知っとうや(真実を求めて?!) -35ページ目

知っとうや(真実を求めて?!)

⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

以前、不動明王に関して、五色不動と六色不動の記事を書きました。もう6年も前になるのですね。

<六色不動>

 

不動明王は太陽系を守護する神の役職なのですが、現在の地球では肉体を持って現れることはありません。人間中心文明になったからです。

 

しかしながら、その魂は、今も地球を守護しているのは間違いなく、日本では各地の寺社仏閣等で木像や石像をよく目にする神様です。

 

従って、本物の不動明王を祀った場所は、物凄い神気を発していて、鳥肌が立ちます。特に滝のそばに祀られている不動明王の神気は素晴らしいです。

 

しかし、その不動明王さえ、かつては邪神どもに殺されてしまった経緯があるようです。邪神というのは、そのくらい強い力を持っています。

 

地球上でも、邪神の奸計に嵌って不動明王が敗れた歴史があるのです。その痕跡が残されている場所があります。

 

皆さんは、不動明王の像に、二つのタイプがあるのはご存知ですか?

 

通常は、次の肖像画画像のように両目を見開いた不動明王です。

 

[醍醐寺蔵:国宝不動明王肖像画]

不動明王

 

もう一つは、左目をつむった不動明王です。

 

次の写真は、東京の瀧泉寺(通称「目黒不動」)にある比較的新しく造られている不動明王像です。私が撮影しました。

 

目黒不動②

 

左目をつむっていますね。

 

私は、全国各地の寺社仏閣にある不動明王を数え切れないくらい見て来ましたが、両目を開いた不動明王の方が多いのですが、中には左目をつむった不動明王も結構な数あったような気がしています。

 

このように、何故、不動明王には二種類あるのでしょうか?

 

左目をつむった理由は何なのでしょうか?

 

この理由を解く鍵は、韓国の時代劇ドラマ「太祖王建(テジョワンゴン)」にありました。

<BS朝日「太祖王建」>

 

このドラマは、朝鮮半島の後三国時代を中心に描き、最後は王建(ワンゴン)が高麗を建国し、その後、後三国を統一して終わります。

 

この中に登場する、後高句麗を建国する弓裔(クンイェ)がヒントなのです。

<WIKI:弓裔>

 

クンイェは、新羅王族として誕生しますが、不吉な星の元に生まれたとして、生まれてすぐに新羅王朝から抹殺されようとします。

 

しかし、クンイェを不憫に思った母親が、赤ちゃんのクンイェを抱いて一緒に逃げようとします。追っ手に追われる途中、クンイェは左目を怪我して失明します。片目となったクンイェは仏門に預けられ成長します。

 

そして、大人になってから、自身を抹殺しようとした新羅王朝に反旗を翻すために徐々に力を付けていきます。最終的には、後高句麗を建国し、新羅を侵略していきます。

 

ドラマに出て来るクンイェは次のサイトの2番目のキャラクターです。

<ドラマ太祖王建:クンイェ>

 

左目に眼帯をしている人物です。

 

クンイェは、後高句麗を建国する際、自らを弥勒菩薩(如来)の生れ変りであり、佛となって地上に現れた、と公言します。

 

しかしながら、その佛となったクンイェが、突然胸が痛くなり豹変するシーンが何度も出て来ます。

 

そして、豹変したクンイェは、自分の考えに従わない家臣や民衆をどんどん殺戮します。

 

しばらくすると、クンイェは冷静に戻ります。これを何度も繰り返します。

 

このシーンは、ドラマでは触れていませんが、クンイェが、邪神に憑依、ウォークインされて人格が変わるシーンを描いているのです。

 

つまり、クンイェは、本物の弥勒菩薩ではなく、邪神と契約した偽の弥勒菩薩になったのです。

 

このクンイェの神代の前世が、左目をつむった不動明王でもあるのです。

 

結論は、両目を見開いた不動明王が本物で、左目をつむった不動明王は偽物だということです。

 

本物の不動明王は、邪神に操られた偽物の不動明王に殺されてきた歴史を示しているのです。

 

神や佛には元来偽物は存在しなかったのですが、これまでご紹介してきたように、邪神が発生し、宇宙を荒らして来た歴史があるのです。地球上で人類が対立するのも、人間の中に邪神系、熊襲系のみつぐがいて、邪神によって対立させられているからです。

 

ほとんどの人間は、そのことに気づいていません。早く目覚めなければならないのです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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国内には、同一の地名が良く見受けられますよね。

 

例えば、金沢市と横浜市金沢区。他にも、高松市と岡山市高松大津市と熊本県大津町、名古屋市金山駅と福岡市金山駅、川崎市と福岡県川崎町など、国内にある同一の地域名は枚挙にいとまがありません。

 

水田の中にあった地域だから田中とか、城下町の中だったから城内、神社が近くにあったから宮前、寺がたくさんあったから寺町というような由緒がはっきり分かるものは別だと思われますが、前述のような地名にはきちんとした由緒は残っていません。

 

横浜市金沢区に金の沢があったとか、名古屋市金山に金山があったような由緒はありません。大津に至っては表向きには全く意味が分かりません(霊的には意味があるのですが)。

 

このような由緒がはっきり分からない地名が、離れて複数存在する場合、偶然だと思われますか?

 

否、実は関連性があることがほとんどなのです。

 

世の中に起きる事象は、偶然に見えても偶然ではないことが多いようです。現界は霊界(天国)の鏡(写し)ですから、地球で起きていることは、必然的に起きていると考えた方が良いのです。

 

冒頭の地名のケースでは、その多くの場合が、その地域・場所の間に関連性があるのです。

 

どのような関連性かと言いますと、同一名の地域・場所は、昔は同じ場所に隣り合っていた場所であった、ということなのです。

 

このようなことは、現代の常識で考えると理解できないですよね。遠く離れた場所が昔は隣り合っていたとは。金沢市と横浜市金沢区が、昔は隣り合っていたとはとても考えられないでしょう。

 

しかしながら、これまで書いてきましたように、地球は長い歴史の間に、地上の全生物が一旦滅んでしまうような大変動が6回起きています。氷河期に陥ったのは、このような大変動の後のようです。

 

直近は、とても信じられないでしょうが、西暦266年です。この時に邪馬台国が滅んだのです。

<古代歴史の改竄-邪馬台国その3>

 

この大変動によって、世界の地図は大きく変わっています。

 

古代世界地図②

 

日本列島、位置的にはほぼ同じで、形にも面影はありますが、面積は大きく変わっています。推測するに今の日本列島の10倍くらいの面積がありそうです。

 

ちなみに、日本列島にある大きな島「オイスト」はオーストラリアです。

 

 

古代世界地図③

 

 

過去6回の大変動によって、地形が変わるだけでなく、地球の重力も大変動ごとに増しているようです。

 

1億年以上前の恐竜がいた時代を想像してみてください。何故あのような巨大生物が存在できたのか?

