『源氏物語』第六帖「末摘花」~第3章~
テーマ:■第6帖「末摘花」
末摘花③【光源氏18歳:末摘花の容貌】
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二条の院におはして、うち臥したまひても、「なほ思ふにかなひがたき世にこそ」と、思しつづけて、軽らかならぬ人の御ほどを、心苦しとぞ思しける。思ひ乱れておはするに、頭中将おはして、
「こよなき御朝寝かな。ゆゑあらむかしとこそ、思ひたまへらるれ」
と言へば、起き上がりたまひて、
「心やすき独り寝の床にて、ゆるびにけりや。内裏よりか」
とのたまへば、
「しか。まかではべるままなり。朱雀院の行幸、今日なむ、楽人、舞人定めらるべきよし、昨夜うけたまはりしを、大臣にも伝へ申さむとてなむ、まかではべる。やがて帰り参りぬべうはべる」
と、いそがしげなれば、
「さらば、もろともに」
とて、御粥、強飯召して、客人にも参りたまひて、引き続けたれど、一つにたてまつりて、
「なほ、いとねぶたげなり」
と、とがめ出でつつ、「隠いたまふこと多かり」とぞ、恨みきこえたまふ。
事ども多く定めらるる日にて、内裏にさぶらひ暮らしたまひつ。
かしこには、文をだにと、いとほしく思し出でて、夕つ方ぞありける。
雨降り出でて、ところせくもあるに、笠宿りせむと、はた、思されずやありけむ。かしこには、待つほど過ぎて、命婦も、「いといとほしき御さまかな」と、心憂く思ひけり。正身は、御心のうちに恥づかしう思ひたまひて、今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、咎とも思ひわきたまはざりけり。
「夕霧の晴るるけしきもまだ見ぬにいぶせさ添ふる宵の雨かな
雲間待ち出でむほど、いかに心もとなう」
とあり。おはしますまじき御けしきを、人びと胸つぶれて思へど、
「なほ、聞こえさせたまへ」
と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れたまへるほどにて、え形のやうにも続けたまはねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ、例の教へきこゆる。
「晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ同じ心に眺めせずとも」
口々に責められて、紫の紙の、年経にければ、灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下等しく書いたまへり。見るかひなううち置きたまふ。
いかに思ふらむと思ひやるも、安からず。
「かかることを、悔しなどは言ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。我は、さりとも、心長く見果ててむ」と、思しなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆いたまひける。
大臣、夜に入りてまかでたまふに、引かれたてまつりて、大殿におはしましぬ。行幸のことを興ありと思ほして、君たち集りて、のたまひ、おのおの舞ども習ひたまふを、そのころのことにて過ぎゆく。
ものの音ども、常よりも耳かしかましくて、かたがたいどみつつ、例の御遊びならず、大篳篥、尺八の笛などの大声を吹き上げつつ、太鼓をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず。
御いとまなきやうにて、せちに思す所ばかりにこそ、盗まはれたまへれ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、秋暮れ果てぬ。なほ頼み来しかひなくて過ぎゆく。
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【末摘花123】二条院
【末摘花124】朝寝
【末摘花125】内裏
【末摘花126】行幸
【末摘花127】強飯
【末摘花128】相乗り
【末摘花129】後夕の文
【末摘花130】笠宿り
【末摘花131】羞恥
【末摘花132】初夜を迎えた次の日は
【末摘花133】一夜限りの情事
【末摘花134】侍従
【末摘花135】アドバイス
【末摘花136】不器用な末摘花
【末摘花137】見る価値なし
【末摘花138】さりとて
【末摘花139】大殿
【末摘花140】君たち
【末摘花141】篳篥
【末摘花142】おはさうず
【末摘花143】「れ」の識別
【末摘花144】何の音沙汰もなく
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行幸近くなりて、試楽などののしるころぞ、命婦は参れる。
