今日はコロナのことは書くのをやめようと思ったが、やはり一言いいたい。
人はコロナで死ぬのではない、寿命で死ぬのだ。
自殺は例外という人がいるが、それもない。
うつ病で死ぬのでも、自殺(自死という言葉でフィルターがかかることをさけるためにあえてそう書く)で死ぬのでもなく、例外なく、寿命がきて死ぬ。
この世は生きている人のための世界だ。
生きている人間がそれぞれが生きるのに都合のいい考えを選択して生きている。
だから生きているものが自分が好きな考えを選んでよいのだ。
アイツのせいでと思うならそう思えばよいし、
寿命を縮めたのであの世で苦労すると信じるならそうしたらよい。
正解は誰にも絶対にわからないのだから。
ただ、私は「自殺者は成仏できない」的な、まったく根拠のない常識の押し付けのせいで傷ついている人の方が、その教えで救われている人より圧倒的に多いのを知っているので、あえて言う。
人はもれなく寿命で死ぬのだ、と。
残念ながら、死を持ってなにかを抗議をしてもそれが果たされるかどうかは生きている人の側の自覚によるものだ。
人間は今この非常事態にあぶり出されているようにわたしも含めて身勝手な生き物だから、自分のせいではないと思い、ほぼ無駄に終わる。
だから死にたいという人には、
生きて復讐したり抗議することを勧める。自分が納得するまで戦う方が効果があるだろうから。
そして、つらいなら、逃げ出すことを勧める。
ずるく(賢く)、生き延びる方法だってある。
実際この世は、かしこい人が勝ち組の世の中なのである。
こうしてコロナショックで全世界がピンチにみえるときでも、自分の前から消えたお金はどこかにいったのだ。
コロナ長者もいるはずだ。
ただ、お金持ちはそれを言わないだけだ。
「沈黙は金」というではないか。
わたしの周りの心あるお金持ちの人たちからそのように教えてもらった。
実はわたしは生まれた家でそのように教わって育った。
そういうのが、ずるく思えて嫌だった。
だから家を出て、今もプチ苦労している。
それでも貯金もないが借金もなく、安定した仕事もないので間違いなく日本では貧困層であるが、冷暖房完備のお湯の出るシャワーのある部屋に住めて、アフリカ放浪時代から比べれば天国である。
もうすぐ非常事態宣言は解除されるであろう。
経済を動かさないといけないからと。
たしかに経済に依存している人がこれだけいるのだから、解除することになるだろう。
でも、以前のブログ(コロナのおかげで目が覚めた)などでもいろいろ言いたいことを書いたが、
本当はコロナは、わたしたち貧しい者たちに与えられた恩寵だったのだ。
でも私たちの意識はこれだけの犠牲を出しながら変わったのであろうか。
たくさん問題は吹き出した。
経済的弱者に対して厳しい現実、
自分さえよければ、という買い占め、
自粛というルールのもとには、避難や通院さえ許されない思いやりのない社会、
でもそれって、経済の問題なのだろうか?それとも政治の問題なのだろうか?
わたしたちの意識が生み出した問題である。
わたしたちは今まで考えることもなく、社会のせいに、経済のせいにしてきたのだ。
それがコロナ自粛のおかげで、多くの人が働けなくなった。
それは裏を返すと「働かなくていい」初めての体験なのであった。
その人の置かれている立場で、
お給料をもらって休めた人もいれば、
変わらなかった人も、
仕事だけが増えてきつかった人も、
いきなり仕事をうしなった人も、
すごく得した人も、
いた。
わたしは、非常事態宣言が出たとき、
「お金はいらないから、もう働きません!!」
ってみんなが言うと思った。
だって、こんなに会社や社会にコミットして自分を犠牲にして働いてきたのに、
突然「明日から仕事なくなったからごめんね」って困るじゃないか。
「自分がコミットしていたほど、会社や社会は自分にコミットしてくれてなかった」って気づいたら、自分を犠牲にして働くのはアホらしいと思うと思ったのだ。
わたしがそうだから。
そして不安定でも自分の好きな仕事を選んだから。
しかし、予想に反して、豊かでない人たちもまた、緊急事態宣言が解除されて、前の生活が戻る方を希望した。
せっかくのチャンスだったのに。
働き方を見直すための。
お金持ちの人たちは、さらに豊かになった人もいるくらいで、コロナ自粛で大して困っていないのだ。
2016年に世界一貧しい大統領として有名になったムヒカ大統領がスピーチで
「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限に欲があって、いくらあっても満足しない人だ」
と言っている。
