島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1 | かんながら

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旅の記録です

からの、続き。
土曜日。

安曇野からくまさんの作品を持ち帰って、の、朝ミサ。

聖堂に入ったら誰もいない。
 
 
間違えた!!行くべき教会を。
 
タクシーをぶっ飛ばして行ったが、ミサは終わっていた。
 
 
でも、神父さんには会えた。
そして、くまさんの写真を祝福してもらった。
 
ただ、「彼の作品を祝福してください」と言っただけなのに、
 
「この作品が、神の栄光を語るものとなり、人々の希望となるように」と神父さんは祈ってくれた。
 
彼の祈りの力はすごい。
とわたしは思う。
そしてミサのとき、祈るとき、彼は名前を持った人間ではなくイエスになる。
そして、みながそうだ、と力強く語る。
 
 
それ以上に優しい言葉をかけたり、とかはない。
いい神父に思われたいとかもないみたい。
人として、いわゆる「いい人」ではない、と思う。
 
くまさんは「身勝手」とよく怒っていた。
 
でも、そういう人に神は降りる、とわたしは思う。
 
 
 
 
ここは、前にも書いたが殉教者の教会であり、ここにキリシタン寺として教会が建ったのは1855年。
赤き心で京都から神父を支えるために江戸にきたミゲル笹田与衛吉。
ミゲル笹田は河内出身の武士らしい。
 
彼は武士として、赤き心を持っていた。だから3700余名もの人たちが信徒であると名乗り出たのだそうである。
 
知らなかった。この教会にそんな歴史があったとは。
 
 
 
 
鳥越神社。
もとは白鳥神社。主祭神は日本武尊(ヤマトタケ)。
 
 
予約してたペリカンのパンを買って帰る。
 
眠いのに眠れない、お腹空いているのに食欲がない。時々右目の奥から頭が重い。そしてなんかソワソワして不安定。
まずいよな、と思いながらとりあえず横になる。
 
寒くなってきた。
ぎょ、これは霊障か、まさかコロナではあるまい。急すぎる。
 
 
そこに、Sarahさんから連絡きて電話。
すっと楽に。やはり島巫女仲間。波動調整完璧だわ。
 
そこにはいなかったけど、サマリーさん とのシンクロなども話題にしたりして。。浦島といえば、私も月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その4  浦島太郎と月読命の秘密で書いたけど、なんかすごい重要案件みたいで、書いた内容が消えた。Sarahさんもよくあるらしい。そしていろいろ情報交換。
 
 
ようやく安心して眠れたところにWeb日記仲間からようやく仕事終了の電話。
 
なんか寒いというと、「暑いよ。なんか憑いてんじゃねーのか。」
 
ビール飲んで、唐揚げをばくばく食べたら、すぐさま体温復活。
 
 
「たんに酒切れてただけじゃないか」
「食ってなかったろう」
 
「確かに。朝から(ペリカンの)食パンしか食べてないや」
 
「そりゃ体温あがんねーよ」
 
ご心配をおかけしました。
 
 
 
 
深夜に、Sarahさんから、リンク入り のメッセージが入っていた。
みた途端に吐き気がするくらいの頭痛復活。読む前にすでにそれ。
 
なんなの。絶対これ、すごいメッセージだ。
 
 
Sarahさんは、このリンクが送られてきた時、電話で話している最中何度もなった「耳鳴り」がしたらしい。
電話で話していて、彼女が耳鳴りがすると言ったとき、「きっとそれ、妨害だよね」と話していた。
 
 
そして私は目の奥に気持ち悪くなるような頭痛がして、彼女は「それって外からの影響だよね!?」って言った。
 
 
お互いに、サインは違っても「これって何の妨害」ってわかってて、それを指摘しあって、無視して情報交換。
だから、リンクを見て、治ったはずの吐き気がするほどの頭痛がしたとき、なんか絶対ある!って思った。
 
 
チラ見えした文字に「逢坂」ってある。
 

夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも

よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ

 

これって昔みた時から、意味がわからなかった歌のひとつだ。
絶対に、これは何か、ある。
 
そこには、實國固遠都御祖大神(みくにのかためおんずおんそおおかみ)と書かれていた。
そして、キーワードは、「伊雑宮」と「八ヶ岳赤岳」。
 
 
赤岳?
 
 
って、伊勢平氏おじさんと拝んでいる山だ!
 
