神の恩寵 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 
 
コゥ・パピィ(テラ)さんと水星逆行の力を借りて再会して、これはなんかきている!と思った。
そして振り返りのブログを書きながら、そういえば、彼との接点は、ダンナのしろくまさんとの出会いとも何気に被ってて、貯徳問答講っていう不思議な集まりは、紆余曲折あって(わたしはその頃にはいなかったのでよく知らない)解散したみたいだが、当時出会った人にはわたしにとって重要な人たちが結構いたなって思い出した。
 
「昔はよかった」的なことを書いていると年寄りくさくて嫌だけど、わたしの人間関係はかなりネットの世界でリアルなよい友人ができたことは間違いない。

 

流れが来ている!って時は、止めないことが大事なのだ。

昨日酔っぱらった伊勢平氏おじさんに「神父のところにいけ」と言われたのも、絶対何かある。テラさんに会うまでは晴佐久神父の入門講座に行こうかと思っていたし。

 

おじさんは「その神父はすごい人だから、キミの必要なことをちゃんとわかるはずだ」みたいなことを言っていた。

 

 

普段通り明治神宮。

 

なんでカトリックなのに神道なのかとか、神社に参拝していいのか、って言われるけどいいのだ。

 

やんごとなきお方から神道は、「道」であるって教わったし、洗礼を授けてくれた神父様は「普遍主義」をモットーにしている。

わたしの信仰の姿勢と矛盾していないから、わたしはそうする。

 

 

 

明治陛下のお膝元に暮らせていることを感謝している。

そしてそこに思いを寄せてこられた昔生きていた人、今生きている人、そして未来に生まれてくる人たちとこの森を通してつながっていると感じることに幸せを感じている。

 

 

 

 

昨日なにわの審神者(さにわ)から「楠木正成公の産湯の井戸の水を早く届けて」と催促が来た。

「雨が止んだら」といって高野山で預かってそのままにしていた。

いかなきゃな、と昨日思ったところ、今日は晴れた。

 

明治神宮から皇居へGo!

 

 

 

楠公さんに奉納。

 

 

 

皇居が江戸城って、昔Web日記を書いていた時は知らなかった。

時代劇 暴れん坊将軍を見て、「江戸城」ってどこ?って言ってたくらいだ。

それをネタに日記を書いたら、どこかの大学の先生に丁寧な解説メールをいただいたのであった。

 

このまま直行しないと朝ミサに間に合わないかもしれないくらいの時間なのに、ここにくると将門公にも挨拶しなければならないような気がしてくる。

 

そうそう、今朝森で、将門公を討ったと言われる俵藤太(藤原秀郷)の末裔だというおじさんに会って、お気に入りのお弁当の話などしたばかりである。

不思議なことに、亀戸天神に行って(亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ)、藤原氏に対するこだわりみたいなものが解けてすぐに、俵藤太の末裔だというおじさんに話しかけられたのである。

そしてちょうど前後して、ヤマトヲグナさんのブログのコメントで「多武峰内藤神社→藤原北家秀郷流」なるキーワードをいただいていたので、多武峰→藤原秀郷=俵藤太→奥州藤原氏ってつながったのである。

 

これ、このひとつでもかけていたら、まず俵藤太を知らなかったし、藤原秀郷も知らないし、将門公との関わりも奥州藤原氏からの東北巡礼もなかった。

 

俵藤太のおじさんは、なんと多武峰内藤神社を知らなかった。

なので教えて差し上げた。

小さな神社だが、存在感があるのだ。

わたしは、なぜそこを知ったかというと、四ツ谷の教会にいく道中、気になる森があったのだ。

絶対にあそこには何かがある、と思って見にいたら神社だった。

 

平家筋から見たら敵ともいえる俵藤太(藤原氏)と今はこうして仲よく社交できる世の中。
敵も味方もない。
もともと思っていることだが、先祖にこだわることっておかしい。
転生しているのだから、以前は敵で生まれていた可能性だってある。むしろ強い敵意を持つ相手などヒプノで過去に誘導しても、霊視しても、たいてい自分自身が敵として存在してたりするものである。
 
