230年代半ば、62、3歳の頃です。この後は、執筆活動が中心となり、1247年には有名な「教行信証」を完成させることになります。これが、後の時代、浄土真宗の教義に繋がっていくのです。

ところが、実は、帰京した以降の親鸞は、義経がすり替わった親鸞とは異なっていたのです。

皆さんが歴史の教科書等でよく目にする肖像画の親鸞です。(ウィキペディアから引用)

親鸞


この肖像画の親鸞は、晩年の親鸞を描いたものですが、若い頃の親鸞(義経がすり替わった人物)とは異なります。

本物の親鸞は、もっと柔らかい顔をしています。

皆さんが、よく知る肖像画の親鸞こそ、増上慢(阿修羅トップ)がすり替わったものなのです。

法然の死後、親鸞は消息不明となり、帰京した際には増上慢がすり替わっていたのです。

そして、その偽親鸞の死後、法然や本物の親鸞が広めようとしていた浄土宗とは異なる教義の浄土真宗が誕生し、今日まで大きな影響を与えてきているのです。浄土真宗とは阿修羅の宗教なのです。

明治天皇は、明治9年(1876年)、
親鸞に対して見真大師の称号を与えています。時代的におかしいと思いませんか?

これは、まさしく、自分(明治天皇にすり替わった阿修羅)の魂が、偽親鸞にすり替わったことを意味しているのです。意味が分かりますか?

ちなみに、最澄が法然に生まれ変わり、空海が親鸞(源義経)に生まれ変わっているのです。最澄と空海の時代も同じような関係だったのです。

それでは、最初の本物の親鸞はどうなったのでしょうか?

ここには、さらに驚愕の展開になっていたのです。いずれご紹介します。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


2014-06-16 00:00:00

義経と親鸞

テーマ:歴史の真実
私がご紹介する歴史の真実は、それが事実であったとしたら、皆さんの歴史観が一変する驚愕の内容なはずです。

もちろん、細かい点は別として、大まかにはこの内容が真実だと判断して書いています。全て現地調査とインスピレーションからです。

このような内容を、本業が別にあり片手間でブログ書いている私が、考えて書けるはずがありません。すべて、波動、霊性が高まったのたまものなのです。

内容を信じられるかどうかは、皆さんの波動によるのです。

それでは、今回も驚くべき歴史の真実をご紹介します。


私の好きな歴史上の人物の一人に、牛若丸こと源義経がいます。弁慶とともに誰しもが知っている人物ですね。
<WIKI:源義経>

ところが、源義経の短い生涯には多くの謎が付きまといます。

幼少期は鞍馬寺で天狗によって修行を受けた。
突如頭角を表し、腹違いの兄、源頼朝とともに行動するようになる。
平氏討伐では、人間業と思えない活躍を見せた。
源頼朝と決別し、追われる身となる。
奥州で自刃した伝わるが詳細不明
、等々です。

これ以外に伝説として、義経は津軽海峡を渡って北海道に逃れ、その後、大陸へ渡ってジンギスカンになった説もあります。私は、二年前には義経=ジンギスカン説は十分有り得ると考えていましたが、それは違いました。

日本人としては、もっと驚くべき展開になっていたのです。

源義経については弁慶の出会いとともに、源平合戦の主役の一人として語られることが多いです。

そもそも、何故、平氏と源氏が対立するようになったかと言えば、背後には全て阿修羅がいて、朝廷のサポート役として武家社会を確立しつつあった平清盛を貶めて、朝廷を混乱させだしたのがきっかけなのです。たぶん、平清盛もいい意味で何度かすり替わっているはずです。

源頼朝、源義経兄弟の登場は、阿修羅に支配されつつあった清盛、及びその後の平氏政権を、正常な状態に取り戻すためだったのです。

従って、平氏が悪い、源氏が悪いという、単純な問題ではなく、正神界VS阿修羅界(邪神界)の代理戦争だったのです。他の改竄された歴史も全てそうなのです。

阿修羅は、一般大衆に対しては憑依・ウォークインによって、また時の権力者等に対しては、すり替えという手法によって、朝廷を支配しようとしてきたのです。人類中心の文明が始まった神武天皇の頃からずっとです。

