約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に | かんながら

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旅の記録です

恋しくば 訪ね来て見よ 和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉
 
 

 

続・答えあわせの東京さんぽ(会社員時代編) 〜思い出の地をもう一度 本郷・湯島・箭弓稲荷神社

で、湯島の箭弓稲荷神社に行って、直会して帰るつもりだったのが、本郷を歩いているうちに調子がくるい、結局根津神社、護国寺と帰れなくなってしまった。

東京中をぐるぐる引き回されるみたいに。

それを、なにわの審神者(さにわ)に指摘されて、やはり呼ばれた西新宿 〜十二社(じゅうにそう)熊野神社・淀橋を歩かされた時に、知った太田道灌の仕掛け?って根拠もなく思ったのだが、そのときに、なにわの審神者(さにわ)が

 

「明治神宮のでんでん虫をアツメル!」

 

と送ってきた。

 

明治神宮でカタツムリを見たことがない。

東京でも、晴の日に住宅地のかべにくっついているカタツムリを見つけたことはもちろんある。

 

でもいた!


 

驚いてなにわの審神者(さにわ)に電話したら、「でんでん虫にいうといたんや」と言っていた。

それが本当なのかからかわれているのかわからないが、でんでん虫が出てきた。

そして、電話を終えて、もう一度見たらいなかった。そしてその辺を探してもいなかった。

動き、遅いはずだよね、でんでん虫は。

 

 

 

そしてついに、「いすみ」に行くときがきた。

実はずっと前から行くことは決まっていた。

決まっていなかったことは「それがいつなのか」だけだった。

 

伊江島で出会った「与那原の宇宙人ヒロさん」。

ヤマトと卑弥呼と沖縄と 〜伊江島の神様が宇宙人ヒロをとおして25年かけて伝えてきたこと に出会いの経緯は書いたけど、彼との果たせなかった約束の地でもある。

 
わたしにとってはどんな出会いも別れも、印象的である。
彼とは伊江島で出会って、しろくまさんとふたりで活動することになった最初の日に御蔵島でUFOに乗って旅立っていくところを見送った。
彼が亡くなったとその年の年末に届いた喪中はがきをみたときに、バトンはしろくまひろさんに託された、って思った。
そして、これはとてつもない大きな何かが動いてると直感して、しろくまひろさんとともに生きることは何か重要なことなんだなって自覚した。
 
それが具体的に何なのかはわからなかったけど。
 
 
わたしの場合の問題は、そのときのわたしには家庭があって子どもたちもいたことだ。
 
だから、「好きな人ができた」ということにして離婚してもらった。
きっと説明してもわかりっこない、と思ったから。
実際初めて離婚するのに苦労したし、離婚してからも恨まれたし、大変なレッスンであった。
 
震災の年、与那原のヒロさんに会ったあの伊江島の旅から帰って最初の離婚をしたが、約束していたことと違って、子どもは取り上げられた。そして、「来週会いに帰ってくるから」って子どもに言って、それっきり。一度も会えずに25年になる。
 
「新幹線乗りたい!」って別れ際、めずらしく叫んだ子どもの声が今もずっと耳に残っている。
彼はわかってたんだなって思う。だから彼の精一杯でついていくって言ってくれたんだと今ならわかる。
でもあの頃は、わたしは何もわかっていなかった。わたしと彼にとっての「来週」はずっと訪れることはなかった。
 
 
2度と同じ目に遭いたくなかったから、新しいパートナーとの間に子どもができたときに、子どもの権利のことを考えて胎児認知の手続きはしたが、入籍はしなかった。
最初の離婚で、自分のつけた弁護士に、「稼ぎの少ないあなたに育てられるより、その方が子どものため」と言われていたから、パートナーを主夫にした。同じ失敗は絶対にしない、そう思っていた。
 
でも結局10年後、同じ選択をすることになる。
しかも、まるでお膳立てしたかのように、与那原のヒロさんからしろくま大好きひろさんへのバトンが渡される直前に、「自分だけ名前が違うのがつらい」といわれ、わたしにはめずらしく情に流されて入籍していたのだ。10年恥ずかしいぐらいに意地になって事実婚マザーをやってきたというのに。
 