 

今は陸上であのような巨大生物が存在するのは不可能です。

 

何故ならば、当時の地球の重力は今よりもはるかに小さかったからです。古代は、重力が軽かったから恐竜も巨体を維持出来たのです。

 

星には寿命があり、生まれたばかりの星は完全な固体ではありません。気体と固体の中間のじょうな状態です。

 

その状態から、だんだん固まっていき、大地を持つ星となっていきます。

 

ただし、固体になったとしても、若い星は大きく密度が薄いので軽いのです。従って重力も軽くなります。

 

地球の場合も同じで、46億年前に誕生したと言われていますが、それ以来、だんだん固く重くなっているようなのです。

 

それに比例して重力もだんだん大きくなってきたのです。

 

恐竜時代のように、生物の身体が極端に大きいまま、重力だけ増すと、重力によって身体が重くなり俊敏さがなくなり、今までのような生活が出来なくなります。

 

従って、大変動ごとに、新たに生物が誕生させられた都度、地球の生物はだんだんサイズが小さくなって来たようなのです。

 

直前の西暦266年の大変動でも重力は変化は変わったようです。従ってそれ以前の人間の肉体は、今の人間よりもかなり大きく、2mを超えていたようです。神武天皇や長脛彦にしてもとても大きな身体だったと言われていますね。それは、266年以前は今より重力が軽かったので、身体が大きかったのです。

 

兎の数え方は「匹」ではなく「羽」ですよね。兎を「羽」で数える理由は、266年以前の兎は、跳躍力が半端ではなく、鳥のように飛んでいるように見えたからです。その時の名残りが「羽」なのです。

 

このように重力は大変動ごとに重くなっているようです。

 

重力変化の話を持ち出したのは、昔は重力が大変軽かったので、大変動が起きた際、陸地や山も飛んでいたということをお伝えしたかったからです。今の重力では全く考えられないことです。

 

琵琶湖と淡路島が同じ形をしているのは、琵琶湖の場所にあった大きな陸地飛んで淡路島になったからです。国産みの最初の話ですね。

 

鹿児島の薩摩半島にある池田湖と開聞岳も同じ理屈で出来たようです。

 

現代の常識では、どんなに大きな噴火や大地震、大津波があったとしても、陸地の一部がはるか数百キロも飛んでいくことは考えられないです。

 

しかしながら、重力の軽い昔は、それが可能だったのです。

 

従って、日本列島の姿も大きく変わっているだけでなく、陸地の一部が小隕石のようにたくさん飛び散り、離れた場所へ移動したようなのです。

 

分かりやすいのは伊勢の付いた地名です。伊勢には、元伊勢だけでなく、全国に伊勢伊勢山など伊勢の付いた地名が分布しており、そこには小さな伊勢神社が祀られていたりします。

 

このような場所は、以前は、現在の伊勢に隣接した場所だったのです。熊野神社も同じようなものでしょう。

 

そのような場所に神社を最初に祀ったり、同じ地名を付けた人は、天佑によって付けさせられたのです。

 

従って、日本という国は、全体が神が守護する神国なのです。興味がある方は同一地名の分布状況を調べてみてください。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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1カ月前に起きた池袋の高齢者の暴走による交通事故を初めとして、このところ高齢者による暴走が頻発していますね。先週は福岡市で大暴走がありました。

 

高齢者による大きな交通事故が連鎖して起きていることに、多くの方は偶然だと思っていることでしょう。

 

しかしながら、これらは偶然に続けて起きている訳ではないのです。偶然に、このような事件が頻発する訳がありません。必然なのです。

 

高齢者が事故を起こしやすいのは、老化によって運動神経が衰え、ブレーキとアクセルを踏み間違える、とされています。確かに、このようなことはあり得ると思います。

 

しかしながら、今起きているのは単なる踏み間違いではないのです。

 

ズバリ、憑依によって錯覚を生じさせられているのです。

 

池袋の暴走は、ブレーキとアクセルの踏み間違えだと言われたら、「そうだろうな」と納得するでしょう。その通りですが、実際には本人の間違った意志ではなく、魔が差したのです。つまり、強烈な憑依によって思考回路、運動神経を瞬間的に狂わされたのです。

 

ただし、福岡の暴走の場合は、ブレーキとアクセルの踏み間違いでは説明がつきません。

 

福岡の暴走は、最終的に右折車に追突する前の650m前から暴走が始まっていて、反対車線にはみ出しながら、2台の対向車線の車と接触を繰り返しながら猛スピードで突き進んだのです。

 

650mもアクセルを踏み間違い続ける訳がありません。アクセルを踏ませられ続けたのです。おそらく右足をアクセルから外すことが出来なくなったのです。憑依も強烈になるのとそのくらいのことは可能なのです。

 

憑依によって脳を支配され、錯覚の中に陥れられて、また身体が動かなくなり、暴走させられたのです。

 

では、何故、邪神がそんなことをさせているのか?、それが問題なのです。

 

その理由は、現在の世の中が、邪神が描いていたシナリオ通りの状態に導けていないからなのです。

 

一昨年、北朝鮮が日本を飛び越えて太平洋に大陸弾道ミサイルの実験発射をしている頃、全世界の多くの人々はこの先の国際社会情勢を不安に思っていたはずです。

 

米国を初めとした正規軍による北朝鮮侵攻が始まり、北朝鮮寄りのロシア、中国と、米国の間で対立が起き、最悪の場合、「戦争が勃発するのではないだろうか」と危惧していたのではないのでしょうか。

 

そして、戦争がエスカレートして第三次世界大戦もあり得る、という危機感を持っていた人もいたことでしょう。

 

そう、これこそが邪神が導きたいシナリオだったのです。

 

末法が明ける2021年以降、世界中を恐怖のどん底に落とし、人類が新たな時代へ向かって目覚めさせないようにすることを考えていたのです。

 

しかし、昨年6月、突然、一転して米朝首脳会談が行われました。画期的なことでした。

 

この時、邪神の目論見が崩れたのです。米朝会談は天の采配によって行われたのです。邪神にも予想出来なかったことでしょう。

 

今年2回目の米朝会談が行われました。合意寸前でのところまで行ったのですが、トランプ大統領は合意の署名をしませんでした。これは、邪神による邪魔が入ったらです。邪神側が一矢報いたのです。