わたしたちの中に棲む、「もっと欲しい」が、地球を破滅させるのだ。
この、「もっと欲しい」すなわち、「お金が欲しい病」が収束しないことの方が、コロナが収束しないより、よほど深刻である。
この緊急事態宣言期間に、コロナよりよっぽど地球環境にとって深刻な影響のある「お金が欲しい病」が収束してほしいと願っている。
そして、自粛のせいで大変な思いをしている方々には本当に申し訳ないが、このコロナ自粛でかえってきた静かな日常にほっとしている。
わたしはバブルの前、ケータイもインターネットも、パソコンもなかった時代を知っている。
そして恵まれた環境にいたので、パソコンも、ケータイもインターネットもできた当時から使っている。
それらが登場したとき、きっとこれらが導入されることで画期的に仕事が楽になり、豊かになり、暇になると思っていた。
でも、30年ほどを振り返ってみて結果は逆である。
パソコンがなかった時代の方が労働時間は短かったし、
ケータイがない時代の方がコミュニケーションは豊かで、
インターネットがない時代の方が、情報は正確で、仕事は暇だった。
大好きな友人である、自然農の実践者の川口由一さん(卑弥呼の時代の豊かな営み 〜川口由一さんの自然農園)は、耕さない、農薬を使わない、虫や動物を敵にしない、自然農を実践してとても豊かな田畑を作っているが、
耕さない、農薬を使わない、というのは、必要以上のお金をかけない、ということでもある。
楽になるはずだから、農薬やトラクターを使っていたのに、なぜか働いても働いても豊かにならなかった、と言っていた。
わたしたちのこの世界は、わたしたちが「お金が欲しい」と思うからできたのだ。
欲しいと思うものを作り、消費する。
それによって、今の皆がお金を手にするという経済はできあがった。
必要なぶんだけ作って、必要なぶんを買うだけだったら、みながお金を手にすることはできなかったのだ。
だって、わたしの子どもの頃は、みんなお金がなかった。
そして、みんなで豊かな生活を目指して、白物家電を作って買い(高度経済成長)、
「一億総中流時代」とかいうみんながそこそこお金がある(と思える)時代がきて、
バブル経済がきて、それがはじけて、
今がある。
写真はソウルメイトだった亡くなった夫が、北極で暮らしていたときの写真である。
彼はカットゥというイヌイットの名前をもらって、イヌイットの人たちにも愛されていた。
写っているのは、日本人にみえるが、イヌイットの友人である。
たぶん日本人ととても近い存在なのであろう。
そして、ある日、移動する狩猟民族であるイヌイットにも「経済」の波がやってきた。
「お金」がやってきたのだ。
観光業で稼ぐ人たちは、スノーモービルを買い、ツアー客をガイドしてたくさんの富を得た。
狩にでて旅をし続けていた民族は、定住が義務付けられ、その波に乗れないものは、薬物やアルコールに依存して、精神を患い、自殺者もでるようになったそうである。
イースター島のことを一番詳しい日本人であろう、写真家の柳谷 杞一郎先生もそんなことを言っていたことがある。
アメリカのインディアンの村でも、アイヌの人たちも、世界中いろんなところで同じ問題が起きている。
さて、今日なにわの審神者(さにわ)と、五輪塔について話していて、そういえば、五輪塔って、
北極にイヌシュク(上の写真)に似てるんじゃないか、ちょうど写真を整理していて昨日みてたんだよ、という話になり、
彼の家の墓の五輪塔には「あばらかきゃ(地水火風空)」って書いてあるねんで、
それって、「あらはばき」に(語感が)似てるね、アラハバキといえば、遮光器土偶、
そして、そういえば桜井には、等彌(とみ)神社という不思議土偶がでた神社があるということを教えてもらったのである。
(ちなみに川口由一さんも桜井の人である)
この土偶は等彌(とーみ)神社のイメージキャラクター?のご神像である、ヤタガラスらしい。
ちょっとまって、これってさ、
この前のブログ(明治神宮今昔(いまむかし))に書いたけど明治神宮に今まさに展示中のこの不思議写真とそっくりにみえるんだけど。
神武天皇なのだとしたら、明治神宮に「あえて」展示したのかとも思ったりする。
「月・光・亀ん(げっこうかめん)ちゃう?みんな神さんやし」。
1958年のこの写真をみて、三輪山=出雲と反応したからである。
そして、亀はもちろん出雲である。
あくまでも妄想であるが。おもしろい偶然があるものだ。
そして、ずっと気になっている、新宿御苑の近くの多武峰(とうのみね)内藤神社。
多武峰は、桜井の地名である。
なにかが繋がっていくのかな。それはまだわからない。
(Photos by Hiro Ichikawa )