卑弥呼時代の豊かな営み〜 その2 たまきの秘宝と穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社とおぢば | かんながら

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旅の記録です

 
夜中は雨だった。天気予報では朝も雨とのことだったが、朝には止む予定と思ってたらあめはあがっていた。
 
今朝もまずは卑弥呼の宮殿のあった場所にたつ。
そしてそこは、川口由一さんが、41年前に自然農をはじめた最初の田んぼの場所でもある。
 
しかも、なんとそれは2009年からの発掘調査でわかったのだそうだ。
2009年といえば、わたしがふたたび見えない世界の働きに呼ばれた年でもある。
 
川口さんが30年かけて豊かな自然の営みを完成したとき、1700年昔にそこにあった、卑弥呼の宮がふたたび姿をあらわした、わたしはそうかんじる。
 
 
昨日通りがかったとき気になっていた、崩れた鳥居。
正一位穴師大明神って書いてあるよ。
 
しかも、近所に社殿は見えない。どこなの、穴師大明神は。
 
 
 

 

手前には石の太鼓橋がかかる。あちらは神の国である。
川は彼岸と此岸を分ける場所。そして橋はそれをあらわしているんだよ、ときいた。
 
住吉さんも、弁財天さんも、太鼓橋がかかっている。
 

 

鳥居のところに穴師坐兵主神社とある。山に登っていくことにした。

 

 

 

途中古墳を発見!

結構大きい。

 

このあたりは、景行天皇陵、崇神天皇陵など大型古墳があるエリア。

でもこの古墳、なんか気になる。

 

ので上がってみる。

 

 

珠城(たまき)山古墳。
3つの古墳がある。
 
 

 

最近わたしが注目している横穴式石室がある。

 

 

 

 

 

稲荷として祀られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで発掘された遺物の写真をみて、なぜか「物部!」って思った。

つい最近、丹後の小長谷修聖先生から、海部氏の関係の軍事拠点の話を聞いて、そこからは、鉄製の武具が見つかっているって言われたんだけど、なんか「これがそうなのでは!?」とこの写真を見て思ったのであった。

 

これらの武具が見つかったのは、3号墳なんだけれど、3号墳はほとんど崩れて形がないらしい。

あとで聞いたのだが、しかもそこには家が建っているそうである。

 

そういえば、「たまき?」って玉置神社も「たまき」だ。

 

なんか、玉置神社には、すごいものが埋まってて、それがあそこの神力だって言ってた人がいたけど、もしかしてこれ?

 

 

ここは、纒向珠城宮。
まきむくたまきのみや。
 

たまき

玉置神社

と関係ありそうな気がしてならない。
 
そういえば、秋の旅で玉置神社にいっていた(玉置神社に)。
 
 
野見宿禰は出雲の人。垂仁天皇の命により呼び寄せられて、当麻蹴速と闘った、それが相撲のはじまりとされる。
当麻蹴速はきっとその土地の豪族だったんだろうな。
伊勢で聞いたサルタヒコ伝説もそうだもの。
 
先週たまたま通りがかった奈良の「出雲」には、野見宿禰を祀った神社があったのだった。
天皇と一緒に葬られていた家来?たちの殉死を埴輪にかえるように進言したのも野見宿禰なんだそうだ。
 
 
 
写真にでてた鉄製武具が出た3号墳のところには民家があるらしい。
 
 

 

 

このエリアには、ニギハヤヒのお姫様がお嫁さんにきたときいたけど、景行天皇の皇后は播磨稲日太郎姫(はりまのいなひをいらつめ)っていうんだそうだ。

このおひめさまも、播磨からきたんだろうな。

 

そして、ここは ホツマツタヱ ゆかりの地。

 

 

 

 

海人族の印の船形の手水鉢。

 

 

 

穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社。

とても古く美しい神社。

 

もともとはとても広い氏子地域をもっていた神社らしい。

崩れていた石の鳥居よりもっと先。

 

 

 

大兵主(だいひょうず神社)

大和国 穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社

 

<御祭神>

若御魂神社

兵主神社

大兵主神社

 

創建は、崇神天皇60年。

 

当社は3神殿にして、古典の伝えるところによると、今より2000年前の御創建にかかり

、、、とある。

 

古典って、ホツマツタヱ?

この地の古典というとホツマツタヱだと思うのだけど、ホツマツタヱに何が書かれているのか、今のわたしにはよくわからない。

でも、

 

 

元禄5年には正一位の宣旨を賜った、最高の社格をもつ大和一の古社である。

 

ここが大和で一番古い神社であることは間違いない。

 

 

 

この池をみたとき、なぜか、沓島、冠島を思い出したんだよね。

なんだか地図でみた形に池のなかの岩の形が似てたから。

 

丹後の伝説によると、昔艮の金神という、正しいけどうるさい神様がいて、人と神様が協力して、沓島、冠島の間の海の底に沈めたんだそうだ。

 

で、その沈めたはずの神様が、亀山の出口なおの御筆先におりた。

それが大本教のはじまりだと、このあいだの旅(月の光に誘われて 安曇野から京都へ)で小長谷修聖先生から聞いたばかりだ。

 

あの旅は、松尾大社から浦島神社に運ばれたのだが、この池は、下の集落で亀がみつかったら、この池に亀を戻してあげるという風習がある池らしい。

 

亀を戻す池。

 

月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その4  浦島太郎と月読命の秘密

で書いたけど、丹後の風土記では亀ってそういえば女神だったんだな。

 

しかもブログすごい熱量で書いたのに消えたやつだ(笑)。しかも書いた内容は忘れた。

 

 

この池に運ばれたのは、亀が大好きな元パートナーの縁なのだ。

元パートナーは川口由一さんに、この池に「亀が好きだから」という理由で、連れられてこられたらしい。

ここには、下の集落で見つかった亀が戻されるから、亀がいっぱいいたんだそうである。

そしてそこで、ある印を手渡されて、そしてそれから40年ほど経た今もそれを持っているそうである。

 

今は亀の姿はみえない。

どこにいったのかな。

亀は愛想をつかしたのか。

 

だったら大変じゃん!?

