飛鳥にきた。
あえて、飛鳥。
飛鳥の方がしっくりくるから。
今年3度目の飛鳥は、実りの秋。
飛鳥川を歩く。
「全てがわかる」と言われるだけある熱量のある文が掲げられていた。
あのとき、おじさんは言ったのだ。
「飛鳥の遺跡は全部石ですから、朽ちることなく残るんです」と。
何よりも朽ちていないのは、今生きている人たちの先人たちへの思いのような気がしたのである。
北の守神、玄武。
宿に飾ってあったもの。キトラ古墳にあるからかな。
熊本県八代地方では、この亀蛇(きだ)を「ガメ」と呼ぶ。それに乗って妙見の神様は、海を渡って中国からやってきたと伝わる。
妙見=北辰(北極星)=鎮宅霊符。
京都では御所の北を守る鎮宅さん。
閑臥庵に祀られている北辰鎮宅霊符神は、十千十二支九星を司る総守護神であり、陰陽道最高の神とされています。
その鎮宅霊符神は、平安時代の中ごろ円融天皇が方除・厄除の霊神とし京都のうしとら(東北)にあたる貴船に祀ったもので、天皇が陰陽師の安倍晴明に付託開眼させたと伝えれる金剛象で、高さ四尺五寸の神像です。
(閑臥庵HPより)
今すごくきてる、北辰。
妙見信仰といえば、九曜紋。、浦和(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)、千葉氏(千葉神社(妙見本宮))清澄寺(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)、キリシタン(亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ、島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1)など、ずっとつながっている。
なんと言っても、しろくまさんの「しろくま」は「ホッキョクグマ」であり、彼は、北極で風になったのだ。
しかも、彼が、自らの葬儀の場に選んだ教会は、殉教者の教会なのだから。
3日目の朝は、宿の人から勧められて稲渕に。
男綱(おづな)と女綱(めづな)
綱掛神事は、稲渕(いなぶち)と栢森(かやのもり)両大字に伝わる神事で、
毎年1月に行われる。カンジョ掛神事ともいう。
子孫繁栄(しそんはんえい)と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈るとともに
悪疫(あくえき)などがこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、
住民を守護するため神事といわれている。
稲渕大字の神事の特徴は、全体を神式で行うことである。飛鳥川の上に
陽物(ようぶつ)をかたどった「男綱(おづな)」を掛け渡し、
神所橋(かんじょばし)と呼ばれる橋に祭壇を設け、神職が御祓(おはら)い
をする。一方、飛鳥川上流の栢森大字の神事は仏式で行うことが特徴で、
「女綱(めづな)」を飛鳥川に掛け渡しをする。
飛鳥川を通って、石舞台方面からの疫病が来ないように綱をはった。
特別な集落だってことなんだろうな。男女のシンボルによって作られた場所。
真ん中に鎮座するのは、飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにいますうす
たきひめのみこと)神社。
男綱。稲渕集落の綱張りは毎年成人式に行われる。
明日香川
明日も渡らむ 石橋の
遠き心は 思ほえぬかも
万葉の頃の恋の歌って情熱的。
石垣のある上にあるちゃんとした集落。
このかたち、おそらくここにくる前にみた、上北山村(トーキョーからオーサカへ(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))のそれと同じ。
南渕請安は、大化改新を談山で語らいあった中大兄皇子と鎌足の師匠。
そしてきになる竹野王。
実はこの後、男綱と女綱の中間地点の飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにいますうす
たきひめのみこと)神社を通りかかったら、軽トラックのおじちゃんに声をかけられた。
「どこまで行くの」
「女綱の向こうの加夜奈留美(かやなるみ)神社まで」
「え、遠いよ??女綱までだったら送ってあげようか」
朝食時間まであと30分。
遅れる時間を考慮してもギリギリである。
ここは乗せてもらう一択である。
「わーい嬉しい!ありがとうございます」
車の中で、「うちの息子は〜」と話が弾み、
「ひとりやし」
(もしかして、これって縁談??)
「嫁に来てくれる人を探してるんだけど」
「え?わたし??」
生まれて初めて「息子の嫁に」って話をもらった。
女綱。おじさんと一緒に拝礼。