菊理媛神さまうごく | かんながら

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旅の記録です

Facebookで、白山のサルタヒコhttps://www.facebook.com/sakai.youiti)と久しぶりに交流した。

というか、10月は人間と交流することを自分に課しすぎて(満月と酒と、アワとスワ)ほとんど誰とも交流していなかった(じゃあ、交流してなかったのは誰なんだ?)。

多くは記録することもできていないで、アカシックにそのまま格納されている。

 

 

久高島で出会ったころ、無名だった(はずの)白山のサルタヒコは(そのときご一緒した当時こちらもガイドになる前の我那覇れなちゃんもその後「おつなぎ役」という映画で有名に)、今はドクタードルフィン 松久正著「菊理姫(ククリヒメ) 神降臨なり」にも登場したほどの、実力派スピリチュアルガイドである。

 

 

 

 

彼には、何度か白山周辺を案内してもらったが、大学時代から考古学専攻と思っていたほど(実際には経営と聞いて驚いた)古代史にも地学にも詳しく(地学に関してはジオガイドの資格を取った)、どんな質問にも幅広い知識から的確に答えが返ってくる秀逸なガイドである。

 

 

ただ、詳しすぎて話が長いので、短時間で名所だけを効率よく観光したい人にはまったくマッチングしない。

そういう方にはお勧めしない。

 

彼と、山を歩いたり、神様の足跡を訪ねたりしたら、絶対に楽しい。

 

 

当時彼は別業で忙しかったので、話だけ聞いて自分たちだけで歩いたりもたくさんしたが(そして行った後に解説してもらったこともある)、わたしの白山とのご縁は彼のガイドによってつながっていることは間違いない。

そんなことで、名実ともに白山のサルタヒコと呼んでいる。

 

 

彼は、現実的な白山のガイドのサルタヒコだが、目にみえない世界のこともわたしのサルタヒコになる。

 

 

 

鶫真衣さんの 「栄冠は君に輝く」がテレビで流れてたってサルタヒコの記事にコメントしたら、

 

 

 

 

こんばんわ~^-^疑う事を知らないというか・・・。一生懸命、お勤めを果たしているのが・・・、栄冠は君にも輝くと思いました♥汚れちまった哀しみも良いんだけどね。中原中也も、金沢にいたんだよ。

 

 

って返信してきた。

 

 

 

?!

 

 

 

汚れちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

 

 

 

久しぶりの菊理媛神さまミーティングのあと、おじさんが涙しながらつぶやいてた中原中也の詩だ。

 

 

わたし、そのこと書いたっけ?!

なんで知ってるの、サルタヒコ?!

 

 

自分のブログを検索してみるも、

汚れちまったかなしみどころか、中原中也すら書いてない。

 

 

 

伊勢平氏おじさんはあの日、そのセンテンスをふと思い出し、今まで好きになったのはその女ひとりだとわたしに語った。

(ちなみに満月と酒と、アワとスワでヨギの治療師と3人で飲むことになってしまった日もこの女性の話をしていたし、今年何度もした話題である)

 

 

「汚れちまった悲しみってなんですか」って聞くわたしを無視して、中原中也の世界のまま、半世紀以上も前の10代の恋していたときの自分にワープして、そして泣いていた。

 

 

詩人になりたかったが、詩人ではなく小説家を目指したといっていた。

 

 

理由は小説の方が売れるから。

経済力にこだわっていたのも過去の痛みから来てるのであろう。

 

 

わたしもそうだった。

子どもと別れたときに、「経済力がないあなたが育てるより、裕福なおうちで育つ方が子どものため」って言われたから、未婚で子どもを産んで、パートナーを主夫にして、ひたすら働いた。

 

 

でも。

 

 

2度同じ目にあってわかった。

 

出会いや別れは、縁とか運命、みたいなものが重なり合って決まり、「経済力」とか、「身分」みたいなもので、決まってはいないんだって。

 
 
