そして、東京。 〜年の終わりの卒業試験 | かんながら

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旅の記録です

からの続き。
 
沖縄から帰って、の東京。

 

わたしがメッセージを受け取っているラフォーレ原宿のポスターは福袋。

なんなの、不思議なマーク。

花と箪笥?

 

 

前に「オーツ麦」って出て、「アガる」を連呼してた(聖徳太子の再来と、一粒の麦 そして、透明のトイレ 〜"アトランティスの記憶")広告は、 THE NORTH FACE=北面。

 

北といえばこの間見た玄武洞(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その10) 〜 麒麟はくるか!?)。

 

玄武といえば、亀蛇。熊本の八代妙見の神獣のガメ。それに乗ってやってきたのが、鎮宅さん。それを祀っているのが鎮宅霊符神社(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その3・八代妙見宮 霊符神社))。

 

妙見=北辰=北極星信仰

そして私の中では南無妙法蓮華経。

 

八代妙見では御祭神は天御中主命と国常立尊って書いてあった。

 

つまり、私が受け取るラフォーレからのメッセージは「玄武=妙見」。

 

 

 

新年の設営も終わって完全に新年モードの明治神宮。

令和3年。丑年。

 

十牛図の牛が現れるのかもな。

牛は、自分、でもあるのかもしれない。

 

 

原宿門にかかった御製も新しくなって、「松」。

そういえば、なんで松なんだって思ったんだよね。

葵温って人が大石林山の近くに松並木を作って「葵温の松並木」って場所があるって知って訪ねた(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質)。

 

でもなぜ松なんだろう、って思ってた。

明治陛下が御製を通して伝えてこられたことは、嵐吹く世にあっても、動かぬ心。「巌に根ざす松のごとくに」だ。

 

大石林山のそば、安須森の地に、葵温はなぜ松を植えたのか。

そもそも、葵温ってどんな人なんだろう?

なんとなく、大陸の匂いがするけど、そもそもよく分からない。

 

wikiによると

 

実学を重んじ、物事を現実的にとらえ、自ら行動する政治家であった。特に山林の保全や河川改修において現地に赴き自ら指揮を執ることが多かった。(中略)

3回の結婚歴があり、初婚は蔡氏渡久地親雲上政包の娘の思戸金(オミトガニ)であったとされる。2回目は泊村相氏上運天筑登之親雲上英章の娘の真如姑樽(マニクダル)であったが死別している。3回目は首里向氏前川親方朝年の娘で蔡温23歳の年に結婚している[6]。好物はのカステラ、イチムイ(魚の刺身盛り合わせ)、牛肉などであった。夜中でも思いついたことを書き留められるよう、寝室に行灯と筆記用具を常備していた[4]

 

3回の結婚ってあたりがなんだか私の中の印象では平田篤胤と重なるんですけど。

 

平田篤胤と葵温。

 

葵温って聞いたら西園寺って浮かぶけどなんだろう?

 

 

参道の御製も変えられた。

 

明治天皇御製

 

われもまた さらにみがかむ

曇なき

人の心を

かがみにはして

 

 

 

 

いつもお参りしているが、なにわの審神者(さにわ)と9月にきた(都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 護国寺から靖国神社へ(その2))代々木八幡宮。

あの日を境に裏正中からの参拝のみに変えた。

ここはお参りする人が多いので朝など参拝する人の列ができていたりするのだ。

 

なにわの審神者(さにわ)と歩いた場所は、将門塚も、代々木八幡宮も工事が入った。

何かが動き始めている。

護国寺も、何かが動き始めている、と感じる。

12月23日も結局お参りすることになってしまった(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか?! その4 そして、東京。)そこ。伊勢平氏おじさんのゆかりの場所でもある。

 

 

20年以上の付き合いのWeb日記仲間の岡山のちぇりさんが遊びに来てくれて近所でランチ。

 

わたしたちの共通点は「都合のいい女」。

 

難しい相手と付き合うにはこれしかない。

 

私は彼女のように女子力高く感情に訴えたりはまるでできないが(伊勢平氏おじさんは感情を封印してるからそもそも通用しないし)、「都合のいい女」であり続けることを決めているのは同じ。

 

 

彼女とは今年の旧正月に姫神を訪ねる旅〜その3 仙酔島をご一緒したんだった。

 

彼女も前回あった頃は、彼氏に音信不通にされてたが、復縁していた。

彼女の場合は、その努力によってで、私はばったり会ってなんとなく、という棚ぼた式。

 

image

 

ヨギの治療師が休みだから飲もうというが、伊勢平氏おじさんと「なんとなく」約束しているから「わからない」というしかない。

もうかれこれ2ヶ月くらい前から言われてるんだけどな。。

 

