飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その3 卑弥呼が神殿でみてたもの | かんながら

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旅の記録です

 

 

 
 

きました。

纏向駅前のここに。
卑弥呼の宮殿と噂される場所である。
 
 
ここは、昨日会いに行った川口由一さんの畑だったところ。
 
そうなのだ、地を這う蚯蚓のようにで登場した、亀が大好きな元パートナーの親族が川口さんというオチ。
 
 
 
世の中狭い!
 
 
 
というか、これが予定調和?
 
 
 
そもそも知らなかった。
パートナーでいるときは。
 
 
しかも、講演会を決めた後に知ったのだ。川口さんの畑の下から卑弥呼の宮殿跡がでてきたってことは。
 
我々ふたりとも知らなかったのである。
 
 
 
その場所に立ったら、泣けてきた。
 
 
そして、きっと、天照を待ち焦がれたんだなってなぜか思った。
東の空に向かって。毎朝祈ってた。
 
 
天照はニギハヤヒ?
よくわかんないけど、そう思ったのだ。
卑弥呼は、いなくなった彼を思い、祈り続けたのだと。
 
 
 
 
 
いきなりでんでん虫登場。
豊かな畑。
 
 
 
そこにいるすべての生き物たちが、調和して命を育む畑。
この愛の畑の下に、卑弥呼の宮殿は息をひそめながら、この世に出る時を待っていたのだ。
 
 
2009年、この場所から宮殿跡が発掘された。
 
卑弥呼の時代は、そんな時代だったのかもしれない。
 
 
 
 
 
カリフォルニアのワイナリーのLittorai の畑みたい。
美味しかったなー美しかったし。
今はもう私には高すぎて買えないけど。
 
 
 
 
 
こんもりした緑の茂みが気になって行ってみた。
 
中は神社で、まあるい広場に大きな木があった。
この感じは、大湯環状列石のあれと同じだわ。
 
 
石碑があって、そこに書かれていたのは
 
 
 
明治神宮遥拝所
 
 
なんか、涙が。
 
なんかみんな、繋がってた!!
 
 
 
しかもこれ…
 
 
 
天照御魂神社。
 
最近行った、木嶋坐天照御魂神社と一緒だ!!
蚕ノ社の。
 
天照!?
 
 
 
なんか、不思議すぎる。
 
 
満足したので、いつか行こうと思ってた天河弁財天。
でもなんか、今日は裏山が気になってそちらに。
 
 
 
 
南朝と北朝の調和大事だよね。
こうして、大切に祀られてきたんだな。
ここの人たちによって。
 
 
やはりきた。
1番。
 
 
 
天御中主神を信心すべし。
 
 
してます。
わたしにとっての神様は大宇宙根源の神様だけである。
 
 
新しいものを生み出すんだな。これから。
よいものをうみだしたい。
 
 
人事世話すべからず、か。
我が道ゆこう。
 
 
 
 
 
帰り道。
昨日は日が暮れててちゃんといけなかった飛鳥坐神社に立ち寄る。
 
八重事代主神!
 
 
シナツヒコの神
シナツヒメの神
ヤエコトシロヌシの神〜
 
 
伊勢平氏おじさんが毎朝呼んでた三柱。
そのとき、わたしの頭の中にこだましてたのが、
 
 
 
ちはやふる かみよもきかず たつたがわ
からくれないに みずくくるとは
 
 
という歌と燃えるような紅葉の様子。
 
 
そして、私はその後、龍田神社に呼ばれ、法隆寺に運ばれて、牧というキーワードで繋がる場所のラインが見えて、何故か聖徳太子の気配を感じるようになったんだった。
 
法隆寺に呼ばれたときは、目の前で、勅使門が開いたのだったな。その日は大嘗祭の前日だった。
 
 
 
 
 
 
昨日入れなかった奥にはたくさんの磐座があった。
天照大神
豊受大神、
 
そして御皇産霊神 タカミムスビの神。
 
この磐座がタカミムスビの神だといっている。
 
 
エネルギーが真名井原ににた場所であった。
 
 
 
 
そうなんだ。
 
飛鳥は不思議なとこだ。
マチュピチュにもちょっとにてる。
 
日本人のマチュピチュ好きと関係あるかもね。
 
 

 
今日の直会は新幹線で柿の葉寿司。
ここの、好きなんだよね。
大峯の帰り道よくよったな。
 
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