「いかにぞ」など、問ひたまひて、いとほしとは思したり。ありさま聞こえて、
「いとかう、もて離れたる御心ばへは、見たまふる人さへ、心苦しく」
など、泣きぬばかり思へり。「心にくくもてなして止みなむと思へりしことを、朽たいてける、心もなくこの人の思ふらむ」をさへ思す。
正身の、ものは言はで、思しうづもれたまふらむさま、思ひやりたまふも、いとほしければ、
「いとまなきほどぞや。わりなし」と、うち嘆いたまひて、「もの思ひ知らぬやうなる心ざまを、懲らさむと思ふぞかし」
と、ほほ笑みたまへる、若ううつくしげなれば、我もうち笑まるる心地して、「わりなの、人に恨みられたまふ御齢や。思ひやり少なう、御心のままならむも、ことわり」と思ふ。
この御いそぎのほど過ぐしてぞ、時々おはしける。
かの紫のゆかり、尋ねとりたまひて、そのうつくしみに心入りたまひて、六条わたりにだに、離れまさりたまふめれば、まして荒れたる宿は、あはれに思しおこたらずながら、もの憂きぞ、わりなかりけると、ところせき御もの恥ぢを見あらはさむの御心も、ことになうて過ぎゆくを、またうちかへし、「見まさりするやうもありかし。手さぐりのたどたどしきに、あやしう、心得ぬこともあるにや。見てしがな」と思ほせど、けざやかにとりなさむもまばゆし。うちとけたる宵居のほど、やをら入りたまひて、格子のはさまより見たまひけり。
されど、みづからは見えたまふべくもあらず。几帳など、いたく損なはれたるものから、年経にける立ちど変はらず、おしやりなど乱れねば、心もとなくて、御達四、五人ゐたり。御台、秘色やうの唐土のものなれど、人悪ろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、まかでて人びと食ふ。
隅の間ばかりにぞ、いと寒げなる女ばら、白き衣の言ひ知らず煤けたるに、汚なげなる褶引き結ひ着けたる腰つき、かたくなしげなり。さすがに櫛おし垂れて挿したる額つき、内教坊、内侍所のほどに、かかる者どもあるはやと、をかし。かけても、人のあたりに近うふるまふ者とも知りたまはざりけり。
「あはれ、さも寒き年かな。命長ければ、かかる世にも遇ふものなりけり」
とて、うち泣くもあり。
「故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」
とて、飛び立ちぬべくふるふもあり。
さまざまに人悪ろきことどもを、愁へあへるを聞きたまふも、かたはらいたければ、立ち退きて、ただ今おはするやうにて、うち叩きたまふ。
「そそや」など言ひて、火とり直し、格子放ちて入れたてまつる。
侍従は、斎院に参り通ふ若人にて、この頃はなかりけり。いよいよあやしう、ひなびたる限りにて、見ならはぬ心地ぞする。
いとど、愁ふなりつる雪、かきたれいみじう降りけり。空の気色はげしう、風吹き荒れて、大殿油消えにけるを、灯もしつくる人もなし。かの、ものに襲はれし折思し出でられて、荒れたるさまは劣らざめるを、ほどの狭う、人気のすこしあるなどに慰めたれど、すごう、うたていざとき心地する夜のさまなり。
をかしうもあはれにも、やうかへて、心とまりぬべきありさまを、いと埋れすくよかにて、何の栄えなきをぞ、口惜しう思す。
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【末摘花145】命婦と鉢合わせ
【末摘花146】夜離れ
【末摘花147】台無し
【末摘花148】正身
【末摘花149】光源氏の微笑
【末摘花150】わりな(語幹用法)
【末摘花151】紫のゆかり
【末摘花152】六条わたり
【末摘花153】末摘花の正体
【末摘花154】格子の狭間より
【末摘花155】見えずにもどかしくて
【末摘花156】人わろき状態の姫
【末摘花157】お付きの女房たちの様子
【末摘花158】女房たちの実情
【末摘花159】貧窮の嘆息
【末摘花160】寒くて震えながら
【末摘花161】愚痴をこぼす
【末摘花162】ひなびたる侍従
【末摘花163】愁ふ雪
【末摘花164】物の怪に襲われた時のこと
【末摘花165】雪景色を姫と眺める
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からうして明けぬるけしきなれば、格子手づから上げたまひて、前の前栽の雪を見たまふ。踏み開けたる跡もなく、はるばると荒れわたりて、いみじう寂しげなるに、ふり出でて行かむこともあはれにて、
「をかしきほどの空も見たまへ。尽きせぬ御心の隔てこそ、わりなけれ」
と、恨みきこえたまふ。まだほの暗けれど、雪の光にいとどきよらに若う見えたまふを、老い人ども笑みさかえて見たてまつる。
「はや出でさせたまへ。あぢきなし。心うつくしきこそ」