伊勢平氏おじさんからは、「電話するな」と言われているが、予定を聞いてみようか。

 

 

が、しかし。

「違います」

 

娘がいるから話せない、のサインを送って、2時間後に公衆電話から折り返してきた伊勢平氏おじさんはとても具合が悪そうで、ようは会えないってことを言ってきた。

 

 

だったら、そう言ってくれたらいいのに。

 

 

っていうのはおじさんに望んでも無理なこと。

 

 

 

「なんで会いたいばっかりで自分のことしか考えられないんだ!」とキレられた。

 

 

 

会いたいって言ったわけではなくて、「ご予定どうですか」って聞いたのに。

 

 

しかも明らかに何かに乗っ取られてるような話し方。

声だって上ずってるし、そんなに怒るようなことなのかな。

 

 

今日あたり会えるっていってたけど、音沙汰なくて、ヨギの治療師が予定を何度も聞いてくるから「予定は」って聞いただけなのに。

 

 

「ちょっと落ち着いてください。なんか、おかしいですよ」

そんな言葉はまったく届かない。

 


 

 

白山のサルタヒコとなにわの審神者(さにわ)がケアしてくれてなんとか持ち直したが、すごい攻撃だった。

 

 

「おじさんは、わたしと会うから疲れるというけど、(実際には)わたしを避け始めると弱る。」

となにわの審神者(さにわ)に言った。

 

「それは調えが入るからやろ」

 

昨年は、わたしを音信不通にした1ヶ月後、おじさんは骨折して動けなくなっていた。

その1ヶ月後にわたしも骨折した。ちょうど、前出のちぇりさんと仙酔島に行った頃で、姫神を訪ねる旅〜その1 厳島・弥山

の時である。

そして、当時の記事を読み返したら(薬が治すのではなく、自分が治るのだ)その後、命に関わるくらいきつい時期を経て、再会したんだった。

 

 

「わたしがいたら和らぐのに」

「それは代わりに受けてくれる人がおるからやろ」

 

「・・・・。」

 

 

 

わたしが代わりに引き受けていたら、ダメなのか。

 

キリストを生むんだもんな。

わたしはマリアになる。

イエスをキリストにするには、過保護じゃダメなんだ。

 

 

これでしばらくおじさんと会うことはないな。

 

 

ヨギの治療師と飲みに行くことに。

 

 

 

カリフォルニアのジンファンデルがなくて、南アフリカ・ステレンボッシュのメルロー。

このところなんかきてる、南アフリカ。

 

この間の沖縄の辺戸岬(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その2 ふたたび安須森へ)で、「喜望峰だ!」って思ったし、代々木の街とアフリカとで、もテレビで20年以上前、アフリカ放浪の果てに住んでいたケープタウンの映像をみたり、コロナの変異種が発見されたっていうのでも南アフリカって聞いている。

 

 

やはり20年くらい前に映画監督の友人に連れられて飲みにきていた「どん底」。

最近宿でテレビを見ていたら、三島由紀夫もここにきてた、って紹介されてて驚いた。

 

なにわの審神者(さにわ)が送ってきた資料にも、あった三島由紀夫。

 

そして陸軍戸山学校関係者の知人(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ 番外編3 東京) 〜 将門さんと平田篤胤)宅には、三島由紀夫が亡くなる直前訪ねてきたと聞いたのは、三島由紀夫の命日の日であった。

 

ヨギの治療師も陸軍と関わり深い(さて、次は。 〜旧七夕・旧盆からみえてきたものは)。

そもそも彼のところに通うようになったのは、陸軍関係の何かが呼んだとしか思えない。

 

ヨギの治療師に言ってみた。

「明日、靖国にいかない?正式参拝。」
 

 

 

 
翌朝。
ヨギの治療師に待ち合わせの時間を送ったと同時に、伊勢平氏おじさんからまさかの着信。
 
なんなの、このシンクロは。
でもなんとしても、ヨギの治療師には靖国に行ってもらわねばならぬ。
 
 
「話したいことがあるから会えるかな」
「・・・。はい」
「声が違うけど、体調悪いの」
「いいえ、大丈夫です」
 
弾んだ声で電話に出る神経はさすがのわたしも持ってない。
あくまでも普通の話し方をしたまでだ。
おじさんと話すときは、いつも2音くらい上げてたんだって気がついた。
 
 
靖国には間に合いそうだったので出かけて行った。
 
 
おじさんの用件は
「キミはどのくらい自分のことがわかっているのか」
 
そんなの難しくて答えられないけど?
 