伊雑宮と、八ヶ岳が繋がってたとは。
 
 
しかも、小海町観光協会のHPに載っている記載には、
 
大成宮 〔万世太平弥栄神社〕
平成16年建立
祭神 実国固遠都御祖大神、いざなぎ、いざなみの命
 
 
とある。
 
場所を確認したら、
 
ちょうど小海町、松原湖界隈ってこの間、マウントシャスタはツインピークス 〜富士山と白山、そしてスピリチュアルな関係についての滞在の時に、いつも日中はコンビニで買ったご飯をひとりで食べているのだが、めずらしくおじさんが出かけなくて、連れて行ってもらったレストランのあった場所だ。
なんでこんな山の中に、集落が、っていう場所で、通り道に「諏訪神社」を見つけた。
 
何か、すごく気になったので「諏訪神社があった」って、なにわの審神者(さにわ)に報告したが、「諏訪神社はどこにでもある」ってスルーだった。
 
でも、その道は、すごく眺望が良くて、不思議な場所だったから、何かある!って思ってた。
道って、勝手にできない。
道は、人間の誰かが、何かの目的があって作るのだ。
 
 
 
小海町観光協会のHPをよくみてみると、
 
ここら辺には、
日本最古の石棒 小海町文化財指定 (北牧楽集館にて展示)
三寅剣 小海町文化財指定 (松原湖観光案内所 資料室にてレプリカ展示)
 
 
など、なんだかすごいものがあるらしく、しかも、
 
「三寅剣」に至っては
聖徳太子の剣として知られる国宝『四天王の七星剣』にも匹敵する国宝級の剣という 結果が出て一躍注目を集めています。
 
とあり、聖徳太子も登場。なんかすごいものみたい。
 
 
なんなんだ、こんな人里離れた、山深い場所は、実はすごい場所みたいだ。
 
 
 
そうだ、実国固遠都御祖大神って、「みくにのかため とおつ みおやのかみ」 って読めるよね。
 
とおつみおやのかみ 」ならわかる。遠つ御祖の神。
トホカミヱヒタメの八柱
国常立尊の御子とも言われているそれ。
 
 
これは、赤岳を拝しに行かねばなるまい。何がなんでも。
 

 
 
 
 
伊勢平氏おじさんは、次に起こること 〜神事は真剣勝負に書いたように、予想通り
 
「メッセージがきて、やらないといけないことができた。ひとりで。それじゃあ。」
 
から、連絡はなく、こちらが報告したいことはあって電話したがスルーしていた。
 
 
 
これはいつもの
「キミ(わたし)を通してなんかきたから、家族を守らないといけない」
 
ってやつでブロックしてるあれだな、と察知した。
 
 
しかし!
そんなことで怯むわたしではない。
 
 
扉が開かれていなければ、叩く。
そして、叩いても開かなければこじ開ける。
 
 
わたしの人生は、わたしが決める。
 
 
誰がなんと言おうが、わたしは自分がすると決めたことを、忖度などしないのだ。
もし嫌なら本気で断ればいいと思っている。
 
現実を創るのは、意思の力の強い方だ。
それが、「神事は真剣勝負」の意味である。
 
 
諏訪前宮の水を北池と亀石に。
亀石はこのところ全くパワーがない。しんとしている。
みんな吸い取りにくる、というか、自分のものを置いていくから。
 
 
 
「パワースポットにパワーをもらう」っていうの、わかるけどさ。
違うの。
「もらう」っていうのは、自分のスペースを開けるために、自分のものをおいてくる、ってことなんだけどな。
 
どんなときも、エネルギーって「交換」なんだよね。
もらうと、与える。
だから、己のエネルギーがどうあるか、でその場所が受ける影響が変わってくる。
 
逆に、「手かざし」してパワーチャージしている人もいるけど、それもまた「交換」だ。
その場から「受け取っている」。
それが何なのかは、その人によるだろう。
 
今パワースポットと言われている多くは、人の念が凝り固まってて、「思凝神」って呼んでる方もいるけど、その場の純粋なエネルギーとは違う。
 
「欲しい」っていう思いの元にあるものは、欠乏感だから、欠乏感を置いて行ってしまう。
 
「パワースポット」って呼ばれる場所が、本来の姿に戻って欲しい。
それは、みんなが押しかけてもてはやすことでも、エネルギーを送り込むことでもない。
 
禊が、人の本来の姿に戻す方法であるように、土地の浄化も禊と同じだ、とわたしは思う。
「掃除する」ただそれだけ。
 
ゴミを取り、水で清めてお掃除完了。
時々お掃除してあげないとな。今年は雨が多くて、森がすごく浄化されているように感じるけど。
 
今日は雨上がりだが、原っぱはそれほど濡れていない。
 
そんな日は、晴れるのだ。
 
 
晴れていても、葉っぱがぐっしょり濡れている時は、逆に雨が近いサインである。
 
 
 
 
それは前の記事(神の恩寵)に出てきた、俵藤太(藤原秀郷)の末裔だというおじさんから教わった。
亀戸天神にお詣りして(亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ)、藤原氏に対する嫌悪感がなくなったと同時に俵藤太の末裔のおじさんに声をかけられるという不思議。
そしてそこからわたしは東北に呼ばれる(夏越の大祓はくくりの旅へ 〜盛岡 三ツ石神社と 遠野(メモ的に))。
 
