ミシャグチ神と天神とそして蝉 〜諏訪から安曇野へ天神さんに連れられて | かんながら

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旅の記録です

 
 

とにかくこれを知らせないと!

 
と思って書いている。
 
締め切ってあるはずの部屋に朝の散歩から帰ったら蝉がいた。
 
 
しかも、人に頼んで出してもらうまで、鳴くこともなく、じっとしてて
 
窓をあけて、「飛べる?」と言われたら、静かに飛んで行った。
 
 
蝉は、七夕で、高野山でみた(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)。
筆と巻物を持った怖い顔の人の胸に止まってたやつだ。
 
 
これはなんかすごいメッセージのはず!!!
 
 
 
東京では今の時期がお盆である。
 
安曇野に預けてある1箱だけある、しろくまさんの遺品。
 
 
「どうしても、今きて欲しい」って言われた(ような気がした)。
だから、きた。
 
 
そういえば、亡くなる1年前のこの時期だ。
穂高神社のみなさんと一緒に、奥穂高にある嶺宮に登拝した。
だから、ちょうど2年前になる。
まさか、学生時代に無理、と諦めた山に、この歳なって登れるなんて思わなかった。
 
小説「氷壁」の舞台、穂高。
一応山に登るものには憧れの場所である。
 
 
そして不思議なご縁で、その穂高神社のある安曇野の知人が、収納スペースがないわたしの窮状を察して預かってくれていたのだ。
彼の作品のごくわずか。イルカ・くじら、そしてシロクマの写真。
でも、彼が亡くなる間際にわざわざ実家から持ってきたものだから、思い入れのあるもののはず。
わたしには何も話さなかったけれども。
 
 
そして、安曇野行きのバスの手配をしていたら、急に「真澄の鏡」ってキーワードがきて、調べたら、「諏訪大社 前宮」って書いてある。
 
ここも、亡くなる直前に出かけた2つのはとバスツアーの一つ(諏訪大社四社まいりと万治の石仏)。
もう一つは日記に書いてないけど、アクアラインを通っての、房総半島の旅だった。
ああ、なんだか。
 
 
場所を調べたら、茅野。
知らなかった。はとバスに連れられて行っただけだから。
そして、最近山で、伊勢平氏おじさんと話しているときにきていた「ミシャグチ神」の神長官守矢資料館 もなんとすぐそばだった。
 
茅野って最近も来たばかりだ。デリケートな時期のデリケートな話題があるので書いていないけど、その時は、杖突峠に行って、桜の名所だよってしろくまさんが教えてくれた高遠城址公園を通って、そして安曇野のやまとひめを訪ねた。
 
そして人生で初めて安曇野に来たときの案内人の長野県民の元カレに連絡した。
何か知ってたら聞きたい、って思ったのだ。
 
なぜかそのとき高遠って言ってないのに、「高遠にきてるの?」って返事が来たから、てっきり「内藤新宿」が高遠のお殿様によって作られたことを知っているからだと思ったら、知らなくて驚いた。
デパートといえば伊勢丹、って言ってたのは、内藤新宿で高遠繋がりなんだなって(最近の)わたしは勝手に思っていたから。
 
結局怪しまれて(まあ、突然音沙汰ない人から連絡がきたら、何か(わたしの話を)「聞きたい」んじゃなくて、(相手の方に)何か「いいたい」用がある、ってことだよね。一般的には)、それ以上の話題の発展はなかった。
 
 
 
神長官守矢資料館は、ずいぶん前に実は行ったことがある。
 
ある日、昔のお客様が、相談の予約をとって訪ねてこられて、
「最近(旅行で)守矢史料館に行ったのですが、(美志摩に)どうしても行っていただきたくて、それをいいに来ました」と言われたのだ。
 
普段は聞かないが、「どうしてですか?」って聞いた。
「わからないんです、とにかく、行ってください、と言わなければ、と思ってきました」と。
 
それで、くまさんと二人で行ったのである。
裏のお社(ミシャグチ神)が、気持ちのいい場所だった、ということと、古地図を解説してもらったことと、明治まで、この守矢家が、諏訪大社の祭祀を取り仕切っていたが、明治以降その役を解かれた、ということを聞いた。
 
そして、守屋山に登り、その頂上に祠があったことと、磐座があったことくらいしか覚えていない。
もちろん旧約聖書の話は知っていたから、似た話を聞いたような、とは思った。
 
すでにユダヤ色が強くて(断っておくが、わたしは清潔で、リーズナブルなユダヤ人の店はとても好きである)、できすぎ感があったのは否めないが、そういう空気感はとてもある場所であった。
 
 
奥の茂みがミサク神の社叢である。
 
 
栗の木、カヤの木、普通は大きくならないうちに切られる梶の木など。

 
 
カヤの木。もみの木だと思ってたら、後で知ることになる、カヤの木だった。
 
カヤの木は、知人のお父さんが御蔵島に幻のカヤの木を探しにいったことがあるという。
カヤの木は碁盤の材料。
なんか意味深。
囲碁のルーツには、いろんな要素が含まれているから。
 
 
 
奥には古墳があった。
 
 
 
 
前回来たときは、怖くて見られなかったし、写真はしろくまさんが撮っててよく見てなかったけど、よく見たら、
猪と鹿だった。
 
猪・鹿・蝶?
なんか、最近来てるテーマが、よくわからないけど、花札の図柄なんだもの。
 
紅葉と鹿とか。
 
 
耳の裂けた鹿の首。
 
 
串刺しのウサギ。
 
ウサギといえば月。
関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)で見た波うさぎを思い出す。
 
 
「こういうことが、あった」ってことなのか。
 
 
そして、展示品の中には、この辺で出土したという鉄鐸があった。
鉄か。鉄の民。
やっぱり物部って思うのは単純すぎるだろうか。
 
 
 