など教へきこゆれば、さすがに、人の聞こゆることを、えいなびたまはぬ御心にて、とかう引きつくろひて、ゐざり出でたまへり。
見ぬやうにて、外の方を眺めたまへれど、後目はただならず。「いかにぞ、うちとけまさりの、いささかもあらばうれしからむ」と思すも、あながちなる御心なりや。
まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うち見やられたまふ。
頭つき、髪のかかりはしも、うつくしげにめでたしと思ひきこゆる人びとにも、をさをさ劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。着たまへるものどもをさへ言ひたつるも、もの言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそまづ言ひためれ。
聴し色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて、表着には黒貂の皮衣、いときよらに香ばしきを着たまへり。古代のゆゑづきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御装ひには、似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、この皮なうて、はた、寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見たまふ。
何ごとも言はれたまはず、我さへ口閉ぢたる心地したまへど、例のしじまも心みむと、とかう聞こえたまふに、いたう恥ぢらひて、口おほひしたまへるさへ、ひなび古めかしう、ことことしく、儀式官の練り出でたる臂もちおぼえて、さすがにうち笑みたまへるけしき、はしたなうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出でたまふ。
「頼もしき人なき御ありさまを、見そめたる人には、疎からず思ひむつびたまはむこそ、本意ある心地すべけれ。ゆるしなき御けしきなれば、つらう」など、ことつけて、
「朝日さす軒の垂氷は解けながらなどかつららの結ぼほるらむ」
とのたまへど、ただ「むむ」とうち笑ひて、いと口重げなるもいとほしければ、出でたまひぬ。
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【末摘花166】格子手づから
【末摘花167】後ろ髪引かれる朝帰り
【末摘花168】雪の光に照らされて
【末摘花169】明るみに出て
【末摘花170】うちとけまさり
【末摘花171】普賢菩薩の乗り物
【末摘花172】末摘花の鼻の描写
【末摘花173】青白く面長の
【末摘花174】平安女性の魅力とは
【末摘花175】末摘花の髪
【末摘花176】装束は
【末摘花177】末摘花の装束
【末摘花178】不自然なスタイル
【末摘花179】機能性重視
【末摘花180】しじま
【末摘花181】儀式官の臂もち
【末摘花182】口実
【末摘花183】むむ
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御車寄せたる中門の、いといたうゆがみよろぼひて、夜目にこそ、しるきながらも、よろづ隠ろへたること多かりけれ、いとあはれにさびしく荒れまどへるに、松の雪のみ暖かげに降り積める、山里の心地して、ものあはれなるを、「かの人びとの言ひし葎の門は、かうやうなる所なりけむかし。げに、心苦しくらうたげならむ人をここに据ゑて、うしろめたう恋しと思はばや。あるまじきもの思ひは、それに紛れなむかし」と、「思ふやうなる住みかに合はぬ御ありさまは、取るべきかたなし」と思ひながら、「我ならぬ人は、まして見忍びてむや。わがかうて見馴れけるは、故親王のうしろめたしと、たぐへ置きたまひけむ魂のしるべなめり」とぞ思さるる。
橘の木の埋もれたる、御随身召して払はせたまふ。うらやみ顔に、松の木のおのれ起き返りて、さとこぼるる雪も、「名に立つ末の」と見ゆるなどを、「いと深からずとも、なだらかなるほどにあひしらはむ人もがな」と見たまふ。
御車出づべき門は、まだ開けざりければ、鍵の預かり尋ね出でたれば、翁のいといみじきぞ出で来たる。娘にや、孫にや、はしたなる大きさの女の、衣は雪にあひて煤けまどひ、寒しと思へるけしき、深うて、あやしきものに火をただほのかに入れて袖ぐくみに持たり。翁、門をえ開けやらねば、寄りてひき助くる、いとかたくななり。御供の人、寄りてぞ開けつる。
「降りにける頭の雪を見る人も劣らず濡らす朝の袖かな
『幼き者は形蔽れず』」