平氏政権の混乱の中、頼朝と義経は一致団結し、阿修羅の手に落ちていた平氏政権を討伐し、正常な状態に戻します。この結果が、頼朝が立ち上げた本格的武家政権の始まりである鎌倉幕府なのです。

しかし、その頼朝も、鎌倉幕府を立ち上げた1192年には、すでに最初の頼朝からすり替わっていたのです。

頼朝が、突如、義経を排除しだしたのは、1185年初め頃です。義経が平氏を討伐した直後、実質的に源頼朝が朝廷と並ぶ時の権力者トップに着いた瞬間です。

義経が、後白河法皇に平氏討伐の戦勝を讃えられたことがきっかけで、妬んだ頼朝との関係が悪化したと言われていますが、本質はそうではないでしょう。

この時点で、頼朝はすでに阿修羅の罠に落ちていたのです。

その後、義経を匿った奥州藤原氏を巻き込んだ戦いとなり、二年後の1187年には義経は自刃し、奥州藤原氏も頼朝に敗れたことになっています。

この後、頼朝は1192年に征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開きます。その間には約5年の歳月がありますが、この間は、まさしく朝廷VS阿修羅との攻防であり、頼朝は当初の人物からすでにすり替わっていたはずなのです。それが頼朝、北条政子のコンビであり、朝廷をサポートするための鎌倉幕府の開設だったのです。


ここで、主題の義経に関する話題戻ります。


義経は、阿修羅の策略に惑わされた頼朝によって、奥州平泉に追い詰められたことは間違いないと思います。

ところが、そこで人生最大最後の一大演技を行ったのです。それは影武者を使った自刃です。


義経は、源義経という人間を死んだことにし、別人にすり替わったのです。

そして、そのすり替わったの人物というのが、仏教化としての後の親鸞なのです。驚くでしょう?

最澄、空海の場合と同じような流れなのです。歴史は繰り返すです。
<最澄と空海>


親鸞の幼名を見ててください。松若丸です。牛若丸の名残りを残していますよね。もちろん、親鸞にすり替わった義経が、自分で幼名を松若丸としたのでしょう。
<WIKI:親鸞>

それでは、何故、義経が仏教家になったのでしょうか?

その前に考察すべきは義経が頭角を表す前に何をやっていたかが重要なのです。

義経と言えば、平氏討伐を行ったことがまず思い浮かびますが、それ以前の不明の頃は、全国各地を巡り寺社仏閣等の結界を解いていたと推測されるのです。

全国各地に、たくさんの義経が来た痕跡があるのはそのためなのです。

(白山麓にある金釼神社)

延暦寺


金剱宮②


そういった最中、阿修羅が平氏政権を乗っ取ってしまうという事態が起き、後白河法皇がトップに君臨する朝廷も危機に陥ってしまったのです。

そこで一旦、頼朝とタッグを組み、平氏討伐に動いたのです。

ところが、前述のように、頼朝もおかしくなってしまい、自らも危機に陥ります。源義経のままではミッションをやり遂げることが難しくなり、仏教化に転身したのです。

この時点での義経は覚醒しており、常人レベルではなく神レベルの身体能力、神通力を持っていました。従って壇ノ浦の戦いでの八艘跳びや、海に沈んだ安徳天皇(実際には影武者)を救ったり、という伝説が残っていますが、これは厳然たる事実なのです。

その義経が何故仏教化になったのか?

それは、当時の時代背景が、出家僧を対象にした密教から、一般大衆を対象にした大乗仏教に移行しつつあったからです。大衆に仏教を広めることで、世の中が全く違うものになると朝廷が考えていたからです。

従って、仏教を普及させるために義経は親鸞になったのです。

ところが、偽物の親鸞が登場してしまうのです。

つづきは次回に譲ります。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-06-09 00:00:00

暦と季節と波動

テーマ:増上慢の陰謀
5月末に、九州の一部地域では35℃を超える猛暑日を記録しましたね。数日前は北海道で季節外れの猛暑日が続きました。

これらの気象を、マスコミは地球温暖化による異常気象等と捉えているようですが、本当にそうでしょうか?

