なにわの審神者(さにわ)が東京に来て、わたしが関西に行って、意識の交流が(人とも、お地場とも)あって、また何かが変わりつつある。例えば、これ(シンクロの重なる場所には、やはり 〜練馬・江古田)みたいに。
今、千葉・房総いすみ、沖縄も繋がりつつある(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)
忘れないうちに、記録だけはしておこう。
飛鳥では、いろいろあった。
わたしは人の隠れている一面を現してしまう性質を持っていることに気づいていたが、前回もあったし(飛鳥の里にいた神は 〜川口由一さんの乾坤塾(その2))今回もやっぱりあった。
「善悪、美醜を区別する存在は、どこに存在する、誰なのか」
そんな疑問が言葉になり、大好きな纒向の仙人を怒らせてしまって、「あなたは身体も心も曇ってるから救われない!!」って言わせてしまった。
「どんな病気も漢方で適切に対応すれば救われる」と纏向の仙人は、言っていたのに、なぜそんなことをいうのか。
しかもこれだけの人たちの前で。
なにものかが「働いている」と思ったが、何故かこちらも止まらない。
口火を切るとはこのことだ。
「どんな病気も適切に対応すれば救われるのではないですか」
メンツを潰したいわけじゃない。
腹が立ったり傷ついたわけでもない。
なんでなんだろう。
わたしは、何がしたいんだろう。
自分が発した言の葉のみあれの居心地の悪さに押しつぶされそうになりながら、過ごした。
纏向の仙人は、その後の講義は全てわたしが自立できるように、他の人の症例からたくさんのヒントを盛り込んで贈ってくれた。
これ以上の講義はない、というくらいに。
わたしはこの短い時間にたくさんの治療のための知識やヒントを得た。
さて東京のポストに届いていたのは、なにわの審神者(さにわ)からの楠木正成(正行)の資料(都をつなぐ旅 2(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))と、なんと、沖縄からの手紙であった。
沖縄からの手紙は、約束の地・國吉神社(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)のお札のお礼の手紙と沖縄の塩であった。
宇宙人ヒロさんの奥様の手紙には、宇宙人ヒロさんは、写真が嫌いだったのに、いすみに行った写真は、アルバムにも残し、最後のページに「地名由来辞典」から「国吉」の由来の部分をコピーして貼ってあるほどの情熱だったと書かれていた。
いすみの国吉、の由来ってなんなんだろう?
わたしに「島の子を生んでほしい」と言ったことと何か関係があるのであろうか。
少なくとも、わたしを動かしているのは伊江島のタッチューの神様だと思われる。
わたしには、女性器にしか見えない、「城山」。
そしてそこで発見された「鏡」。
宇宙人ヒロさんはいつもわたしを世界遺産になる前の斎場御嶽に連れて行き、東御廻り(あがりうまーい)の拝所に連れて行った。
東御廻り(あがりうまーい)は、琉球最高位の神職である聞得大君を連れての国王の巡礼のことである。
当時は何もわからなかったし、それどころか、わたしはノロ(神女)筋の生まれということも聞かされていなかった。
与那原のヒロさんの奥さんからの手紙は、ヒロさんが単なる「思いつき」でいすみの「国吉」を選んでいたのではないことを告げていた。
そして、その場所には、わたしにまだわからないレベルで彼(といっても人間としての彼ではなく、彼に降りているもっと大いなる存在の意識としての)の壮大な計画があったと思われる。そして、日蝕夏至の日の神事は「成り」、そしてその先へと今も続いている。
関西からの帰路にあたる時間に、着信があって、おそらくそれは伊勢平氏おじさんであった。
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