ヤマトタケルとやまとひめ 〜その2 おわり名古屋編  | かんながら

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旅の記録です


 

十分に家まで帰れる時間に、歴史オタクのオペラ歌手の彼に、駅まで送り届けてもらったが、この先どうするかはまだ決めていなかった。

 
ピンとこなかったらピンとくるまで待つ。
それが美志摩流。
 
駅ビルをぶらぶらしながら3つの選択肢を考える。
 
1、素直にかえる
2、桜井に行って談山神社
3、名古屋泊して熱田神宮
 
 
検討した結果、2500円(正確には税込2370円)で泊まれるアパヴィラホテルに泊まって天然温泉に入り、歴史オタクのオペラ歌手のお方から事前にご案内いただいた熱田神宮に行くというプラン3を選択。
 
 
やはり大阪のおばちゃん姐さんがいちばん大事にするのは、コスパである。
 
 
熱田神宮は何度も近くに行きながら縁がない場所。
どうも行きたいと思わない。
 
御神宝は草薙剣。
日本武尊(ヤマトタケル)が倭姫から貰い、焼津で火攻めに遭ったとき、火攻め返しをするために草を薙いだという剣である。
 
剣だけは、どうも自分と関わりがない気がしてならない。
 
勾玉も鏡も大好きなのに。
 
仲良くなった刀剣屋のおじちゃんに鑑賞の仕方を教えてもらってようやく少しその魅力がわかり始めたくらいだ。
 
 
 
そして、歴史オタクのオペラ歌手のお方は、昨日も、その熱田神宮に関してどえりゃー仮説を披露してくださったのだが、今朝も「あること」を伝耳打ちしてくれた。いや、三密にならないようオンラインで。
 
 
昨日のことを忘れないうちにまとめおわって、さあ温泉行こうと思ったタイミングでなにわの審神者(さにわ)から電話。
彼の方はこの週末伊勢神宮参宮と桜井室生へ神事に出かけたらしかった。
あとなんだか、いろいろおかしなことを言っていたが、忘れた。時々テレパシーみたいにダイレクトにすごく無機質なことを話しかけてくる。お互いに(お互いへの、ではなくて。もちろんそちらも1ミリもないが)感情がないので、たぶん端で聞いていたら空恐ろしいと思う。
コロナ後のことと、アメリカで起きている暴動の話だったか。
そして朝も入ろうと楽しみにしていた温泉に入り損ねる。
 
 
仕方ないので出発。ホテルから車で20分。電車でも40分ほどの旅程のはず、だった。
が、しかし。
 
 
なんなの。名古屋の地下鉄。
迷う迷う。結局2時間もかかってしまった。
やはり尾張名古屋は、天理と同じでわたしにとって何かがおかしい。
 
 
ある種の人たちに影響があるらしいことは、複数の人から指摘があって知っている。
 
 
 
初めましての熱田神宮。
でも入ったらいい場所である。
入るまでがたいへん。
遠かった!!
来させないためのバリアが張り巡らされているみたいだ。
 
 
そして本殿裏の歴史オタクのオペラ歌手のお方おすすめの場所に。
中に入ると迷わないようにできている。
 
近づくと、なぜかすごい寂しさと悲しさがこみ上げてきた。
なんか、こんなところにひっそりと祀られてて。
滝祭宮と同じエネルギー。
表には決して出ることのない、隠された女神様。
 
 
そこには、みーさんの泉があった。
奈良のあの場所とそっくり。
そして、弁財天だなーって思う。
 
 
 
 
すると、あった!
辨天。
 
熱田神宮に近いところに、ひつまぶしを食べると良い、って言われたので。
っていうか、本当は昨日高速で送ってもらっている途中、津のあたりを通った時に、
 
一身田の「うなふじ」によってうなぎを食べたいなーって思ったが、朝じゃない(一巡目でないと肝焼きは売り切れ)ので諦めた。しかも昨晩はうっかり日曜にビジネス街に宿を取ったので、コロナもあって近隣のレストランが全部閉まってて何も食べれなかったのだ。
 
だから、食べる!うなぎ。津はかつて日本のうなぎ消費量ナンバーワンだったところである。
 
 
当然食べきれないので、持ち帰った。
 
午後は、真清田神社へ。尾張國一宮。
 
 
福の神。
ということは、服か。
 
 
と思うとあった、服織神社。
歴史オタクのオペラ歌手のお方の「機織り」。
機織りって、やっぱり秦氏ですよね。
そしてここにあるってことは、海部と一緒なんだな。
 
そしてやはりつながる奈良纏向。
 
 
飛鳥坐神社にあった磐座と同じ形。
飛鳥にはいっぱいあったなー。
 
 
帰り道を調べるためGoogle マップを開けたら、なんと「尾張國一宮 大神神社」の文字が。
 
2キロ。
炎天下に歩くにはきつい。
しかも、このままとりあえず旅を続けられる私の生活の全部が入っているリュックを担いで。
 
また今度と思ってとりあえず駅に向かって歩き始めた。
 
が、しかし。
もう来ないよな・・・と思って行った。
 
 
 
尾張国一宮大神神社。
真清田神社も一宮だがこちらもそうであった。
 
 
やっぱり大神(おおみわ)神社だった。
 
 
その昔、大和(やまと)から、移住してきた人たちがいた。
そしてその人たちが祀っていた大神神社を勧請したのが始まり。
昔はこの土地は「大和(やまと)村」と言ったのだそうだ。
そして、境内地も広大であったそうだ。
 
だけれども、織田信長の子に焼き払われて、境内はどんどん縮小したらしい。
そして、今のところに移った(つまり元宮は別の場所にある)。
 

なんか切ない境内。溝咋神社と重なるんだよね。なぜか。
 
それにしても、からっから。
水の力が足りない。
木もこんな風で、水が降りるはずがない。
 
ごめんなさい、晴れ女で。
 
もうすぐ夏至。陽極まる時期である。
 
 
ずっと人の少ないところにいたので、品川を見て驚く。
 
 
 
品川神社。
 
 
 
富士塚の上からの眺め。
 
 
 
 
太玉命のお妃さんを祀っている。
 
 
 
富士塚。
大阪にいたときには神社に行かなかったこともあるけど見たことなかった。
なにわの審神者(さにわ)も珍しがっていたから、西日本には少ないのか。
富士山って遠い山だからな。大阪にいた時は「日本の山」と言ってもピンと来なかった。
 
 
ちょうどなにわの審神者(さにわ)に言われていた亀戸天神と品川神社。
亀戸天神はこのあいだいけて今持っている宿題は、品川神社だけだったが、ちょうどミッション完了。
 
狙ったわけではなかったが、芝大神宮で見かけた東京10社巡りもコンプリートした。
 
 
先ほどの品川駅の混雑ぶりから、山手線に乗る気になれず、最近ヘビ(蛇)ーユーザーとなっているレンタルバイクで東京を駆け抜けて帰った。
 
爽やかな風が心地よいサイクリングであった。
さあ、山に行く前の準備ができたかな。
伊勢熊野、調ったかどうかは、これからの流れがどうなるかできっとわかる。