私は、違うと思います。

この要因は、地球の波動上昇が影響していると思います。波動が本来の状態に戻ることで地球、日本の気候は、本来あるべき姿である、昔の正常な状態に戻りつつあるのだと考えています。

今回は、この点について、私の考えをご紹介したいと思います。

日本の波動は、2011年の大晦日を起点に上昇しだしました。これは、私と関係者、それと私とは対極に位置する阿修羅界の存在以外、知らないことです。阿修羅界の存在は波動上昇を敏感に感じ取り、彼らなりに危機感を持っているのです。

波動が上昇している原因は、全国の寺社仏閣を中心に、これまで阿修羅によって張られてきた結界が解かれ出したからです。
<結界の真実②>

結界が解かれ、本来の神国日本の姿に戻りつつあるのです。

その証左が、空の色が濃い青から、クリアな薄いブルー、さらには白っぽくなっている状態、それと最近各地に生じだしたです。

霞はモヤとは違います。霧とも違います。人間レベルの科学力では解明できないもの、浄化された無数の魂の集合体なのです。邪気が神気に変わったものです。昔の人は、雲と霞の違いは良く分かっていたのです。

しかし、現代人は生まれてこの方、本当の霞を見たことがなっかたので、理解できないのです。

その霞が、2年くらい前からちらほら見られるようになったものですから、慌てた阿修羅が、大衆を欺くために考え出したのが、中国の大気汚染によるPM2.5問題なのです。そしてそれは成功し、多くの国民が偽情報に踊らされているのです。

PM2.5で本当に具合が悪くなった人がいるのでしょうか?


さて、その波動上昇によって、実は世の中のいろいろな場面で、いい方向への変化の兆しが見えてきているのです。ただ、波動上昇が急激ではなく、2年以上かけてなだらかに上がって来たものですから、心身ともに波動の低い大半の方は、気が付かないのです。その典型が前述の空の色、雲の鮮明さです。

冒頭述べた季節外れの猛暑日も、この波動上昇の影響なのです。

洗脳された現代人は、今回の猛暑日を「季節外れの異常気象」と思っていますが、実際には明治時代以前の日本の気候に戻りつつある、というのが正しいのです。

戦後、世界中で工業化が進展し、人口も爆発的に増え、国際経済社会・高度情報化社会へと移行して行きました。それに伴って公害問題、環境破壊問題等、現代に至るまで人類が地球を汚し破壊してきたことはご覧のとおりです。

これを言い換えると、世界中の波動が下がった、となります。阿修羅の狙い通りでもあります。

しかし、そういう状態であったとしても、神国日本の浄化システムがきちんと機能していれば、地球の汚れは最小限に留められていたはずなのです。

ところが、神国日本自体が機能しないように結界が張られてしまい、浄化機能が低下し、地球は汚れ波動が下がってきたのです。波動が下がれば、人類の意識も当然堕落します。その極限が現代社会なのです。

阿修羅の狙いは、波動を下げ、自分たちの思った通りの地球に支配するためなのですが、その大きな転機が乗っ取られた明治政府による明治維新であり、それ以降に導入された諸悪の政策です。

神仏分離・廃物希釈、皇室改悪、廃藩置県、戸籍制度の導入・・・・。数え上げたらきりがありません。

この悪の施策の中に、改暦があります。暦の変更、太陽暦グレゴリオ暦の採用です。

私たちは、現在のグレゴリオ暦が一番精度が高いと思っていますが、そこに落とし穴があるのです。

日本がグレゴレオ暦を採用したのは、明治維新後です。
<WIKI:グレゴリオ暦>

それまでは、太陰太陽暦である天保暦(旧暦)を採用していました。

太陰太陽暦は、月の満ち欠けの周期28日を暦とした太陰暦がベースです。純粋な太陰歴では、1年が354日と太陽暦に比較して11日短くなってしまいます。

従って、約3年毎に閏月(うるうづき)を挿入し、1年が13カ月になる年が生じるように改善したのが太陰太陽暦です。太陰太陽歴では19年間に7回、閏月の年が生じるようです。

