桃太郎と吉備津彦 | 知っとうや(真実を求めて?!)

知っとうや(真実を求めて?!)

⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

一年以上前に桃太郎伝説について書きました。
<桃太郎伝説>

桃太郎は百済王第二王子で応神天皇に呼ばれてやってきた温羅(うら)

本来は、鬼が金星系ボスで、温羅が桃太郎で鬼を退治したものだったのですを、金星系によって真逆に歴史を改竄されてしまったのです。

桃太郎伝説は、現在の岡山に当たる吉備国が舞台です。吉備には巨大な古墳が複数あり、古代に栄えた場所のようです。

また、吉備には備中に
吉備津神社、備前に吉備津彦神社という、似た名称の2つの一宮が近くに並んでいます。
<WIKI:吉備津神社>
<WIKI:吉備津彦神社>

どちらも主祭神は大吉備津彦(彦五十狭芹彦命)。

吉備津彦と呼ばれる人物には、第6代孝霊天皇の皇子である大吉備津彦命と、大吉備津彦命の異母兄弟である稚武彦命(若日子建吉備津彦)の二人がいますが、一般的には吉備津彦命と呼ぶ場合は、大吉備津彦命を指すようです。

問題は、何故、大吉備津彦を主祭神とする吉備津神社と吉備津彦神社が近くに並んでいるのかです。不自然だと思いませんか?

実は、備前一の宮の吉備津彦神社の祭神は、大吉備津彦命ではなく、二代目日本武尊こと温羅だったのです

温羅は、応神天皇に呼び寄せられ、日本
武尊の称号を与えられるくらい活躍します。そして、応神天皇が金星系によって内乱状態にあった古代日本を統一し倭国を建国するきっかけを作ります。温羅が金星系である鬼を退治したのです。

実は、この温羅は、記紀に武内宿禰とともに将軍として登場する武振熊命(たけふるくまのみこと)だったのです。
<WIKI:武振熊命>

武振熊命の実績を隠したい金星系は、その存在を消し、それよりも約500年前に存在した大吉備津彦命とすり替えたのです

備中一宮である吉備津神社の祭神は大吉備津彦命で問題ありませんが、備前一宮である吉備津彦神社の祭神は、大吉備津彦命ではなく
武振熊命(温羅)なのです。

吉備津彦神社の摂社に温羅神社があります。この温羅神社に祀られている温羅こそが、本来の吉備津彦神社の主祭神だったのです。それが改竄されていたのです。

温羅=
武振熊命=二代目日本武尊=二代目桃太郎なのです。

吉備津彦神社②

(クリック拡大)

こちらは吉備津彦神社本殿。

吉備津彦神社①


一方、吉備津神社の主祭神である大吉備津彦命と、もう一人の吉備津彦である稚武彦命はどういう人物なのでしょうか?

大吉備津彦は、第6代孝霊天皇の第3皇子で本名は、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)。例の金星系ボスが天皇となった第10代崇神天皇の時代に四道将軍として活躍したとされている人物です。
<WIKI:吉備津彦命>
<WIKI:四道将軍>

歴史上、四道将軍が存在したのは間違いないと思われますが、時代は崇神天皇の時代ではありません。6代孝霊天皇から9代開化天皇の間だと思われます。

崇神天皇の時代に存在したと改竄した理由は、金星系が崇神朝を正当化するためなのです。

おそらく、四道将軍として活躍した大吉備津彦命は、人生の終盤で金星系ボスにウォークインされて、金星系になってしまったのだと思われます。その時に、金星系と戦ったのが、大吉備津彦命の異母兄弟である稚武彦命(わかたけひこのみこと)。吉備津神社、吉備津彦神社の両社に相殿として祀られている人物です。

稚武彦命は、金星系ボスと戦ったのでしょう。そして、おそらく金星系による支配を打つ破り、平定したのだと思われます。稚武彦命は、温羅(約500年後)に先駆けて鬼を退治した初代桃太郎だったのだと思われます。吉備津神社には桃太郎伝説が残っています。稚武彦命こそが、金星系である鬼を退治した最初の桃太郎だったのでしょう。

ちなみに稚武彦命(吉備津彦)と
武振熊命(温羅)の魂は、同じ流れです。大吉備津彦、稚武彦命(吉備津彦)武振熊命(温羅)の三者が吉備津神社と吉備津彦神社には関係しているのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。