都をつなぐ旅 2(その3) 〜いにしえの都に帰る旅( 飛鳥・大和路編) | かんながら

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旅の記録です

からのつづき。
 
 

 

飛鳥にきた。

あえて、飛鳥。

飛鳥の方がしっくりくるから。

 

 

 

今年3度目の飛鳥は、実りの秋。

 

 

 

 

 

 

彼岸花は勝手に咲いているのではないらしい。
イネを奪われたときのための万一の食料として、毒のある彼岸花を植えておいたのだと。
それが安曇族の知恵なのだそうだ。

 

 

 

 

飛鳥川を歩く。

 

 

 

 

前回来たとき(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その2 大好きな場所と時代をかんじて)に「飛鳥寺に行けば、全てがわかる」と石舞台で出会ったおじさんに言われた飛鳥寺へ向かう途中、こんなものが。
なんと、蘇我入鹿の首塚らしい。
 
前回泊まったお部屋の名前、「入鹿」だったんだよね。
ちなみに今回は「鎌足(笑)」。
 
 

 

 

「全てがわかる」と言われるだけある熱量のある文が掲げられていた。

あのとき、おじさんは言ったのだ。

「飛鳥の遺跡は全部石ですから、朽ちることなく残るんです」と。

 

何よりも朽ちていないのは、今生きている人たちの先人たちへの思いのような気がしたのである。

 

 

 

なんだか、この大仏には会っておかねばならぬような気がする。
もちろん、子どもの時には会っている。もう40年以上ぶり、となるのであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

北の守神、玄武。

宿に飾ってあったもの。キトラ古墳にあるからかな。

 

熊本県八代地方では、この亀蛇(きだ)を「ガメ」と呼ぶ。それに乗って妙見の神様は、海を渡って中国からやってきたと伝わる。

 

 

妙見=北辰(北極星)=鎮宅霊符。

京都では御所の北を守る鎮宅さん。

 

閑臥庵に祀られている北辰鎮宅霊符神は、十千十二支九星を司る総守護神であり、陰陽道最高の神とされています。
その鎮宅霊符神は、平安時代の中ごろ円融天皇が方除・厄除の霊神とし京都のうしとら(東北)にあたる貴船に祀ったもので、天皇が陰陽師の安倍晴明に付託開眼させたと伝えれる金剛象で、高さ四尺五寸の神像です。

閑臥庵HPより)

 

今すごくきてる、北辰。

妙見信仰といえば、九曜紋。、浦和(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)、千葉氏(千葉神社(妙見本宮))清澄寺(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)、キリシタン(亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1)など、ずっとつながっている。

なんと言っても、しろくまさんの「しろくま」は「ホッキョクグマ」であり、彼は、北極で風になったのだ。

しかも、彼が、自らの葬儀の場に選んだ教会は、殉教者の教会なのだから。

 

 

3日目の朝は、宿の人から勧められて稲渕に。

男綱(おづな)と女綱(めづな)

 

 

 

 

綱掛神事は、稲渕(いなぶち)と栢森(かやのもり)両大字に伝わる神事で、
毎年1月に行われる。カンジョ掛神事ともいう。
子孫繁栄(しそんはんえい)と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈るとともに
悪疫(あくえき)などがこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、
住民を守護するため神事といわれている。
稲渕大字の神事の特徴は、全体を神式で行うことである。飛鳥川の上に
陽物(ようぶつ)をかたどった「男綱(おづな)」を掛け渡し、
神所橋(かんじょばし)と呼ばれる橋に祭壇を設け、神職が御祓(おはら)い
をする。一方、飛鳥川上流の栢森大字の神事は仏式で行うことが特徴で、
「女綱(めづな)」を飛鳥川に掛け渡しをする。

 

飛鳥川を通って、石舞台方面からの疫病が来ないように綱をはった。

特別な集落だってことなんだろうな。男女のシンボルによって作られた場所。

真ん中に鎮座するのは、飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにいますうす
たきひめのみこ
と)神社。

 

 

 