そしてようやくはっきりわかったのだ。わたしは血の家族ではなく、魂の家族を選ぶことを決めているのだと。
もっとはっきりと書くなら、ヤマトタケルとやまとひめ 〜伊勢・熊野編 その1で書いた精神科医に指摘されるまでもなく、わたしが、そうしたくてそれを選んでいるのだと。
 
丹後神人は、そんな経緯は何も知らないのに(実は子どもがいたということすらも)「あんたは宇迦之御魂(うかのみたま)やな」とおっしゃったが、それをわたしがようやく自覚できたのは、ヤマトタケルとやまとひめ 〜伊勢・熊野編 その1にあるように白山から「うがふくさん」という白狐の親子をうちにお預かりしておまつりするようになってからだ。
 
 
 
 
そして不思議なことに、「うがふくさん」がうちに来てから初めてわたしは、冒頭にあげた
 
「恋しくば 尋ねきてみよ いずみなる しのだの森の うらみ葛の葉」
 
で知られる安倍晴明の母「葛の葉」という狐の物語を知ることになる(大阪では歌舞伎だけでなく、浄瑠璃の演目でもあり有名らしい)。
しかも母と、白山のサルタヒコ同時にそれを伝えてきて、そして白山のサルタヒコは、
 
「葛の葉の露に落ちにし清明の、朝日まぶしき信太の森」
という相聞歌を贈ってくれた。
 
わたしは、この歌を聞いたとき、「和泉」ともちろん思ったのであるが、このところサマリーさんSarahさんがこの話題に触れていて、何度かこの歌を目にしているうちに、わたしがいくべきところは「安房のいすみ」だと強く思うようになったのだ。
 
旅先は地図を見て決めるわたしは、ずいぶん前に、千葉に「いすみ」という場所があり、「浪花」とか「布施」とか大阪を匂わせる地名があることに気づき、興味を持っていた。
その中には、与那原のヒロさんに関わりのある地名もあって、不思議だなと思っていた。
 
そして”地を這う蚯蚓(みみず)のように” 〜あのとき、蚯蚓を選んだで書いた、「天気の子」の街にいた頃の一番苦しいときにわたしのカウンセラーをして支えてくれた亀好きの2番目の夫から、「与那原のヒロさんが、そこに行きたいと言って一緒に旅したことがある」と聞いたことで、生前「りこ(わたしのこと)に沖縄に来て島の子を産んでほしい」と言っていたことと何か関係があるのだと直感したのだ。
 
一般的な人間の感覚では、プロポーズの言葉のように思われたり、島の誰かと結婚して子どもを産むとか、そういうことになるのだろうが、わたしたちは二人とも「サーダカ」であるので違うのだ。
当時はわたしは自分がノロ筋だということも知らず、サーダカだという自覚もなかったが、彼の言葉が、人間の感情を伴うそれではないことぐらいはなんとなく知っていた。
 
 
やり直しの旅  〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ で、伊勢平氏おじさんにようやく何かが起こったようだったが、おじさんがこのタイミングで話してきたことに、「いすみ」があった。そこで台湾〜沖縄〜熊野〜安房が黒潮ハイウェイという海の道で繋がり、その要の場所なのだと直感したのである。
「時がきた」そう思った。
 
二人のヒロさんたち(なにわの審神者(さにわ)もひろさんなので、トリプルヒロさんなのだが)が伝えてきている何か。その中に「いすみ」があるのである。
 
実に25年越しの課題に取り組むことになる。
大きな神事になるなって、思った。
しかも夏至で日蝕。陽が極まるとき。しかも蝕の影響を受ける。そして、この日に新しい何かが生まれるにはぴったりのタイミングである。
 
