鳥居のところに穴師坐兵主神社とある。山に登っていくことにした。
途中古墳を発見!
結構大きい。
このあたりは、景行天皇陵、崇神天皇陵など大型古墳があるエリア。
でもこの古墳、なんか気になる。
ので上がってみる。
最近わたしが注目している横穴式石室がある。
稲荷として祀られていた。
ここで発掘された遺物の写真をみて、なぜか「物部!」って思った。
つい最近、丹後の小長谷修聖先生から、海部氏の関係の軍事拠点の話を聞いて、そこからは、鉄製の武具が見つかっているって言われたんだけど、なんか「これがそうなのでは!?」とこの写真を見て思ったのであった。
これらの武具が見つかったのは、3号墳なんだけれど、3号墳はほとんど崩れて形がないらしい。
あとで聞いたのだが、しかもそこには家が建っているそうである。
そういえば、「たまき?」って玉置神社も「たまき」だ。
なんか、玉置神社には、すごいものが埋まってて、それがあそこの神力だって言ってた人がいたけど、もしかしてこれ?
たまき
玉置神社
このエリアには、ニギハヤヒのお姫様がお嫁さんにきたときいたけど、景行天皇の皇后は播磨稲日太郎姫(はりまのいなひをいらつめ)っていうんだそうだ。
このおひめさまも、播磨からきたんだろうな。
そして、ここは ホツマツタヱ ゆかりの地。
海人族の印の船形の手水鉢。
穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社。
とても古く美しい神社。
もともとはとても広い氏子地域をもっていた神社らしい。
崩れていた石の鳥居よりもっと先。
大兵主(だいひょうず神社)
大和国 穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社
<御祭神>
若御魂神社
兵主神社
大兵主神社
創建は、崇神天皇60年。
当社は3神殿にして、古典の伝えるところによると、今より2000年前の御創建にかかり
、、、とある。
古典って、ホツマツタヱ?
この地の古典というとホツマツタヱだと思うのだけど、ホツマツタヱに何が書かれているのか、今のわたしにはよくわからない。
でも、
元禄5年には正一位の宣旨を賜った、最高の社格をもつ大和一の古社である。
ここが大和で一番古い神社であることは間違いない。
この池をみたとき、なぜか、沓島、冠島を思い出したんだよね。
なんだか地図でみた形に池のなかの岩の形が似てたから。
丹後の伝説によると、昔艮の金神という、正しいけどうるさい神様がいて、人と神様が協力して、沓島、冠島の間の海の底に沈めたんだそうだ。
で、その沈めたはずの神様が、亀山の出口なおの御筆先におりた。
それが大本教のはじまりだと、このあいだの旅(月の光に誘われて 安曇野から京都へ)で小長谷修聖先生から聞いたばかりだ。
あの旅は、松尾大社から浦島神社に運ばれたのだが、この池は、下の集落で亀がみつかったら、この池に亀を戻してあげるという風習がある池らしい。
亀を戻す池。
月の光に誘われて 安曇野から京都へ 〜その4 浦島太郎と月読命の秘密
で書いたけど、丹後の風土記では亀ってそういえば女神だったんだな。
しかもブログすごい熱量で書いたのに消えたやつだ(笑)。しかも書いた内容は忘れた。
この池に運ばれたのは、亀が大好きな元パートナーの縁なのだ。
元パートナーは川口由一さんに、この池に「亀が好きだから」という理由で、連れられてこられたらしい。
ここには、下の集落で見つかった亀が戻されるから、亀がいっぱいいたんだそうである。
そしてそこで、ある印を手渡されて、そしてそれから40年ほど経た今もそれを持っているそうである。
今は亀の姿はみえない。
どこにいったのかな。
亀は愛想をつかしたのか。
だったら大変じゃん!?