 

しかしながら、これも天のシナリオのうちなのです。

 

今、米中を中心に貿易戦争が勃発していますが、これは第三次世界大戦に繋がるような動きでは全くありません。今後、世界中が経済的に大変な状況になるのは間違いありませんが、本当の戦争にはなりません。

 

このように戦争にならない状態、シナリオが崩れた状態が、邪神には許せないのです。

 

そこで、世界中で憑依をさせて、事件事故を起こし、世界を混乱させようという動きがまさしく今なのです。日本で起きている交通事故が典型です。

 

全うな大人であれば簡単には憑依されません。だから、精神的に弱った高齢者を狙うのです。高齢者は右脳の能力が極端に落ちているから狙い易いのです。

<右脳と憑依その1>

 

また、川崎で、通り魔殺傷事件が起きて衝撃を与えました。犯人は引きこもりの中年でした。引きこもりは精神的に弱く、右脳が弱っている方です。

 

これも間違いなく憑依です。全うな人間は、あのような行為は行いません。憑依され人間から鬼に変わったのです。

 

これから2021年にかけては、このように憑依が猛威を振るっていくでしょう。対策としては、まず憑依霊そのものの存在を肯定することです。その次は自分自身の波動を上げ、憑依されにくくすれば良いだけなのです。

 

これからは霊性を取り戻した人間が一番強くなるはずです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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先日、政府は認知症対策大綱を発表しました。内容は、認知症になった人が尊厳を保ち、安心して暮らせる社会を作ることを目指すものです。

 

認知症の人は、2015年の約520万人から2025年には約700万人に増えると推計され、その割合は65歳以上の2割にあたるそうです。認知症の有病率は加齢とともに高まるため、高齢化社会に伴い、その後も増え続けると予測しています。

 

これに対して、大綱の原案では「認知症の予防」に関し、70歳代の認知症の人の割合を、今後6年間で6%減らす目標を示しています。

 

具体的な対策として、運動不足の改善や社会的孤立の解消が認知症予防には有効とみられるため、高齢者が気軽に参加できる体操教室や交流サロンといった「通いの場」の拡充を具体策として挙げています。

 

しかしながら、根本的な問題点である認知症の発症や進行を抑える手法は、いまだ確立されていないのです。

 

何故認知症になるのでしょうか?

 

私は専門家ではありませんが、認知症の発症は大脳が老化していくことが原因だと考えています。

 

人間である以上、老化は避けられません。人間を卒業しない限りです。

 

しかし、以前の記事でも書きましたように、老化を遅らせることは可能なのです。

<本物のアルガンオイルの効果>

 

大脳の老化を遅らせる成分は、ホスファチジルセリンです。

<WIKI:ホスファチジリセリン>

 

米国ではホスファチジルセリンは、認知症等に効果がある薬品の成分として扱われているようですが、日本では薬品の成分としては扱われていません。

 

ホスファチジルセリンは、カルシードショップではスーパーエクセレントシリーズ タイプAとして販売しています。

<カルシードショップ>

<ヤフーショッピング>

 

タイプAの発売直後の記事では、主として憑依から右脳を守るために有効と書きましたが、米国では認知症対策の薬なのです。

<右脳と憑依-その1>

 

ホスファチジルセリンは、リン脂質として大脳の細胞分裂を促進させる成分となりますので、脳の老化を遅らせると考えられるのです。

 

実際にタイプAを使用している方からは記憶力が良くなったとか、子供の学校での成績が良くなったとかのご意見をよく聞きます。

 

私も4年前からタイプAを一日3粒毎日食べていますが、頭の冴え方が全然違います。記憶力とか論理能力は、20代半ば過ぎからだんだん落ちて行きますが、ここ数年、私の能力は間違いなく上がっています。自覚出来ます。天佑も半端ではありません。

 

脳の老化を遅らせることが、認知症対策に大きな効果があるはずです。日本政府には、ホスファチジルセリンに気が付いてもらいたいです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

前回の続きです。

<古代歴史の改竄-邪馬台国その2>

 

2回連続で邪馬台国の謎、歴史通説の矛盾に言及してきました。

 

結論は、邪馬台国の謎・矛盾を解決するには、現在の地形で考えても意味がないのです。現在の日本列島と当時の日本列島の地形は大きく異なるからです。

 

では、当時の地形はどうだったのでしょうか?

 

地球は、神代以来、これまで6回の大変動が起きており、6度の文明崩壊を繰り返しているようです。これは日月神示に書かれています。

 

現在の地球は、7回目の文明です。6があまり良くない数字で、7がラッキーな数字と言われているのは、ここから来ているものだと私は考えています。

 

かつて存在したとされるムー大陸伝説やレムリア文明がありますが、このような伝説は実際に起きていたことだから、伝承されているのです。

 

直前の6回目の大変動は、3400年前の出来事だと、私は考えていました。

<空白の500年>

 

しかし、実際には3400年前の大変動は5回目で、なんと1753年前の西暦266年に、6回目の地球文明が滅ぶ大変動が起きていたのです。

 

そう、この6回目の大変動によって、邪馬台国は消えてしまったのです。邪馬台国だけではありません。一旦、全世界の文明が消えたのです。

 

だから、日本では、以前の文明がきちんと残っておらず、縄文時代、弥生時代と一言で語られるようになり、空白の4世紀が作られてしまったのです。

 

一方で、中国の歴史は夏や殷以降の歴史が繋がっているように説明されていますが、これは熊襲が歴史を繋げただけであって、一旦三國志の時代の終焉とともに中国の歴史も途切れて、その後リスタートしているのです。

 

また、朝鮮半島も同じで、高句麗、新羅、百済の三国の起源が紀元前だったり、4世紀以降だったりと、はっきりしないのは、266年を境に歴史が一旦途切れているところに理由があるのです。

 

日本の場合は、266年以前の邪馬台国の歴史が、ほぼ完全に消されたので全く分からなくなっているのです。

 

それでは、266年以前の地球はどのような地形だったのでしょうか?

