真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】 | かんながら

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旅の記録です

旧重陽(旧暦9月9日)。
 
9月9日は、奄美 加計呂麻島でも、年に一度の大切なお祭りがある。
諸鈍シバヤといって、平資盛が落ち延びてきたときに、もたらした歌舞伎の原型みたいな芝居が奉納される。
仮面をかぶったおばけがやってくる(ようにみえる)。
 
「まれ」という朝ドラがあったらしいが(白山麓におじゃましたときよくきいた)、こういう仮面をかぶった人を歓待するというのは「マレビト信仰」の原型なのだろうと言われたことがある。
 
ちなみに奄美には、平家伝説が各地にある。平有盛は奄美市名瀬に、平行盛は龍郷町に。滅んだはずの平家が奄美にきていたのが本当かどうかはわからない。
諸鈍シバヤが奉納される大屯(おおちょん)神社の御祭神は資盛。
 
真相は行く先がなくなった平家が制圧しにきた、ということなだろうが、島の人はいい人たちなのだ。
だから、彼らを迎え入れ、もてなして、死後は祀って神様にしてあげた。
 
その心根は、この島では太平洋戦争中に戦死したアメリカ兵の墓を建ててあげて、祖国からきた遺族が涙した、というのを聞いたことがある。それは島では普通のことだ。
 
敵も味方もない。そこに人の命があれば、いとおしんで大事にする。それが島のこころ。
 
本題からそれるので加計呂麻のことはいずれまた書くとして、
 
この旧重陽の日は加波山を訪れた。
9月9日は、「菊理(くくり)媛神」の日でもある。
わたしにとって、菊理とは「聞く理」。
自分の仕事がそうなからなのだが、話を聞いて差し上げる、というのが菊理媛神のはたらきと勝手に思っている。
話を聞く、というのはわたしにとって鎮魂のお行である。
 
 
伊勢神宮でお会いしたとき、丹後の先生から仰せつかった「加波山」登拝。
筑波山のほうは、聞く人聞く人、みんな「行ったことがある」「通ったことがある」と有名であった(関西出身のわたしは、つくばといえば、筑波大学と万博(今となっては古すぎて知っている人がもしかしたら少ない?)くらいしかしらない)が、「加波山」は「ない」という答えしかかえってこず、情報なし。
 
あ、そうだ、たったひとり、ヤマトヲグナさんは、昔に行ったことがあるとお返事があった。
そもそもなぜ連絡したか、いつ最初にコンタクトしたかも覚えがない。でも必要な情報は必要なところから必要なタイミングではいるのだろう。
 
だが、「とにかく暑かった以外はあんまり覚えてません」とのことで、また、興味がありそうな人もいなかったので、美志摩の「いつか」ボックスに格納されてしまっていた。普段はしなければならないことを置いておくのは気持ち悪いので、「すぐやる」がモットーなのだがどうしても加波山はそうならなかったのである。
 
でも「いつか」は突然やってきた。
 
普段は悲しいほど健康なわたしであるが、節句の前はなぜか体調を崩したりする。
二日酔いで目覚めたが、「今日は9月9日」って声がして。
普段は毎朝の参拝に出かけるのだが、「加波山は今日しかない」とひらめき、「加波山」をグーグルで検索。
とてもじゃないけれど、交通機関だけで行くのは大変そう。
 
よし、電車でとりあえず近くにいって、そこからレンタカーだ!
 
といってもこの時刻(5時台)には茨城県のレンタカー屋はやっていない。
とりあえず向かおう。ということで地下鉄の乗り入れでそのままいけそうな「土浦」駅に。
 
そして電車の車内で「とりあえず」タイムズカーシェアを予約。
結局、レンタカー屋さんはオープンしておらず、タイムズさんでいくことに。
 
登山口に向かう途中の風景。
ここは、パラグライダーの飛ぶ場所?になってて、帰りにはパラグライダーを持った人たちがたくさんいた。
20年前、沖縄で飛んだことあったなー。なつかしい(もちろんタンデムで)。
 

 

これも見沼さんの土地なのだそうだ。

でも、見沼さんって誰?

 

 

 

 

パラグライダーのジャンプ台

 

 

 

 

そして加波山。標高709メートル

登山口から片道30分くらいか。

誰にもあわなかった。

 

 ↑登山口目印の風車

 

 

自衛隊機が落ちたことがあって、慰霊碑があったり、

明治17年に加波山事件があった場所。

自由民権運動の激化の事件のひとつ薩摩藩士の三島通庸暗殺未遂事件など。

薩摩の三島だからわたしが呼ばれたのか。

今の世の自由は、いろんな人の思いや犠牲の上になりたっている。

 

そしてその思いは、その土地に染み込んでいて、その土地の独特の空気感というか雰囲気を作っているんだなっておもう。

 
西条八十の下館音頭11番。
「加波のお山の自由の旗の 意気で踏み出せ新日本」
 
西条八十といえば、
映画「人間の証明」で引用された
 
母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
ええ、夏 碓井から霧積へ行くみちで、
渓谷へ落としたあのむぎわら帽子ですよ。
 
思い出すだけで泣けてきちゃいますね。松田優作。

 

 

 

 

 

 

頂上は木が茂っていて山頂らしいビューはない。

禅定が今も行われている聖なる山。

 

 

 

頂上付近には磐座。

 

 

 

ヤマトヲグナさんがその昔みた、とおっしゃったその場所は今はこんなかんじに。

加波山神社。

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてお隣には加波山神社本宮もある。

 

 
こちらは昔ながらの、地元の人たちの神様、というかんじ。
境内から、見沼さんの土地もみえた。
 
下から上がると採石場などもあり、うるさく、景観もよろしくないらしい。
 

秩父神社の御神体の武甲山もそうだけど、どんどんお山が削られているのをみるとなぜか胸が痛くなるのはわたしだけなんだろうか。そもそもそういう場所を守っていたのが神社だったのだから、仕方ないのかもしれないけど。

 

 

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