神長官の家の瓦にあるのは島津の紋とそっくりだ。
 
 
 
そして、諏訪大社上社前宮へ。
 
 
入り口の禊場。龍神さん。
 
 
 
 
 
 
内御玉殿。
なにわの審神者(さにわ)が、7月5日が「真澄の鏡」って言ってきて、「真澄の鏡」を調べたら、ここが出てきた。
それでここにきたのだ。
ここに祀られてるのが真澄の鏡、だと思っていたが、
 
 
 
看板よく見るとそうでもない?
 
 
「諏訪明神に神体なく、大祝を持って神体となす」といわれたように 諸神事にあたってこの内御玉殿の扉を開かせ 弥栄の鈴を持ち真澄の鏡をかけ 馬具をたづさえて現れる大祝は、まさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。
 
諏訪明神=大祝

って書いてある。
 
 
 
 
現人神なる大祝や神長官以下の神官が参籠し、蛇型の御体と称する大小のミシャグチ神とともに、穴巣始と言って冬籠りをした遺跡地である。とある。
土室の中での神秘な祭祀。
 
土室か。来るべき実りに備えて土の中に篭って待つってセミみたい。
 
 
 
写真撮り忘れちゃった。前宮本殿。
裏を拝んでる人に遭遇。
 
 
そういうことなんだよね。
 
 
お迎えの時間まで時間余っちゃって、どうしよう。
酒蔵が開いてたら真澄の蔵で試飲しようとか、塩尻のワイナリー巡りでもしようと思ったのに、コロナの影響でやってない(涙)。
 
で、松本にきた。
そして地図で見て、駅から近そうで、「深志」だからきた、深志神社。
 
なんだか昔の遊郭っぽい雰囲気の通りを歩いた先にあった。
 
 
 
なんかね、ここは、津島神社からの勧請のスサノオさんが祀られているんだって。
で、ちょうど祇園祭を終えたところなのであった。
疫病退散の願いを込めて、ということである。
 
 
 
ゴールドの菅原道真公。
 
「道真公は、男なのに、女みたいに視えてあれこれ言うから、煙たがられて太宰府に流された」って聞いたことあるんだけど、何を言ったのかはわからない。
 
なんか、「うるさい人」って嫌がられるみたいね。
クニトコタチさまも、正しいけど、うるさいから「人間と神様が共謀して」海に沈めたんだって。
 
 
穂高神社でもまたまたアマガエルが待っていた。
 
カエルってどういう意味なの?
無事カエル、とかそういうのじゃないでしょ、ここまで来たら。
 
国吉神社(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)、丹生都比売神社(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)、そして、ここ穂高神社、行く先々で同じカエルを見る不思議。
 
 
 
 
朝近くを歩いたら、昨日道が川のようになった、と聞いた場所のすぐ裏は、家が増えて、木がたくさん切られていた。
そして、不思議な配置で、お寺と神社があることに気づいた。
 
丹後の神人に、「あなたは安曇野に行くべきだ!!」と言わしめた松尾寺。
 
そして、穂高神社との絶妙な位置に、万願寺(聖天)がある。
しかも、地名が「牧」。
それって、今追っているテーマの「御牧」でしょう。
昔あった、御料牧場。
聖徳太子の駿馬も飼育されたという御牧。
 
花を愛でながら、歩いていたら、安曇野のやまとひめさんを思い出した。
すると、不思議なほど強い光が差し込んできた。
 
 
 
これ、何?磐座?
珍しい大きな緑の石がゴロンと転がっていた。
 
image
 
 
そして、帰ったらなんと、黒いものがテーブルから飛び立って、床に。
なんと蝉!
窓開いてないよ?
それに、わたしこの部屋にいたけどいなかったよ??
 
死んだのかと思っているくらい動かないで、じっとしていた。
わたしも怖いからさわれずにそっとしていた。
 
そして別の部屋の人がそっと手にのせて、外に逃してくれた。
「飛べる?」って聞くと、静かに飛び立って行ったのだった。
 
 
「きっと蝉に乗って(しろくまさんが)きたのね」って言われたけど。
 
泣いちゃうじゃない。
 
ほんのわずかな地上での命のために何年も土の中で暮らす蝉。
 
セミ?
 
 
なんなの、蝉。
高野山で怖い人の胸にはりついている蝉をみた。
 
そして、昨日。
前宮でみた、御室社。
土室のなかで行われたという巣穴始なる特殊神事。
 
 
現人神なる大祝や神長官以下の神官が参籠し、蛇型の御体と称する大小のミシャグチ神とともに、穴巣始と言って冬籠りをした 
 
 
 
蛇は、クンダリーニのエネルギー。
命の源。
渦のエネルギー。
つまりウズメ。
 
 
 …。
 
 
そういうことか。
 
 
なにわの審神者(さにわ)に蝉って何って、聞いたら、
 
蝉丸は道真って返してきた。
 
うるさいから、蝉。
ヒメハルゼミだって。
 
 
もしや、この子は、道真公か。
しかも、深志神社でゴールドの道真公に出会った昨日は、旧暦5月25日。
道真公の縁日であったのだ。
 
何が起こってるんだろう。
 
 
 
 
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