 

正規の歴史には、もちろんそのような地図は残されていません。

 

しかし、密かに後世にヒントを残していたのが、偽書とされる竹内文書だったのです。

 

竹内文書には、古代地球は現代の地球とは地形が異なっていてタミアラ、ミヨイという大陸が太平洋上にあったことが書かれています。

<ムー大陸の真実>

 

具体的にはこの地図です。

古代世界地図①

 

これは、著作者:高坂和導氏の「超図解 竹内文書」に掲載されている古代地図を引用しています。

 

現代世界地図と異なる点は、タミアラ、ミヨイがある他に、地中海がなくヨーロッパとアフリカがくっついている点、日本の南に中国大陸が一部離れて大きな大陸になっている点、南極大陸がない点などです。

 

私は、この地図のことは随分前から知っていましたが、この地形は数万年とか数億年とかはるか昔の地形だと思いこんでいました。従って、266年に大変動があったとしても、この地図ほどの大きな変化はないと考えていたのです。

 

しかしながら、実際には、この地図が邪馬台国が存在した西暦266年以前の地形に近いのです。

 

これが邪馬台国の時代の世界なのです。驚愕でした。

 

ただし、「近い」と書いたのは、この地図でも一部、大きく異なる点があるからです。

 

実は、「超図解 竹内文書」も、真実の歴史を曲げるために改竄されているのです。

 

本物の竹内文書は、別にあります。

 

それは、八幡書店から出版されている「竹内文献」、及び同じく八幡書店から出版されている「神代秘史資料集成 天の巻」です。

 

この二つの書物は、改竄されていない竹内文書が残されています。その本に掲載されている古代の世界地図が次です。

 

古代世界地図②

 

 

「超図解 竹内文書」と大きく異なるのは、太平洋上にムー大陸と思われていたタミアラ、ミヨイがなくなっていることが挙げられます。

 

それと日本列島の形が大きく異なります。

 

次の画像は、東アジアを拡大したものです。

 

天日根国が、当時の日本であり、その一部に邪馬台国があったのです。

 

 

古代世界地図③

 

 

この地図の詳細にはついては、追々ご紹介していきますが、266年までの世界地図はこれだったのです。

 

この地図で、魏志倭人伝の邪馬台国の位置を検証してみると、全て辻褄があいました。この詳細についても、機会があればいずれご紹介します。

<古代歴史の改竄-邪馬台国その1>

 

このように世界の歴史は大きく改竄されています。勝者の歴史です。

 

その中でも最大の改竄は、西暦266年に6回目の大変動があり、人類の歴史がリセットされ、再度の敗者復活戦に突入したことだったのです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

前回の続きです。

<古代歴史改竄-邪馬台国その1>

 

前回記事の趣旨は、魏志倭人伝等、中国の歴史書にしかその名が登場しない邪馬台国は、日本に存在した可能性は確かであるが、当時の日本及び日本周辺の地形は現在と異なっていたはずだ、ということでした。

 

以前の地形がどのようなものであったのかは、追々言及していきます。

 

その前に、邪馬台国以前の日本の歴史が消されていることについて、具体的に検証してみます。

 

邪馬台国が存在した時代は、魏志倭人伝の記載から3世紀前半以前になります。

 

この時代を記紀に照らし合わせると、第13代成務天皇第14代仲哀天皇第15代応神天皇の時代とかぶってきます。

 

記紀をベースに天皇の在位年代を遡っていき、西暦に換算すると、成務天皇が西暦131年~190年、仲哀天皇が西暦192年~200年、仲哀天皇の後を継いだ神功皇后摂政時代が西暦201年~269年、応神天皇が西暦270年~312年となります。

<WIKI:天皇の在位年と西暦対照表>

 

仲哀天皇の皇后である神功皇后が、摂政時代も含めて70年近く続いている点が、現代の考古学の通説では、「神功皇后は存在しなかった。神話上の存在ではないか」とされている由縁です。

 

しかしながら、一方では、神功皇后を倭国の最初の女王とみなすと、卑弥呼と同時代の存在のため、邪馬台国の卑弥呼=神功皇后とも言われているのです。

 

記紀の神功皇后記には、三韓征伐を初め、熊襲征伐、後に応神天皇となる息子の誉田別尊の誕生の様子、武内宿禰との関係など、1800年前の出来事とは思えないくらい詳細が記載されています。

 

ところが、夫の仲哀天皇になると記載が極端に少なくなりますし、その前の第13代成務天皇については、事績はほとんど記載されていません。

 

成務天皇からにさらに遡ると、第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇には、かなり詳しい事績が書かれており、明らかに成務天皇、仲哀天皇の項目には改竄が見られるのです。

 

従って、第13代成務天皇及び第14代仲哀天皇(神功皇后)の時代にかけて、邪馬台国の歴史が消えるような地球規模の大きな変動があり、その事実を歴史から消さなければ熊襲にとって都合が悪かった、ということになるはずです。

 

次に、邪馬台国の様子を魏志倭人伝から見てみます。

 

・(時期不詳:200年前後と推定)倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)が、その後に内乱があり(5-6年間)、その後で一人の女子を立てて王とした。その女子の名を卑彌呼といい、鬼道に仕え、よく衆を惑わす。年齢は既に高齢で夫はないが、弟がいて国の統治を補佐した。

 

・景初2年(西暦238年)6月 倭の女王は大夫の難升米等を(帯方)郡に詣いるよう遣わし、天子に朝獻を求める。

 

・正始元年(西暦240年)、太守の弓遵が中校尉の梯儁らを遺わし、倭國に詣りて詔書・印綬を奉じ倭王に拜假した。

 

・その8年(西暦247年)、太守に王頎が到官。倭の女王の卑彌呼と狗奴國の男王の卑彌弓呼は元より不和で、倭は載斯・烏越たちを郡に遣わし、互いに攻擊している状態を説明した。

・・・・・

 卑彌呼は死んでおり、塚が大いに作られ径100歩ほど、狥葬者は奴碑100人ほど。つぎに男王が立つが國中が従わず、互いに殺し合い当時1000人くらい殺された。その後また卑彌呼の宗女の壹與(台与)という13歳の者が王になり、國中がついに定まった。

 

<WIKI:魏志倭人伝年表>

<WIKI:卑弥呼年譜>

 

魏志倭人伝には、邪馬台国(倭国)の騒乱が始まり、男王が続いた後に、女王卑弥呼を立てたことで国が安定したとされています。

 

この年代については触れられていないのですが、前後の様子から西暦200年前後と推定されます。男王が続いた後、内乱があった時代が仲哀天皇(西暦192年~200年)の時代と考えれば、神功皇后=卑弥呼で辻褄が合ってきます。

 

また、魏志倭人伝には、倭の女王卑弥呼が魏に朝貢したことが数回記載されています。年代も明確で西暦238年から247年頃まで朝貢していた様子が書かれています。

 

その後は、卑弥呼の死にも触れられています。年代は書かれていませんが、卑弥呼の後を継いだ台与の登場との関連から247年~249年に卑弥呼が死んだと推測されます。

 