ご縁というのは摩訶不思議。
対面同席五百生、とはよく言ったものである。
 
 
話が逸れたが、伊勢平氏おじさんがいるはずの時間に電話をしても出なかった。
 
これは間違いなく、わたしの読みが当たっている。
面倒くさい。わたしが用があるのは、おじさんではなく山なのだが。
 
 

スタイリストのお友達とbillsの朝食。
わたしは制服みたいに年中同じ格好をしているが、周りはセンスのいいお友達ばかりだ。
そしてとても自己評価が高くていい仕事をしている。
 
彼女は、プロポーズされた時、
 
「わたしはわたしが行きたいところに行き、会いたい人に会いたいし、わたしがわたしにとってのいちばん大事だから、あなたは絶対に1番になることはない。それでもよければ結婚します」
 
と返事したそうである。
 
もう長く、夫婦円満にやっているけど、仕事も遊びも友人付き合いも、いつも全力の人である。
 
とにかくカッコいい。
わたしも含めて、年長者にも、年下の人たちにも頼られて人気がある。
 
 
「行きたいところに行き、やりたいことをやり、会いたい人に会う」
 
 
わたしもそうだけど、「わたしは一生自分が一番大事です」そこまできっぱり宣言したことはない。
まあ、どう自分を振り返っても、わたしも自分が一番大事で、好き勝手してきたのに、その自覚が足りなかった。
 
それって、周りに対する感謝も足りなかった、ってことだ。
彼女の強さと凄さはそこにあるんだな。そう思った。
 
 
 
 
彼女のお誕生日だったのに、わたしはぼんやりペリカンのパンしか用意してなくて、しかもご馳走になる。
しかも、お土産までもらう。
 
 
もう、ほんっとにごめんなさい!!
 
 
恥ずかしいほど、人の世話になってばかりだ。年上なのに。
菊理媛神おばあちゃまには、「あなたはさせてあげることで、周りに徳積みさせてあげる人なのだからいいのよ」って笑われたけど。
 
まあいいか、気はきかないもんな。
きっと頑張っても難しい。
 
 
夕方、伊勢平氏おじさんから電話が入る。
あ、きっと山に行ったな、予想通り。
だから、朝電話して、同乗させてもらおうと思ったのに。
 
 
そして、予想通りいつもの「わたしから(家族に)障りがきた」のクレームだった。

わたしの考えは「自分にそぐわないものは、自分にこない」である。
波動の法則とは、そういうものだ。
 
神が悪魔に惑わされるってことがないように、
また大人が子どもに振り回されることがないように、
霊障があるっていうのは、低級霊と同調してる=(自分が)低い波動って考えている。
 
どんなに言っても納得しない。
わたしに式神とばすとか、そんな力あるわけないじゃない。そんな力のある霊能者だと認めてもいないくせに。
そんなことしたくもない。
 
もう腹立たしいから電話を切ろうと思ったが、喧嘩すると簡単に山に行けないし、今回のタイミングを逃すと次に行けるのは、纏向の川口さん(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その2 大好きな場所と時代をかんじて)のところに行った後になる。
流れを止めるわけにはいかない。
わたしは今、八ヶ岳にいかねばならないのだ。
 
怒らないよう、怒らせないよう、丁寧に話を聞いて、彼が落ち着いたところで、こちらの用件を切り出す。
 
「山に行きたいんだけど」
 
「え?いつ?」
 
「今から」
 
「え?これるの」
 
「うん、6時のあずさに乗れば、8時半に駅に着くから」
 
と言っても、5時はとっくに過ぎている。
出発のタイムリミットまでの時間は10分。
 
 
1日分の着替えだけリュックに詰めていざ出発。
 
 
「タクシーを駅に頼んどいたから」
 
 
そんなことしてくれる人じゃないんだけどな。
少なくともわたしには。
 
神様が呼んでくださるときのサインは、すべての人が天使になることか。
どんな時も、そうだけど。
 
 
山手線の中で特急券の手配をして新宿駅へ。
ホームにすでに停車していた電車に乗ったのは発車3分前。
 
 
「乗れました」っておじさんに電話した。
 
「本当に間に合ったんだ」
 
 
え?間に合わないって思ってタクシー呼んだの?変な人。
 
 
山は、答えてくれるか。
このところずっと(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日にや、ヤマトと卑弥呼と沖縄と 〜伊江島の神様が宇宙人ヒロをとおして25年かけて伝えてきたこと)取り組んでいる、伊江島で託されてからずっと手をつけられずにいた、わたしの思いに。
 
 
 
 
 
 
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