日本の歴史で、暦が残っているのは飛鳥時代からのようですが、太陰太陽暦は、862年の宣明暦の採用以降、若干の修正は加えられてきましたが、江戸時代終了まで約1000年間利用されてきたのです。

しかし、阿修羅に乗っ取られた明治政府は、太陰太陽暦を廃止し、西洋のグレゴリオ暦に変えたのです。

確かに、閏月の太陽太陰歴より、閏日(うるうび)の太陽暦の方が精度が高く、先進的な感じを受けますが、地球上で一番四季が明確になっている日本においては、太陰太陽暦の方が太陽暦よりも明確に季節が一致していたのです。逆に言えば、海外では四季が日本ほど明確でないので、太陽暦が発達しても問題が少なかったのです。

太陰太陽暦と関係が深く、今でも天気予報で良く使われるものに、二十四節気があります。
<WIKI:二十四節気>

夏至、冬至、春分、秋分二至二分立春、立夏、立秋、立冬四立は誰しもが知っている概念ですが、これらの季節感も二十四節気に含まれます。

日本では、太陰太陽暦に
二十四節気を組合せることで、季節を感じとり農業、漁業等に利用してきたのです。

二十四節気は、四季が明確になった日本独特の季節概念なのです。

また、東日本では三島暦が使用されたり、西日本では伊勢暦が使用されたりして、東西南北に長い日本にでは、その地域にあった太陰太陽暦・二十四節気に改善して、正確な季節を把握してきたようです。

(三島暦)

三島暦


例えば今年の夏至は、6月21日です。夏至は太陽の日差しが一番強くなる日いですから、普通に考えれば一番暑くなるのは夏至近辺のはずです。

ところが、現代では、夏至よりも約一ヵ月遅れの7月後半から8月前半に最高気温が観測されることが多いです。真夏は8月とされています。

また、夏の訪れを告げる立夏は、太陰太陽暦では3月前半から4月後半で、それをグレゴリオ暦に修正すると今年は5月5日に当たります。現代の季節感では、夏の訪れは5月5日よりも一ヵ月以上後の6月後半以降ですよね。

このように二十四節気をご紹介すると、旧暦(太陰太陽暦)は、現代の季節とは合っていない、と皆さんは思われるはずです。旧暦は、現代の季節とは一ヵ月以上先ずれしているからです

ところが、ところが、本来は旧暦の季節感が正しかったのです。

旧暦の季節感と、現代の季節感の約一ヵ月のずれこそが、波動の変化(低下)だったのです。

夏至の一番日光が強い時期よりも、夏至の一ヵ月後に最高気温を記録することを、地学では地表が太陽光で温められ、その熱が大気中に伝導するまでに時間のずれがあるから、と説明されます。

確かに、それも少しは関係しているのかも知れませんが、本質は違います。

波動の低い状態、つまり大気中が邪気に覆われること(空が濃い青の状態)で、太陽光が遮断され熱伝導が遅くなるからなのです。

また、冬が昔より暖かくなったのは、大気中の分厚い邪気層が保温効果を起こしていたのです。夏も保温効果によって熱帯夜が続くことになるのです。


近年、人類は、温室効果ガスによる地球温暖化を煽られてきました。

しかし、地球温暖化の本質的原因は、温室効果ガスの問題ではなく、浄化システムを妨げることで、魂の集合体である邪気を浄化できなくされていたためなのです。

驚きでしょう?