この世に敵の子孫として生を受けるということは、結局、過去の因縁を和をもってむつみなおすことなのだとしか思えない。
 
 
平家筋だから、滅ぼされた氏族だから、みたいなの、もういいんじゃないかな。
この国難どころか地球規模の非常事態に、過ぎ去った過去をわざわざ負のエネルギーのスパイラルを起こすために使わなくていいではないか。
 
今こそ過去の因縁を解消して、ポジティブな渦を起こして、無念の思いを持った生き霊ともども天にあげるのだ。
和を尊しとなす、聖徳太子がきっと持っていたミラクルな術の封印解除である(意味不明)。
 
 

 

 

 

 

皇居から将門塚に向かう道中にあるこれは何?コロボックル?

 

 
将門塚。今日も人が祓われてて貸切参拝。
横にいらっしゃるのは、筑波の霊獣ガマガエル。というのは、fumiring-ringさんからいただいた本で知った。
 
 
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そして朝ミサ。
確か、わたしと夫のしろくまさんが、最初に晴佐久神父に会ったのは、この教会だった。
神父さんとの出会いも不思議なご縁で、本当なら、カトリックではとても有名な人なのでファンとして彼を選んで会いにいくのが普通だと思う。
 
だけど、私たちは、彼を知らなかった。
たまたま「イケメンのカリスマ神父がいる」と言われて会いに(入門講座に)行った。
神父さんは、わたしのルーツの加計呂麻島が好きでよく行っている人で、私たちが最初に加計呂麻島に行った時に泊まった宿の敷地に、合宿所を持っていた。
 
 
 
 
私たちにとってのはじまりの特別な場所が、神父さんのもう一つの家だったという不思議。
 
そんなこんなで意気投合して、というとわかりやすいが、そうでもない。
 
一度だけ、神父さんと仲間たちの合宿にご一緒させてもらったことがある。
「ここ(合宿所)の管理人をやらない?」みたいなことを言われたこともある。
 
 
夫は「身勝手な人」と神父さんを妬ましいだけと分かっていても、好きになれないといい、わたしは沖縄のヒロさんから島の教育を受けていたのもあって、彼の連れてくる街の人たちや移住者の人の自然への関わり方に違和感があって、好きになれなかったからだ。
「島のことが好きなら、島の環境のことを考えてくれたらいいのにな」そう思っていた。
 
 
神父さんも「サーダカ」である。
人の顔を見るな、って聖書に書いてあるけど、彼は天然にそうである。
神様の顔しか見ていない人である。
 
だから仲よくなれなかったし、好きになりたいけど、好きになれなかった。
でも、心の深い部分では、いい人だと知っていて、自分にとって、とても重要な存在だということは知っている。
 
 
そして神父さんは、それでも受洗してからろくに教会に行かなかったのに、心のこもった葬儀をしてくれ、お骨を拾って火葬場を出るまで見送ってくれた。
 
そして今回。
葬儀後初めて出たミサ。よく考えてみれば教会に行くのも初めてだ。
正確には行ったことはある。亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマの時に、鳥越神社に行ったついでに行った。
あと1度、入門講座の日にちを間違えて先週行ったが、コロナの影響で教会の門は閉ざされていたから。
 
久しぶりに聖堂に座ったら、あたたかいものに包まれた。
 
 
神父さんは、いつも「神様が(あなたを)呼ぶのです」というけど、「今日、ここにわたしが来た」のではなくて、「神様が、ここにわたしを呼ばれたのだ」と思った。
 
「わたしは、ここにいます」
私たちは、洗礼式の時、神父さんから名前を呼ばれて、「はい、ここにいます」と答えた。
 
 
 
神父さんは、話しながら、そのエピソードが私たちの受洗の時のことだとは覚えていないだろう。
 
でも、神様が、これを伝えたくて今日わたしをここに呼ばれたみたいだ。
わたしは、ようやくその意味を知ったのだった。