さらに、卑弥呼の後を継いだ台与も魏に朝貢したことが書かれています。

 

魏志倭人伝にはここまでしか書かれていませんが、魏の後に成立した晋の晋書には、次のように書かれています。

 

泰始二年(266年)、 倭の遣使が入貢。邪馬台国からの最後の入貢

<WIKI:卑弥呼#晋書>

 

魏は西暦265年に滅び、同じ年にが建国しています。その晋に邪馬台国が朝貢した最後の年が266年と明確に記載されています。

 

この266年以降は、邪馬台国についての記載は、中国の史書から一切消えてしまいます。

 

古事記で、神功皇后の摂政時代を含めた時代を西暦に換算すると201年~269年になります。

 

卑弥呼の存在期間を魏志倭人伝等を頼りに推測すると200年頃~249年で、神功皇后時代よりも20年程短くなります。

 

ただし、卑弥呼を女王の役職だったとして、後を継いだ少女の台与まで卑弥呼として含めると、神功皇后の期間と辻褄が合ってくるのです。

 

中国の史書では、266年まで邪馬台国が存在したことになり、邪馬台国の卑弥呼の時代と、記紀の神功皇后の時代がほぼ一致します。

 

しかしながら、記紀に邪馬台国に関する表現が一切ないのは何故なのでしょうか?

 

それは、前回も書いたように歴史の改竄があるからです。

 

実は、前述の晋書266年の邪馬台国最後の朝貢以降、中国の歴史書には、邪馬台国に関してだけでなく、倭国に関する記述もほとんど消えてしまうのです。

 

次に倭国に関しての具体的な記述が登場するのは、晋書に書かれた西暦413年倭の五王に関する記述です。

 

つまり267年から412年までの145年間の倭国に関する歴史は海外にはほとんど残っていないのです。このことは空白の4世紀と呼ばれています。

<WIKI:空白の4世紀>

 

空白の4世紀の存在ために、それ以前に存在した邪馬台国も幻の王朝と呼ばれる由縁なのです。

 

何故、倭国に関する記述は、145年間も中国の歴史書から消えたのでしょうか?

 

もちろん、故意に歴史書から消されたからなのですが、問題は何故消す必要があったのかです。

 

それは、266年に今の日本列島を中心としたアジアを初め、地球規模で大変動が起きて、地形が大きく変わってしまったからと推測されるのです。

 

大変動によって、それまでの日本の前身の国が大きく様変わりしたのです。

 

それまでの日本は、神代の名残りがあり、神国の面影を至る所に残す時代だったのです。

 

しかし、266年の大変動によって地球が一旦リセットされ、翌267年から天の采配による、新しい時代が始まったようなのです。いわゆる敗者復活戦なのです。

<参考:敗者復活戦>

 

従って266年を境に地球の時代は全く変わってしまったのですが、この大変動及び敗者復活戦のことを、熊襲は隠したかったために、空白の4世紀を作り、現在までの世界の歴史を改竄したのです。

 

つづく。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

邪馬台国については、ブログ開始以来のテーマであり、未だその存在については結論には至っていません。

<卑弥呼と台与>

<邪馬台国はなかった!>

<太宰府の真実>

 

邪馬台国は、記紀を初めとした日本の古文書には一切書かれていません。邪馬台国や卑弥呼といった文字は出て来ないのです。

 

邪馬台国関連の記録が残っているのは、中国の古文書である後漢書東夷伝魏志倭人伝くらいです。

<WIKI:邪馬台国>

 

何故日本の書物には記録されていないのでしょうか?

 

ここに、邪馬台国の秘密があるはずです。

 

その理由は、真実を隠さないととても都合が悪い熊襲による勝者の(改竄の)歴史だからです。

 

つまり、実際に、古代日本に存在していた邪馬台国(女王国)の歴史は、ある時期、完全に日本からは消されたのです。

 

しかしながら、中国の古文書に記載された邪馬台国の歴史まで消すことが出来なかった、ということなのです。

 

従って、歴史学者は、古代中国の後漢書東夷伝と魏志倭人伝をベースに、日本に残されている古墳等の史跡から邪馬台国の存在を調査し、推測してきました。

 

その結果、江戸時代に邪馬台国の存在した場所として九州説近畿説(畿内説)が報告され、以降、今日まで長い間、両説間で論争になってきたのです。

 

現在では近畿説が有力となっているようですが、本当にそうなのでしょうか?

 

昨年夏頃から、私なりに検証してみました。

 

邪馬台国が存在した時代は、魏志倭人伝に邪馬台国(女王国)、卑弥呼、台与に関して年代記述(西暦に換算すると238-266年)があることから、3世紀前半から中盤には確実に存在していたことになります。

<WIKI:魏志倭人伝>

 

邪馬台国が存在した位置についての推測も、魏志倭人伝の記述がベースになっています。

 

しかしながら、魏志倭人伝に書かれている通りの行程で、単純に距離と方角を足して行くと、邪馬台国の位置は太平洋の真中になってしまうのです。

<WIKI:邪馬台国に関する論争>

<WIKI:邪馬台国までの行程と倭国の様子>

 

邪馬台国(女王国)の位置についての魏志倭人伝の記述の一部です。

 

「帯方郡から女王国(邪馬台国)に至る、1万2000余里である」

 

中国での1里は400mです。

 

400m×12,000里=4,800km

 

帯方郡(現在の北朝鮮遼東半島南部辺りか)と邪馬台国の距離が、4,800km離れているということは、邪馬台国は太平洋の真中あたりに存在していたことになるのです。ムー大陸のことでしょうか?

 

 

また、「(狗奴韓国から)初めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。」という記述もあります。

 

句奴韓国は現在の韓国南部の海岸部と推定されています。対馬国は、文字通り長崎県の対馬になるはずです。

 

400m×1000里=400km

 

韓国と対馬の距離は最も近いところで50km、離れた所でも80km程度です。

 

如何に古代とは言え、韓国から目視出来る対馬との距離が、実際の5倍以上も誤差が出るはずがありません。単純な距離計算では、邪馬台国は日本のことではなくなってしまうのです。

 

この矛盾をを解決するために、歴史学者は短里法という概念を用いて、再計算しています。

 

古代中国では、通常の1里=400mではなく、1里≒76mで計算される場合も、まれなケースながらもあったようで、これを短里法と呼んでいます。

 

短里法で計算してみると、帯方郡から邪馬台国までの距離1万2000里は912km、対馬国までの距離1000里は76kmとなります。

 

