都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 西の猛霊松尾の神は、東にもいた!(その1) | かんながら

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旅の記録です


 
 
なにわの審神者(さにわ)が東京にくるという。
わたしは思い立ったらそちらを優先したいので、予定しないのだが、とりあえず聞いておいた。
 
伊勢平氏おじさんから山に誘われたらドタキャンしようと思っていたが、おじさんからは、最後の山(夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ)以来、街でばったり会った以外は電話の一本さえない。

 

当日。
将門塚で7時半ごろ待ち合わせと言っていたが、ちょうどバスが着く時間にわたしが部屋を出ればちょうどいいので、連絡してくれると思っていたが、「海老名」と朝の神宮参拝の時間がきただけで、「着いた」の連絡がなかった。
 
だからのんびりしていたら所在地を知らせるメッセージが来て、バスはすでに到着していることを知らせていた。
 
慌てて飛び出したが、こんなときに限って電車がこない。
 
 
将門塚に着いたら8時だった。
 
 
「X△▶︎▽◀︎x!!!」
・・・怒ってる。
 
「表参道」って伝えたから、到着までの時間がわかると思ったんだけど、到着時刻がわからなかったので、身動きが取れなかった、ということを言っているみたいだったが、それはわたしが「海老名」と言われて「いつ着くの」と思ったことと同じであった。
 
彼はいつも宇宙人みたいだが、どうも怒っていそうな彼の言葉は、わたしには宇宙語にしか聞こえない。
 
 
将門塚には、なにわの審神者(さにわ)に言われて何度もきたが、一緒に来るのは初めてだ。
ちゃんと用意しておいた空也のもなかを供えてお詣り。
光さしてきた。オーブすごい。
 

 

 

 

 

今日はこのあとは、皇居平川門から真っ直ぐ伸びる、白山通りを通って白山神社まで行く。

その後の行程は決めていない。

 

白山神社までだって5キロくらいある。

 

 

 

和気清麻呂(わけのきよまろ)像。

わたしが将門塚に行くようになってから、ずっと工事中で姿が見られなかったが、復活していた。

和気清麻呂は、宇佐八幡宮神託事件 が有名だが、

 

wikiによると、摂津大夫として以下の事績がある、とあって、

 

延暦4年(785年神崎川淀川を直結させる工事を行い、大阪湾から長岡京方面への物流路を確保した。

延暦7年(788年大和川大阪湾に直接流入させて水害を防ぐことを目的に、のべ23万人を動員して上町台地の開削工事を行ったが費用が嵩んで失敗している。この事業は自然地形も利用していたが、堀越神社前の谷町筋が窪んでいるところと、大阪市天王寺区茶臼山にある河底池はこの開削工事の名残りとされ、「和気橋」という名の橋がある。さらに東へ河堀稲生神社から寺田町駅付近へ続いていたらしい[7]


とあって、土木技術の知識なりがある人だったみたいだ。秦氏?(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その2 秦氏の水路を辿ったら

京都ともつながるのか。

 

平川門からまっすぐ伸びる白山通りは、一ッ橋をこえていく。

その交差点は、「一ッ橋河岸」という。

昔は小石川と日本橋川の合流地点だったらしい。

川も、人の手によって姿を変えていく。

もともと、徳川が入る前は、東京の土地は沼地だったという。

 

水路があって、人の賑わいがあって、新鮮な魚を帝に届けた海の民。

成田山(誰に呼ばれて成田山 〜祇園の匂いと白山、金毘羅、今宮戎)で感じた海の匂いと何かがかぶる不思議な感覚。

 

 

 

 

白山通りは靖国通りとも交差する。

しかし、なにわの審神者(さにわ)は歩くのが速い。

足長いからな。大正生まれなのに、180センチを超えていたわたしの祖父もそうだったが、歩幅が大きい人って自分の歩くスピードが速いって気がついてない。

待たせて怒らせた負い目があるから、とにかく合わせておこう。

 

日焼けが恐ろしいくらいの晴れ。

このコンビで歩くんだから、予想というか、確信してたけど。晴れるのは。

 

そして、到着。白山神社。

 

 

 

手水鉢にある社紋を見て「白山比咩神社と一緒や」と、なにわの審神者(さにわ)はいった。

 

正式な名称は「三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)」。六角の亀甲の形を七五三に配した三つ子持ち、すなわち三条の構えをめぐらし、その中に瓜の花を描いたものです。亀甲はおめでたい長寿を表わし、また三つ子持ちは、親から子、子から孫へと、過去から未来へ絶えることのない家運長久を意味しています。 また、瓜は古代においての珍菓であり、それを神に捧げて子孫の繁栄を祈るという神まつりの表現です。
白山さんのご神紋は、生命がますます栄えるめでたさを象徴しており、家運長久・子孫繁栄・神人和楽のしるしとして仰がれています。

 

(白山比咩神社のHPより引用)

 

 

瓜、か。

最近来てるな。瓜。((追記あり)豊橋の瀬織津姫がみせたかったもの 〜五ヶ所湾から豊橋へ そして。(その1)

呼ばれた場所は、瓜郷だったし、阿波の玉ちゃんが寄せてくれたコメントも、「素戔嗚尊の氏子は胡瓜は食べない」ってやつ(記事の最後に転載:剣山の秘密も!)で、素戔嗚尊と何か関係があるのかな。

