帝都を守るもの 〜明治神宮の森は、日本の形代 | かんながら

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旅の記録です

激しい雷雨と、「どしん」というわたしには不穏な揺れがあった東京。


「揺れる」というか、「落ちる」、というか。


阪神淡路のあの朝と同じ。
規模は違うけど。

あの雷雨がなければ違ったかも。


でもここでは気づかないレベルだったみたい。

ここは100年前に私たちのために日本全国から集められた木々の根と人の手によって集められた落ち葉が柔らかな地層を作っている。


木はすごく大事なんだよ。
皆が思ってるより、ずっとたくさんの働きをしている。



酸素も、水も、温度も、植生も、生き物の命の循環も、木に依存している。


相互に、なんだけれども。



酸素も水も人間が作ることはできないが、木は人の手によって植えることができる。


だからスサノオは、「子孫が困らないように」我が身の毛を抜いて、木々にして植えて、森を作ったのだ。


そして、ちょうど100年前都市化していくこの街の未来を見据えて、明治陛下の大御心にかなうようにと、日本全国からの献木と勤労奉仕が集まり、勇気と知恵の結晶としてのこの森が生まれ、人々の祈りと働きによって、育まれてきた。


この街に暮らし始めるまで、この森が人工の森とは知らなかったし、どれほど多くの人たちの丁寧な日々の奉仕によってこれが維持されているのか、わからなかった。

でも今は少しわかる。
そして、自信を持って言える。


みなさんのご先祖様からお預かりした木々は、そのお心とともに、日々ここで大切に守られ、日本のエネルギーとして循環しています、と。


帝都のエナジーは、日本全国からの木(気)が交わり合うこの森で、祈りとともに清らかに高められて世界へ発信されているのである。


東京は、いつも日本全国とともにある。
それが 日月で治める、明治陛下の大御心とわたしは理解している。



オトナの飲み会からの流れで、この月食の満月、なにかあるとおもったらやはりあった。

高幡不動をクリアしたからきっとくるとは思っていたが、
伊勢平氏おじさんと今年初めてばったり会う。
 

そして、お試しだろうなと思っていたら、案の定あれこれやらかしてくれる。


母もそうだが、ありえない妨害をしてくる。
でもなんども遭ってわかる。 

きっとこの人たちは、最後のなにかの封印を解くまでわたしの障壁となってわたしを鍛えてくれる人たち。
本当に分かり合えるのはあの世かもしれぬ。


それでもわたしは自分の目的のために、今違えるわけにはいけない事情がある。


そんなわけで、わたしはこのところ気になっているテーマに向けて出かけることに。

最初の目的地以外は決まっていない。

とりあえず仕事道具と最低限の荷物をリュックに詰めていざ出発。