男綱。稲渕集落の綱張りは毎年成人式に行われる。

 

 

明日香川

明日も渡らむ 石橋の 

遠き心は 思ほえぬかも

 

万葉の頃の恋の歌って情熱的。

 

 

 

 

石垣のある上にあるちゃんとした集落。

このかたち、おそらくここにくる前にみた、上北山村(トーキョーからオーサカへ(その2) 〜いにしえの都に帰る旅(平家の里にあったもの編))のそれと同じ。

 

 

 

南渕請安は、大化改新を談山で語らいあった中大兄皇子と鎌足の師匠。

そしてきになる竹野王。

 

実はこの後、男綱と女綱の中間地点の飛鳥川上坐宇須多伎比売命(あすかかわかみにいますうす
たきひめのみこ
と)神社を通りかかったら、軽トラックのおじちゃんに声をかけられた。

 

「どこまで行くの」

「女綱の向こうの加夜奈留美(かやなるみ)神社まで」

 

「え、遠いよ??女綱までだったら送ってあげようか」

 

朝食時間まであと30分。

遅れる時間を考慮してもギリギリである。

 

ここは乗せてもらう一択である。

 

「わーい嬉しい!ありがとうございます」

 

車の中で、「うちの息子は〜」と話が弾み、

「ひとりやし」

 

(もしかして、これって縁談??)

 

「嫁に来てくれる人を探してるんだけど」

「え?わたし??」

 

生まれて初めて「息子の嫁に」って話をもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

女綱。おじさんと一緒に拝礼。

 

 

 

 

 
 
 
加夜奈留美神社。
 
 
 
特徴的な神具。
 
祝詞奏上したあと、猛ダッシュで飛鳥川上坐宇須多伎比売(うすたきひめ)神社。
どうも宇須多伎比売という神様は、三輪山のみーさんと同じ神様のようだ。
 
 
この階段に怯んだが、悩む暇はない。駆け上がるのみ。
 
 
 
 
丹生の神様のような赤い社。
 
 
いろいろあって、帰りがけ。
飛鳥大仏をやはり一目見てから帰ろうと思い、飛鳥寺へ。
 
 
聖徳太子像。
 
飛鳥寺のすぐそばの飛鳥坐神社。
元伊勢って書いてある。
 
お久しぶりです。
 
 
男性器を模した石棒が高御産巣日神の御神体、ということになっている。
 
大阪に移動して、堀越神社。
 
18時の閉門まで5分。
 
 
ちゃんと鎮宅さんをお参りできた。
阿部野橋は通学の乗換駅だったからよく通ってたのに、一度もお参りしたことはなかった不思議。
ようやく時がきたか。
聖徳太子ゆかりの四天王寺とは目と鼻の先。
そういえば、飛鳥では聖徳太子生誕地を歩いてきたし、飛鳥寺でも聖徳太子に会ってきた。
 
 
 
その後、実の父の家でご飯を食べるも、連絡がちゃんと取れておらずに滞在時間30分。
 
なんだかこちらでも大問題勃発中。
妹が「離婚したい」。
 
「ならすればいいじゃん?」とわたしは思う。
 
 
「子どものため」と言いながら、パートナーへの不満を口にしながら結婚を続けるなんて、相手にも、自分にも、子どもにも失礼だ。
 
「離婚したいなら、いいんじゃない」という私と父に、父の再婚相手であるその人の笑顔の瞳の奥にものすごい怒りが見えた。
 
 
「子どものため」と我慢してろくでもなかったはずの頑固者の父と離婚しなかった父の後妻さんには、子どもの離婚は自分自身の苦労を踏みにじられる気持ちがするのだろうか。
 
 
あなたの価値観を否定するのではない。
あなたの選択が、あなたにとって素晴らしいように、他の人の選択もまたその人にとって素晴らしい、ただそれだけなのに。
 
体験を通してしか、人は学べないのだ。
 
 
 
いつか、あったな、味のしないビールを黙って飲み続けたことが(父とふたり旅)。
今日はビールは飲んでないが、デジャヴである。
旅を終えたのであった。