亀は「西の猛霊」って恐れられてる松尾大社の印だもの。
40年かぁ。川口さんが自然農を始めた時期と重なるんだね。
川口さんが自然農を始めて41年って言っていたよ。
これも予定調和。
相撲神社。
相撲はここではじまった。
相撲発祥の地、桜井。
3月30日は大相撲桜井場所。
朝の参拝から帰って、あつかましく、朝ごはんをいただいて、電車の時間まで、川口さんとおしゃべりして、ぎゅーっとハグして、彼がこの土地で生きて、みて、かんじてきたいろんなものをたくさんもらってバイバイして帰る。
そして大神神社に。
ここの宝物館みたいなところに、川口さんがみつけた珍しい石器があるというので、聞いて見たら、「今日はあいてません」って言われる。そして、ここの宝物のいくつかは、つい最近、次の展示のために東京の国立博物館に旅立っていったそうである。
「でもコロナのことがあるので、どうなりますやら」と神職さん。
「?」
「出雲と大和展の券、まだ持ってるんですけど」
「あれは閉会しましたよ」
「!!」
どうして東京での話題を桜井で聞くのであろうか。
教えてもらっただけありがたいとしよう。
前回きたとき(みしまの先祖をたどる旅)は叶わなかったが、今回は調って、耳の日前日、三輪山初登拝。
どうしても歩いていると玉置神社を思い出すんだよね。
同じ空気感。
やはり、玉置山とここは繋がっているのかな。
この地は、景行天皇の纒向珠城(まきむくたまき)宮。
そして景行天皇には、丹後からニギハヤヒのお姫様が嫁いできたという。
三輪山登拝のあと、山の辺の道を通って天理に向かう。
なのに!
さすが鬼門の天理。
山の辺の道で迷子になり、山道に迷い込む。
天理ってすごく清々しくて気持ちいいのに、なぜか勘がくるうのである。
おぢばのせいか?
いや、そうではなくて、なんかその上に乗っかっているというか、何か違うものがわたしの頭のどこかをおかしくするのである(謎)。
前回の旅でもあまりのまの悪さにタクシーの運転手さん大爆笑だったものな。
車が通り過ぎるだけの数キロを歩き、次は警察に電話しようと思ったとき、一台の車が止まってくれた。
「こんなところで、どこに行くんです?」
「天理に」
「こっちいったら、針ですよ」
「どこかに天理にいく分岐はありますか」
「ないですね。・・・どうするんですか?」
「え?歩くしか・・・ないです」
「・・・乗ります?」
「お願いします!!!」
はじめから、止まってくれる車がいたら、乗せてもらうしかないと思っていたのである。
もちろん、わたしだって山賊にあうとか、誘拐されるとか考えていないわけではない。
でも、ほんと、今までいい人にしか出会っていない、それは運がいいだけなのはわかっているつもりである。
「どこにいくんですか」
「はい、歩いて石上神宮まで」
「え、遠いですよ」
「そうですよね・・・」
「じゃあ明日出直すことにして、桜井に帰ろうかな(泊まる宿の予約もしてないが)」
「天理といえば、天理教の本部がすごいんですよ」
「!?」
「東大寺とか、そういうレベルじゃないんです、すごいところですよ」
「なんだったら車で送りましょうか」
そういわれて、天理教の本部に送ってもらう。
しかも、桜井に帰るなら、待っててくれるという。
じゃーーん
ついにきた「おぢば」!
三島神社があったという場所。元は三島の聖地なのである。
実はわたしもここまではきたことがある。
夫が生きていたときに1回
そして昨年鎮魂祭で石上にきたとき。
でも今回はご案内がついて、ついに中にはいる。
回廊を一周して、お参りさせていただく。
もちろんわたしは歌も踊りもできないが、信者さんのそれの中にそっと身をあずけながら。
そして三島の耳の日の前日の旅は、天理教本部で終えた。
車の主は、なんと大阪の有名な占い師さん(故人)のご子息らしかった。
「おぢば」がすごいというのがわかるのは、そういう人だからなんだな。
その方は占い師ではなく、会社の社長さんであったのだが。
明日(3月3日)はこれまた、前回の旅(鎮魂祭)では叶わなかった、石上神宮の朝拝に出る予定である。
前回は大嘗祭前日ということで、十種神宝祝詞は唱えない省略版ということでやめたのである。