前回の続きです。
2回連続で邪馬台国の謎、歴史通説の矛盾に言及してきました。
結論は、邪馬台国の謎・矛盾を解決するには、現在の地形で考えても意味がないのです。現在の日本列島と当時の日本列島の地形は大きく異なるからです。
では、当時の地形はどうだったのでしょうか?
地球は、神代以来、これまで6回の大変動が起きており、6度の文明崩壊を繰り返しているようです。これは日月神示に書かれています。
現在の地球は、7回目の文明です。6があまり良くない数字で、7がラッキーな数字と言われているのは、ここから来ているものだと私は考えています。
かつて存在したとされるムー大陸伝説やレムリア文明がありますが、このような伝説は実際に起きていたことだから、伝承されているのです。
直前の6回目の大変動は、3400年前の出来事だと、私は考えていました。
しかし、実際には3400年前の大変動は5回目で、なんと1753年前の西暦266年に、6回目の地球文明が滅ぶ大変動が起きていたのです。
そう、この6回目の大変動によって、邪馬台国は消えてしまったのです。邪馬台国だけではありません。一旦、全世界の文明が消えたのです。
だから、日本では、以前の文明がきちんと残っておらず、縄文時代、弥生時代と一言で語られるようになり、空白の4世紀が作られてしまったのです。
一方で、中国の歴史は夏や殷以降の歴史が繋がっているように説明されていますが、これは熊襲が歴史を繋げただけであって、一旦三國志の時代の終焉とともに中国の歴史も途切れて、その後リスタートしているのです。
また、朝鮮半島も同じで、高句麗、新羅、百済の三国の起源が紀元前だったり、4世紀以降だったりと、はっきりしないのは、266年を境に歴史が一旦途切れているところに理由があるのです。
日本の場合は、266年以前の邪馬台国の歴史が、ほぼ完全に消されたので全く分からなくなっているのです。
それでは、266年以前の地球はどのような地形だったのでしょうか?
正規の歴史には、もちろんそのような地図は残されていません。
しかし、密かに後世にヒントを残していたのが、偽書とされる竹内文書だったのです。
竹内文書には、古代地球は現代の地球とは地形が異なっていてタミアラ、ミヨイという大陸が太平洋上にあったことが書かれています。
具体的にはこの地図です。
これは、著作者:高坂和導氏の「超図解 竹内文書」に掲載されている古代地図を引用しています。
現代世界地図と異なる点は、タミアラ、ミヨイがある他に、地中海がなくヨーロッパとアフリカがくっついている点、日本の南に中国大陸が一部離れて大きな大陸になっている点、南極大陸がない点などです。
私は、この地図のことは随分前から知っていましたが、この地形は数万年とか数億年とかはるか昔の地形だと思いこんでいました。従って、266年に大変動があったとしても、この地図ほどの大きな変化はないと考えていたのです。
しかしながら、実際には、この地図が邪馬台国が存在した西暦266年以前の地形に近いのです。
これが邪馬台国の時代の世界なのです。驚愕でした。
ただし、「近い」と書いたのは、この地図でも一部、大きく異なる点があるからです。
実は、「超図解 竹内文書」も、真実の歴史を曲げるために改竄されているのです。
本物の竹内文書は、別にあります。
それは、八幡書店から出版されている「竹内文献」、及び同じく八幡書店から出版されている「神代秘史資料集成 天の巻」です。
この二つの書物は、改竄されていない竹内文書が残されています。その本に掲載されている古代の世界地図が次です。
「超図解 竹内文書」と大きく異なるのは、太平洋上にムー大陸と思われていたタミアラ、ミヨイがなくなっていることが挙げられます。
それと日本列島の形が大きく異なります。
次の画像は、東アジアを拡大したものです。
天日根国が、当時の日本であり、その一部に邪馬台国があったのです。
この地図の詳細にはついては、追々ご紹介していきますが、266年までの世界地図はこれだったのです。
この地図で、魏志倭人伝の邪馬台国の位置を検証してみると、全て辻褄があいました。この詳細についても、機会があればいずれご紹介します。
このように世界の歴史は大きく改竄されています。勝者の歴史です。
その中でも最大の改竄は、西暦266年に6回目の大変動があり、人類の歴史がリセットされ、再度の敗者復活戦に突入したことだったのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。