つまり、邪気が大気中を覆うことで、太陽光を遮断し、季節が一カ月ずれていたのです。これは、明治維新以降、徐々に顕著になっていったのだと思います。

阿修羅達は、波動を下げ、日本人を洗脳するために、太陰太陽暦と二十四節気を廃止し、太陽暦であるグレゴリオ暦を導入したのです。

そして、明治以降、波動が下がり邪気が溜まっていくとともに、季節は二十四節気からずれて行き、現代では季節感が一ヵ月以上違うようになってしまっていたのです。

三島暦には、季節感はこのように書かれています。

三島暦2


この三島歴の季節感を、グレゴリオ暦に直すとだいたいこんな感じになります。

●春・・・2月、3月、4月
●夏・・・5月、6月、7月
●秋・・・8月、9月、10月
●冬・・・11月、12月、1月

私たちの常識より一ヵ月早いです。

三島歴には安倍晴明も関与していたようです。ということは少なくとも千年前からの季節感なのです。

冒頭、5月末に九州で猛暑日を記録したことをご紹介しましたが、この原因は、日本の波動が元の状態に戻りつつあり、昔と同じような季節に変化しているからなのです。今年の5月は、とっくに夏に入っていたのです。別に不思議なことでも、異常気象でも、なんでもない正常な状態なのです。

ブログを始めて間もない、洗脳されっぱなしだった状態の頃の私は、次のような記事を書いていました。
<光害とCO2と金星人>

この記事の内容は、今思えば恥ずかしい限りですが、この経験があったからこそ、真実にたどり着けたのです。2014年に窒息者が続出するどころか、大気は綺麗になり波動が上がっています。もうすぐ阿修羅の支配する時代は終焉するのです。

今年の秋は早く来ますよ。近い将来、暦は太陰太陽暦に戻されるかも知れません。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
2014-06-02 00:00:00

宇宙の六道輪廻

テーマ:宇宙の真実
以前、銀河系以外の星は魂のエネルギー体のようなもので実際には物質として存在しないのではないか、みたいなことを書いたことがあったと思います。

どうも、これは違っていたようで、軌道修正の必要がありそうです。

何故、そのように感じたかといいますと、このところ2回連続でご紹介してきた魂の出入口が分かったことで、宇宙全体とのつながりが見えてきたからなのです。
<霊峰大山の秘密>
<魂と浄化システム>

以前ご紹介した十界の概念図はこのとおりです。


十界には、二つの六道輪廻があると説明してきました。上の六道輪廻下の六道輪廻

一般的に仏教で説かれている六道輪廻とは、下の六道輪廻のことを指しています。

ただし、現在では、神界(天界)は実質的に存在せず、阿修羅界も六道を離脱して、四道輪廻になっていると思います。

魂が、新たに転生する際に大山から地上に現れ、肉体に入って人生を過ごし、その後、肉体の寿命を全うすると瀬戸内海の鳴門の渦潮佐賀関等から黄泉の国(霊界)へ運ばれて行くのです。

ところが、私が主張する上の六道輪廻の魂は、このルートとは異なるようなのです。

上の六道輪廻とは、四聖(ししょう)という見えない四つの界(佛界、菩薩界、縁覚界、声聞界)に、下の六道輪廻の上部二界である神界、人間界を加えた六つの世界を輪廻することです。

これは、宇宙を運営している高次の魂の存在が、地球上の人間界等の生活にいい意味で関与するため輪廻なのです。地球が、魂の修行の場として機能するためにです。

従いまして、人間界に属する人類には、見た目は同じ人間であっても、その魂は上下二種類の六道輪廻に分類されているのです。

大半の人類は、下の六道輪廻に属するのですが、上の六道輪廻、特に菩薩界以上に転生できるよう、日々地球上で修行させられているのです。これは人間以外の動物、植物にとっても同じことです。

これを知ったのは、ほぼ二年前のことです。天の采配からです。

さて、今回はその上の六道輪廻の魂が、どういうルートで魂に転生してくるかをご紹介します。

先日、大山に行った後、松江市内のホテルに宿泊しました。宍道湖のそばです。
(地図)
<宍道湖周辺地図>

宍道湖は島根県東端にあり、湖西には出雲市があり、湖東には松江市があります。さらに東側には汽水の中海があり、大きな湖が二つ並んで両目のような形をしています。

私が宿泊したホテルは、宍道湖の西岸、中海へ流れている大橋川の入口付近です。ホテルに到着した夕方にその周辺を散策しました。夕日が素晴らしく気持ち良かったです。ただ、それ以上、気づきはありませんでした。

(夕方の宍道湖)

