シンクロの重なる場所には、やはり 〜練馬・江古田 | かんながら

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旅の記録です

いよいよ明治神宮御鎮座100周年の節目が近づいている。
 

 

 

 

もう1ヶ月を切った。

明治神宮が100周年だと、当然そのために作られた表参道も100周年だ。

 

関西の旅から帰ったら、沖縄から手紙が届いていた。

それは、いすみ・国吉の旅(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)のきっかけになった「宇宙人ヒロ(故人)」さんの奥様からであった。

お手紙には、「国吉」という土地に彼が持っていた思いが綴られていた。

その手紙を読んで、わたしは、夏至の日の神事は、「成就した」と確信した。

 

まだまとまっていないが、飛鳥ではいろいろあった。

 

大好きな人の感情を乱すということはとても辛い。

産みの苦しみだと思って耐えた。しかしキツかった。

でもこのタイミングで届いた手紙は、「神事は成った」と告げていた。

 

わたしがアフリカに行く前、居候させてもらっていた場所は江古田だった。

宇宙人ヒロさんは、わたしがアフリカ放浪中のある日、当時江古田に住んでいた、わたしの居候先であった亀好きの元ダンナを訪ね、国吉という駅を目的に彼と一緒に旅をした。

 

そして、彼に写真を撮ってくれるようにといって、その様子は亀好きの元ダンナによって一冊のアルバムにまとめられてプレゼントされた。

そしてその最後のページには、「国吉」の地名の由来についての資料が貼り付けられていたようだ。

 

わたしも彼の写真を撮るように頼まれたことがあったので、「宇宙人ヒロ」さんは写真が好きなんだなと思っていたが、

ご家族の話によると、写真嫌いだったらしい。

彼は、何かを思って、その様子を亀好きの彼に頼んで残したのである。

 

 

そして他にも江古田繋がりは結構いたが(わたしと亀好きの元ダンナの写真の師匠だった盛岡養一郎先生も日大芸術学部関係者だったし)、山手線の中央線より北側のエリアがなんとなく苦手なわたしは、江古田の思い出は、わたしの記憶の深い部分に格納したまま思い出すこともなかった。

 

それが。

最近12年ぶりくらいに連絡をくれたヨギの治療師と話していて、昔住んでいたところの話になり、「練馬」というので、「ところで練馬のどこ?」と聞いた。

 

なんといってもこの間の豊橋の旅((追記あり)豊橋の瀬織津姫がみせたかったもの 〜五ヶ所湾から豊橋へ そして。(その1)

豊橋の瀬織津姫がみせたかったもの 〜五ヶ所湾から豊橋へ そして。(その2))に出ることになったのも、伊勢平氏おじさんと彼のゆかりの場所が川を挟んで反対側という近すぎる場所だったからなのだ。

 

伊勢平氏おじさんと、ヨギの治療師そして亀好きの彼という、わたしと今関わっている人たちが全員「練馬」というキーワードを持っているというのは絶対に何かある。

 

「江古田」

「もしかしてそこは」

 

わたしがいつも通っていたカフェのある建物だった。

しかも、同じ時期に。

 

 

 

これはいかねばなるまい。現地へ。

 

 

 

江古田駅は、わたしの記憶に微かに残っているそれとはあまりにも違っていて、何一つ思い出せない。

 

 

 

それでも、歩いているとなんとなくわかるもので、なんとなく記憶を辿って歩いていたら、「もしかしてここは」と思う景色が残っている。

亀好きの元ダンナがは、毎食を近くのコンビニご飯にしていて身体を壊したから自炊をするようになったといっていたが、そのコンビニが残っていたりとか。

 

 

 

 

そういえば記憶の片隅にあるお稲荷さん。

アパートのすぐそばにお稲荷さんの社があったのだった。

 

あの頃は稲荷の祝詞どころか、神社にお参りするということすらなかった。

だから、なんだか気持ち悪いと思ってスルーしていた。

 

稲荷秘文を奏上したら木々がさらさらと揺れた。

ごめんね、ずっと無視してて。ちゃんと見守ってくれていたのだった。

 

それにしても、このエリアはおいなりさんが多い。

そして、だんだんわかってきた気がする稲荷とあの神様との関係。

 

 

 

 

穴守稲荷神社。

穴守稲荷は、羽田空港のそばのそれが有名である。

関係があるのかないのか、も情報がないのでわからない。

しかし、妙に立派で頑丈そうな鳥居から想像するに、少なくとも意識されているとは思われる。

 

昔「竜田稲荷」と呼ばれていた時代があった、という記述もみたが詳細はわからない。

竜田、だったらまたすごい。龍田神社への旅(鎮魂祭 〜龍田の神と聖徳太子とともに石上神宮へ)や恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その3 飛鳥・纏向編(前編)につながっている。

最初の八ヶ岳で、祈りのときに真っ赤に染まる川沿いの情景とともに降りてきたあの歌。

 

「ちはやふる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは」

 

いまだに、あれが何を意味するのか、どこにつながっているのかはわからない。

ただ、だんだんといろんなピースが集まり始め、何かをあらわしはじめているのは確かだ。

 

 

 

 

亀好きの元ダンナが亀にあげていた1本250円のバナナは、298円に値上がりしていた。

自分(やわたし)は、1房が同じ値段のバナナを食べるのに、亀には惜しみなく高級品をあげていた。

彼にとって、亀は神様なのであろう。

 

一度「あれ(1本250円のバナナ)が食べたい」と言ってみたが、「うーん、あれは」と笑って断られた。

だから、今回、自分で買って食べようと思って、かなりの勇気を振り絞って高級なそのお店に入ったが、売り切れていた。

 

 

 

 

江古田駅前にある、江古田浅間神社。

富士塚がある。

 

 

 

 

 

 

天狗の羽団扇。

御祭神はコノハナサクヤヒメ。

コノハナサクヤヒメには似つかわしくない社紋のような気がするのはわたしだけ?

天狗といえば、鞍馬寺。満月祭が有名である。

 

 

 

ヨギの治療師も、亀好きの元ダンナもここには来ていたという。

わたしは、、、記憶なし。

ごめんなさい。

本当に、当時は神社も寺も嫌いだったのだ。

 

 

 

なんとなく、消化できていない感じは残りつつ。
江古田って、何があったんだろう?
なんで、ここに今になって呼ばれるのだろう?
そして、いすみ・国吉との関係は、どういうことなんだろう?
 
何かが、繋がり始めては、いる。

 

 

 

 

 
 
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