2020年の夏至の予報は行く先を決める前から、ずっと雨だった。
やり直しの旅  〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ から帰って行き先を決めようと思っていたが、天気も悪くてピンとこなかった。でも、サマリーさんやSarahさんの「葛の葉」、「あわ」と、伊勢平氏おじさんの「いすみ」。
「いすみに来い」とヒロさんから言われていると確信したので、「いすみ」に行くことにした。
 
天気予報が悪い方が、「調ったかどうか」がわかりやすいし。
 
 
 

 

 

雨の予報は少しずつずれ、結局出発の時には降っていなかった。

いつものように明治神宮に参拝して、タイムズカーシェアを借りた。

 

そして、東京湾アクアラインを渡って「いすみ」入り。

目的地は、「国吉神社」。

道中ずっと、「りこ〜。やっとわかったかー!」と与那原のヒロさんがしゃべりかけてくるみたいだった。

 

そして、いろんな場面を思い出して、なんでかわからないけど泣いた。
生きているときに、ちゃんと交流できなくてごめんなさい。
でも彼が身体を離れた今だから、その純粋な愛がちゃんとわかる。
 
あの頃のわたしには、今以上に身構えるエゴがあった。人間界で刷り込まれた漠然とした恐れ。
今だって、ある。何かがあるたびに、わたしは自分のほうの「遮るもの」を一枚ずつ剥がしていこうと取り組んできたけど、わたしはまだまだエゴだらけだ。人より傷つくことは少ないかもしれないが、傷ついたり、人間関係に疲れたりして、かぐや姫ばりに高飛車になったり、引き籠ったりしてしまう。
 

 

 

 

そこには、なんと、島根の出雲大社から分霊された「出雲大社 上総教会」があった。

 

 

 

そして、御祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)。
 
諏訪大社の神様だ!
昨年からずっときてて、伊勢平氏おじさんがずっと言ってる「最後は諏訪」。
 
諏訪の地震も、洪水も、昨夏、伊勢平氏おじさんと一緒に見た。
 
これは、台湾から入ってきて、「見沼さま」の土地を通り、諏訪に抜けるというあのルート、全部繋がるってことにわたしの中ではなる。
 

 

 

 

 

お供物は、与那原のヒロさんが好きだった泡盛「くら」と、亀好きの2番目の夫から奉納された古酒「おもろ」。

おもろはすでに半分以上飲んでたが。

そして「飲みかけ持ってくるかー!?」って与那原のヒロさんから怒られた。

だってないんだもの。ここにくることは急にきまったし。

 

そして、「キリストの身体と血」とわたしとなにわの審神者(さにわ)のあいだではなっている空也の最中。

 

 

 

もともと、この神社は、「諏訪神社」であったのが、近隣の神社を合祀して28柱の神様を祀り、地名から「国吉神社」と名付けたらしかった。

 

由緒に、「春日皇后に屯倉(みやけ)を献上」とあるよ。

この間まで聞いたこともなかった「屯倉(みやけ)」。

やはり、亀好きの2番目の夫が誘われたのも、完全にわたしの代理ってわけじゃなかったんだよね。

本人はそう思っているみたいだけど。

 

自分に差し出されるものに、自分に縁もゆかりもないものなんてないのだ。

ひとつひとつに意味がある。

ただ、ひとつひとつを味わって生きていくと、しんどい。

だからみんな「相手のせい」とか、「自分には関係ないこと」にして通りすぎる。

そしてやり残したことをやり直しに、また新しく生まれ変わってくるのだ。

 

 

 

 

 

白山社と市姫社。晴れてきた!!

25年越しで実現したお詣り。

 
 
こんなところにカエルさん。
 
 
厄割石。同じものをこのあといく清澄寺でも見た。やはり何か関係があるのかな。
 
 
せっかくだから正式参拝させてもらうことにした。
宮司さん。
いい声だった。
 
この神社のことについていくつか質問したら、「沖縄にも国吉神社がある」ということと「ここは昔「いじみ(=出雲?)」と呼ばれていた」と教えてくれた。
 
 
 
「風を吹かそうとする人には追い風が来る」
ふふふ。楽しみじゃ。
 
暴風を吹かせてやる!!
 