宍道湖①


翌朝早朝6時頃、ホテルの窓から宍道湖方面を眺めました。そして中海に流れ込み大橋川付近に目を移しました。

(大橋川付近、右が宍道湖側)

宍道湖②


この時、私の目に留まったのが大橋川の川面(写真の左側)です。

川の流れとは異なる、
のようなものを見つけたのです。(写真参照、少し分かりづらいかもしれません)

宍道湖③


前日夕方に、同じ場所を見た際は気づきませんでした。たぶん、鳴門の渦潮と同じように時間帯によって渦ができるのです。

ということは、この場所も、浄化システムの地下水道に繋がっているということになるはずなのです。

何を言いたいかといいますと、この場所も前回記事でご紹介したように、魂があちらの世界へ行く入口なのです。

ところが、鳴門の渦潮や佐賀関と大きく異なる点が一つあります。

宍道湖の『宍道』という漢字は、ウ冠に六という文字と道で構成されています。

中に六道という文字が入っていますね。

さらに、ウ冠がついています。ウ冠は、実は宇宙のことを表しているのです。

つまり宍道湖とは、
宇宙の六道輪廻の入口を表しているのです。

宇宙の六道輪廻とは、上の六道輪廻のことなのです。

上の六道輪廻は、地球だけでなく宇宙を輪廻転生し、下の六道輪廻は地球を中心に輪廻転生しているということなのです。

私は、勉強会で、宇宙人とは天津神のことであると主張してきました。宇宙人の定義は別として、宇宙人も十界の中で説明できるのです。そして彼らの魂が地球に転生する場合は、宍道湖からやってきて、霊界に帰る場合は、宍道湖から帰るのです。宇宙の仕組み、神国日本の仕組みは奥が深いのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


2014-05-26 00:00:00

魂と浄化システム

テーマ:宇宙の真実
前回記事では、魂が地球上に誕生してくる場所についてご紹介しました。
<霊峰大山の秘密>

今回は、肉体の寿命が尽き、魂となって霊界に戻る際の流れについて、ご紹介します。

宇宙は、十界の中に創られた世界と考えていいようです。
<宇宙の仕組み①>

私が書いている十界の図については、大枠の概要でして、実際には事細かい世界に分かれて宇宙に対応しているようです。

特に上の六道輪廻の四聖(ししょう)、佛界、菩薩界、縁覚界、声聞界に関しては、さらに細かく世界が細分化されていて、これらの世界は、下の六道輪廻に属する人間には基本的には見えない世界になっているようです。
<WIKI:十界>

見える世界である、人間界、畜生界、餓鬼界の植物界の生物は、地球上で寿命を全うした際には、次の転生手続きに入る前に、一時的待機場所である霊界に行くことになります。

この一時的待機場所にいる期間が、仏教で49日の法要(中陰)と呼ばれる期間のようです。
<WIKI:中陰>

この間に、直前世および全ての過去世での人生を映像見せられ、反省会が開かれ、次の転生が審議され、転生先への準備が始まるようです。人間界の時間概念と霊界の時間概念は異なるので、それが可能なのです。

ところで、私が知りたかったことの一つに、人間として寿命を全うした魂は、どういう過程で霊界に戻ることになるのか、ということがありました。

肉体が死んだ瞬間、魂は霊界に瞬間移動するのではなく、事故や病気で死にかけた人が「三途の川を渡りかけた」とよく言うように、地球上のどこかに魂があの世に行くルートがあると思っていたからです。

