都をつなぐ旅 2(番外編・熊野の神ふたたび) 〜平維盛の子孫だから、あなたとは他人じゃない!? | かんながら

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旅の記録です

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なにわの審神者(さにわ)が東京に来て、わたしが関西に行って、意識の交流が(人とも、お地場とも)あって、また何かが変わりつつある。例えば、これ(シンクロの重なる場所には、やはり 〜練馬・江古田)みたいに。

 

今、千葉・房総いすみ、沖縄も繋がりつつある(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に
忘れないうちに、記録だけはしておこう。

 

 

 

飛鳥では、いろいろあった。

わたしは人の隠れている一面を現してしまう性質を持っていることに気づいていたが、前回もあったし(飛鳥の里にいた神は 〜川口由一さんの乾坤塾(その2))今回もやっぱりあった。

 

「善悪、美醜を区別する存在は、どこに存在する、誰なのか」

そんな疑問が言葉になり、大好きな纒向の仙人を怒らせてしまって、「あなたは身体も心も曇ってるから救われない!!」って言わせてしまった。

 

 

「仏様」と呼ばれるような人を怒らせたことは、よくある。
世界的なヒーラーが突然豹変して怒り出すとかも今までに何度もあった。
N谷A宏さんに100人ほどの中で立たされてなじられたのは、2007年7月7日。
その日がしろくまさんとの出会いの記念日(続・答えあわせの東京散歩 〜その3 目黒・品川 縄文の森)。私たち二人が、それを知るまで2年ほどの月日が必要だったのだが。
 
しろくまさんは、そんなわたしをみて「お役目なんだね」と慰めてくれていた。
生きているうちずっと。
 
 
 
「あなたは心も身体も曇ってる」
 
そう言われたが、それは、なんとなく自覚もしている。
 
自分を曇らせていないと、人と交われない。
そんな感覚はずっとあった。
 
 
いつものように参拝しているとき、
 
 
「そして、鏡は叩き割られ、それは胸に突き立てられた」
 
 
という言葉とともに、シャーマンである女性が鏡を胸に突き立てられて埋められようとしている姿のビジョンが見え、そういえば、そんなシャーマンらしき女性が、西日本の遺跡で発掘されたという話をまさに、この道を歩いているときに、白山のサルタヒコが語っていたことを思い出した。
 
 
そういえば、伊勢平氏おじさんもわたしに、
 
 
「シャーマンが、予言を外したら、どうなったか知っているか」
 
と聞いたことがある。
 
当然、殺されたであろうと推測したが、黙っていたら、
 
「殺されたんだよ」
 
と言ったのだ。
 
そして、
「キミに欠けているのは、FACTをチェックする力だ。キミのいうことは陰謀論と同じだ!!」
 
みたいなことを言っていた。
 
 
 
わたしは予言めいたことを言うことは、人の感情を揺らすのでとても慎重でいる。
口にしないようにしているはずなのに(実際、わたしが予言めいたことをいうと思っている人はいないであろう)、伊勢平氏おじさんだけはわたしに「いい加減なことを言うな」と苦言を呈する。
 
 
わたしは、子どもの頃から鏡が好きで(三角縁神獣鏡)、そんなこと誰にも言ってないのに「鏡の存在」といわれていた。
 
 
鏡は適度に曇っていないと、みんな我が身の姿に驚き、怖がるのだ。
それは、醜い姿だからではない。
人は、自分の本当の姿を知らないでいる。
 
 
人の評価や、世間が求める常識で、自分がこんな人だと思っていて、その姿が実際と隔たっていることもあるし、
また、あまりにも自分の「たま」の光が強すぎて、恐れることもある。
 
 
とにかく、自分を正確に見つめるというのはとても怖いことのようだ。
だからみな、鏡のわたしに石を投げつけるのだ。
我が身の姿に畏怖して。
 
 
それくらい、パワフルで万能。人は恐るべき力を持った存在なのだ。
 
 
 もちろん、わたしはわたしの怠惰な生活習慣により、身体も心も曇っている。でも、曇りがなければ、食べ物を摂ることも、人と交わることもできない。
酒を飲み、肉食して、波動を下げていることも知っている。それでも飲み会の席では楽しいと人気者のわたしである。
 
