(安須森(あすむい)御嶽 2018年5月)
「神様だって、幻想だよ」
ヨギの治療師はわたしにいう。
なんで、この人は12年ぶりに突然連絡してきたと思ったら、今年わたしが一番気になっていたことを口にするんだろう。
わたしはこのところ疑問を持っていた。
「わたしを動かしているものは、なんなんだろう?」ってことに。
神は、誰なのか。
伊勢平氏おじさんが、「キミを通してくる」と言っている、悪魔や低級霊より、おじさんが信頼している「神」の方が、よほど影響力があって、危ういんじゃないか。
「世の人が、目にみえる世界にとらわれているのと同じように、美志摩ちゃんは、目にみえない世界にとらわれているだけなんだ」。
ヨギの治療師はわたしのことをそう評価する。
わたしは、外から見たら目に見えない世界からのメッセージであちこち飛び回っているように見えるだろうから、まあ、そう思われるのも知っている。
わたしは、サイババにも会っているが(しかも3度も)、わたしは、まだババが神さまだって確信してはいない。
それどころか、「神さまは、いるのか?」は、物心ついて「神さま」という言葉を教わったときからの問いである。
リアルすぎる夢で書いたけど、危機的状況になったときに「神さま!!」と叫んでイメージしたのは思いがけずババだった。
ババは、いつも、楽しそうにしていた。
そして、「今の世で解脱する唯一の方法は、貧しい人への奉仕だ」と言って、彼自身も無料の学校や病院を作り、ストリートチルドレンをなくすため、母親にミシンを与え、仕事を与えていた。
そして「しあわせでいなさい」そして、「(しあわせでいたかったら)ババのように振る舞いなさい」と言っていた。
わたしは貧しい人たちへの奉仕はまったくしていないが、「しあわせでいよう」としている。
だから、わたしはしあわせである。
ババの教えは間違っていない。
わたしが映画「天気の子」の街、代々木に住んだ4ヶ月は自分がおかしかった(変わらぬ日常 代々木の街とアフリカと)。
歩くスピードが早くて、目にみえることにとらわれていた。
「参拝を一刻も早く終えて、仕事しなきゃ!!」と思い、外食して、買い物して、ある意味「普通の人」の暮らしをしていた。
代々木をでて、神の住う表参道に戻ってきて、伊勢平氏おじさんと再会して、昨年はちゃんとできなかった八ヶ岳(やり直しの旅 〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ)を終えるころ、ヨギの治療師はあらわれた。
12年ぶりに再会して飲んだとき(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)、彼は「中学の頃、本を読んでクンダリーニをあげる、っていうのを試してみたら、本当に上がってきて怖くなってやめた」という話をした。
本人には、話すのにとても勇気のいる話だったらしいが、わたしは「中学の時からそんな本読んでたんだ!?」というところ以外は、驚かなかった。わたしの周りにはありふれた話題だったからである。
「わたしも、昔、クンダリーニあげるっていうのを面白半分にやって」
「え、どうなったの」
「1週間、腰が抜けてちゃんと立てなかったよ」
こんな人だから、仙人みたい、と思うかもしれないが、現実の彼は、わたしなら5秒で片付ける問題を何ヶ月も思いあぐね、
「そんなことしたら、和して亡ぶ(貞観政要)よ」
ってミミズのわたし(”地を這う蚯蚓(みみず)のように” 〜あのとき、蚯蚓を選んだ)に言われてる(こういうことを遠慮なくいうから、「あなたといると自分がなくなる」と言われる)。
そして
「神も幻想だよ」
とわたしにいいながら、自分自身は通勤時間に「大天使ガブリエルのメッセージ」とやらをYouTubeでチェックしている。
この矛盾だらけが人間って愛おしくておもしろい。
そして再会から3度目の満月の時期を迎えて(満月と酒と、アワとスワ)、伊勢平氏おじさんと、ヨギの治療師と3人で飲むということになった。
そしてヨギの治療師は、昨秋、「引越し祝い」とお金の入った封筒を渡して音信不通にしたおじさんのことを「ひどい!!」と怒っていたが、自分自身も似たようなことをした(複雑ではあるが、わたしにはありがたいこと以外のなにものでもない)。
でもこれって、なんなんだろう?
誰の意図?
わたしの思いの引き寄せ?
神の働き?
この世では、見えない力がせめぎあって現実を作っている。
菊理媛神がいったこと 〜令和最初の紀元節によせて で書いたけど、
「令和の世は、地獄の釜のふたがあき、皆で弥栄する」
って予言している人がいる。
そして、今年の紀元節には、ある元伊勢の宮司さんが
「(今までは天皇陛下が上にいらしたが)これからは、陛下とわれわれがともに世の中を作っていく」
という趣旨のことをおっしゃったと聞く。
本当は、それって怖いことなのだ。
みんなトランプ大統領が、とか、政府が、とか言ってるが、
で書いたけど、我々の無意識が、今の世を作っているのだ。
今までは、よかった。
「神」という(全体にとって概ね)正しい意識が、日本を治めていたから。
だから、天皇陛下の御名の下に一丸となってるうちは、そこそこうまくいっていた。
だけど
このままで本当に、「地獄の蓋が開いて、魑魅魍魎も、ともに弥栄」
なんか、できるのか。
今のわたしたちの、この分離意識で、魑魅魍魎と共に弥栄なんか絶対に無理だ。
自分が善良だと思っている人たちは、魑魅魍魎を受け入れられないだろうし、
魑魅魍魎の方だって、こんなふうに敵視されたら、穏やかでいられるはずがあるまい。
わたしが、ヨギの治療師に告げた「和して亡ぶ」という言葉は、貞観政要にある。
これは、wikiによると、
唐の太宗の政治に関する言行を記録した書で、古来から帝王学の教科書とされてきた。主な内容は、太宗とそれを補佐した臣下たち(魏徴・房玄齢・杜如晦・王珪[2]ら重臣45名[3])との政治問答を通して、貞観の治という非常に平和でよく治まった時代をもたらした治世の要諦が語られている。
とある。
古くは、一条天皇、高倉天皇、徳川家康、源頼朝、そして明治陛下はこの書から学んだとされる。
和訳は、北条政子の命によりなされたらしい。
日蓮もこれ(和訳)を書写した、とある。
伊勢平氏おじさんが注目している日蓮の政治への考えは、ここからきているようである。
魑魅魍魎と弥栄する、というのは、まさに、今までは、大王(おおきみ)ひとりが学んでおけばよかった帝王学を、皆が学ばなければ、「弥栄できない」ってことでもある。
海行かば で書いたが、私たちは「天皇陛下を国民の象徴としていただく」ことの重さを理解していないように思う。
大王(おおきみ)たる天皇陛下が、象徴である今、わたしたちひとりひとりが「大王(おおきみ)」たらねばならないのである。
もちろん、大王でないのだから、できないのであろうが、起こる事は目に見えている。
今までのような平和な世の中なんかあるわけがない。
今日は明治節。明治神宮では秋の大祭。
明治は、日月で治める、と書く。
貞観政要から学ばれた明治天皇。
わたしたち一人ひとりが、大王(おおきみ)たりえれば、平和な世界は、きっと成る。
しかも11月3日は アメリカ大統領選。
無意識が勝つか、善良な意識が勝つか、結果に注目している。
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