亀の中の瓜。それの意味するものは、何。

 

亀は、(白山比咩神社の社紋の解説によると)七五三、ってなってる。

七五三もなんか意味があるんだろうな。

 

亀は出雲、瓜は素戔嗚尊、としたら。

しかも、相撲発祥の地の出雲は、奈良にある。

わたしにとっての素戔嗚尊は牛頭天王で熊野権現。和歌山だ。

 

それにしても、なんか不思議なイメージが浮かぶのだ。

伊勢平氏おじさんは、お月さまが大好きで、月に反応して、「月読様!!」っていうんだけど、今まで旅してきてわたしには素戔嗚尊のご縁で会ったとしか思えない。

他にもわたしのツクヨミさんがいるのだが、その人も素戔嗚尊のご縁である。それは「素戔嗚尊は、熊野権現のことですよ」って言ったら「?」って顔をされたけど。

 

熊野と平家。

「源義経に仕えた弁慶の父が熊野水軍の湛増だった」って聞いたけど、よくわからないけど、なんか、ある。

伊勢平氏おじさんは「平家が(神事で)何かを間違ったから、湛増が味方してくれなくて平家が負けた」みたいなことを言っていたけど、そういうのじゃないらしい。でもおじさんはそう思っている。

 

月読命と、素戔嗚尊。素戔嗚尊の祀りが解かれたら、何が目覚めるのか。

 

それにしても白山神社の境内には蚊が多くて、足がボコボコになるくらいものすごく喰われた。
しかも、前日にも遭遇したのだが、このところ昆虫が「見張り」についてるみたいにいる。
 
ここでも、いた。茶色と白が混ざったカメムシみたいなやつ。
拝殿で、参拝に来ていた女の子たちが、「きゃー!!」って叫んで気づいた。
昨日部屋の網戸にくっついてて気持ち悪くて窓が開けられなかったのと同じやつだった。
 
あんなのいるんだな、最近確かによく見かける気がする、変な虫。
五ヶ所の愛洲の館で見た虫(五ヶ所アゲイン(追記あり))も、妙に綺麗で不思議だった。
 
そのことをなにわの審神者(さにわ)に言ったら、「クサグサノモノノヒレ」って言ってきた。
種々のものの比礼は、物部の十種神宝のひとつで、地に這うもの、空を飛ぶもの以外を使役する神宝である。
 
物部の誰か?だんだん、伊勢平氏おじさんの家族みたいになってきた。「娘がカラスが見張ってるって気づいた」って言っているのを聞いて「そんなわけないでしょ」って心の中でツッコんでいたのに。
 
 
境内をなにわの審神者(さにわ)が歩いて、「あ!」って言って寄って行った先はこれだった。
関東松尾神社。
 

 

 

何度かここには来たが気づかなかった。家みたいな社殿。

松尾大社?松尾大社は今年の2月ごろに行った。(月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その3 西の猛霊 松尾大社 

しかも、安曇野から。

確かに書いてある。嵐山の松尾大社から勧請。

 

白山通りを歩いていたら、なんとなく感じた秦氏。

それってビンゴ?なんか、「月の光に誘われて 安曇野から京都へ」の旅がここに繋がってたとは。

しかも、当時、白い蛇がきたって 夢の記事を書いていて、その頃、飛鳥で、自然農の川口由一さん(飛鳥の里にいた神は 〜川口由一さんの乾坤塾(その1))と初めて会うのである。

 

 

 

 

ぐるっと回って裏をお詣りしたら、光が差してきた。

 

さて、次は。

 

(つづく)

 

 

 

▶︎瓜について

(阿波のTさんより)

余談になるかもしれませんが。
瓜の意味に通じるかもと思いまして、一筆啓上。
徳島県の、東みよし町に【素戔烏尊スサノオさま】を祀る八坂神社あり。
ほんの、数十年前まで地域の氏子全員が、瓜やキュウリを食べなかったとか‼️
神社の彫り物は瓜のようなキュウリのような(笑)
理由は、神ヤライニかけられ【爪をもがれ】た素戔烏尊さまが余りにもお気の毒で、痛ましいからですって‼️
エーーッ !!でしょ。近年になって時代が神社から離れて…若者から食べはじめて今はフツーだとか。
因みに、私は東みよし町の日本で最古級の古墳以前の【葬送墓】200年代を調べに行ったりして、古墳に詳しいからです。
(美志摩)
そうだ!きゅうり食べないって聞いたことあります。かくいうわたしはキューリもメロンも苦手🍈です。
(阿波のTさんより)
もしかして?素戔烏尊スサノオ様の魂の系列かも~??なにか、引き寄せられたら、氷川神社だったとか、八坂神社だったとか~ございましたら、ソーなんですが。その他に、大山祇様・大山津見命さまは、スサノオの子供なので、三島・溝食い、すべて一族です。その妻たちも(母)も、入ってきますから🦆鴨・加茂一族もなかまです。オオクニヌシ、コトシロヌシ=えべっさん=恵比須など。
驚くなかれ👀‼️その熊野はオオヤマツミ=大山祇様・大山津見命のことを、言うのです❤️
また、もっと👀‼️驚くなかれ(笑)剣山は有名ですが、ご祭神様は大山祇様・大山津見命・スサノオ様でございまする❤️
驚いてくれたので、付け足しますと、大国主命には10ものお名前があります。
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