みしまの先祖をたどる旅 | かんながら

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旅の記録です


みしまの先祖をたどる旅を、初めてお会いする方にご一緒していただくことに。
いつかは、が今にならないまま、時が過ぎていたが、ある方が行くことになさった情報をちゃんとキャッチして、同行したいと申し出て実現。


自分の先祖ゆかりの土地ならご案内するのが普通なのであるが、その方は全て段取りされていて、ご案内いただくことになった。

待ち合わせ場所はごった返しており、目印も連絡しておらず、どうなるのかと思ったが、
挨拶は自分から、連絡は自分から、を推奨している美志摩は、自分から連絡。

いちおう靴であたりはついてたけど、声をかけていただき無事落ち合うことができた。

そうかなと思ってたけど、違ったら恥ずかしいのでとおっしゃる。

よかったですー

と笑顔で言ったものの、

え、もしかして私連絡しなかったら置き去りだったのかしらとは、怖くて聞けない。


バス停を降り、ご案内に従って歩く。
こっちでいいんですかね、ってことでお掃除中のご婦人に聞いてみる。

赤ちゃん?
いえ、そうでは。

妊婦と思われたかと思ってショックだったが、よく考えてみれば孫のいる歳なんだから喜ばねばね。

みぞくいは、あっちよね、
あら、違うんだ。



じゃ引き返しましょう、ということで、到着。



立派。
宮司さん不在らしいのに、氏子さんが守ってくれていて、手入れされている。



松の並ぶ参道を抜けて本殿。





その方が祝詞を奏上すると、風が吹いてきて、
なぜか涙が。

安心するというかほっとするというか、
力が抜けるというか。


ああ、わかってもらえた、そんな感じ。



境内には銀杏の木。
ぎんなん、たくさん落ちていたよ。



私はある神様のいらっしゃるところに銀杏の木がある、と信じている。
ここにもいらした。



そしてもうひとつの旅の目的である三輪山へ。

が、しかし!
今日は登拝不可とのことで。




お山はきらっきらしてるし、
この抜けるような青空、ちっとも拒まれてる感じはないんだけどね。

柿の木の下でひといきついて、葛城山をのぞむ。
この景色、やはり筑波山からの眺めににてる。

見沼様の土地だっていう人がいるけど、わたしは見沼様かはわからないけど、古代の大王は、こうして人の暮らしをみてたんだと思う。かまどの煙のたつ様子とか。




いい眺めだったなぁ。
そして早々に直会。
やはりこれがないとね。

スペインバルでたくさん飲み、興味深い話をたくさん聞かせていただく。
妖精のようなこの方、やはりすごい方である。

神がかっているのに、人間の感覚をちゃんともっていらっしゃる。
美志摩はサーダカそのもので振り切っており、ひとの気持ちがわからず地雷踏んだり、裏切られたり騙されたり。
ま、相手の方は騙したつもりはなくて、わたしにひとの心を察する能力が欠如しているだけなんだけど。

ま、なんというか、恥ずかしいって感覚とかきっと大事なんだな。

古代史も感情をなにも挟まずにご存知のことを話してくださり、なんとも心地よかった。


そして宿に帰ったら、2日前にわたしが泊まった部屋で挙動不審な若者を発見。

防犯対策のためにも、やはり挨拶は自分から。

どうしたんですか、と聞いたら、
部屋の電気をつけるのが怖いと。


わかるよ!だって私もそうだったもん。
そして宿のおばあちゃんを呼びに行ったのに、電気はつくからと、追い返されて、仕方なしに、出会わない用の術を発動して電気つけたんだから。

なんか気配がするのよね。
でも声かけて電気つけたらいなくなったから、大丈夫だと思うよー。

そして、電気をつけてあげた。

ひとりになりたくなさそうだったがとりあえずお部屋に入ってもらった。



そして夜。
二次会終えて部屋に帰ったと同時にその若者がぬーと部屋からでてくる。

びっくりするではないかっ!

部屋飲み用にコンビニで購入してきたワインを落としそうになったじゃないの。

半分のむ?と聞いたら飲むという。
怖いんだな、あの部屋にひとりでいるのが笑。

そしてワインのお返しに宿のおばあちゃんからもらったおはぎをくれた。


生き別れた子どもより少し若い彼もまた、お母さんが家を出て、お父さんと暮らしているといい、
偶然にしてはできすぎてるな、
明日伏見稲荷(稲荷といえば、安倍晴明の母)にいくしね、などと思ったり。


そして、案内人の妖精さんは、この話を伏見稲荷の山を登りながら話したら「うらみくずの葉※」って即返してきて、驚いた。

なんかおかしいでしょ、なんでも知りすぎですよ。私も白山から笠間の稲荷をお祀りするまで知らなかったというのに。


※恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉


そういえば、笠間の稲荷(うがふくさん)を白山の温泉から預かった道中に丹後の真名井原にゆき、小長谷修聖先生と初めてお会いしたんだった。ということは、うがふくさんが連れてきたご縁なのかも。


その時は分からなくても、後でわかることがあるんだな。