ヤマトタケルとやまとひめ 〜伊勢・熊野編 その1 | かんながら

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旅の記録です

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帝都を守るもの 〜明治神宮の森は、日本の形代

からの続き。

 

朝参拝を終えて品川。

 

いろんな印があって、帝都も揺れている。

 

それは、わたし自身の揺れでもある。

別にわたしが影響力があるということを言っているのではない。

 

この大宇宙のすべての波動は、相互に影響しあって現実を作っている。

あなたの思い、わたしの思い、誰かの思い、何か別の生き物の思い(それがあるなら)、そして地球を含めて、すべての物質の意思(それがあるとするなら)と波動、全てがこの現実に影響を及ぼしている。

 

 

ただ、自分自身がコントロールできるのは、自分だけだということである。

 

 

私は、わたし自身を修める責任があるので、今日はどうしてもいかねばならぬ。

 

 

自分の中の、不調和の部分、理解していない何か。落ち着きに到達できていないもの。

「(ルーツを)知りたい」という欲もまた、わたしの中の欠乏感の表れなのである。

 

 

そして、見つかったガイドさん。

実は「波田須」に行く、という情報は2日ほど前だかに目には入っていた。

 

この方は「ど変態」と久美浜の歴女(この方もそれを上回る情報量と熱量の持ち主である)と言われるほどの歴史オタク(ご本人がそう言っていたからあえてそうする)で、わたしの生まれの場所のお地場を、よくある地図に線を引くあれ(自分ができないのでなんて表現したらいいのかわからない)を解説されていたことがあって、一度話を聞いてみたいとずっと思っていた。

しかもわたしに与那原の宇宙人のヒロさんが、25年前に何も教えずに連れて行った場所が「あがりうまーい」であることを(間接的に)教えてくれた人でもあった。

 

そして「 波田須」という場所が「尾鷲(おわせ)」で、

 

子どもの頃、祖父によく連れられて行った場所であることや、最近きている「秦氏」、そして何より「天気の子」の街に行った途端、「伊勢平氏おじさん」も含めて、ぱったり縁が途切れた人たちが再び目の前に現れる、ということが数日の間に立て続けに起こり、その人たちの共通点が「このエリア」で「諏訪」ということで、これはサインだと思った。

 

東京に野生の「鹿(シカ)」が現れる、というニュースと、あの変な地震。

あと、どうしてもどうしても縁があるのに調わない「安曇野とわたし」。

 

 

わたしの中では全てが繋がっている。

 

 

鹿=シカ

シカがつくところは、「志賀海神社」、「志賀」「滋賀」など、「シカ」とつくところは、「あつみ」「あづみ」などと同様、安曇族の場所であるということは、やんごとなきお方からずっと前に聞いていた。

それが実際にそうなのかは知らないが、少なくとも記紀がそうであるのと同様、「そういうことになっている」ということだけは、間違いない。

 

しかも、このタイミングにSNSにコメントをくださった方が、しろくまさんとやんごとなきお方と志賀海神社に復曲能「わたつみ」の奉納の日に出会った並々ならぬご縁の方であり、その方とのご縁は、しろくまさんが亡くなる前の最後の旅になった籠神社の御鎮座1300年式年大祭記念の復曲能「真名井原」をご一緒したという、まさに、出会いの「最初と最後(最期)」がぴったり「復曲能奉納」の神事で重なり合うというあり得ないご縁の方なのである。しかも遠方なのにも関わらず、葬儀にまできてくださり、彼を送り出してくださったのである。私たちは、彼女と個人的に会ったことは一度もないというのに。

 

 

「わたつみ(海神)」と「まないはら(真名井原)」。

わたしはまだそれらが何を意味するのかはわからないが、しろくまさんと私のコンビが知らず知らずのうちに辿ることになった神様旅(新婚旅行が神社に興味もないのに高千穂峯だった)の重要なメッセージであることは間違いない。

 

籠神社は、海部氏。そしてニギハヤヒ。物部。製鉄集団。

奈良纏向からようやくみえてきた、「ヤマトタケル」と、そのエリアに確かにある鉄の痕跡、何度も行っているけどちっともピンとこない玉置神社(森は好きだけど)」。

 

「海の熊野」には何かある!!