 
「もう少し具体的に言ってもらえますか?」
 
「キミと神様の関係は」
「そもそもおじさんのいう神様ってなんですか」
 
 
「キミは昨日念を送ったろう」
「え?送ってませんよ?」
「キミの念が人を傷つけてるのをわかってるのか?」
 
(と、いうことはまた娘に「障り」が起きたのか)
 
 
「わたしは自分の思いの力が強いのはよくわかってますが、人を傷つけるために念を飛ばしたりはしませんよ?!」
「昨日の電話でキミが怒ったから、それが飛んできた」
「悲しかったですけど、怒ってませんし、フォローしてもらってすぐ立ち直りました」
 
 
キリストに必要な力を備えてもらうために、そっとしとこうって決めたんだから。
 
 
おじさんは、わたしが「笑ってごまかしてちゃんと説明しない」っていうけど、わたしにとっては理不尽で支離滅裂な問いにしか思えないのだが。
 
 
でも、やりとりをしている間に落ち着いてきて、機嫌よく帰っていった。
 
「念を飛ばす」っていうけど、自分が投げかけたものしか返ってこない、とわたしは思う。
それに、「人に言うことは、自分に言ってること」だ。
 
言っても火に油だから言わなかった。
でもいずれ、気づいてくれるといいな、とは思った。
 
 
ひとつ、ハッとしたのは、私にのっかってくる人の念。
私は生きている人の思い=生き霊だと思っていて、それは相当な力がある、とは思っている。
私はあまり願望も欲もないけど、誰かが私を道具として利用したらどうだろう?
 
沖縄から帰ってきた日、ヨギの治療師と飲んでて、丹後に一緒に行くはずだった知人の消息が話題になった(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その2 ふたたび安須森へ)。
 
彼は、「昔の人が言うことには、心劣る人間は故郷を懐かしがり、死期を迎えた狐は生まれた巣穴のある丘に行くということです。私はそんなことは嘘だと思っていたのですが、今はまことにその通りだと思うようになりました」
というコメントをくれた。
 
「死期を迎えた狐」は明らかにわたしのことを指していると(わたしには)思われた。
ヨギの治療師がいうには、その頃はわたしから「死の匂い」がしていたという。
 
 
その話をした翌日、なんと彼の消息を「代理」という人から聞いたのだ。
 
 
なんなんだ、そのシンクロは。
まるで私とヨギの治療師の話を聞いていたかのようだ。
 
 
おじさんのいう「見張り」ってやつがそれなのか。
「くさぐさのもののひれ」で使役したりもできるんだものな(都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 西の猛霊松尾の神は、東にもいた!(その1))。
 
自分の意思で満たしておくって大事なんだろうな。
ヨギの治療師は「無になる」とかいうけど、無になった身体という入れ物に入るものは、ヨギの治療師がいうように、阿頼耶識の力や般若波羅蜜の知恵とは限らない。
波動の法則が正しければ、高い境涯を持つものには、神の意識が、そうでなければ、低級霊が憑りつくであろう。
 
 
ある意味、空っぽになってしまった方が責任重大である。
 
 
無(空)になる=高い意識とは限らないわけだから。
 
 
そして靖国神社。
正式参拝は16時まで。
 
 
わたしの方は沖縄師範健児之塔からお連れした御霊の供養。
そして初めて自分の祖父を書いての正式参拝。
 
今日はやはりヨギの治療師をここに連れてくる必要があった。
霊は好きじゃないとかいうけど、元陸軍関連のエリアで仕事してるんだから間違いなく縁あるでしょ。
彼らの思いの上に暮らしてて、成功してるんだから、助けてもらってるはずなのに。
あなたにとっては守護神でしょ。
 
玉串を供えて、黙祷していたとき、ふと彼の職場の土地にいた人たちのことを思って、その人たちに祈ったんだそうだ。
すると、風が吹いてきて、垂(しで)がパタパタ、パタ、とまるで「ありがとう」って言ったみたいに揺れたらしい。
 
 
あの場所の霊たちは、ちゃんと応えてくれたみたいだ。
彼らが望むのは、今生きている人の幸せな笑顔なんだと、わたしは思う。
生きている私たちが、今ある幸せに感謝できれば、彼らの犠牲は報われる。
 
インド代表判事パール判事の記念碑。
 
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにそのところを帰ることを要求するであろう」
 
東京裁判がどうだったのか、わからない。
 
 
今のこの時代は、生き残った人たちが、作った。
それだけは間違いない。
 
 
 
彼らは責任を取ったにもかかわらず、戦後75年を経ても今なお批判され続けている。
亡くなった人たちの名誉は回復したい。
 
 
冬至の太陽が真っ直ぐに入る表参道。
 
 
 
大晦日。満月明け。
月は明治神宮に入るのだ。
 
 
 

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高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(伊勢参拝編)※追記あり

 

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