夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 

山中湖から帰ったら、気が抜けたのか、痛かった。間違いなくこれは折れている。

 
 
オーナーに電話してケガをした不注意を詫びた。
 
彼の方は、求人サイトに早々に募集をかけ、好条件ゆえ応募が殺到してかわりはわたしよりずっといい人が手当てできそうだから、と言っていた。
 
 
代わりがいないっていっても所詮そんなものだ。
自分の代わりがないというのは、自分を慰める幻想でしかない。
バイトどころか、社長ですら突然居なくなっても会社はまわる。
自分がいないと、と思っているのは幻想なのだ。
 
でも人はその幻想に押しつぶされ、またそれを心の支えにして生きている。
 
 
 
 
無事なのかどうなのか確認できていない伊勢平氏おじさんとは、まだ連絡がつかない。
山にいくと言っていた日に電話したが出なくて、戻って朝見かけることもなかった。
 
 
仕方ないので電話したら「違います」と言ってきた。
「(娘がいて)電話できないときは、そういうから」とそういえば言っていた。
ちょっと前にも、彼よりさらに年長の偉い人から「サインを決めておきましょう」とおなじことを言われたことがあるが、これは、事情ある恋愛するときの決まりごとなのか。この人たちは、たくさんそういう関係を持ってきたのであろう。
 
 
もちろんおじさんとも、さらに年長のおじさんとも、事情のある関係ではないので、なぜ隠されなければならないのかはわからない。
 
 
わたしはパートナーのいる男友達もいるけど、バレて困る付き合いはしていない。
だいたい、バレて困るようなことをするのが間違っている。人の目はごまかせても、自分自身をごまかすことなどできないのに。
 
 
 
わたしの方は、おじさんが生きてたことを確認できたので用は済んだが、おじさんは娘が出かけた隙に折り返してきた。
これも今までになかったパターンである。
 
どうせなら、山から電話してくれれば心配しなくてすんだんだが。
 
 
 
「で、どうしたの」
「(おじさんが)腰抜けてたから心配したんですよ。」
「あーーよかった」
こちらは全身の力が抜けるくらいホッとした。
 
あのときの重みが、しろくまさんが亡くなった日の重みと同じだったから。
「たま」が外れると身体は恐ろしく重くなる。
 
彼が亡くなるまで、わたしはそれを知らなかった。
 
おじさんは、生きていた。
もうそれだけでよかった。
 
「どうしたんだよ」
「おじさんが転びそうになったとき、おじさんを肩で支えたら衝撃で骨折しました」
「え?何やってんだよ」
「おじさんが骨折したら寝たきりだったろうから、わたしでよかったです。生存が確認できてほっとしました。」
 
「バイトはどうなったの」おじさんは聞いた。
 
「40枚の皿はしばらくもてないと思うので」
「来週か、再来週、山にいきましょう。今年最後の片付けに行きますので。」
「はい」
 
それだけ言って電話を切った。
 
 
 

代々木公園にある桜。1本だけ囲いがされているこの桜が気になってしょうがない。

誰か偉い人が植えた桜だったりするんだろうけど、記録がないのでわからない。

この桜を眺めていたら、おじさんに会った。

 

「どこ?」
「ああ、ここですよ」指差して見せた。するとおじさんは、そこにしばらく静かに手を置いた。
 
「これ効くんだよ、中国のコウテイの」
「気持ちがよかったです」
 
「アンジンミーピーディー」の呪文を唱えてたのか。
未だにあれがなんの意味なのかはわからない。おそらく「安心」から始まるんだろう、ってことだけはなんとなくわかったのだが。
 
おじさんの顔見知りの人が通りがかって、「じゃあね」と言って去っていった。
振り返ったので、バイバイ、と手を振った。
そしたらおじさんは笑って手を振り返した。
 
 
 
痛いところに触れてくれるのも、手を振り返すのも、今までなかった。
 
どうしちゃったんだ。
痛みに触れてくれるどころか、まだ太ってて体力がついて行かずに坂道で腕を取ろうものなら振り払うような人だったのに。
 
 
わたしが、心を決めるまでは。
 
 
そして、乙女座新月前の3日間。
「最後の片付け」に山に行った。
 
この日は、いろんな意味で特別な日でもある。
だいたい、サインになる日はおじさんが無意識に予定を変更してくる。
6月9日もまた、おじさんが予定を前倒しにしてこの日になったのだった。
 
おじさんは、着く早々、帰る準備で頭がいっぱい。
あれと、これと、と準備し始めた。
「永遠の今があるだけ」ということでは、共通の感覚があるはずなんだけどな。
 
 
 
 
天気は崩れる予報だったが、山は毎日姿を見せてくれた。
 
おじさんは、ひとりで祈り、わたしはわたしのやり方で山との時間を楽しんだ。
ひふみを歌うと風が吹き、雲がはらわれた。
 
赤岳に鎮座するのは、国常立尊、と言われる。
御嶽山とおんなじだ。
そして、不思議な流れで島巫女仲間のSarahさんからの知らせ(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1で知った伊雑宮との繋がり。
 
実際には、あの山の頂上にはまだ行けていないが、明らかに、わたしと山との関係は昨年とは変わり、おじさんとわたしとの関係も変わり、そして秩父の山々からの道も繋がった。
秩父の山々は、千葉・茨城(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】)、見沼さまとおじさんが呼ぶ龍神様の通り道。八ヶ岳を抜けると、そこは諏訪だ。
 