 

歴史オタクのオペラ歌手のその方に、「行ってみたい」と投げかけてみたら、「ご案内してもいいですよ」と返事がきた。

そのまま30分後には新幹線に乗れるが、朝でいいということで、いつも通り朝明治神宮の参拝してから出かけることにした。

 

 

 

 

そして、初めての「快速みえ」。

血としては4分の1しかないが、血統はそことなる伊勢。しょっちゅう来ているがいつも接続が悪くて乗ったことがない。

 

 

そして座った途端、なにわの審神者(さにわ)から紹介された安曇野の米農家のみちこさん (facebook)から、メッセージが来る。普通だったらこない。彼女は今とっても忙しいのである(田んぼは繁忙期)。

彼女は「倭(やまと)姫」のご縁の方だとなにわの審神者から聞いている。

 

これは、何かある!!

 

 

 

待ち合わせ場所に到着。

この方もご自覚があるのかないのかはわからないが、「サーダカ(霊力が高い人)」なのであろう。

 

(今まで出会った人みんなが思ったように)「ほんとに来たんだ?!」と心の中では思っていたのかもしれないが、にこやかに迎えてくれ、昔からの知人のようにいきなり本題。

 

 

ここには「ヤマトタケルの御陵がある場所があるんですよ。」

 

ん?ヤマトタケルきたよ??

 

 

「そうなんですか」←知らない

最近ようやく、最後、大好きな奈良に帰らずに、大阪に行ったってことを知ったくらいなんだから。

 

 

 

 

 

そして連れて行ってもらったここ。

 

鈴鹿市長澤町鎮座 長瀬神社

明治時代まで、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の御陵と言われていた場所。

 

 

 

 

椿大神宮のすぐそば。

 

でも地元の人は、こちらにお参りするんだって。

すごくいいお地場。気持ちがいい。

倭建命の御陵と呼ばれていた場所は、本殿の裏にある。

 

 


 

「参道まっすぐの鳥居の先はどこですか」と聞いてみたら「伊勢神宮」。

なるほど。

 

 
 
そして、ご近所にある、現在の御陵も車内参拝して、熊野へゴー。
 

 

 

 

 

南国!

 

そして快晴。

「稲荷の女は晴れ女」(映画「天気の子」より)。

 

私は確かに生まれつき、晴れ女であった。

でも稲荷に縁するようになったのは、白山のサルタヒコが、温泉を閉めるときに思いつきで私に託した「笠間のうがふく(親子)さん」がきっかけである。

 

 

これは「うがふくさん」の旅でもある。この快晴おかしい。

天気よすぎ。

 

そしてうがふくさんのモデル(とわたしが勝手に思っている)」である、安倍晴明の母「葛の葉」と同じ目に2度も遭った私自身の「まつり合わせ」の旅である。

こうして、自分自身が「わかる」ことを「まつりあわせ」と私は呼び、「調える」と言っている。

 

わたしの指導霊は厳しいのだ。

主治医に憑りついて、わたしにいう「あなたは本当にお子さん育てたかったの?」と。

鬱がひどくて生活がままならなくて診察に来ているわたしに(笑)。

 

 

だから、わたしはその先生を信頼している。

これは、霊的な意味があってわたしの前に現れている人だとわかるから。

 

そして、その人もまた、わたしにとって「調わない」場所にいる。

 

 

棚田のある風景。美しいな。

田んぼって、こんなに美しいんだな。

 

今朝連絡くださったみちこさんは、「米づくり」を仕事に選んだ。

安曇野の田んぼと、熊野の海に向かうこの田んぼ。

何かがきっと繋がっている。だってわたしは今日みちこさんと一緒に旅しているような気持ちだから。

 

 

棚田と、鮨と、鵜飼、のある場所は、「天皇」がいた場所。

やんごとなきお方から聞いたそれ。

 

 

