次に起こること 〜神事は真剣勝負 | かんながら

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旅の記録です

 
伊勢平氏おじさんが言った流れから神父さんに会った(神の恩寵)。
だから電話をした。「行きましたよ」って。
だいたい電話すると嫌な目に合うから、放っておこうと思ったのだが、星の動きか、言いたいって思ったのである。
 
そしたら
「やっと今朝メッセージがきて、やらないといけないことができた。ひとりで。それじゃあ。」
 
それだけ言って電話を切られた。
本当に、それだけ(苦笑)。
 
まあ、これで次バッタリどこかで会うまで音沙汰ないってことだな。
わたしの商売道具の電話機を置いてもらっていて、冬にばったりあった時には、返すと言っていたはずなのに、捨てられていた。
山に持参したワインを回収できなかったことが悔やまれる。
わたしの感覚なら、置き場に困らない相手にとって大事なものを預かることを約束しておきながら勝手に捨てたりしないが、彼はそうする。
 
そしてこちらが用があっても、自分に用事がなければ彼は電話にすら出ない人である。
少なくとも、わたしに対しては。
 
 
伊勢平氏おじさんとは飲んでるとき以外、まったく噛み合わない。
 
昨年よりは実のある会話というか、過去の自慢話以外の話も聞けるようになったが、突然怒り出してなじられたりもあるし、予測不能な関係性である。
 
あえて関係性と書いたのは、単に相手の性格というわけではないのだろうと思うからである。
では自分の性格かというと、まあ、多少の心当たりはある。ある種の人たちからは何もしなくても嫌悪されたり、いじめにあったりする。
 
そして「わたしが気づいていない癒されてない何か」のせいで「なぜそうとるのか」と思うような反応をして困惑する、とか、
「キミは、自分のことばかりだ」とクレームされる。
クレームされるだけならよいが、突然キレられたり、なじられたり、突然関係性を絶たれたり、昔だったら立ち直れない対応をされている(と今書きながら思う)。
 
「それは投影では」というと当然、もう手のつけようがないくらいの勢いで怒られた。
 
わたしからすれば、いつも「そうとるか!?」と思う反応が返ってきて困惑しているし、過去の自慢話しか話題がない人という印象なので、言われるたびに「それはあなたご自身のことでは(もちろんわたしがそう思っているということは、わたし自身にもそういうところがあるのだと自覚している)」と心の中では思いながら、聞いている。
 
そして、母との関係にもこういう自分の変なクセ(カルマと言ってもいい)があるのは自覚している。
 
おじさんは、ちょっと前に付き合った人たちが「病気」だったと言っていたが、わたしだってこの人が彼氏だったら「病む」と思う。わたしに矛先が向いてしんどかった時に、この話が出て、「同じ結果を繰り返すというのは、相手の問題ではないのでは・・・」と言ったら、想定どおり火に油であった。
 
わたしはいろんなことが今までの人生でありすぎて、精神的にはとてもタフである。
自分が腹が立つことや傷つくことはかなり少ない。

それでもわたしを泣かせるぐらい強くわたしの人格を真正面から否定してくるおじさんである。普通の人ならひとたまりもないであろう。

 

 

 

 

 
双子座新月、熊野の旅に出る直前に半年ぶりくらいに、街でばったり再会して、やり直しのお山の旅を3度した。
3度目の山は、「もう無理」ってわたしが思うくらいのことがあったが、仲間の見えない援助で乗り切れた。
 
3度目の山の最終日、マウントシャスタはツインピークス 〜富士山と白山、そしてスピリチュアルな関係について に書いたみたいに、おじさんは富士山でおじさんに会い、富士山からバスに乗る夢を見た。
 
わたしはしろくまさんと、熊野出身のある人と会う夢を見て、「マウントシャスタはツインピークス」っていうメッセージを受け取ったのだった。
 
 
そういえば、おじさんはもう何十年も、ずっと若い頃から左の肩に凝る場所があるといっていて、わたしが触れると黒い穴が開いているみたいなところを持っていた。
「矢でも刺さってるみたいだよね」
というと
「抜いてほしい」って言っていた。
 
こういうのは、自分自身が今世やりたいことに気づくために持ってきた過去の痛みだから、取らないって決めている。
それに人にとってもらったところで、またすぐ戻るのである。
 
自分でとるしかないのだ。
 
でも、自分でとるコツを教えるために、触れて自分でとる方法を教えてあげた。
昨年も教えてあげたけど、関係が良くなくてちっとも受け取ってもらえなかった。
この方法は、セラピストに対する信頼がなければダメなのだ。
 
今年2度目の山で、初めてうまくできて、何度か手伝ってそれなりにできた。
本当にうまくいったのは1回だけだったけど。
 
3度目の山のときも、同じように手伝ったが、最初にできた時みたいに、うまくいかないので、「どうして(うまくできたときみたいに)できないんですか、委ねてくださいよ。」ってわたしは言った。
 
そういえば、その時おじさんは、
「ソニシテモラサズ」って言っていた。
 
「ソニシテモラサズ」ってなんなんだ?
わたしに大して心を開けないとか、信頼しないとか、そういうことなのかな。
 
背中に手を置いたまま「なんですか、それは」って聞いたら、おじさんは「ソニシテモラサズ」と繰り返し、終わった後でもう一度聞いた時も、ニヤッと笑って「ソニシテモラサズ」と言った。
 
 
帰ってから遠野や中尊寺、高野山と忙しかった。だから忘れてたけど今調べたら、
 
「天網恢恢(テンモウカイカイ)疎(ソ)にして漏(モ)らさず」って「悪事をすれば必ず天罰が下される」って意味らしい。
 
でもそれって、どういう意味??
 
 
 
3度目の山では、おじさんは、そういえば自分の自慢話でも、テレビの話題でもなく、自分のおじさんの話やお父さんの話をしたんだった。ぐるぐるおんなじところを回っていたところから、ようやく抜け出したんだな。
「メッセージがきた」っていうのはそういうことなんだろう。
 
だったら、「よかったね」だ。
 
わたしは、神事は真剣勝負だと思っている。
だから、わたしは仮に相手がわたしの理想と敵対する理想の持ち主であったとしてもそれが本気であるのなら、その思いが成就してほしいと願っている。
 
わたしは、わたしの思いを信用していない。
わたしが信用するのは、この世界のご創造主だけである。
 
この世に起こることは、全てご創造主の御心なのである。
 
 
御心のままに。
 
わたしも、わたしの理想を天に捧げる。


わたしは、人の世で、川口さんの畑(卑弥呼の時代の豊かな営み 〜川口由一さんの自然農園)みたいな天国を作りたいから。
 

わたしと川口さんとの出会いはこちら

 

 

自然農実践者の川口由一さんの本。宇宙とは、絶対世界とは、自分を治めるには、様々な知恵が豊かな言葉で書かれています。

スピリチュアル本としておすすめです。

 

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