帯方郡と北部九州の距離は600km程度ですので、まだ誤差が大きいですが、昔の測定技術能力を考えれば誤差の範囲内に入っていると考えてよいでしょう。もう一方の対馬については、ほぼ一致しています。

 

また、現在の壱岐島とされている一大国、長崎県・佐賀県北部の松浦地方とされている末廬国、福岡県糸島半島とされている伊都国の位置は、短里法で計算すれば現在の地図とほぼ近い位置になります。

 

従って、九州説を主張する学者は、邪馬台国は北部九州にあったはずだ、と主張しているのです。

 

しかしながら、短里法でも計算しても、九州説には矛盾があります。

 

それは肝腎の邪馬台国の場所です。魏志倭人伝には帯方郡から邪馬台国への行程が次のように書かれています。

 

(帯方郡から)南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る

 

「水行10日」は、帯方郡の位置と北部九州の距離で、当時の船の能力であれば、妥当な日数のように考えられます。

 

しかし、「陸行1カ月」というのは、どう考えてもあり得ないのです。九州説での邪馬台国の場所は、現在の福岡県小郡市、筑前町付近です。

 

帯方郡から九州北部に到着した船が、福岡市付近の海岸であれ、長崎県の海岸であれ、またまた熊本県の海岸であったとしても、どんなに遠くても歩いて10日もかからない距離なのです。有明海付近に到着すれば2日ほどで行ける距離なのです。

 

従って、邪馬台国九州説には疑問が生じることになります。

 

 

次に、もう一つの畿内説についての検証です。

 

前述の邪馬台国の位置については、例えば帯方郡からの船が山口県付近の海岸に到着したとしたら、そこから歩いて1カ月というのは妥当な日数のように思えます。

 

この点は、近畿説の方が九州説より有利になります。

 

しかしながら、近畿説でも、次の点に疑義が生じるのです。

 

まずは、投馬国(とうまこく)についてです。

 

(帯方郡から)南へ水行20日で、投馬国に至る。推計5万戸余。

 

邪馬台国(7万戸)に次ぐ規模の人口が存在する投馬国の存在は、現在の日本のどこに比定されるのか、最も分かっていない国の一つです。

<WIKI:投馬国>

 

邪馬台国までが水行10日ですから、水行20日は四国辺りか、日本海側なら山陰東部か、黒潮に乗れば北陸まで行けそうです。

 

しかしながら、これらの地域に投馬国に比定される場所の痕跡が残っていません。

 

九州説を主張する学者は、投馬国を現在の宮崎県西都市辺りに比定していますが、それも根拠は弱いです。

 

もう一点は、「倭種なり」という国の存在です。

 

女王国から東に1,000里ほど海を渡れば、また倭種の国あり

 

九州説で考えるならば、北部九州から東へ1000里(76km)行くと大分県北部の海岸になります。倭種とは、大陸からの帰化人を指しているのでしょうか?

 

また、近畿説の場合、仮に奈良市南部に邪馬台国があったとしたら、そこから1000里行くと三重県の伊勢湾沿岸になります。ここに帰化人の国があったということなるのでしょうか?

 

両方には、それぞれ宇佐神宮と伊勢神宮の二大神社がある場所ですが、倭種が何を指すのか良く分かりません。

 

そして、九州説であれ、近畿説であれ、全く説明出来ないのが次の点です。

 

倭種の国からは南に、小人の国である侏儒国があり。女王国からは4000里

 

4000里は、短里法ならば約300kmです。

 

九州説の倭種の国を大分県北東部とした場合、南に300kmは種子島辺りです。

 

一方、近畿説の倭種の国を三重県津市の周辺とした場合、そこから南に300kmは太平洋上で周辺には目立った島もありません。九州説なら種子島で比定出来ますが、近畿説では説明できない矛盾点が出て来るのです。

 

ここで、近畿説も完全に破たんします。

 

ちなみに侏儒国は小人の国となっています。「人のたけ三、四尺」ですから大人の身長が90cmから120cmの人々の国が、当時の日本に存在したことになるのです。

<WIKI:侏儒国>

 

このような私なりの調査・推定から、邪馬台国は九州説、近畿説でも説明がつかないということになりました。

 

そうすると、邪馬台国はどこにあったのでしょうか?

 

これを説明するには、邪馬台国が存在した3世紀の日本及び周辺の地図は、現在と異なると考えるべきなのです。そうでないと説明出来ません。

 

次回以降、当時の地理について私の考えを書いていきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

-追伸

 5月6日の記事はお休みさせていただきます。

 

桃太郎は、フィクションだと思われていますが、実在していたようです。

 

ただし、桃太郎は一人の人物を指すのではなく、熊襲を討伐するための役職の一つだったようで、古代から数世紀に渡って存在していたようです。

 

桃太郎の伝説が、全国の複数箇所に残っているのはこのためです。

<WIKI:桃太郎ゆかりの地>

 

その中でも、もっと有名なのは岡山(吉備)の桃太郎ですよね。桃太郎と言えばきびだんご、というような関係になっています。

 

吉備の桃太郎は、吉備津彦命のことです。6年前に次のような記事を書いていました。

<桃太郎と吉備津彦>

 

吉備津彦命は、第7代孝霊天皇(BC290~BC215)の皇子となっているで、実在したのは今から2200年以上前、紀元前3世紀後半の人物です。

 

おそらく、この吉備津彦が初代桃太郎だと考えられます。

 

その後、数世紀に渡って、桃太郎(吉備津彦)が世襲していたようです。

 

逆に、前掲の記事に登場する温羅(うら)は鬼とされていますが、実は温羅が5世紀前半に活躍した桃太郎である吉備津彦命だったのです。温羅は、初代桃太郎(吉備津彦)から600年以上後に出現した桃太郎だったのです。

 

温羅の正式名は、武振熊命(たけふるくまのみこと)です。

 

しかし、武振熊命は、実は朝鮮半島の百済の出身です。歴史書からは消されていますが、百済第13代近肖古王(~375年)の第二王子です。

<桃太郎伝説>

 

韓国時代劇ドラマに「近肖古王(クンチョワゴン)」がありますが、近肖古王の第二王子としてプ・ヨグスが登場します。このプ・ヨグスが成長して、後に倭国(日本)に渡り、桃太郎になったのです。

<近肖古王>

 

温羅(うら)とは、古代の百済では「ウォンラ」と発音するようで、王様のことを表す言葉だったようです。百済王子であるプ・ヨグスが、日本に招かれてやって来たので、当時の日本では敬意をこめて温羅と呼ばれていたものが、次第変化して「うら」になったようです。

 

