菊理媛神さまミーティング | かんながら

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旅の記録です


今日は、個人的なスピリチュアル日記です


昨日は、朝いつも通りの朝参拝の途中で、ニギハヤヒ、市杵島姫が浮かんで(それが意味するところは籠神社である)、安曇、渥美、そして安心院とつながって、比売神!ってきて、

夏の伊勢平氏おじさんとの時間が なんだったのかわかって、刺のように残っていたこだわりの毒がようやく取れて、はらはらと涙がこぼれた。


彼はある日突然わたしの前から消えて音信不通だったが、もしこれが本当であれば繋がるであろうと思って連絡したらやはり出た。

しかも、わたしと同じ目に同じタイミングであっていた。

とても巧みに魔は入る、と言っていたのに、彼はわたしのことを指摘しておきながら、自分のことにはまだ気づいていないようだった。

カラスが見張っているというような慎重な人なのに、どうしてそれに気づかないんだろう。自分が悪魔だったら、その人のいちばん信頼している人に憑依する。そして、とても感じよく相手を思いやり、甲斐甲斐しく世話をするであろう。
そして、実際にそうなっていた。
当時からなんかおかしいと思っていたが、確認できて腑におちた。

もっとも、わたしも彼に指摘されて思い当たったのであるが。
心理学でいう、投影という分析はかなり的を得ているとわたしは思う。


でももう成ったことなのでそれでよい。




午後は菊理媛神さまのメッセージが降りてくるといわれるご婦人とお会いした。2度目である。

わたしはそういう方は苦手で近づかないようにしている。
霊能者やスピリチュアルヒーラーと呼ばれる人は相性がよくないのだ。
仮に神様からとて、お説教や指図は大嫌いだからだ。

わたしはなんと言われようとも、どこまでも自分のやりたいように生きるのだ。
天罰が下っても仕方ない。人生悔いなし!がわたしの信条なのである。

そもそも、神の御手の中に私の存在はあるのだから、お釈迦さまの掌の上の孫悟空同様、神様からしたらわたしのようなちっぽけな存在の反抗などなんの影響もないのである。そもそも成らないであろう。

困るのはご創造主ではなく、人間や周りの環境というご創造物のほうである。


しかしながら、このご婦人はご本人は神の声が聞こえるなどおっしゃらないし、年長のとても博識で、気持ちいいくらい正直な方で、一緒にいて楽しいので呼ばれたら喜んで参上する。


その場で、びっくりなことを聞いた。
今の御代の到来についての神示が出ていた、というのだ。

今までの昭和陛下とは、違う、新しい陛下の時代が訪れる。

それは上皇陛下自らお話になっていたことでもある。

昭和天皇から、わたしはすべてを受け継いだが、これからの天皇は…というお言葉をわたしは記憶している。

しかも、それは私たちへの警告とともに、平成2年に降りたというのだ。 
昭和天皇は、17年かけて、戦後を調えられたということであった。
その神示は表には出されなかったのだそうだ。
そして、その後、阪神淡路が起きたのだった。


話をきいていて、天皇陛下の力をあてにせず、国民一人ひとりが自立していきるしかないということなのかなと思った。
だいたい、畏れ多くも戦後、天皇陛下は国民の象徴となられたのだ。

でもそれは大変なこっちゃとわたしは思っていたし、今もそれは無理やろというレベルに危機感を持っている。

でも、その神示を突きつけられて、それは逃れられないことと思いしったのであった。


大事なことを大事にすること、本当のことをみわけるちから、なくては混乱の渦に巻き込まれるよ。


今のウィルス騒ぎがまさにそう。
ウィルスを撒き散らす、とマスクをしないひとを非難しているけれども、だいたいあの薄いマスクではもう防ぎきれないところにきているのだ。
今の日本でのフェーズは、いかに治療するか、いかに生き残るかの方にシフトしていると思う。

それに今の世に対する根拠のない安心感を撒き散らしていることだって、重罪である。

恐れすぎる必要はないが、正しく、理解して、対処することが大事と私は思う。


イベント自粛より通勤自粛と言ってた人がいたが、本当そうだ。
満員電車に乗る方がよほどハイリスクである。
でも通勤自粛の話にならないのは何故か?今一度振り返ってほしいのである。


私たちは本当に自分の意志の力を使って生きているのか?誰に従って生きているのかを。