都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 護国寺から靖国神社へ(その2) | かんながら

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都をつなぐ旅 〜オーサカからトーキョーへ 西の猛霊松尾の神は、東にもいた!(その1)

からの続き。

 

「次はどこ?」となにわの審神者(さにわ)が聞いてきた。

 

無責任だけど、わからない。

でも、ここまで(白山神社)まできたら因縁の護国寺に寄っておきたい。

護国寺はなんかすごく強いひきがあるけど、ひとりでいくのはなんだかな、って場所。

こないだも帰れなくなったし(続・答えあわせの東京さんぽ(会社員時代編) 〜思い出の地をもう一度 本郷・湯島・箭弓稲荷神社)、盾になる人と行っておきたい(それを勧めたのは他ならぬなにわの審神者(さにわ)である)。

 

 

「護国寺」。

 

 

いま改めて写真を見て気づいたけど朱塗り門だ。

高野山の大門と同じだ(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)。

そういえば、護国寺は、真言宗豊山派の寺である。

 

なにわの審神者(さにわ)について礼拝。
墓地をぐるっと回る。
彼はみえないらしいが、嗅覚がいいというか独自の感覚でいろんなものを見つけ出して調えていく。
理屈じゃない不思議な力を持っている。
 
墓地からの景色を見てハッとした。
見えるのは、サンシャイン。
伊勢平氏おじさんがトイレに入ったら気持ちが悪くなったと言ったそこ。
巣鴨プリズンのあった場所。
 
そういえば、思い当たる節がたくさんある池袋。
好きじゃないのに、行かざるを得なくなる場所でもあった。
 
そして、護国寺は、なんか妙にひきが強いと思ったら、「陸軍墓地」があるところだった。
この辺りにあった、音羽陸軍埋葬地では日清戦争以来の242余柱を、その殆どが軍装のまま地下3~5メートルの所に土葬していた(軍人墓地 参拝記録)という。
 
伊勢平氏おじさんとの繋がりは、どこかにこのキーワードがあるはずである。
とにかく今この関係者に呼ばれることが多すぎる。
 

 

 

「お腹すいた」と言われてランチ。

わたしは歩いているとお腹が空かないが、普通はすくのか。

なぜか焼肉。

なにわの審神者(さにわ)と食べるから牛なのか(大阪では肉といえば牛肉である)、牛頭天王だから牛なのか。

よくわからないが、なぜか牛。

 

 
きました、代々木八幡宮。
 
源頼家公暗殺の後、名も宗祐(そうゆう)と改めてこの代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしていたのが始まり、というのだから、寺だったんだろうと思われる。もともとは、福泉寺っていうお寺が始まりってことなのかな。
浄土宗から1645年に天台宗に改宗したそうだ。
 
▶︎「渋谷区史」による福泉寺の縁起
寶珠山智明院という。山王別当觀理院末。代々木八幡の別当寺であつた。起立は詳でない。「新編武蔵風土記稿」に、
「当寺、古は浄土宗なりしを、中興開山伝誉住職たりし時、正保元年、故有て今の宗門に改む。中興開基は、紀伊殿の妾にて、法名円住院と号す。山田右衛門政秀の女なりと云。元禄三年歿す。本尊薬師。寛文十二年円住院の寄附する所と云。」
と見えている。本尊は薬師如来。境内に鐘楼(梵鐘の銘は享保四年)観音堂焔魔堂があつた。明治元年、神仏分離の際、代々木八幡の別当を罷め、その後次第に衰えて、鐘楼以下は、取毀されたが、観音堂の十一面観音は、本堂に安置せられている。現在の境内千四百五坪、本堂は大正七年に改築して今次事変まで存した。
〇斎藤彌九郎の墓
彌九郎、名は善道篤信斎と号した。江戸時代末期の劔客。はじめ道場を飯田町に開き、尋で麹町三番町に移した。門に入るもの三千余人。就中木戸孝光、高杉晋作等が尤も有名である。夙に国事の為に奔走し、交遊に知名の士が多い。維新の後会計官権判事、造幣局権判事を歴任、明治四年十月二十四日歿す。年齢七十四。代々木の別邸内に葬る。後り小石川昌林院に移葬し、明治三十八年更に福泉寺に移した。なほ彌九郎と代々木との関係は名所旧蹟の条に記してある。
正面に篤信斎斎藤先生之墓とあり、右側に贈従四位、明治四十年五月廿七日、墓標と並んで明治四辛未年十月二十四日とある。
猫の足あとHPより)
 
 
残念ながら、今はお寺の方はひっそりしている。
斎藤彌九郎という剣術家の墓がある。加賀国の名族、斎藤氏(冨樫氏)に連なる人のよう。
剣術、はここでもキーワードだ。
 
 
昔はもっと違う空気だったんだけどな。
なんていうかもっと森が静かで凛としていた。
 
 
今は本殿に祀られる応神天皇、天照大神、白山大神(菊理媛神)より崇敬者が多そうな出世稲荷。
こんなに豊かな国なのに、何が不足なんだろう。
 
 
お社が奉納されて新しくなっていた。
 
 
それにしてもざわざわしてる。
御眷属さんたちがたくさんいそう。
伊勢平氏おじさんがいつもやる呪文を唱えたら猫がぎゃーって言って飛び上がった、って言っていたけど、人の思いが漂っているものね。
神聖な清らかさというよりは、動物的なそれ。
それはそうだよね、人も動物。だから人の思いって、動物のようなざわめきがある。
 
 
なにわの審神者(さにわ)が扇子をふると、風が上がって葉っぱが揺れる。
すると光が差してくる。
 
 
そして、明治神宮。
 
 
 
 
そして、この旅の最後は靖国神社。
 
 
わたしのもうひとりの祖父も、戦没者である。
繁華街の歩道橋の上で見かけた軍服姿の足のないおじさん。
シベリア抑留を経験して帰ってきた管理人さん。
自分を特攻のある人の生まれ変わりと信じて(わたしには黙って)いたしろくまさん。
 
わたしの記憶の中には、まだ「戦争の記憶」が間接的にだが微かにある。
 
うらみや憎しみからは、平和は生まれない。
でも、美化することも違う。
今ある平安に感謝して、「戦後」を終え、今を生きたい。
 
 
 
 
東京は穢土(えど)である。
人のエゴがぶつかり合うところ。
そのお地場を、先人たちが知恵と祈りで守ってきた。
たくさんの犠牲をはらいながら。
 
この街は、人が「やりたい」を体験できるように作ったワンダーランドだ。
 
 
都、ってそういうところだったんだなって思う。
大阪にも都があった。少なくとも、わたしは、根拠はないけど子どもの時からそう思っていた。
 
 
 
そして、直会。
 
 
直会は、なにわの審神者(さにわ)への労いを込めて、サマリーさんと合流。
そして、我々美女連にふさわしいオークラプレステージタワーのオーキッド。
 
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久しぶりに歩いた。
と言っても冬のカミーノ・デ・サンチアゴよりもコンビニがある分、精神的に楽勝ではあるのだが。