追記あり 安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その8) 〜 一関の造り酒屋 編 | かんながら

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旅の記録です

一夜明けて。
 
 
今回の2つ目の目的地を訪ねて歩く。
伊勢平氏おじさんが言ってた、「一関の造り酒屋」。
 
途中、カトリック教会があったので巡礼。
 
 
目的地は酒蔵・世嬉の一(せきのいち)。
麹室があったという。
 
 
明治には、熊文(熊谷文之助)という幅広く商いをしていた商人が経営していたが、16代にあたる熊文(熊谷太三郎)のとき、日露戦争の税制改正によって「儲からなくなった」ため、八十八銀行の抵当に入ったが、当時役員をしていた摺沢(すりさわ)村出身の佐藤徳蔵さんが買い取られて復興され、今に至る。
 
一ノ関にいらした方が書かれた記事(一関のおもいで)によると
 
熊文の遠祖は、熊谷次郎直実の弟と伝えられる。八郎左衛門直清の代に一関藩主田村公の移封とともに一関にやってきて郷士となり、やがて田村家の染物御用達、仙台藩主伊達家の御塩問屋をつとめた。藩政時代は地主町に店を構え、北上川の水運を利用して家業が隆昌し、味噌・醤油の醸造・販売と鉄製品の売買をした。
 
とある。
 
 
どれも、つながってはいる。
 
しかも、「熊清」という家も親族のようであるが、こちらは呉服屋だったそうである。
 

 
 
お話を伺った、先代の佐藤晄僖(こうき)会長は、「一関・文学の蔵」を立ち上げた方。
観光の場所がなかった一ノ関で、レストラン、造り酒屋、ブリュワリー(地ビール醸造)、カフェ、博物館などを経営。
 
 
 
熊文のお家については、なんだかいろいろ事情があるみたいで、「熊文物語に書いてあります」と佐藤会長がおっしゃったのはそういうことだったのかとわかった次第。
 
他に、南部杜氏の話や、千葉氏、そして室根山の熊野信仰について教えていただいた。
どうも室根山は一ノ関の信仰を知るのに重要なようである。
 
昨日気仙沼から向かう途中で「霊山 室根山」って書いてあって、印象には残っていたのだ。
 
 
 
 
ここで目に止まった神棚のお札。
 
気になったのは、松尾大社と磐井川水天宮。
松尾大社=亀
磐井川水天宮って?
 
それは、裏にあった。
 
 
 
 
水天宮って、天御中主(あめのみなかぬし)を祀るのかな。
だったら妙見だ。
そしたら、おじさんの反応する南無妙法蓮華経だし、安徳天皇だったら平家。
でも書かれてないし、わからない。
 
一関では、昭和22年、23年に台風による大きな洪水(https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cf/18,9395,132,169,html)があり、500人以上の方が命を落とした。
 
水天宮も、被害を受けた。
古い資料を見ていると、以前は欅の木があった。
欅の木。欅は、槻(ツキ)でもある。
 
そして、思い出すのは、浦和の調(つき)の宮(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)。
あそこにも、けやきの木があった。
大きな木は切られてしまっていたが。
 
 
この景色。なんかデジャヴ。
 
そういえば、この景色、大和川でも見た(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)。
川の民。
都へ船で新鮮な海産物を届けた人たちのことが重なってみえるような気がする。
 
川の道を持つ人たち。
彼らは、どこからきたのか。
 
 
追記

忘れてたけど大事だから書いておこう。
浦しま公園の大黒恵比寿。



一関にある浦しま公園に、大黒・恵比寿があった。


金華山にもあったそれ。
大黒が右、恵比寿が左。





 
 
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