関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神 | かんながら

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旅の記録です

一夜明けて、朝から秋田唐松神社で聞いた 愛子(あやし)が気になってしょうがない。

 
このところずっと、「愛子という地名は(物部の)仲間」と宮司さんがいってたことを思い出す。
 
そして、屋久島の古いネット仲間が愛子岳の登山口に住んでたなってふと思う。
よく彼は演奏家で治療家(痛い足裏)で昔よく東京にきていたので、ウチによく泊まって行った。
60歳をとっくに過ぎた今でも、わたしももう使わない青春18切符で旅をする貧乏節約旅行者なのである。
 
するときた。電話。
ざっと4、5年ぶりか。
恐るべし、神様ネットワーク。
 
「なんかさ、お前の顔が浮かんだんだよ」
「そうそう、ちょうど電話しようと思ってた。よくわかったね。」
 
ちょうど、鈴鹿の猟師さんが「東方からきた伊勢平氏」と発言されており、そのことについての解説を聞いたばかり。
 
その内容はこうだ。
伊勢平氏は将門の乱を討った平貞盛の四男で平維衡が伊勢に土着した流れですね。個人的な考えですが伊勢の古代支配層は天日別命の後裔と言われる伊勢中臣氏の系統で平安時代でも荘園主や土豪として力を持っていたと思います。 将門の乱では貞盛は藤原秀郷と力を合わせましたが、この縁で伊勢中臣氏と強く結びつき、伊勢中臣氏の諸氏は伊勢藤原=伊藤氏と名を変えて平氏一門に加わっていきます。特に伊勢湾海運を握っていた大鹿氏の末裔達を掌握した事で、海に縁の無かった平氏が海上兵力を得た事と、瀬戸内の海賊を避けて四国沖から伊勢湾に入って安濃津から奈良・京都に荷を運んだ南宋貿易の旨味を知った事がその後の飛躍に繋がったと思います。
平氏は関東平野で育ちましたから海には縁がありません。伊勢平氏は上に書いた様に桓武平氏で平維衡が始まりと言われています。伊勢湾口は海人族の流れをくみ律令政治になっても伊勢側の住人が口分田を三河に持っていたとの記録があるそうです。鈴鹿は海人族が鈴鹿川を遡行して開いたと思っています。古い神社はサルタヒコを祭っていますね。
 
人物名は繋がってこないが、スッと入ってくるこの内容。
大鹿氏
 
愛子岳の麓に棲む屋久島の治療家も、武士の家の出で、生まれ育ちは関東である。
「生まれどこだっけ」
「浦和」
 
ピンポーン♫
 
まさに今お調べ中の、関東平野きた!!
 
 
で、さいたま市浦和区鎮座 調神社(つきじんじゃ)通称つきのみや
屋久島の治療家が「行くべきだ」と言ってきた。
 
伊勢平氏が関東平野にいた、という話からの浦和の引き寄せ。
ついでに伊勢平氏おじさんも浦和にいたというから、これは調査しておかねばなるまい。
 
不思議なことに伊勢平氏おじさんはこの間八ヶ岳で、「屋久島のヒーラーが」みたいなことを言っていた。
わたしも「屋久島のヒーラー」を知っているが、おそらく彼のことではないであろう。
どうも伊勢平氏おじさんは人を見る目がない(とわたしは思う)。
 
華々しい有名霊能者はたくさん知っているみたいだが、彼を見てて「効果なさそう」って思うからである。
「現実を動かす力があるシャーマン」とかいうけど、それって神様を使役するってこと?
そんなの神の力じゃなくて、人間の「念」だと思うけどな。
 
神様は、人間のために働かない。
 
人間が持つ執着や念を手放して自由になることで、神の意思にそぐうように動く。それが本当のシャーマンであり、ヒーラーだとわたしは思う。
わたしがシャーマンと思っている人たちは、神の意思とひとつになるとき、自分が宇宙の一部になることを知っている。
そしてその時癒しが起こるのだと知っている。
 
人の考えで、神の作った現実を動かそうとするから、この世はこのようになってしまったのである。
 
電車に乗ろうとした瞬間に伊勢平氏おじさんから電話がかかってきた。
そして「明日から山に行くけど、行く?」と聞いてきた。
「行きます」と答えて、いざ浦和。
 
 
 
 
さて、調神社。
普通さ、「調」って書いて、「つき」って読まないよ。
 
 
しかも境内にワンサカいる狛ウサギ。
 
これって「月」ですよね。
そうしたら思い当たる「つき」つく重要地名。
 
大阪府高槻市。
わたし的には何かと縁がある阿武山古墳。
そして、継体天皇 「三嶋」藍野陵と呼ばれる太田茶臼山古墳(茨木市)。
 
そもそも三島郡だったのだ。
大阪のあの辺は。
 
 
 
