菊理媛神がいったこと 〜令和最初の紀元節によせて | かんながら

かんながら

旅の記録です

 

旅の記録の途中なのだが、大変なことをきいたので、それを書くことにする。

(「番組の途中ですが、ニュースです」みたいだ)

 

でも、それくらい、大事なことだって、わたしは思う。緊急速報クラスである。

 

以前の記事 で

 

「令和の世は、地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」と予言している人がいる。

 

と書いた。

 

明治神宮は、日・月で治めると書く、「明治」陛下の大御心を具現化した、まさにそのモデルだと思っている。

いろんな地位、立場の人が、共に美しい豊かな森を作っているからである。

 

 

でも、「地獄の蓋が開いて、魑魅魍魎も、ともに弥栄」って、

いくら「令和」が、そういう願いが込められてつけられた元号であっても、

 

 

「それはまだ無理やろ」と思っていた。

 

 

 

なぜなら、まだわたしたちの心の中には「綺麗なもの」と「汚いもの」、「正しいもの」と「正しくないもの」、「神々しいもの」と「禍々しいもの」と分離するエゴがあって、

 

 

バイキン、犯罪を犯した人、障がいを持った人、そういう「ネガティブなもの」を嫌う心があるからだ。

 

 

「魑魅魍魎と弥栄」など、そんな考えが蔓延している今の世の中では「無理」であろう。

だいたい、今だってコロナウィルスで大パニックである。

 

 

もし今のわたしたちの心のありようで、魑魅魍魎と暮らすことになったら、それは出口王仁三郎が予言していたというように、「生きているのを後悔するくらいのひどい世の中」になるのは間違いない。

 

 

魑魅魍魎でない人たちは、そもそも魑魅魍魎と共にあることが耐えられない苦痛であろうし、魑魅魍魎の方だって、そんなふうに嫌われて穏やかでいられないだろうから、敵意むき出しになるであろう。

 

 

2月11日は紀元節で、各地の神社で祭りが行われたのであるが、丹後國一宮元伊勢籠神社で宮司さんが、

 

「(今までは天皇陛下が上にいらしたが)これからは、陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」

という趣旨のことをおっしゃったというのである。

 

 

わたしにそのことを教えてくださった方は戦中の生まれでいらっしゃるので、

 

「これは大変なことやで、時代が時代なら不敬罪になるところや」

とおっしゃっていたが、

 

 

まさに「皆で弥栄する」である。

 

陛下にとっての「皆」は、「国民全体」なのだから。

「もれなく」なのである。今の世には「非人」とかいないのであるから。

 

 

 

わたしは、紀元節の前日、なぜか安曇野から嵐山に運ばれた。

早朝、嵐山から蛇塚古墳、木嶋坐天照御魂神社とおまいりした。
 

月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その2 秦氏の水路を辿ったら

 

 

木嶋坐天照御魂神社には、参道のわきにいくつかの祠が集まっている椿丘大明神(白清社)と呼ばれる場所があった。

その一角は、島の御嶽のような場所だった。

どうも神事を長くしている人でも気づかない人もいるらしい。その方々がお祀りしている神様とは違うのであろう。

 

そして、島の巫女の仲間とわたしが勝手に思っているSarah(サラ)さんも「呼ばれた」と言っていたから、ここに反応する人は、海の向こう(奄美ではネリヤカナヤ:沖縄でいうニライカナイ)からきた神様との縁がある人のようだ。

 

今気づいたが、「アマミキヨは、空(天)から来たと言われているが、海から来たと聞いている」と私に教えてくれた久高島のおばあがいったことは、なかなか深い言葉である。

 

「空」って場所があるっていうのも、阿波の人がそういえば言ってたな。

 

白山のサルタヒコが「縦からの神と横からの神がいる」と考察していたが、

まさに、あの場所(椿丘大明神の祀られている場所)が全く印象にないとおっしゃった方は「天から来た神(縦の神)」を祀っていらっしゃる方だったのである。
 

話がそれたが、本題である。

 

 

その

「綺麗なもの」と「汚いもの」、「正しいもの」と「正しくないもの」、「神々しいもの」と「禍々しいもの」

 

とを分離するわたしたちの心(=世の中)が、

 

まさに、「日本最初の夫婦喧嘩」といわれる「イザナギ・イザナミ」の対立に象徴されているのだと思っている。

 

 

 

菊理媛神は、黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場し、イザナギ・イザナミ、二神の仲裁をしたそうである。

 

 

その後、イザナギ様は、筑紫日向の橘の小門之阿波岐原で(つくしのひむかのたちばなのおどのあわぎはらに) 禊はらうのである。

つまり、禊ぐ(身をすすぐ)ことをする。

 

そして天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)がうまれる。

 

 

 

イザナギ様は、自分自身を綺麗にしようとしたってことだよね。

もしイザナミ様を綺麗にしようっていうんだったら、イザナミ様に水をかけたであろう。

 

 

でも、違う。

 

 

イザナギ様は、自分を禊いだんだもの。

 

イザナギ様は、(菊理媛神さまにいわれて?)あんな大好きだったイザナミ様の姿がああみえるのは、自分が穢れているから、ってわかったのだ。

 

少なくとも菊理媛神様の助言に従ってみようと思ったはずだ。

 

 

だから、禊祓ったんだよ。自分の心の中を。

禊って、そういうものだよね。違う?

 

それを菊理媛神さまは勧めたんだよ。きっと。

 

 

そして、今も、わたしたちそれぞれの「禊」を通して、イザナギ様の禊のチャレンジは続いている。

 

 

 

女子には感覚的にわかる人が多いと思うんだけど、ソウルメイトに出会っても、あっち(パートナー)は忘れていること、多いよね(笑)。

 

「思い出して!!わたしよ!!!」

 

ってやつ。

 

だってですよ、そもそもつい先ほどまで、すっごく仲よかったわけではないですか。イザナギ様とイザナミ様は。

一緒にぐるぐるして国を生んで、神さまもたくさん生んで。

 

 

それなのに、「穢らわしい」って。

 

 

 

ひどすぎないですか、イザナギ様。

 

 

 

「わたしのこと、お忘れになりましたか?」ってかんじ。

 

 

 

本当のわたしの姿を思い出してくれたら、またひとつになれるのに。

 

そしてこの国が天国になるのに。

 

 

あー泣けてきちゃう。。。

 

 

障がいを持つ人も、身体は健康で、心を病んでいる人も、お金のない人も、ある人も、変わった人も、そうでない人も、そして健康な人も。

 

みんながお互いを尊重しあって、平らかに暮らせる世の中に、令和はなる。

 

 

というか、そのように、今上陛下は宣言された、ということだ。

 

 

イザナミ様の本当の姿を思い出してください、イザナギ様!!

 

 

イザナギ様がイザナミ様の本当の姿を思い出すことができるかは、わたしたちにかかっている。

わたしたちの「分離感」を禊はらうことができるかどうか。

 

 

分離という幻想が消えた先には、神さまとの一体感がある。

それが、ワンネス。だよね。

 

 

 

狼煙が上がったのである。