ミシャグチ神。真澄の鏡。
そして安曇族が目指した終着地安曇野。
志賀、滋賀、渥美と安曇。
 
今わたしのところに来ているキーワードは、オリエント、秦氏、鹿、そして諏訪。
どうもそれらは、同じ流れみたいだ。
 
そしてなぜか再び気になり始めた
 

夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも

よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ

 

 

 

意味がわからない。でもなんか、ちょっと差がつく小倉百人一首https://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/062.html)によると「函谷(かんこく)関」っていうところの故事をかけて清少納言が詠んだとされている。
函谷関というのは、秦の函谷関ってあるからその時代のものみたい。
 
函谷の関と逢坂の関は違う、ってことなの?
紛らわしかった?
騙されないわよ、って言ってるよ。清少納言は。
夜は世?鳥の空音って何?
 
 
やはり何度読み返しても、わたしにはまだその世界が理解できない。
 
 
ただ、逢坂という地名は、なぜか「妙見」と重なり合う場所に見つかった。
能勢、星田。
もちろんそれだけじゃないんだけど。なんでだろう?
 
おじさんは、不思議なくらい穏やかだった。
自分のことも話すようになって、出した料理を「美味しい」というようになった。
もっとも、コンビニのお惣菜や味の素と塩だけをかけた野菜料理だったが。
 
人間、丸くなると先が短いっていうからな。
わたし自身が秋以降の自分のイメージをずっと持てないでいるけれども。


 
ちょうど、「十牛図」を話題にして、「山から降りてきなよ」と勧める友人が、「投影の向こう側に、ワンネスを超えたものがある」と言ってきた。そして、「それはなんだと思う?」とおじさんに聞いた。
 
おじさんは、「投影の反対は、なんだと思う?」と問うてきた。
 
 
 
「問いに問いで返さないでくださいよ」
 
「いや、大事なことなんだよ」
 
「わかりません」
 
「なんだと思う?」おじさんはもう一度聞いた。
 
「わからない。実在?」
 
「それがわからなければ、キリストは生まれないよ」
 
「投げかけるだけとかやめてくださいよ。もう来年はないかもしれないんだから。」


お互いにわかってる。
何かが、生まれない限り、次は、ない。
それは、終わる、という意味でもある。
 
 
「それが、僕からの、キミへの最大のギフトになる」
 
「・・・。」
 
 
おじさんは、そうやって突き放してばかりだ。
わたしには自立しろとか言って、自分はちっとも自立してない。
自分はずっと孤独とかいうけど、ひとりで暮らしたことが一瞬もないのに、どうして孤独なんだ。
 

「おじさんの孤独は、実態がないじゃない。おじさんの孤独なんて、想念の中にしかないんだから、そんなの妄想だよ。」

「キミには神様がいるんだろ」

「おじさんにもいるでしょ」
 
「去年は四女って呼んでたのに、突然逃げ出して、何が血縁によらない新しい家族なの? 何が家長なの? おじさんの方が、残り少なくなった家族にしがみついてるだけじゃない!!」


 
そして、泣けてきた。
 
 
なんでこんなこと言ってるんだろう?
自分がおかしい。
そんなこと言ってもしょうがないってわかっているのに、どうしてこんな言葉がすらすらと出てくるんだろう?
 

おじさんは、怒らなかった。
「寝る」って言って横になり、「背中撫でて」と言った。
 
泣きながらおじさんの背中を撫でた。
最初におじさんの背中に触れた時に、あった槍でも突き刺さったかのような黒い穴はもうなくなっていた。
 
しろくまさんも、亡くなる3日くらい前、「背中撫でて」と言ったのだった。
「自立して」というしろくまさんからのプレッシャーで心が一杯になっていたわたしは、その余裕がなかった。
あのときに、できなかった、という思いをおじさんの背中を借りて昇華しようとするように、おじさんの背中を撫でた。
おじさんの背中は、その瞬間、しろくまさんのそれと同じだった。

 
どんなときも、「また今度」が約束されていることなんて、ひとつもないということをかみしめた。
おじさんも、また、同じことを思っているのだとわかった。

 
でも本当は。
終わりと、始まりは、同じことなのだ。
泣くことなんかなかったのに。

 
 
おじさんの寝息が聞こえてきて、ふと窓の外を見たら、星が出ていた。
さっきまでは曇っていたのに。
外に出てひとり夜空を眺めた。新月前日の夜。星空は十分に明るかった。
 
 
 
片付けを終えて、部屋を出た。
 
 
 
いつもの最高地点で天盛りそば。

 

 
 
 
「清里でソフトクリームが食べたいなー」

どうせ嫌だって言われると思ったがいってみた。

ら、なんと。
連れてきてくれた。


今年の夏2度目のソフトクリーム。
おじさんが溶けかけたソフトクリームをふたつ持って仁王立ちしてたことも懐かしい思い出。


そして、いつもの八百屋でシャインマスカットを買ってくれた。
 
 
 帰りがけには初めての富士山。
ここから見えるなんて知らなかったな。

 ここから見る富士山は、静岡からのそれと違ってボタっとしてる、おじさんはそういった。


菊理媛神からの赤岳・国常立尊。そしてとおつみおやかみ。そして富士山。


わたしがなにもわからなくても、何かが繋がりつつある。

 
 
(関連記事)