狛ウサギに迎えられて参拝。
大きなケヤキの木がかつてあった。
今も残っているけど、大きな木はもう切られていた。
残念でならない。
 
そうだ、ケヤキって、槻とも書くのだった。
 
 
天照大御神(あまてらす)、豊宇気(とようけ)姫命、素戔嗚尊(すさのお)の三柱を祭る。
 
なんか、これだけ月を主張しているというのに、月読命が存在していないことに余計にメッセージに感じるのはわたしだけか。
Wikiには「月待ち信仰」があったって書かれてるけど。
 
 
そう言えば、徳島県の穴吹川のそばでキャンプした時にも同じようにウサギのいる神社見たな。
白人神社。
そして、そこは奥宮が、ユダヤの神殿そっくりということで有名な、磐境神明神社であった。
 
それにしても、うさぎに溢れた境内に、祀られているのが
天照大御神、豊受大神、須佐之男命。
月読命の不在があまりにも不自然すぎる。

 
 
 
 
なんかちょっぴり大陸チックな子も。
 
 
 
境内には稲荷社があって、それが結構珍しいというか。
いわゆる狐さんじゃなくて、波にうさぎ、龍。
どういう意味なんだろう?
 
と思ったら、あった。
 

http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/usagi/usagi-4-2.html

 

なんと、竹生島。

謡曲「竹生島」で出てくる

「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 
月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や 」

 

湖面に映る月。波打つ水面には、うさぎが遊ぶ、という表現のようである。

 

竹生島といえば、日本三大弁財天。

ということは、宮島からの流れではないか。

 

海なし県にある弁財天。

 

そういえば、伊勢平氏おじさんから「見沼さま」という龍神さまの話を聞いたのは、真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】に書いたように、9月9日に始まったわたしのひとり神事の途中であった。電話で「そこから見える土地は見沼さまの土地だよ」と教わった。

 

そしてしっかりある、瓢箪池。
 
 
 
 
 
 
そして転がっている成田山でも見かけた「魚河岸マーク」。
海人族の仲間の匂い。
 
 
地図で場所をチェックした時、どうしても気になる場所があった。
 
それは、浦和競馬場。
 
別に馬券が買いたかったわけではない。
わたしはギャンブルにはまるでセンスがないのだ。
 
調神社は、旧中山道沿いにある。
街道沿いには、遊郭や処刑場である。
見せしめのために、人通りの多い場所においたのだそうだ。
 
だから、東海道には品川宿があった。
そして鈴ヶ森処刑場があり、大井競馬場がある。
 
浦和にどんな過去があったのか知らないが、なんとなく気になるので、現地を確かめるべく出かけることにしたのだ。
 
 
浦和競馬場の中には、小さな小川があった。
そして、そのすぐそばにおおきな木が目立つこんもりした場所があり、「太田窪」というところだった。
 
 
近づいてみたら古墳で、千葉神社とある。
千葉神社?どっかで聞いたことが。
 
もしかしたら亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマで運ばれた鳥越神社?
なんか千葉氏って書いてあったような気が。
 
 
 
何かが繋がってる。でも今はまだわからない。

 
帰り道、熊野神社を発見。
熊野帰りだものね。
でもなんか、浦和って龍神の土地なんだな。
 
結構お腹いっぱい。直会したい。
でもここで飲んだら帰りがきついので地元に戻ることに。
 
 
で、原宿に帰ったら、すごい人。
確かに普段の休日よりは少ないかも知れないんだけど。
 
 
原宿駅前にようやくオープンしたIKEAやユニクロが入った商業施設。
混雑に疲れて裏道で帰る。
 
 
部屋に戻ったのを見てたのかと思うタイミングで電話がなり、伊勢平氏おじさんが「飲みに行きますけど」と言ってくる。
まあ、今日の直会の相手にはちょうどいいのか。屋久島の治療家とオンライン飲み会って感じではないし。
 
内藤新宿の地下にあるビアホールでいつものビール。
 
それにしても。
伊勢平氏おじさんは、敵なのか味方なのか。
 
まあ、わたしにもわからない。
わたしは、わからないことは考えないことにしている。
 
わたしはわたしのルーツを知れればよいと思っている。
そして、自分の中に過去の探し物がもうすぐなくなって身軽になれるような気がしている。
何が起こるのだろう?
 
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