 
人のことはどうでもいいけど、一言言おう(もちろん過去の自分に一番言っている)。
おじさんの失恋は、「経済力」のせいでも「若かったから」でもなかったんだよ。
結婚は、「好きな人とする」っていうような単純なものばかりじゃないんだもの。
 
 
でも人は、自分の中にある問題のせいだって思いたくない。
先祖につながる何か(血と言ってもいい)、自分が歩んできたありよう(先祖から引き継いでいる行動パターンの形代)、そう言ったものを受け入れ、変えていくより、「経済力」とか「身分」みたいに「目に見えるもの」のせいにした方が、ずっと受け入れやすい。そして、努力もしなくていい。
 
 
 
わたしもたった4分の1だけど、伊勢平氏の血をもらって生まれて、なんだか壮大な謎解きの旅をしている。
もちろんそれはわたしがこの時代に、今の世の雛形に重ね合わせてそれを調えるってことをしたかったからだとも思う。
 
 
ヨギの治療師は、神事(わたしの場合は、この旅のことをいう)なんてしなくていいんじゃないというが、わたしは変えたいのだ。
まだ理想にたどり着いていない、わたしの存在する、このわたしの世界を。
 
 
 
わたしは、何度も離婚してからようやくそれに気がついた。
みんなそれぞれに、それを調えるためのヒントをたくさん持っていた。
家ってすごいなって、正直に思った。結婚によって無意識に受けていた影響の大きさに驚いた。
 
結婚するのに家柄がどうとかあれこれ言われて嫌だったけど、(現代の意識にそぐわなくても)それはそれなりに意味というか理由のあることなのだとも思った。
 
 
毎日先祖に祈り、いろんな行をしている伊勢平氏おじさんも、こういうのきっと好きなのだ。
 
世の中を変えたい、っていつもいうもの。
だから仕事を通してチャレンジしてきたと。
 
だから、50年以上経った今も、忘れないで痛みを持ち続けているのだ。
 
 
 
でもね、変えるのは外側の世界じゃない。
自分の内なる世界なんだよ、この濃ゆい、先祖から脈々と引き継いできた血の中にあるパターン。
 
 
おじさんいつも、中途半端に逃げ出すもん。
伊勢平氏おじさんの先祖の、とある維盛の子孫は塩焼きをしながら、勝ち組のまま、ある日忽然と姿を消した。
長たるゆえに知りえた情報で、親族は、豊かだった。
 
 
 
大阪都構想であらわれた、「既得権を維持したい」もたぶんそう。
その血はわたしの中にも残念ながら流れている。
 
 
 
わたしの前にこの時期に現れた二人の「平維盛(これもり)」の子孫を名乗る人物。
 
 
「維盛の子孫だから、あなたとは他人じゃない」
 
 
2人から言われるって、なんなの、これは。しかも同時期に。
 
 
何を言いたいの、維盛は。
 
 
 
 
 
 
 
戻って、白山のサルタヒコ。

 

「わたし、汚れちまった悲しみに、の話書いてたっけ?」

 

 
「・・・・いや、書いてない」
「でも確かにそのとき、あなたのことが浮かんだんだよ」
 
 
「鶫さんの歌は、曇りがない。だけど、(中原)中也は、現実を見るのに、曇らせるしかなかったんだよね」
 
「・・・。」
おじさんも、曇らせたのか。
 
 
 
わたしにはわかる、地球の人たちの波動は荒い。
澄んだ鏡を、人は畏れるから。
そして、人を通してみる、自分の「たま」の曇りも、見たくないのだ。
 
 
 
 
澄んだ鏡?真澄の鏡?!(終戦記念日〜真澄の鏡の75
 
 
 
熊野と諏訪が繋がっていたら、その先は安曇野なのか?
そして、熊野といえば牛頭天王、祇園。祇園祭が異文化の香りのする祭りであることはよく知られている。
 
 
菊理媛神さまは、再び何かを伝えようとしている。
 
 
 
 
〜汚れちまった悲しみに〜
 

 

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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