当時の日本は倭国と呼ばれていましたが、倭国全体を揺るがした大乱及び地殻変動で疲弊していて、復興を目指して大和朝廷が建国されて間もない時期だったようです。

 

従って、朝鮮半島、特に百済の文化を輸入して、倭国の再統一を目指していた時期のようです。このことは、韓国時代劇ドラマ「近肖古王」の後半にも部分的描かれており、神功皇后の前身である女性「チング姫」も登場します。

 

大和朝廷が、わざわざ百済から温羅を呼び寄せたのは、当時の政敵である鬼(熊襲:実際に鬼のように人間離れしていたようだ)を駆逐するためだったようで、力があると評判のプ・ヨグス(温羅)に助けを求め招聘したのでしょう。

 

来日した温羅は、桃太郎(吉備津彦)に就任し、すぐさま鬼(熊襲)を平定したようです。その結果、大和朝廷は次第に安定したようです。

 

そして、温羅は、桃太郎のポストを後輩に譲り、自らは大和朝廷の中枢の職に就いたようです。それが武振熊命なのです。

 

しかしながら、熊襲はいつの時代もあきらめません。叩いても叩いても、再び姿かたちを変えて復活します。

 

次第に勢力を伸ばし、なんと温羅の後を継いだ桃太郎を懐柔し、ウォークインしてコントロールしてしまったのです。

 

そして、吉備国一帯を再度乗っ取り、拠点を設けたのです。その拠点が鬼城山にある鬼ノ城(キノジョウ)だったのです。

 

<鬼ノ城>

 

鬼の城②

 

鬼の城③

 

再び台頭して来た鬼を退治するために、温羅こと武振熊命が桃太郎(吉備津彦)として再登板し、鬼とウォークインされ鬼の手先になってしまった前職の桃太郎を討ちにいったのです。

 

その痕跡が残っているのが、同じ岡山市にある矢喰神社と倉敷市にある鯉喰神社です。

 

矢喰神社には、吉備津彦と温羅(実際には鬼)が戦った際、落ちた矢が巨岩に刺ささり、その巨岩を二つに割ったという伝承の巨石が残っています。

<矢喰神社>

 

矢喰神社①

 

矢喰神社②

 

 

また、鯉喰神社には、温羅(実際には鬼)を退治に行った吉備津彦が、鯉に変身して川に逃げ込んだ温羅を、自らは鵜に変身して食べてしまい退治した、という伝承が残されています。その地を祀っています。

<鯉喰神社>

 

鯉喰神社①

 

鯉喰神社②

 

このような神社を、当時の人々がフィクションをベースに建築するはずがありません。事実なのです。

 

ただし、熊襲は、都合の悪い歴史を隠すため改竄いていくのです。

 

今回の吉備津彦と温羅の物語では、吉備津彦=温羅=桃太郎VS鬼(熊襲)だったものを、吉備津彦=桃太郎VS鬼(温羅)に変え、百済からの救世主である温羅を鬼に仕立て上げているのです。

 

時間が経って行くほど、真実は忘れられ、後世の人々は熊襲が改竄した歴史を真実と思い、さらに時間が経つとフィクションとされるのです。これが、約2900年に始まった人間中心文明の慣れのはてなのです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

本日4月1日は、新元号が発表される予定です。どんな元号になるのか楽しみですね。

 

今回の天皇交代は、久しぶりに生前譲位という形が取られます。

 

明治政府が制定した大日本国憲法、及び現在の日本国憲法、皇室典範では、「皇位の継承は天皇の崩御によってのみ行われる」と規定されていて、江戸時代終盤に譲位した第119代光格天皇以降、譲位はありませんでした。

<WIKI:天皇の譲位>

 

今回は、今上天皇の強い意向によって、皇室典範を改正しての譲位となります。皇室典範を改正してまで譲位を決断した今上天皇の意図には、何があるのでしょうか?

 

今上天皇の内心は、神のみぞ知るでしょうが、霊的な見地から想像できなくはないと考えています。

 

それは、2021年で末法が終了し、2022年から霊的には約2900年ぶりに新たな時代に入ることと関係している、と考えられるのです。

<末法が終わる!>

 

末法が終わったからといって、2022年からすぐに現実世界が新たな時代に移行するとは考えていません。まずは霊的に変わり、次に現実世界に波及するはずです。

 

そして、数年、十数年の時間をかけて、現実の世界がだんだん変わっていくと思います。

 

最終的には(時期ははっきり分かりませんが)、神代が復活するはずなのですが、それまでは段階的に人間中心文明から神代へと、長い時間をかけながらステップアップしていくはずです。

 

現在でこそ、人間が地球の頂点に立っているように見えますが、実際には現在も天地に分かれていて、神以上は天に存在し、背後から人間社会を見守っています。人間側からは天が見えない訳ですが、天は全て把握しています。

 

しかしながら、神武天皇が誕生するまで(実際には神武天皇誕生後もしばらくは)は、神は地上に肉体を持って存在していました。

 

イザナギ、イザナミの誕生(100億年以上前)以降、地球を含めた太陽系では、世界各地に残っている神話の状態が長く続いていたのです。人間中心文明の2900年は、100億年以上の神代から見れば一瞬でしかありません。人間社会になってから、真の歴史は、熊襲による勝者の歴史として隠されてきたのです。

 

神代でも、神(人間よりも比較にならないくらい長い寿命ですが)は、転生を繰り返していたのです。

 

しかしながら、邪神が発生し、天地とも乱れだすと、天は太陽系の波動をだんだん落として、地球に存在する神の力も落としていったのです。

 

天津神と国津神というように、神も天地に分けられ、地はだんだん荒廃し、天と地の距離がどんどん開いていったのです。

 

そして、2900年前に人間中心文明となって、地上から神や菩薩は去っていったのです。天のシナリオです。

 

それでも、中世くらいまでは、日本や朝鮮半島、中国では、人間は天と地に分かれたことを認識していて、天の加護のもとで政治を行っていたのです。

 

しかし、1052年に末法に入ってからは、人間は天の存在を忘れだし、現代に至っては、日本人でさえも天の存在をフィクションとしか思わなくなったのです。これほどまで身近に神社があるにも関わらずです。

 

そういう意味では、現代が、地球誕生後、もっとも人間の波動が低い状態なのです。

 

ただし、これは、人間の魂を更正させるための天のシナリオでもあるのです。

 

将来神代が復活していくと、地球の統治方法も神代の状態に戻って行はずです。天皇とは、元々、天地を統治する神のトップの称号です。

<銀河系創造主>

 

