桃太郎伝説 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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日本の童話には、かぐや姫を初め、桃太郎、浦島太郎、一寸法師などがあります。子供の頃、祖母に良く読んでもらいましたが、このような童話は、何らかの形で歴史上の出来事・事件とリンクしていることが多いようです。

<参照:かぐや姫の真実>



今回は、桃太郎についてご紹介します。


桃太郎と言えば誰もがご存じのように、桃から生まれた桃太郎が、お婆さんからきび団子を貰って、イヌサルキジを従えて、鬼ケ島まで鬼を退治しに行く物語」ですね。桃太郎は正義の味方なのです。

<WIKI:桃太郎>


桃太郎伝説は、全国で何カ所かあります。その中で、一番有名なのは岡山の吉備津彦(きびつひこ)をモデルにしたもののようです。


吉備津彦命(彦五十狭芹彦命:ヒコイセサリヒコノミコト)は、日本神話に登場する山陽道を制圧したとされる四道将軍の一人で、第7代孝霊天皇の第3皇子とされ、吉備国(現在の岡山県)の伝説的な勇者として、吉備津神社、吉備津彦神社に祀られています。

<WIKI:吉備津彦命>


吉備津神社縁起によると、桃太郎伝説のとは、百済からやってきた百済王子の温羅(うら)とされています。

<吉備津神社HP>


~吉備津神社HPから転載開始~


 当社には、あの桃太郎のお話のもととも云われる温羅退治のお話しが伝わっています。

 それは、諸説ありますが大要は次のようなお話です。

 『むかしむかし異国よりこの吉備国に空をとんでやってきた者がおりました。その者は一説には百済の皇子で名を温羅(うら)といい、目は狼のように爛々と 輝き、髪は赤々と燃えるが如く、そして身長は一丈四尺にもおよび腕力は人並みはずれて強く、性格は荒々しく凶悪そのものでありました。温羅は新山に城を築 き都へ向かう船や婦女子を襲っていたので、人々は温羅の居城を鬼の城と呼び恐れおののいていました。都の朝廷もこれを憂い名のある武将を遣わして討伐しよ うとしましたが、すばしこく変幻自在の温羅を誰も討伐できず都に逃げ帰る有り様でありました。』


~転載終了~


温羅は、人並みはずれた体格と腕力を持ち、目は狼のように輝き、性格は荒々しく凶悪だったそうです。この温羅が籠もっていた居城が鬼ケ島と言われ、現在の鬼ノ城ではないかと言われています。

<鬼ノ城>



~転載開始~


『そこで武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が派遣されることになりま した。大軍を率いて吉備国に下って来られた命は吉備の中山に陣を敷き、片岡山に石盾を築き戦いの準備をしました。

 ついに命は温羅と戦うことになりましたが、不思議なことに命が射た矢と温羅が投げた石が悉く空中で衝突し海に落ちてしまい苦戦を強いられることとなりま す。そこで命は考えをめぐらし一度に二矢を射ることができる強弓を準備させ、一度に二つの矢を射ることにしました。すると、一つの矢はいつものように海に 落ちてしまいますが、もう一つの矢はみごとに温羅の左目に突き刺さりました。温羅は驚愕しに姿を変え山中に逃げますが、命はたちまち鷹となって追いかけ ます。温羅は命に捕まりそうになると、今度はに姿を変え、自分の左目から迸った血で川となった血吸川に逃げ込みます。命は鵜に変化し血吸川を逃げる温羅 を見つけ噛み上げついに捕まえることに成功します。捕まった温羅は命に降参して、人民から呼ばれていた吉備冠者(温羅)を命に献上したので、これ以降命は吉備津彦 命と呼ばれることとなりました。』


~転載終了~


悪名高い温羅を成敗するため、(大和)朝廷から派遣されたのが彦五十狭芹彦命(ヒコイセサリヒコノミコト)だそうです。


温羅は大変な強敵で簡単に倒せませんでしたが、とうとう彦五十狭芹彦命が放った矢が温羅の左目を捕えます。温羅は雉に変身して必死で逃げだします。するとミコトは鷹に変身して追いかけます。捕まりそうになった温羅は次は鯉に変身し、川に逃げ込みます。するとミコトは鵜に変身して追いかけ、とうとう温羅を捕まえ、温羅は降参します。これによって名を上げたミコトは吉備津彦命と呼ばれるようになったそうです。


