卑弥呼の時代の豊かな営み 〜その3 石上から山の辺の道、そして聖徳太子の通った道にあったもの | かんながら

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旅の記録です

 

桜井のホテルで朝食をとって、電車に乗って天理へ。

本当は歩きたかったのだが、また迷ってはいけないので電車に。

そして無理せずタクシー利用。

 

 

 

石上神宮着。

お迎えきました。

 

 

 

 

快晴。

 

朝拝を待つ間、授与所で面白い本を発見。

今日行く場所の地名もあったので、開けて見た。

 

 

 

 

三宅町小柳(おやなぎ)というところは三十八柱神社という来歴のはっきりした(しかも伊雑宮!)から移された社殿をもつ神社があるらしい。それはこの目で確かめておかねばなるまい。

 

 

 

このお社が好き。お詣りすると木々がさらさらと音をたてて心地よい風と光で迎えてくれた。

 

 
山の辺の道へ。昨日迷ったから今日は逆からリベンジである。
 
感じのいいところだなー。と思って歩いてしばらくしてハイカーのグループにすれ違ったので、
「桜井方面はこっちですか?」と聞いたら
 
「違うよ」と。
 
「・・・。」
 
ではもういっそ
「三宅町は」
 
「違うね」
 
まだ人のいるところで気付けたのが不幸中の幸いと思うことにしよう。
とにかく天理ではよく迷うわたしである。
 
石上神宮まで戻って桜井方面に向かって歩き出す。
 

 

 

 

明治時代に、何かが大きくかわったようである。

 

畑で作業していた人が「どこにいくの?」と声をかけてくれた。

「纒向まで」

 

出会う人が丁寧に教えてくれる。ようやくいつもの旅のペースに。

 

こうやってスペインの巡礼路 カミーノ・デ・サンチアゴも、ふたりで歩いたな。

ちょうど10年前。その門をくぐった者は、今までの罪がゆるされるという、赦しの門が開かれるアーニョサント(聖なる年)だった。

 

ほっとして歩きはじめると、菜の花畑。

 

 

泣いちゃうじゃないの。

 

亡くなった夫は、菜の花が大好きで、菜の花をみつけたらいつも写真を撮っていた。

食べるのも好きだった。

ふたりで房総半島にはとバスでいったときも、菜の花咲いてたな。

あれからちょうど1年。それからほんの2か月で永遠のお別れがくるなんて思わなかった。

 

人生はいつ終わるかわからない。だから、できるうちにやりたいことをしたい。

そう思って今までも生きてきたし、今もそう。

でもそんなわたしは、まだ生かされてて、「やりたいことができてない」が口癖だった夫は死んでしまった。

 

なんという理不尽。

 

人間の目でみたら、なんだけれども。

 

 

 

 

山の辺の道には古墳が点在している。

 

 

 

大和(おおやまと)神社の御旅所。

大和神社は、戦艦大和ゆかりの神社。

 

きっと呉の亀山神社は、ここにつながってたのか。

呉には大和ミュージアムがあるのである。

 

 

 

 

途中「乗鞍」古墳というキーワードもあったり、この先の展開が楽しみである。

 

いよいよ荷物がきつくなってきたところにおしゃれなレストランを発見!

おーここは川口さんがおすすめしてくれたKURINOKIではないか。

 

 

 

 

一期一会だからと昼からコースを食べるわたし。

これにデザートとパンとルバーブジャムがついていた。

美味しかった!おなかいっぱい。

 

 

 

崇神天皇陵(行燈山古墳)

 

 

 

 

渋谷向山古墳(景行天皇陵)は、地元では本当は、崇神天皇陵といわれているみたいだ。

 

 

 

わたしは、三角縁神獣鏡が好き。ここから出てるんだ。

 

はじめてみたときから、あの鏡が好きなのだ。

他の鏡にはなぜか興味がない。

 

 

 

ちょっと小高い丘に登ってみる。

 

 

 

地元では崇神天皇陵と呼ばれるお堀から穴師坐兵主(ひょうず)神社の氏子さんたちの畑へと水が流れている。

そして、三宅町へ。

こちらは失礼を詫びに。

 

三宅町にいくとき、どの駅に降りるか迷ったが、箸中(箸墓古墳のある纒向エリア)から行くのだから、「箸尾」やろということで、箸尾駅を選択。

 

隣駅は「但馬」!!。

近くには「石見」なども。

 

 

 

すると、いた!

 

 

 

かぐや姫。

 

でもなんで?

竹野神社?

 

 

三宅町小柳(おやなぎ)はこんなところだった。

 

 

 

三十八柱(みそやはしら)神社。

 

御祭神はみずはのめのみこと。

丹生川上神社の神様である。日本最古の水の神様。

 

 

 
本殿は、明治45年に伊雑宮所管の佐美長神社から下付されたもの。
朝に石上神宮においてあった本にあった、「伊勢の神宮由来の来歴のはっきりしたもの」というのは、これなんだな。
 
佐美長神社は、「「穂落としさん」と呼び、稲の豊穣や病害虫駆除を祈願する者が多い」ってwikiにあるけど、なんか誰かのブログで、コロナ騒動に関して、こういう記述みたような。
 
 

 

 
本殿。

 

 

拝殿にかけてあったガイドブック。

 

狛犬さんはかわいい顔してる。

 

 

 

徒歩にて屏風の白山神社へ
 
ここの白山神社は御祭神が伊邪那美命というので確かめにきた。
いちおう白山神社といえば白山菊理媛神と思うが、なぜか最近「イザナミ様では」という思いがかすめていたところに、この情報をキャッチしたのだ。
 
結局そのことに記述はなかったのだが、三十八柱神社でみたリーフレットにはそのように書いてあった。
 

 

 

 

 

ここには、聖徳太子が通勤で通ったとき、休んだ「腰掛石」がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲大社は昔、杵築大社だった。

そして、ここ杵築神社の祭神が須佐男命ということは…そうなんだよね。

 

 

 

 

 

 

白山神社と杵築神社の説明。

 

 

 

ここ三宅町は面塚のある、能発祥の地。

 

能役者は昔、「河原乞食」って言われたんだって。

職業で卑しい身分とか、そういう考えはインドと日本はとても似ている。

でもそういう人がいるから、偉い人が嫌な仕事しなくて済んでるのにな。

 

社長さんは、社員がいてこそ、

貴族はそれを支える民がいてこそ。

 

そして、会社員は社長がいてこそ。

それぞれ感謝が大事。

 

それを忘れてしまったら、ダメなんだと思う。

 

天皇陛下が、国民を大御宝として大切にしてくださる、というのはそういうことなんだよ。きっと。