 
 
浮世離れしすぎたら、適度に波動をさげる。
漢方治療をやめて(くもりをとるのをやめて)1番の効果はモテるようになったことである。

 

 

「どんな病気も漢方で適切に対応すれば救われる」と纏向の仙人は、言っていたのに、なぜそんなことをいうのか。

しかもこれだけの人たちの前で。

 

なにものかが「働いている」と思ったが、何故かこちらも止まらない。

口火を切るとはこのことだ。

 

 

「どんな病気も適切に対応すれば救われるのではないですか」

 

メンツを潰したいわけじゃない。

腹が立ったり傷ついたわけでもない。

なんでなんだろう。

 

わたしは、何がしたいんだろう。

 

 

自分が発した言の葉のみあれの居心地の悪さに押しつぶされそうになりながら、過ごした。

 

 

纏向の仙人は、その後の講義は全てわたしが自立できるように、他の人の症例からたくさんのヒントを盛り込んで贈ってくれた。

これ以上の講義はない、というくらいに。

 

 

わたしはこの短い時間にたくさんの治療のための知識やヒントを得た。

 

 

 

さて東京のポストに届いていたのは、なにわの審神者(さにわ)からの楠木正成(正行)の資料(都をつなぐ旅 2(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))と、なんと、沖縄からの手紙であった。

 

沖縄からの手紙は、約束の地・國吉神社(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)のお札のお礼の手紙と沖縄の塩であった。

宇宙人ヒロさんの奥様の手紙には、宇宙人ヒロさんは、写真が嫌いだったのに、いすみに行った写真は、アルバムにも残し、最後のページに「地名由来辞典」から「国吉」の由来の部分をコピーして貼ってあるほどの情熱だったと書かれていた。

 

いすみの国吉、の由来ってなんなんだろう?

わたしに「島の子を生んでほしい」と言ったことと何か関係があるのであろうか。

 

少なくとも、わたしを動かしているのは伊江島のタッチューの神様だと思われる。

わたしには、女性器にしか見えない、「城山」。

そしてそこで発見された「鏡」。

 

宇宙人ヒロさんはいつもわたしを世界遺産になる前の斎場御嶽に連れて行き、東御廻り(あがりうまーい)の拝所に連れて行った。

東御廻り(あがりうまーい)は、琉球最高位の神職である聞得大君を連れての国王の巡礼のことである。

当時は何もわからなかったし、それどころか、わたしはノロ(神女)筋の生まれということも聞かされていなかった。

 

与那原のヒロさんの奥さんからの手紙は、ヒロさんが単なる「思いつき」でいすみの「国吉」を選んでいたのではないことを告げていた。

そして、その場所には、わたしにまだわからないレベルで彼(といっても人間としての彼ではなく、彼に降りているもっと大いなる存在の意識としての)の壮大な計画があったと思われる。そして、日蝕夏至の日の神事は「成り」、そしてその先へと今も続いている。

 

 

関西からの帰路にあたる時間に、着信があって、おそらくそれは伊勢平氏おじさんであった。

そして、留守中のポストには、しばらく音沙汰のなかった 尾鷲の大先生からのお誘いの手紙もあった。
 
伊勢平氏おじさんと、尾鷲の大先生は、やはり何かがつながっているのだろう。
伊勢平氏おじさんは、山で「最後は諏訪」って呟いたし、尾鷲の大先生は、最初に出会ったときに「僕たちを引き合わせたのは、諏訪の神様」と言っていたのだから。
 
その上、大先生の手紙に「維盛の子孫だから、あなたとは他人じゃない」と書いてあったのである。
伊勢平氏おじさんがこの間言った言葉と同じではないか。
 
一体誰が言わせてるんだろう?
 
 
 
関西の旅は、しばらく止まっていた、何かが再び動きはじめた。
 
 
 

 

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