目的地 、波田須にある徐福の宮。

 

 

 

そこにある徐福の墓。

 

 

 

おおっ!いた。おいなりさん。
 
お稲荷さんは、宇迦之御魂(うかのみたま)。
宇迦之御魂は、稲魂ともかく。
稲の神様、ってことになっている。
 
だから、安曇野の米農家のみちこさんからメッセージ来たんだ。
もちろん、彼女は、わたしがここにくることを知らない。
わたし自身が、ここにくることを知らなかったのだから。
 
宇迦之御魂の本体は、豊受大神。
外宮の神様である。
そして真名井の神である。
 
マナの壺。
そして久高島にある「五穀が入った壺が流れ着いたという伝説が残る場所」。
わたしの中ではいろんな場所と情報が重なり合う。
 
そして何よりこのお社の祀り合わせの組み合わせ。
 
熊本・八代の鎮宅霊符神社からの「天御中主神(アメノミナカヌシ)=北極星」+「豊受(お稲荷さん)」の組合せ。
 
 
 
わたしには、クマとキツネなのよ。
 
 
昨秋、北極に散骨に行った時(北極におわかれに)、出会った星野道夫と親友だったという年長のかわいい女性のアーティストさんが、わたしが「夫の散骨にきた」と言ったら、「驚くよ」と笑って、「彼とあなた」と言ってくれた彼女の作品。
これをみた時、いろんな思いが込み上げてきて号泣した。今でも泣いてしまう。
 
私たちは、ソウルメイトだったから、いろいろあった。ソウルメイトは、魂のつながりであるから、二人を隔てるエゴの壁がある限りそれが粉々になるまで、痛みを伴う。
わたしはもう何度も結婚も挫折も今世でやり直してきたから、結婚がどういうものかは普通の人よりは理解していた。彼は遅いスタートな上に初めての結婚だったから、きっとキツかった。
 
彼が世界中の海を旅した最後に出会ったシロクマは、北辰の印。
そして2度も同じ「葛の葉体験(安倍晴明の母の伝説葛の葉)」をしたわたしの印のキツネ。
 
シロクマの懐で安らぐ白いキツネは、彼女がいうように私たちそのものだった。
 
彼女は北海道に来たことがあると言っていたけど、オーストラリアかどこかの人で、日本の神話など知らないし、わたしとはその時初めてあって、話もしたことがない。宿ですれ違って、「日本から散骨にきた」と言ったら持っていたこのカードをくれたのだった。「驚くよ」という言葉とお茶目な笑顔とともに。
 
そうやってわたしの人生は全編、そうやって、答え合わせをしているような旅なのだ。
彼女もまた、わたしの指導霊に遣わされた天使なのである。

 

 

 

そして歴史オタクのオペラ歌手のお方にランチをご馳走になる。

普通逆でしょ。

 

鮨。だって熊野名物には、めはり寿司とかもあるし。

これもきっと「印」。

 

そして、引き続き豊かなレクチャーを受ける。

秦氏は秦の始皇帝の子孫と言われてる(名乗っている)ということと、秦の始皇帝は、北極星と同じであるということ。

 

つまり天帝(北極星)と、地の帝(皇帝=じぶん)は、同体だということみたい。

 

 

北極星信仰は、(秦氏の側からは)、秦氏の信仰、ということであるらしい。

そして隣に祀られている稲荷。

わたし調べでは、稲荷(豊受)の祀られている場所には、銀杏の木がある。

わたしには、銀杏の木が大宜津比売の場所であり、豊受の場所であり、稲荷の場所である。

 

最近目についている木は、実はモミの木。

明治神宮には「代々木」と呼ばれる銘木(と言っても焼けるたびに植えているので、実際には銘木と言われるような立派な木でもない)があり「モミの木」なのであるが、どうも、?と思う場所に、樅の木が植っているのである。そして隣に控える銀杏の木。

ちなみに明治神宮の「代々木」の隣にも「銀杏の木」が植えてある。しかも、実のなるほうの雌木。

 

そして、今変換してて思った、もみの木は籾(もみ)の木だ。

 

