トウキョーの人は来ないで | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

都民として、一言発言しなければなるまい。
 
というか、言わせてもらう!!
 
 
トーキョーだけ、除外になるというGo to キャンペーン。
 
 
旅することが、生きる意味、のわたしだって
 
 
「今やるか?!」
 
 
と思う。
 
 
 
「東京の人は来ないで」
 
気持ちはわかる。
わたしだって、わたしの島には行ってない。
 
 
ほんとうの(移住者の多くはマインドは街の人だ)島の人たちは、島の中で生活を完結しようと思ったらできる。
そして、一般的な経済から自立できている。
 
 
だから、病院もないし、ショッピングモールもない。
 
 
 
 
でも、
 
コロナはいらないけど、お金は欲しい
 
って都合よすぎないか?
 
 
 
わたしにはそうみえる。
 
 
 
経済にがっつり依存しながら、
コロナはくるな。
 
 
 
 
コロナはわたしたちのゆきすぎた欲が生み出したのだ。
 
 
 
気持ち悪くなるくらいの量の捨てるほどの食料を、飢える人に与えることもなく、
 
海が汚れても、山が枯れても、気づくことなく、
 
山が崩れ、川が氾濫して、
 
自然の姿をみることも、己の心を省みることなく、ただひたすらに、己の欲望に沿うように自然を変えようとするから、
 
 
コロナは現れた。
人間が、自粛するように。
 
 
自粛しなければ、疫病でちょうどいいバランスまで人口が減る。
 
 
ただそれだけ。
 
 
何度もいうけど、地球はパンク寸前。
食料だってお金で買えてるのは今のうち。
 
 
わたしたちは今、コロナショックの最初に、トイレットペーパーが突如消えるというような、冷静に考えたらアホらしいけど、そうしたくなるような恐怖とアンバランスの中にいる。
 
 
だから、食料がなくなるって噂が流れたら、わたしのようにぼんやり生きてる人は買えなくなるだろう。
 
 
 
東京の人は来ないで!
って言うけど、
 
トーキョーの人は、お金を運んでくる人なのだ。
 
 
わたしが言っているのは、東京に住んでる人ってことじゃない。
皆が言ってる「東京の人」って、経済を回してる人のことだと思う。
どこに住んでいたとしても。
 
 
 
アメンバー限定記事に書いた(オトナの飲み会)けど、わたしは自粛期間中、経済を回している人の集まりに出たが、もう使い切れないであろうお金をもっている彼らは、まだお金を稼ごうとしていて、正直言って驚いた。
 
そして、わたしのやっかみもきっとあるのだろうが、正直に告白すると、冷ややかな気持ちで彼らのことをみていた。
 
 
でもふと、この人たちが「稼がなく」なったらどうなるんだろう、と考えた。
 
結局困るのは、わたしたち庶民ではないか?
 
 
 
アルバイトで生計を立てている人、
来月の支払いを来月の給料をあてにするしかなく、我慢して会社に行っている人、
 
結局私たちは、彼らの回す経済の中に生きている。
 
 
コロナより深刻な病 〜等彌神社の不思議土偶と北極、そして明治神宮 にも書いたけど、わたしはコロナのことが起きて、みんなは、
 
「お金はいらないから、もう働きません!!」
 
 
って言うと思っていた。
 
 
こんなに会社や社会にコミットして自分を犠牲にして働いてきたのに、「仕事なくなったからごめんね」って困るじゃないか。
 
 
自分がコミットしてきたほど、会社は自分にコミットしてくれていなかった
 
なんというアンバランスなんだろう。
そう思った。
 
 
 
けど、結局そうじゃなかった。
 
みんな、お金を必要としていたのだ。
 
 
 
だから、Go To キャンペーンができた。
 
観光産業って、お金を生み出す仕組みのないところにお金が入るために作った仕組みだもの。
つまり経済。
 
 
 
インターネットの社会の中のリアル 〜 経世済民・アフターコロナの世界のゆくえ に書いたけど、本来は、経済って「経世済民」って言って、「民を済(すく)う」ものだった。
 
 
なぜ、「だった」かというと、今は「済民」は目的じゃないように見えるから。
それを「福祉」として切り離したからだ、と、やんごとなきお方は言っていた。
 
 
わたしは、旅はするけど、本当は、ごめんね、みやげ物とか、高級温泉とか興味ない。
 
「支え合い」だと思って納得させているだけで、観光地の食事って高いし、普段からとにかく節約してほとんどお金は使わない生活のわたしからしたら、無駄なお金である。本当だったら、地元の人たちが食べているものを、地元の人たちが買っているものを、地元の価格で体験したいのだ。
 
 
 
 
東京には、お金を手にするチャンスがいっぱいある。
なぜなら、お金のことを考えている人が呆れるほどいっぱいいるから
 
 
でも、地方は違う。
 
都市部と違って、田舎は、お金がなくても、畑があったりして、贅沢しなければ食べていけるから、お金をもっと欲しがる人が少なかった。
 
 
 
でも、テレビで、インターネットで、「欲しい」って思うものがたくさん紹介されて、地方の人も欲しいものがたくさんできて、みんなお金が必要になった。
 
今、地方には、都会にはないような大きなショッピングモールがある。
 
 
わたしはその光景を見るたびに、アメリカでずいぶん前に見た光景を思い出す。
私たちは、マウントシャスタに行くとき、サンフランシスコの空港から、車でよくハイウェイをドライブしていた。
 
すると、ガレージ(車の修理工場)すらないような小さな街にも、大きなショッピングモールがあり、地元の人たちは、何百ドルという単位のお買い物をクレジットカードでしていた。
 
 
どうして会社も産業もなさそうなこの街の人たちにお金があるのか?わたしにはとても不思議だった。
 
そしていつだったか、詳しい人に、そういう街の経済は、軍隊によって成り立っているのだと聞いた。
生活の糧としての軍隊。
 
平和な世の中に、軍隊や軍需産業があるのには、そういう側面もあるのかと納得した。
 
 
わたしの街には、大きなショッピングモールってない。
それに、有名な飲食店に行くのは地元の人でもない。
昼間、街に来て、お買い物をしている人たちは、「よそから来た人」である。
 
 
それに、「クラスター」になっていると言われて恐れられている「夜の街」にきている人も、地元の人ではないであろう。
わたしは行かないからわからないけど、いわゆる「風俗店」を、顔見知りがいる地元でわざわざ選ばないだろうから。
 
つまり、「こっそり」東京にきている人が感染している可能性だってあるのである。
 
しかも、「(地域のコロナ感染者の)最初の一人になったら大変なことになる」と体調が悪くても病院に行ける雰囲気ではないというではないか。
 
 
 
何か、ズレてない?論点が。
 
 
コロナが怖いなら、自粛すれば良い。
 
謙虚になって行動を変えれば良い。
 
 
東京の人=東京に住んでいる人
という安直な考えが間違いだと言いたい。
 
 
東京とは、お金を生む場所なだけなのだ。
 
 
東京を拒絶したら、きっと経済を拒絶することになる。
経済は、神が作ったんじゃなくて、人が作っている。
 
だから、感情がある。
 
 
 
に書いたけど、アマビエは、不思議な予言を残していったのだ。
 
「この先豊作が続いて、疫病が流行る」と。
豊さと、疫病はなんかわからないけど、セットなのだ。
 
 
片っぽうだけ頂戴とかいう、わがままは通用しないのだ。
 
わたしはそう思う。
 
 
示された意思に対しての答えは遠くない将来に出るだろう。
 
 
 
 
 
 
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