その答えを知ったのは、前回記事でご紹介した大山に行った直後でした。

大山は、地球上の生物に転生するために、あの世から魂が出てくる出口でした。

ということは、同じように日本のどこかに、寿命を全うした魂があの世に行く入口があるはずなのです。

大山の秘密を知った次の瞬間、私は魂があの世に行く際の、入口に関するインスピレーションが浮かびました。

それは、『浄化システム』です。

私のブログの根底のテーマの一つは、波動です。波動を高めることが、地球を本来の姿に戻すことでもあります。

地球の波動を維持するために、約5千年前に天は神国日本を創り直したのです。これが記紀に書かれている国産みです。

そして、その神国日本が、地球上の波動を維持する根幹の仕組みが、地球上の邪気を浄化する『浄化システム』でした。
<浄化システム>

邪気と一言で言いますが、その意味をじっくり考えてみました。結論は邪気とは、波動の低いの集合体だと思います。

波動の低い魂の集合体とは、言い換えれば、生前の怨念、悲しみ、苦しみ等が魂に染みついた状態の魂が集まったものだと思われます。

一番分かり易い例は、東日本大震災の津波で一瞬にして犠牲になった、たくさんの人達のことを考えれば理解できると思います。これらの人の魂は、死を納得する間もなく命を奪われたことで、怨み、怒り、悲しみ、苦しみ等の大きな負の感情を抱変えた状態です。そのような魂が、一瞬で万を超える数生じたのです。

被災地周辺は、そのような魂が浮遊し、波動を下げてしまっていたはずです。

動物の場合も同様です。私たち食肉用として命を失う場所、と殺場なども殺された動物の怨念を持った魂で波動が低くなっています。

このように、波動の低い魂が浮遊している状態、波動の低い状態が、
邪気なのです。

地球上は、たくさんの人間、そして無数の動植物が日々生死を繰返しています。程度の差はあるでしょうが、どんな魂であれ、生きていく過程においては、誕生して純粋な魂の状態からだんだん汚れて行きます。

そういう少しでも邪気を含んだ魂が、この地球上には、毎日無数に生じているのです。

邪気を含んだ状態の無数の魂が、そのまま霊界に戻っては、霊界が混乱します。従って、神国日本の浄化システムによって、地球上の全ての汚れた魂を日本に集め、魂を浄化していたのです。

それが、私が浄化システムとしてご紹介してきた、琵琶湖⇒淀川⇒大阪湾⇒鳴門の渦潮⇒有明海による浄化システムだったのです。

波動の高い海水中の塩によって、魂を浄化し、霊界に戻しているのです。法事の後、体を塩で清めるのは、まさに高い波動で邪気を清めているのです。

また、長崎のお盆の行事として有名な精霊流しは、一年間に亡くなった方を供養する行事の一環ですが、魂を載せた小舟等を海に流します。
<WIKI:精霊流し>

これは、まさしく、魂を浄化システムに流すための供養方法だったのです。これで繋がってきました。

ただ、今回、さらに追加で発見することになりました。

魂の入口は、鳴門の渦潮以外にもあるのです。

海流によって、大阪湾から鳴門海峡方面ではなく、明石海峡を通って瀬戸内海に運ばれる魂もあるはずですが、これらの魂は大分県の佐賀関付近から地下の浄化システム水道に吞み込まれ、そして有明海に運ばれるのです。

日本海から関門海峡を通って瀬戸内海に運ばれる魂も、同様に佐賀関から運ばれるのです。

佐賀関には、早吸日女神社(はやすいいひめじんじゃ)があります。
<WIKI:早吸日女神社>

早吸日女神社は、佐賀関の浄化の入口を守護しているのです。

(早吸日女神社)

早吸日女神社①

早吸日女神社②


阿修羅は、これらの神社等に結界を張り、浄化システムの機能を低下させることで、浄化システムの入口に滞留する浄化前の段階の魂を増やし、その魂に悪の誘いを行い、六道輪廻から外してきたのです。

例えば、佐賀関にある大規模な製錬工場などは、波動を下げる結界そのものです。

(佐賀関港)

佐賀関


波動が低く、空が青い状態というのは、浄化されていない邪気を含んだ魂がたくさん浮遊している状態だったのです。

ここ2年間で、浄化システムが本来の状態に近くなり、滞留する邪気を含んだ魂が減ったため、波動が上がり、空の青さは薄くなり、白っぽくなっているのです。

そして、霞が出現しているのです。

「さくらさくら」の歌に「霞か雲か 見渡すかぎり」という歌詞がありますが、昔は霞は、雲と間違うくらい、普通に見られたのです。

現代人は、霞を見たことがなかったので、阿修羅のPM2.5という欺瞞にまんまと騙され、騒いでいるのです。本当に恥ずかしい限りです。
<PM2.5の欺瞞>


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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