 

実はこの「徐福の宮」の近くに、同じような場所があって、そこには樅の木らしき依代の木があったのである。

初め、私たちは、てっきりその場所が「徐福の宮」と思ったくらいである。

そして蜜柑や梅の実のなる木があって、そこはあたかも楽園の形代であった。きっとエデンの園があったら、こんなだったんだろうな、というような。

 

 

 

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午後は第二の目的地である花の窟から山に入った場所にある、

三重県紀宝町神内(こうのうち)鎮座 神内神社(こうのうちじんじゃ)へ。

 

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「明細書」に「当社の義は近石と申すところに逢初森(アイソメノモリ)というのがあり、そこに(イザナギノミコト)、(イザナギノミコト)天降らせ一女三男を生み給う、この神を産土神社(ウブスナジンジャ)と崇め奉る、よってこの村の名を神皇地(コウノチ)と称す。いつの頃よりか神内村(コウノウチムラ)と改むと言い伝う」とあり。
明治39年12月25日、三重県告示第380号を以って神饌幣 料供進社に指定される。
社殿は自然成岩窟にして空間六尺(約1.8メートル)四方あり、境内6反8畝10歩。
近郷の人、子安の神、安産の神として参詣するもの多い。また豊漁の神として近隣の漁師の信仰厚い。

(紀宝町発行「文化財を訪ねて」抜粋)(神内神社所蔵文書抜粋)

紀宝町教育委員会

 

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美しい整備された境内。美しいところだなー。いいお地場。斎場御嶽と一緒。

 

歴史オタクのオペラ歌手のお方、沖縄とのご縁を聞いてみたら、「本部で模合(もあい)」というではないか。

さらっと書いているが、本来模合というものは、相当に信用されていないと入れてもらえないのである。

わたしの亀が大好きな元ダンナも、宇宙人ヒロさんのおそらく半強制であったであろう誘いで入れてもらっていたようだが、「信用」あってのことなので、ただの旅行者が入れてもらえるということはない。

宇宙人ヒロさんは25年前、そのように言っていた。

 

そして、伊江島の「タッチュー」が、「塔頭」であると伊江島のお寺の僧侶から、そこで聞いたというのである。

 

ここまできたら、笑うしかない。ヤマトと卑弥呼と沖縄と 〜伊江島の神様が宇宙人ヒロをとおして25年かけて伝えてきたことで書いたように、わたしも、与那原の宇宙人ヒロさんも、しろくま大好きひろさんも、みんな「伊江島の神様」が絡んでいるということなのだから。

 

この「島の香りがするこの場所」に連れてきたのは間違いなく、伊江島の神様である。

何を伝えたいのか。いよいよ何か見えてくるのか。

 

 

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2枚撮ったが同じようになる。

すごい場所であった。

 

 
 
御手洗場。
いろんなところが重なり合う。
内宮の五十鈴川、平泉寺白山神社。
 
 
珍しい狛犬さん。
きっと白山のサルタヒコか、大山の狛犬博士吉亀さんが何か教えてくれる。
 
 
そして、時間があるからということで、お連れいただいたここ。
地名見ててね、と。
 
「斎宮」いつき、と読むみたい。
 
 
 
あーーーーーー肝心の現地の写真を撮り忘れた!!無念!!
川口由一さんの初めての自然農の畑の下から目覚めて世に出てきた「卑弥呼の宮殿」。
それとそっくりなここ。
 
それと同じものが、東の海に向かってそこにあった。
 
東にまっすぐ向かう宮殿。それはとても少ないのだと。
ここはヤマトタケルとやまとひめの場所。
歴史オタクのオペラ歌手のお方は、そう言った。(つづく)
 
追記:この日(6/8)はなにわの審神者(さにわ)は長谷寺で虹色の龍を見て、三大如意輪観音を拝したよき日だったそうである。
キーワードは、燃える緑、息、息吹、肺の再生。わたし自身が見た景色も熊野の木々は、まさに同じであった。
それがなんなのかわからないが。
 
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