続・答えあわせの東京散歩 〜その3 目黒・品川 縄文の森 | かんながら

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旅の記録です

 

せっかく気合いを入れて書いてた記事が消えてしまった。

 

 

亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ からの流れでも、日本武尊がきているから、用事のついでに2キロ先の大鳥神社によることにした。

 

 

 

 

向かう途中にあった、試林の森公園。

しろくまさんの母校の近くにある。

まるで縄文の森。

一緒にきたことはない。

でもきっと彼は好きな場所だったと思う。

 

彼は特攻の人たちの遺書を編纂した写真ブックを出したことがあるが、その縁で特攻にとくに何かを感じていたみたい。

特別な人に思い入れをもっていたことを知ったのは、遺品整理をしていたとき。

わたしには生前一言も語らなかったそれは、結構ショックで、特攻の資料を引き受けてくださった年長のご婦人にいったことがある。

 

彼女は「夫婦とはそういうものよ」といっていた。

 
本当に大切なことは共有しない。
でもわかるような気がする。
 
ソウルメイトとの結婚を憧れる人が多いけど、夫婦は現実社会を共に生きるためのパートナーなのだから。
 
人は関係性の中で自分のありようを決めている。
どんなときも「自分は自分」といられる人は、人には迷惑な「さーだか」だけである。
 
彼も本当は自由でおおらかな人で、彼はわたしと出会う前は世界中の海を旅して来た「海の旅人」だった。
わたしはアフリカや南米やシベリアや陸を旅して来て、「陸の旅人」だった。
 
 
わたしたちは、ともに伊江島の神様の招きで、2007年7月7日に出会って、そのときは彼が言葉をかけただけ。
わたしは顔をあげることもなかった。
 
それから初対面と思っていた再会をして、最初に一緒にした旅は、セラピスト仲間と御蔵島にドルフィンスイム。
彼も普通だったら「さーだか」のはずだけど、わたしをはじめ、全員ふりきった「さーだか」なので、彼だけが船が着岸しなかったらどうしようとか、時間に間に合わなければどうしようとか、皆の安全のこととかを気にかけてくれていた。
みんなそんなことは、「なんとかなる」と思っているメンバーだったので、彼は全員ぶん心配していた。
そこで、わたしたちはそろって「与那原のヒロさん」が乗っていたはずのUFOをみた。
 
わたしにとってもはじめての奄美を一緒に旅した。
そこから、世界の聖地を旅するようになって、結婚することになって、最初に行った旅が高千穂峯で、それから神社好きなわけでもないのに、気づいたら日本の神社にたくさんいった。
 
彼は自分で「執事」とか「神馬(午年だったから)」とかいってたが、本当にガイドみたいな人だった。
セラピスト仲間は、ガーディアンエンジェルって呼んでいたし、わたしもそう思っていた。
わたしは彼といる間、行きたい場所を口にするだけでよかった。
旅の手配も、運転も、みんなやってくれた。
 
それはまあ、今もかわりがない。
行きたいと思ったら気づいたら行っている。
切符をとり、車を借り、運転できる自分に驚くが、きっと彼はまだお世話をしてくれているんだなって思う。
 

 

 

 

 

大鳥神社に向かう途中にあった目黒不動尊。

ここも何度も通りかかっているが、中にはいったことが来たことがない。

不動明王のお護摩には、トラウマがある。

 

わたしはやっぱり自分についている穢れは人(仏様なんだけど)にはらってもらうべきものではないんじゃないかってなんとなく思っている。

自分を「よく」するために、祓ったものがどこにいくのか。



もし波動の低いものが自分に憑いているとするのなら、自分がその低い波動にそぐわなければいいだけなのだ。



自然にそれは自分から離れていくであろう。


しかし、自分が変わらず、それを何らかの力で祓うなら、思いもかけないことがおきたり、簡単に戻って来てしまうのであろう。

 

 

 

 

目黒不動の裏には、大日如来がひかえておられた。

胎蔵界。

そうか、蓮華っていうのは、蓮華胎蔵ってことなのか。

 

 

 

 

さらにその奥には「地主神」がおまつりされており、その向かう先は大鳥神社。

 

 

 
なんと、大鳥神社のお隣のお寺には「キリシタン燈籠」。
 

 

 
隠れキリシタンがいたらしい。
 
見つかったらこの辺だったら品川宿が近いから、鈴ヶ森あたりで処刑されたりしたかも。
時代の考えにそぐわなければ、生きることを許されなかった時代。

今って本当に恵まれているなって思う。疫病で死ぬことを恐れて「命ファースト」と言えるなんて、今はすごく平和なのである。

 

 

 

 

大鳥神社。

由緒に、国常立尊を祀った社があって、そこに日本武尊が祈願に来られたと書いてある。

 

すると、目黒不動尊にあった、「地主神」は国常立尊なのか。

 

そして、例大祭は9月9日に近い日曜日。

 

9月9日というと重陽の節句。

加計呂麻島・諸鈍の大屯(おおちょん)神社では、くがつくんち、と呼ぶ諸鈍シバヤの祭りの日。

マレビト信仰とつながる、仮面の祭。

 

ちなみに奄美には平家の落人伝説がいくつかあって、それを祀った神社もあるが、諸鈍の大屯神社は、平資盛を祀る神社である。

 

 

 

夕方なのにすごい光が差した。

 

 

 

駅に向かう途中、目黒の駅のそばにきて、しろくまさんがバーラサイババからいただいた指輪を落とした場所に行ってみようと思った。

 

あれは亡くなる1ヶ月くらい前だったか、あるときバイクに乗っていて指輪を落としたといって、夜に一緒に探したことがある。

どんなに探しても見つからなかった。


 

でもきっと何かのメッセージがあったと思ったのだ。あの場所には。

 

 

 

するとあった。

ちょうど真正面が神社だった。誕生八幡神社。

 

宇美八幡より勧請

宇美八幡・・・!

 

 

 

 

 

 

そして仲よく並ぶイチョウの木。

 

 

 

 

神様は、みていたんだな。