2025年に大阪に二度目の万博を承知しようという動きがあります。初めて大阪で開催された万博は、今から47年前の1970年でした。当時の私は、小学校に入ったばかりでしたが、両親に連れられ見に行きました。月の石が置いてあった米国館や太陽の塔の中に展示されていた恐竜は、今も鮮明に覚えています。
当時の万博会場跡地は、現在は緑多き広大な万博記念公園となり、パビリオンでは、太陽の塔だけが残されています。この一帯は千里丘陵と呼ばれ、大部分が河内湾の埋立地で低地である大阪中心街とは、対照的な緑が多い住宅街となっています。
昨年、万博記念公園を訪ねた時、驚く発見がありました。公園内の森林を巡る歩道が、上津道、中津道、下津道のように名称が付けられ、分かれていたのです。
普通の人は何も思わないかも知れませんが、この名称は紛れもなく魂の通り道、水道を表現したものです。
上津道は天国(宇宙)を含む上の世界へ繋がった水道、中津道は地球、人間界の水道、下津道は畜生界や餓鬼界を含む地獄へ繋がった水道と考えて良いでしょう。つまり、仏教の六道輪廻の概念を表していると言ってよいのです。
なぜ、万博記念公園で、このような水道の表現をしているのでしょうか?
それは、万博記念公園を中心とする千里丘陵が、霊的に重要な場所であるから、天がその名残で名前を付けさせたからです。
天竺という名がつく場所(多くの場合は山)は、霊的に重要な場所であるとご紹介してきました。千里丘陵には天竺という山はありませんが、実は千里丘陵を源流とする天竺川が流れています。
千里ICのすぐ南にある丘陵地が、天竺川の源流となっているようで、この源流付近には上新田天神社が祀られ守護されています。つまり、この神社の付近に浄化水が湧き出していることになります。
源流付近から南西方向に約2km離れた現在の服部緑地には、かつて天竺山石蓮寺という大規模寺院があったそうで、これが由来となり、天竺川という名称が付けられたようです。服部緑地に天竺山を山号とする寺院があったということは、千里丘陵一帯が天竺であることを示しているのだと思われます。
服部緑地
天竺川は、服部緑地を通って、大阪市三国付近で神崎川と合流します。神崎川の名称も意味深ですね。神のような高い魂と関係しているのでしょう。
このように千里丘陵は、神代の天竺であり、小国の都だった場所なのです。
一方で現在の大阪市中心街は、上町台地を除けば大半が河内湾の埋立地です。埋立地は水道を埋め立てた訳ですから、霊的結界となり、波動は低いです。
大阪市及びその周辺には、千里丘陵、服部緑地以外にも鶴見緑地、久宝寺緑地等複数の緑地がありますが、このような緑地は、天竺のように霊的に重要な水道の拠点の場所で、天がこのような場所を保護するために公的緑地として保存したものなのです。
大阪以外にも、このような緑地はたくさんあります。また、古墳は同じように水道を保護するために人工的に作られた緑地です。天皇陵とか豪族陵とされているのは保存のための表向きのものだと考えて良いでしょう。
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