とうち誦じたまひても、鼻の色に出でて、いと寒しと見えつる御面影、ふと思ひ出でられて、ほほ笑まれたまふ。「頭中将に、これを見せたらむ時、いかなることをよそへ言はむ、常にうかがひ来れば、今見つけられなむ」と、術なう思す。
世の常なるほどの、異なることなさならば、思ひ捨てても止みぬべきを、さだかに見たまひて後は、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなるさまに、常に訪れたまふ。
黒貂の皮ならぬ、絹、綾、綿など、老い人どもの着るべきもののたぐひ、かの翁のためまで、上下思しやりてたてまつりたまふ。かやうのまめやかごとも恥づかしげならぬを、心やすく、「さる方の後見にて育まむ」と思ほしとりて、さまことに、さならぬうちとけわざもしたまひけり。
「かの空蝉の、うちとけたりし宵の側目には、いと悪ろかりし容貌ざまなれど、もてなしに隠されて、口惜しうはあらざりきかし。劣るべきほどの人なりやは。げに品にもよらぬわざなりけり。心ばせのなだらかに、ねたげなりしを、負けて止みにしかな」と、ものの折ごとには思し出づ。
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【末摘花184】後朝の景色
【末摘花185】「あはれ」の捉え方
【末摘花186】葎の門
【末摘花187】霊魂のしるべ
【末摘花188】末の松山
【末摘花189】鍵の番人
【末摘花190】袖ぐくみ
【末摘花191】頭の雪
【末摘花192】白楽天の「重賦」
【末摘花193】術なう
【末摘花194】醜女ゆえに
【末摘花195】まめ人
【末摘花196】風変わりな後見
【末摘花197】空蝉のもてなし
【末摘花198】女性の品格
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年も暮れぬ。内裏の宿直所におはしますに、大輔の命婦参れり。御梳櫛などには、懸想だつ筋なく、心やすきものの、さすがにのたまひたはぶれなどして、使ひならしたまへれば、召しなき時も、聞こゆべき事ある折は、参う上りけり。
「あやしきことのはべるを、聞こえさせざらむもひがひがしう、思ひたまへわづらひて」
と、ほほ笑みて聞こえやらぬを、
「何ざまのことぞ。我にはつつむことあらじと、なむ思ふ」とのたまへば、
「いかがは。みづからの愁へは、かしこくとも、まづこそは。これは、いと聞こえさせにくくなむ」
と、いたう言籠めたれば、
「例の、艶なる」と憎みたまふ。
「かの宮よりはべる御文」とて、取り出でたり。
「まして、これは取り隠すべきことかは」
とて、取りたまふも、胸つぶる。
陸奥紙の厚肥えたるに、匂ひばかりは深うしめたまへり。いとよう書きおほせたり。歌も、
「唐衣君が心のつらければ袂はかくぞそぼちつつのみ」
心得ずうちかたぶきたまへるに、包みに、衣筥の重りかに古代なるうち置きて、おし出でたり。
「これを、いかでかは、かたはらいたく思ひたまへざらむ。されど、朔日の御よそひとて、わざとはべるめるを、はしたなうはえ返しはべらず。ひとり引き籠めはべらむも、人の御心違ひはべるべければ、御覧ぜさせてこそは」と聞こゆれば、
「引き籠められなむは、からかりなまし。袖まきほさむ人もなき身にいとうれしき心ざしにこそは」
とのたまひて、ことにもの言はれたまはず。「さても、あさましの口つきや。これこそは手づからの御ことの限りなめれ。侍従こそとり直すべかめれ。また、筆のしりとる博士ぞなかべき」と、言ふかひなく思す。心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに、
「いともかしこき方とは、これをも言ふべかりけり」
と、ほほ笑みて見たまふを、命婦、面赤みて見たてまつる。
今様色の、えゆるすまじく艶なう古めきたる直衣の、裏表ひとしうこまやかなる、いとなほなほしう、褄々ぞ見えたる。「あさまし」と思すに、この文をひろげながら、端に手習ひすさびたまふを、側目に見れば、
「なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖に触れけむ
色濃き花と見しかども」
など、書きけがしたまふ。花のとがめを、なほあるやうあらむと、思ひ合はする折々の、月影などを、いとほしきものから、をかしう思ひなりぬ。
「紅のひと花衣うすくともひたすら朽す名をし立てずは
心苦しの世や」
と、いといたう馴れてひとりごつを、よきにはあらねど、「かうやうのかいなでにだにあらましかば」と、返す返す口惜し。人のほどの心苦しきに、名の朽ちなむはさすがなり。人びと参れば、
「取り隠さむや。かかるわざは人のするものにやあらむ」
と、うちうめきたまふ。「何に御覧ぜさせつらむ。我さへ心なきやうに」と、いと恥づかしくて、やをら下りぬ。