って書いてて思ったが、2番目の夫には(わたしとのことを)「暴風に遭ったと思ってる」と言われたんだった。
あちゃー。反省なし。
 
「恋愛」運を味方に付けて成就する。
そうなんだ、やったね♪ とか言って、彼氏どころか好きな人もいない。今までの人生でこんなの初めてだ。
恋をし続けていたのではなくて、結婚していて、パートナーの存在に満足していた。
男女関係なく、好きな人はいる。恋愛感情を持たないだけ。
今神様スイッチ入れてるんで、恋愛できない。みんなが自分にしか見えないわたしなのである。
 
 
 
クルマを返す予定時間までになんとか間に合いそうなので、伊勢平氏おじさんが言っていた清澄寺(せいちょうじ)へ。
 
 
広重も来たらしい。
「ヒロ」シゲ(笑)。
 
とっても気持ちの良い場所。
ここはすごいお地場だ。
 
御本尊は虚空蔵菩薩。
若き日の空海が修めたと言われる虚空蔵求聞持法。
そしてここは、昭和24年までは真言宗のお寺だった。
 
日蓮さんと空海。
日蓮宗=妙見の周りにあるもの。物部、陸軍航空隊。
 
合わせたら、陸・空・海。
 
 

 

気になる方向をよく見たら、何かある!!

 

 
 
稲荷社あった。
そして、銀杏の木ではなくて、モミの木発見。
 
最近のわたしの数少ない事例の研究では、妙見信仰の場所にはモミの木がある。
あと、秦氏のにおいのするところ。熊野でいった 波田須の徐福の宮にもモミの木があった。
 
そして明治神宮のある「代々木」の由来になったと言われる「代々木」はモミの木である。
 
モミの木といえば、クリスマスツリー。
そしてそのてっぺんに戴くのは、五芒星である。
 
 
わたしのいい加減な妄想を暴走させるなら、五芒星といえば安倍晴明。
 
つながっていくのよね。
うらみ(裏見=浦見) くずのは(=楠葉= 奇(くす)の葉)。
 
個人の妄想なのでツッコミはなしで(笑)。
 
 

こんな磐座?が社の裏にあった。

 

 

帰り。写真はないけど、東京湾アクアラインをドライブして帰宅。

なんて気持ちがいいんだろう。海の上を走るって。

 

丹後からの、W出石神社そして播州への旅(その2:丹後から但馬國一宮・出石神社) でもそうだったが、明石海峡大橋もすごく気持ちよかった。わたしは自然のままがいいと思うけど、一方で、こんな神様を恐れぬような橋やビルもたまらなく愛おしくて大好きだという、勝手な人間なのだ。

わたしは街の明かりが揺らめく夜景が好きで、あの灯りひとつひとつに、人の暮らしがあると思うだけで涙が出るくらい愛おしくなるのである。

 

 

そういえば、 W出石神社に行ったのは夜で、月蝕の日だったのだ。

出石でイエスキリストが出る、って予感した。

そして陽極まる夏至の日に、日蝕を迎えるとは。

 

これは、成った。

さて、何が?

 

(追記)

そして、部屋に帰ったら、ぴったりのタイミングで伊勢平氏おじさんから電話があって、

「(飲みにいく予定を早めて)16時半か16時にしてくれる?」

って言ってきた。

うん?それって、ぴったり日蝕の時間じゃん。

さすがお月様大好きな人だけある。何かに動かされてるのか。

 

 

なにわの審神者(さにわ)と話してた時に、日蝕は「月の障り」って言ってて、私は「月の障り」って聞いたら、熊野と、ヤマトタケルがミヤズヒメの「月の障りをおしてまぐわった(神とまぐわう日なので、人間は遠慮するもの)」っていう伝承思い出したのでそれを告げた。

そして、夏至のその日、松が負けて、楠が勝ったとメッセージを送ってきた。

わかるのはもう少し先かな。メモしておこう。

 

 

 

 

 

 

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