人間中心文明に移行しても、神武天皇は日本の天皇だけではなく、世界を治める天皇であり、実質的には人間ではなく神だったのです。

 

その後、時代を下るにつれ、天皇の権威は、日本国内の統治者に格下げされて行きます。

 

そして、天皇の権威が決定的になくなったのは、日本が第二次世界大戦に敗戦し、昭和天皇が人間宣言をさせられたことです。これによって、本来は神の魂を持つ天皇が、天の意向に逆らって「天皇は人間である」と邪神によって言わされたのです。

 

人間中心文明から神代に移行する第一ステップは、この皇室改革にあるはずです。

 

2022年以降、それほど遠くない将来に「天皇は神であり、世界の統治者である」と、天皇が神宣言をする時期が来るはずです。

 

今上天皇が生前譲位を決断した裏には、このような天の意図に従ったのだと考えられるのです。天皇は、天の意向を認識出来る存在だからです。天皇の魂は他国のトップと異なり、神であり、佛なのです。

 

いずれにしても、5月1日の新元号から新たな時代に入るのは間違いありません。楽しみです。

 

最後まで読んでいただきましてありがとうございます。

この世は陰陽で成り立っています。

 

天には太陽があれば月があり、二つ揃うと『明』となり、周辺が明るくなります。

 

宇宙船からの映像を見ると、地球にいる時のように明るくありませんよね。あれは、地球のように日月が揃っていなくなるからのようです。陰陽によって宇宙が成り立つ典型なのでしょう。

 

また、地上での陰陽の代表的なモノは男女の存在です。動物や植物にも雌雄の違いがあります。

 

何故、地球には男女が存在するのでしょうか?

 

銀河系宇宙で、創造主が誕生した時には、男女の区別はなかったそうで、その後、時代を経て男女の神が生じたことが先代旧事本紀大成経には詳細に書かれています。

<真の歴史書(続)>

 

地球の人間に直接繋がるのはアダムとエバ(イブ)ですが、完全な神代の時代まで遡ると、男女の発生はイザナギ、イザナミが最初のようです。

 

ところで、皆さんが転生のことを想像する時、おそらく、男性は「過去世では女性だったことがあるのかな?」と、女性はその逆のことを考えたことがあるのではないでしょうか。

 

また、来世では「男に生まれ変わりたい」とか、「女に生ま変わりたい」とか考えたことがある人も多いでしょう。

 

そこで、、男女を入れ替えて生まれ変わることが可能なのか、という疑問が生じてくるのではないでしょうか?

 

結論から言えば、次の転生に置いて、今とは反対の性に生まれ変わることは不可能ではないようです。

 

ただし、それは簡単な事ではなく、天が納得するための相当な理由が必要のようです。

 

従って、反対の性に生まれ変わることは、非常にまれなことのようです。

 

人間にはカルマがあり、それを解消するために転生しているのであれば、男女を簡単に入れ替えて転生出来ないことは、至極当然なことですよね。

 

今の性でカルマを解消すれば、次の転生では反対の性で転生出来る可能性は十分あると思います。

 

そうは言っても、非常に少ないケースながら、天が納得する理由があれば、性を変えて転生出来るのです。

 

このことを表現したお祭りが、山梨県にあります。竜王河原宿で行われる御幸祭(みゆきまつり)です。

<WIKI:三社神社と御幸祭>

 

山梨県笛吹市にある浅間神社(甲斐国一宮)、美和神社(甲斐国二宮)、甲府市にある玉諸神社(甲斐国三宮)の三社から、竜王市の三社神社まで、御輿行列が行進するお祭りです。

 

 

笛吹浅間神社(甲斐国一宮)

甲斐一宮①

 

甲斐一宮②

 

美和神社(甲斐国二宮)

甲斐二宮①

甲斐二宮②

 

甲斐国三宮

甲斐三宮①

甲斐三宮②

 

大まかな行程は、次の地図(甲府盆地内)のようになります。

 

甲府盆地

 

御幸祭の御輿行列は、右側の甲斐国一宮である浅間神社を出発し、近くの美和神社、玉諸神社を経て、甲府市内の諏訪神社を経由して左端の釜無川沿いの竜王町の三社神社へ向かいます。

 

出発地の一宮、二宮は、甲府盆地を流れる二大河川の一つ、笛吹川沿いにあります。

 

そして、到着地の三社神社は、もう一つの河川である釜無川沿いにあり、すぐそばに信玄堤があります。

 

三社神社そばの釜無川上空に現れた龍雲

三社神社③

 

御幸祭の最大の特徴は、行列の参加者が女装している点です。

 

<山梨情報ブログ>

 

何故、お祭りで女装する必要があるのでしょうか?

 

理由は良く分かっていないようです。

 

しかし、現地を訪問した私には、インスピレーションが降りてきました。

 

それは、笛吹川が女性の魂が流れる川であり、もう一つの河川である釜無川が男性の魂を流れる川、ということでした。

 

以前、日本の河川は魂を浄化する場所であると紹介しました。

<全国の河川の浄化システム>

 

日本中のさまざま川は、植物、動物、人間、神、菩薩、佛など、地球に関与する魂を浄化する場所水道なのです。ここが日本が神国と呼ばれる所以です。

 

霊的水道の水とは、単なる物質の水のことを指すのではなく、肉体を持たない魂のことを指します。従って、生まれる前に堕胎させられた魂のことを水子と呼ぶのです。河川を汚くすると、関わった人に天罰が落ちるのはこのためで、水害などもそうです。

 

笛吹川は男性の魂を浄化し、釜無川は女性の魂を浄化すると考えられます。そして、甲府盆地の市川大門で合流し、富士川となって太平洋に流れて行きます。

 

甲府盆地で行われる御幸祭は、笛吹川近くの浅間神社を出発し、釜無川の竜王町三社神社まで一直線の最短距離で、御輿を担いで行列移動します。御輿に乗っているのは神ですから、神の魂を笛吹川から釜無川まで移動させていると考えられませんか?

 

つまり、笛吹川は神の男性の魂を浄化し、釜無川は神の女性の魂を浄化するはずですから、御幸祭りは、笛吹川からショートカットして釜無川に向かう行為は、神の男性の魂を、神の女性の魂に変える手続きを表していると考えられるのです。

 

そう、前述した男女間の生れ変りが許された場合、このような霊的手続きによって、魂が男から女に転生するのです。凄いでしょう!

 

日本各地のお祭りを調べたら、似たようなものがあるのかも知れません。

 

いずれにしても、日本人は熊襲によって本来の霊性を失ってしまっているのです。何のための御祭りなのか、よく考える必要があります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。