亀は「西の猛霊」って恐れられてる松尾大社の印だもの。
 

40年かぁ。川口さんが自然農を始めた時期と重なるんだね。

川口さんが自然農を始めて41年って言っていたよ。

 

これも予定調和。

 

 

 

相撲神社。

相撲はここではじまった。

 

相撲発祥の地、桜井。

3月30日は大相撲桜井場所。

 

 

朝の参拝から帰って、あつかましく、朝ごはんをいただいて、電車の時間まで、川口さんとおしゃべりして、ぎゅーっとハグして、彼がこの土地で生きて、みて、かんじてきたいろんなものをたくさんもらってバイバイして帰る。

 

 

 

そして大神神社に。

ここの宝物館みたいなところに、川口さんがみつけた珍しい石器があるというので、聞いて見たら、「今日はあいてません」って言われる。そして、ここの宝物のいくつかは、つい最近、次の展示のために東京の国立博物館に旅立っていったそうである。

 

「でもコロナのことがあるので、どうなりますやら」と神職さん。

「?」

「出雲と大和展の券、まだ持ってるんですけど」

「あれは閉会しましたよ」

「!!」

 

どうして東京での話題を桜井で聞くのであろうか。

教えてもらっただけありがたいとしよう。

 

前回きたとき(みしまの先祖をたどる旅)は叶わなかったが、今回は調って、耳の日前日、三輪山初登拝。

 

どうしても歩いていると玉置神社を思い出すんだよね。

同じ空気感。

 

やはり、玉置山とここは繋がっているのかな。

この地は、景行天皇の纒向珠城(まきむくたまき)宮。

 

そして景行天皇には、丹後からニギハヤヒのお姫様が嫁いできたという。

 

 

三輪山登拝のあと、山の辺の道を通って天理に向かう。

 

なのに!

さすが鬼門の天理。

 

山の辺の道で迷子になり、山道に迷い込む。

 

天理ってすごく清々しくて気持ちいいのに、なぜか勘がくるうのである。

おぢばのせいか?

いや、そうではなくて、なんかその上に乗っかっているというか、何か違うものがわたしの頭のどこかをおかしくするのである(謎)。

 

前回の旅でもあまりのまの悪さにタクシーの運転手さん大爆笑だったものな。

 

 

車が通り過ぎるだけの数キロを歩き、次は警察に電話しようと思ったとき、一台の車が止まってくれた。

 

「こんなところで、どこに行くんです?」

「天理に」

「こっちいったら、針ですよ」

「どこかに天理にいく分岐はありますか」

 

「ないですね。・・・どうするんですか?」

「え?歩くしか・・・ないです」

 

「・・・乗ります?」

 

「お願いします!!!」

 

はじめから、止まってくれる車がいたら、乗せてもらうしかないと思っていたのである。

もちろん、わたしだって山賊にあうとか、誘拐されるとか考えていないわけではない。

でも、ほんと、今までいい人にしか出会っていない、それは運がいいだけなのはわかっているつもりである。

 

「どこにいくんですか」

「はい、歩いて石上神宮まで」

 

「え、遠いですよ」

「そうですよね・・・」

 

「じゃあ明日出直すことにして、桜井に帰ろうかな(泊まる宿の予約もしてないが)」

 

「天理といえば、天理教の本部がすごいんですよ」

 

「!?」

 

「東大寺とか、そういうレベルじゃないんです、すごいところですよ」

 

「なんだったら車で送りましょうか」

 

 

 

 

そういわれて、天理教の本部に送ってもらう。

しかも、桜井に帰るなら、待っててくれるという。

 

 

じゃーーん

ついにきた「おぢば」!

三島神社があったという場所。元は三島の聖地なのである。

 

 

実はわたしもここまではきたことがある。

夫が生きていたときに1回

そして昨年鎮魂祭で石上にきたとき。

 

 

 

でも今回はご案内がついて、ついに中にはいる。

回廊を一周して、お参りさせていただく。

もちろんわたしは歌も踊りもできないが、信者さんのそれの中にそっと身をあずけながら。

 

 

そして三島の耳の日の前日の旅は、天理教本部で終えた。

 

車の主は、なんと大阪の有名な占い師さん(故人)のご子息らしかった。

「おぢば」がすごいというのがわかるのは、そういう人だからなんだな。

その方は占い師ではなく、会社の社長さんであったのだが。

 

 

明日(3月3日)はこれまた、前回の旅(鎮魂祭)では叶わなかった、石上神宮の朝拝に出る予定である。

前回は大嘗祭前日ということで、十種神宝祝詞は唱えない省略版ということでやめたのである。