吉備津神社に伝わる桃太郎伝説を簡潔にまとめるとこのようになります。


温羅が雉に変身することから桃太郎のキジと関係があるような感じもしますが、吉備津宮縁起によれば、犬、猿、雉とは当時の吉備国にいた有力豪族の氏(部)ではないかと書かれています。


私見ですが、吉備津神社に伝わる桃太郎伝説は、吉備津彦が温羅を倒して吉備津国を平定し、有力豪族を従えたイメージを与えたい、大和朝廷の権力の強さを見せたいものではないかと感じています。桃太郎伝説として大和朝廷が流布したものが後世に伝わったのでしょう。


ところが、桃太郎伝説の真実はそうではなく、全く内容が逆転しているようです。私が解明した桃太郎伝説は次のとおりです。

温羅という人物ですが、この人物は日本の古代、4世紀頃の新たな国造りに大きく貢献した人物のようです。


温羅は、百済の第13代王近肖古王(~375年)の次期王近仇首王の異母兄弟の弟です。


この事実は、世界中どこを捜しても、文献や資料は出てきません。

<WIKI:百済>


西暦370年頃だと推測しますが、後の時代、第15代天皇応神天皇と呼ばれることとなる誉田別尊(ホムタワケノミコト)が、百済王近肖古王にお願いし、日本に呼び寄せたのが温羅のようです。


何故、ホムタワケノミコトが温羅を日本に呼び寄せたのかが重要になります。


3500年前の佐賀大和朝廷が崩壊後、日本は空白の1200年になったと記事にしてきました。そして、まだ詳細は分かりませんが、おそらく紀元前2、3世紀頃(2200年前頃)から、大陸で文明を興した倭人が日本に回帰し、少しずつ倭人文化が復活しだしていったのではないかと考えています。


そして2~4世紀頃には邪馬台国を初め、小国20~30ヵ国が全国に散らばっていたのだと想像します。

<参照:邪馬台国>


これを一つの国家として統一し、太古の華やかな倭人文化を取り戻そうと尽力したのが、新羅からやってきた息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト、後に神功皇后と呼ばれる人物)とその息子、後に応神天皇と呼ばれることになるホムタワケノミコトのようです。


ちなみに応神天皇は第15代天皇ですが、実際には初代神武天皇から第14代仲哀天皇は架空の存在です。(そもそもこの時代、天皇とい呼び名はなかった)ホムタワケノミコトが倭国を統一したようですので、実質的な初代天皇は応神天皇と呼んでもいいのかも知れません。


ホムタワケノミコトは、倭国統一のためには新たな文化が必要だと考えたのでしょう。当時、倭人文化が栄えていた百済から阿直岐師(あちきし)と和邇吉師(わにきし)を呼び寄せ、儒学漢字を伝来させ、国内に広げていきます。技術面では朝鮮半島の製鉄技術などを輸入します。

<WIKI:阿直岐>

<WIKI:和邇>


そして、一緒に呼び寄せた百済王子温羅に国内統一を任せます。温羅は期待に応えて国内を平定していきます。そして、400年頃、倭国という統一国家が出来、古墳文化が始まります。


古墳は、3500年前の神代の月人たちの文明を再興しようとした証ではないかと思います。円墳は月を表し、方墳はピラミッドを模倣したもの。前方後円墳は月とピラミッドを併せたものだと私は理解しています。倭人の魂は、ピラミッド時代(アトランティス)から月(5千年前)に伝えられているのです。朝鮮半島の一部に前方後円墳が見られるのは、ここに由来があるのでしょう。


そして、温羅こそ、初代ヤマトタケル(日本武尊)です。

<参照:日本武尊>


そして、温羅は、桃太郎伝説の鬼ではなく、桃太郎なのです。


吉備津彦は実在していないか、実在したとしても全く時代が異なります。3000年以上前の人物でしょう。ヤマトトトヒモモソヒメと兄妹とされています。


歴史は常に勝者が捻じ曲げて創作したものです。真実を知ることで、覚醒に繋がるはずです。



最後まで読んでいただきありがとうございます。