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【末摘花199】光源氏19歳年末
【末摘花200】大輔命婦との関係
【末摘花201】ニヤつく命婦
【末摘花202】例の艶なる
【末摘花203】胸つぶる
【末摘花204】陸奥紙の恋文
【末摘花205】末摘花の和歌
【末摘花206】かたはらいたし
【末摘花207】人の御心違ふ
【末摘花208】袖まきほさむ
【末摘花209】あさましの口つきや
【末摘花210】命婦の赤面
【末摘花211】ゆるし色の許しがたく
【末摘花212】いたづら書
【末摘花213】なつかしき色ともなしに
【末摘花214】花のとがめ
【末摘花215】命婦のセンス
【末摘花216】かいなで
【末摘花217】人のほど
【末摘花218】命婦の後悔
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またの日、上にさぶらへば、台盤所にさしのぞきたまひて、
「くはや。昨日の返り事。あやしく心ばみ過ぐさるる」
とて、投げたまへり。女房たち、何ごとならむと、ゆかしがる。
「ただ梅の花のごと、三笠の山のをとめをば捨てて」
と、歌ひすさびて出でたまひぬるを、命婦は「いとをかし」と思ふ。心知らぬ人びとは、
「なぞ、御ひとりゑみは」と、とがめあへり。
「あらず。寒き霜朝に、掻練好める花の色あひや見えつらむ。御つづしり歌のいとほしき」と言へば、
「あながちなる御ことかな。このなかには、にほへる鼻もなかめり」
「左近の命婦、肥後の采女や混じらひつらむ」
など、心も得ず言ひしろふ。
御返りたてまつりたれば、宮には、女房つどひて、見めでけり。
「逢はぬ夜をへだつるなかの衣手に重ねていとど見もし見よとや」
白き紙に、捨て書いたまへるしもぞ、なかなかをかしげなる。
晦日の日、夕つ方、かの御衣筥に、「御料」とて、人のたてまつれる御衣一領、葡萄染の織物の御衣、また山吹か何ぞ、いろいろ見えて、命婦ぞたてまつりたる。「ありし色あひを悪ろしとや見たまひけむ」と思ひ知らるれど、「かれはた、紅の重々しかりしをや。さりとも消えじ」と、ねび人どもは定むる。
「御歌も、これよりのは、道理聞こえて、したたかにこそあれ」
「御返りは、ただをかしき方にこそ」
など、口々に言ふ。姫君も、おぼろけならでし出でたまひつるわざなれば、ものに書きつけて置きたまへりけり。
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【末摘花219】源氏の配慮
【末摘花220】紅花⇒紅花
【末摘花221】ごまかし
【末摘花222】真っ赤なお鼻の
【末摘花223】返歌の真意
【末摘花224】晦日の御料
【末摘花225】あれだって
【末摘花226】をかしき歌
【末摘花227】苦心の結晶
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朔日のほど過ぎて、今年、男踏歌あるべければ、例の、所々遊びののしりたまふに、もの騒がしけれど、寂しき所のあはれに思しやらるれば、七日の日の節会果てて、夜に入りて、御前よりまかでたまひけるを、御宿直所にやがてとまりたまひぬるやうにて、夜更かしておはしたり。
例のありさまよりは、けはひうちそよめき、世づいたり。君も、すこしたをやぎたまへるけしきもてつけたまへり。「いかにぞ、改めてひき変へたらむ時」とぞ、思しつづけらるる。
日さし出づるほどに、やすらひなして、出でたまふ。東の妻戸、おし開けたれば、向ひたる廊の、上もなくあばれたれば、日の脚、ほどなくさし入りて、雪すこし降りたる光に、いとけざやかに見入れらる。
御直衣などたてまつるを見出だして、すこしさし出でて、かたはら臥したまへる頭つき、こぼれ出でたるほど、いとめでたし。「生ひなほりを見出でたらむ時」と思されて、格子引き上げたまへり。
いとほしかりしもの懲りに、上げも果てたまはで、脇息をおし寄せて、うちかけて、御髪ぐきのしどけなきをつくろひたまふ。わりなう古めきたる鏡台の、唐櫛笥、掻上の筥など、取り出でたり。さすがに、男の御具さへほのぼのあるを、されてをかしと見たまふ。
女の御装束、「今日は世づきたり」と見ゆるは、ありし筥の心葉を、さながらなりけり。さも思しよらず、興ある紋つきてしるき表着ばかりぞ、あやしと思しける。
「今年だに、声すこし聞かせたまへかし。待たるるものはさし置かれて、御けしきの改まらむなむゆかしき」とのたまへば、
「さへづる春は」
と、からうしてわななかし出でたり。
「さりや。年経ぬるしるしよ」と、うち笑ひたまひて、「夢かとぞ見る」
と、うち誦じて出でたまふを、見送りて添ひ臥したまへり。口おほひの側目より、なほ、かの末摘花、いとにほひやかにさし出でたり。見苦しのわざやと思さる。