これまで、日本の歴史、邪馬台国と周辺国の歴史は、266年を境に大きく改竄されていることを主張してきました。
<古代歴史の改竄-邪馬台国その1>
<古代歴史の改竄-邪馬台国その2>
<古代歴史の改竄-邪馬台国その3>
<古代歴史の改竄-投馬国>
<古代歴史の改竄-北海道>
<古代歴史の改竄-ハワイ国>
<古代歴史の改竄-耽羅国と楽浪国>
今回は、このシリーズの続きで、朝鮮半島の真実についてご紹介します。
日本と韓国、歴史的には、近くて遠い国と言えますね。今も貿易問題が二国間の関係に飛び火して大騒ぎになっています。
何故、このように日韓はいがみ合うことが多いのでしょうか?
皆さんは、明治時代の日韓併合や、第二次世界大戦の日本軍の行為等、近代の関係から来ていると考えている方が多いと思いますが、そんな単純なものではなさそうなのです。
日韓には、古代からとても複雑な歴史がからんでいるのです。そのことを、邪神・熊襲が突っついて日韓両国が仲良く接近しないようにさせてきたのが、千七百年以上前からの日韓の歴史と言ってよいのです。
何故、日韓が接近することを邪神・熊襲が嫌うと思いますか?
それは、日韓両国が元々は陸続きで関係が良好な隣国だったからなのです。信じられないのでしょう。
前回記事で、266年以前の朝鮮半島には楽浪国があったことを書きました。

この楽浪国は、現在の朝鮮半島に対比すると北朝鮮の中南部当りに位置します。楽浪国の都が、今のビョンヤンです。3世紀前半頃のことです。
楽浪国の北側には、現在の満州辺りにまで領土を広げていた高句麗国があり、さらにその北側に扶余国がありました。扶余国は、高句麗国、楽浪国を侵略しようとしていたのです。また、高句麗国も扶余国と敵対しつつ、楽浪国を侵略しようとしていたようです。
ところで、前掲の地図が3世紀前半の朝鮮半島周辺だとすると、高句麗国以外の朝鮮半島に存在していた新羅国、百済国、加羅国はどこにあったのでしょうか?
これが、今回のテーマなのです。
これを紐解くヒントが歴史書には残されています。中国の歴史書である『三国志』と『後漢書(魏書東夷伝)』です。
この中に書かれている句邪韓国(くやかんこく)がそのヒントです。
<WIKI:狗邪韓国>
句邪韓国とは、その名から現在の韓国の一部と推測される国であり、現在では朝鮮半島最南端にあった加羅国(任那)に比定されていています。
しかし、三国志や後漢書に登場する狗邪韓国をよく読んでみると、大きな矛盾が生じてきます。次が狗邪韓国に関する記述です。
(帯方)郡より倭に至るは、海岸に循(したが)ひて水行し、韓の国を歴(へ)、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、其(そ)の北岸の狗邪韓国に到り、七千余里。
始めて一海を度(わた)ること、千余里にして対馬国へ至る。
狗邪韓国の位置は、帯方郡より水行<船)で韓の国を経て、南下して東側へ行くと、(倭国の)北岸の狗邪韓国に至る、となっています。
現在の朝鮮半島を考えてみると、帯方郡が北朝鮮の北部の遼東(リャオトン)半島付近にあったとされていて、そこから朝鮮半島西海岸を南下し、韓国木浦付近から東へ向かうと釜山付近に到着します。
従って、狗邪韓国は韓国南部の海岸沿にあった国で、加羅国(任那)の前身国であると、現代の歴史学者は推測しています。
しかしながら、問題になってくるのは「其(そ)の北岸の狗邪韓国に到り」という部分なのです。
「其(そ)の」とは「倭国の」ということですから、狗邪韓国は、倭国の一部であり、倭国の北岸と捉えることができます。
朝鮮半島の地図を良くみてください。「其の北岸の」というのは矛盾しますよね。北岸という場合は、陸地の北側に海岸があることを普通は指します。九州の北岸は福岡のように。現在の朝鮮半島の南岸であるとされる狗邪韓国を、倭国(日本)の北岸というのは違和感があります。
倭国が当時加羅国を実行支配していたのだろうから、「倭国の北岸の狗邪韓国は朝鮮半島南部の加羅国に当たる」と歴史学者は主張しているのですが、そうであったとしても「北岸」という呼び方には強い違和感があります。
結論から言えば、歴史学者の改竄というよりも、歴史学者を始めとした現代人そのものが、266年に世界地図が大きく変わってしまうような地球の大変動があったことは全く知らないので、答えが出ない、辻褄が合わないのは仕方がないことなのです。
この「倭国の北岸の」は、266年以前の地図で考えるとぴったり合うのです。

倭国というのは、天日根國を始めとする、古代の巨大な日本列島を意味しているはずですから、その倭の北岸、日本海側にある部分が狗邪韓国であったとすれば「倭国の北岸」の表現が辻褄があってくるのです。
つまり、狗邪韓国とは、朝鮮半島にあったのではなく、日本列島に隣接する国だったのです。前掲の地図の天日根國の西側にくっついている国だったのです。だから倭国の北岸と呼べるのです。
拡大すると次のようになります。

さらに狗邪韓国とは、古代の朝鮮半島の国と思われている新羅、百済、加羅とも同じだっと考えて良いのです。正確ではありませんが、次の地図のようなイメージではないでしょうか。

現在の朝鮮半島は、266年までは二つに分かれていて、現在の朝鮮半島の南半分、韓国に当たる部分は、日本列島にくっついていたのです。
古代朝鮮半島にあった高句麗、百済、新羅、加羅の4か国は、高句麗が大陸で、残り3か国は日本列島と接していたのです。266年までは。
高句麗、百済、新羅の建国時期は、高句麗が紀元前37年、百済が紀元前18年、新羅が紀元前57年と記録が残っていますが、現代の韓国歴史学者は、この建国時期は神話であり、詳細は良く分かっていないとしています。百済については4世紀頃の建国が有力視されています。
何故、建国の記録が残っているのに、その確証が得られないのか?
それは、266年を境に地形が大きく変わっているので辻褄が合わないのと、熊襲によって266年以前の歴史を隠したいという意図が働いているからなのです。
元々は、古代の日本と韓国は隣接した兄弟国だったのですが、それが韓国が分離して、現在の朝鮮半島にくっついたのです。
朝鮮戦争時に、朝鮮半島が北と南に分裂させられたのは、これを知っている邪神・熊襲の陰謀なのです。
さらに、韓国と日本が連携されると熊襲は困るのです。だから日韓両国を離そうとしてきたのです。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は実は朝鮮半島を明国から守るためであり、江戸時代には朝鮮通信使が日本に派遣され日韓は仲が良かったのですが、それを良しとしない邪神・熊襲は、朝鮮半島を仏教国から儒教国に変えてしまったのです。
現在、韓国の文大統領が、徴用工問題を大きくクローズアップし日本を攻撃するのは、この流れなのです。
それに対して、静観していた安倍政権も、半導体関連の重要商品の韓国へ輸出する際の手続き厳格化によって対抗したことが、日韓関係を急速に悪化させています。
これは、邪神・熊襲の思う壺とも言えるのです。木を見て森を見ず、の状態が両国なのです。いずれ、両国が歴史の真実を知り、接近する時代が来るのは間違いありません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。